一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「クイズ・正解は1年後2017」の答え合わせ

2017-12-31 01:14:29 | 将棋雑記
今日は大晦日。家ではマイプリンタが壊れて、いまだマイ年賀状が印刷できていない。プリンタはいろいろ手を尽くしたが、修復不能。今日にでも、新たにプリンタを買うしかないようである。
もう、血圧が上がりまくっている。

当ブログでは1月4日に、「クイズ・正解は1年後2017<女流棋士編>」、1月6日に「同<男性棋士編>」で、設問を10問ずつ記した。今日はその答え合わせをしよう。

<女流棋士編>
1.里見香奈女流五冠が女流六冠を達成する。→×
五冠を防衛したが、マイナビ女子オープン五番勝負には出られなかった。

2.竹俣紅女流初段が4月以降も休場する。→×
ちゃんと対局に復帰した。

3.竹俣女流初段が写真集を発売する。→△
12月発売予定だったがズレこんで、2018年1月31日の発売になってしまった。

4.室谷由紀女流二段がテレビのバラエティ番組に出演する。→×
いくつかオファーはきたとは思うが、テレビ界に自分を安く売らないところがいい。

5.タイトル戦初登場の女流棋士が現れる。→×
いなかった。

6.カロリーナ・ステチェンスカ女流3級が女流2級に昇級する。→○
女流2級どころか女流1級に昇級した。

7.20代の女流棋士の誰かが結婚する。→○
宮宗紫野女流初段(29歳)が5月1日に、井道千尋女流二段(29歳)が5月21日に入籍した。

8.マイナビ女子オープンで、アマチュア選手が2人、本戦トーナメント入りする。→×
小野ゆかりアマのみだった。

9.室谷女流二段が週刊誌のグラビアページに登場する。→○
「週刊現代」8月12日号(7月31日発売)に登場した。

10.NHK杯に出場した女流棋士が1回戦も勝つ。→×
加藤桃子女王が近藤誠也五段に敗れた。

以上、正解数は3つだった。

<男性棋士編>
1.羽生善治三冠がタイトル100期を達成する。→×
棋聖防衛、王位、王座を失冠し、竜王奪取で99期だった。

2.加藤一二三九段が順位戦C級2組に残留する。→×
武運拙く降級、惜しまれつつ引退となった。

3.今年の昇段者は10~12人。→×
野月浩貴八段(1月20日)、矢代弥六段(2月11日)、鈴木大介九段(3月1日)、近藤誠也五段(3月2日)、畠山成幸八段(3月8日)、斎藤慎太郎七段(3月8日)、豊島将之八段(3月9日)、藤森哲也五段(3月23日)、伊藤博文七段(4月1日)、木下浩一七段(4月1日)、木村一基九段(6月26日)、佐々木勇気六段(7月11日)、石田直裕五段(8月15日)、中村太地王座・七段(10月11日)、川上猛七段(10月17日)、石井健太郎五段(10月30日)、大石直嗣七段(11月1日)、村田顕弘六段(11月7日)、永瀬拓矢七段(11月22日)、三枚堂達也六段(11月24日)。20人も昇段した。

4.タイトル戦初登場の棋士が出る(千田翔太六段は除く)。→○
稲葉陽八段が名人戦に、斎藤慎太郎七段が棋聖戦に、菅井竜也七段が王位戦に登場した。

5.春の電王戦は1勝1敗。→×
佐藤天彦名人がPONANZA相手に0勝2敗だった。

6.藤井聡太四段が棋戦優勝する。→×
優勝はなかったが、公式戦29連勝は、それを補って余りある。

7.羽生三冠―谷川浩司九段戦が指される。→×
なかった。

8.佐藤康光九段が8月に公式戦1000勝を達成する。→×
達成日は7月28日だった。

9.週刊誌で棋士のエッセイが始まる。→×
なかったと思う。

10.日本将棋連盟に何かが起こる。→△
何か起こったんじゃないか?

以上、正解数は1つだった。

自分で考えた問題とはいえ、なかなか難しかった。

私は今年、最悪の年でした。最後の最後まで、あらゆるケースで苦しめられました。
皆様はどうか、よい年をお迎えください。1年間ご愛読、ありがとうございました。
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2017年長崎旅行・7

2017-12-30 00:55:41 | 旅行記・九州編
その食事処は、とあるビジネスホテルの2階にあったが、もう営業はしていないようだった。
かつて入った店が消えゆくのは毎度のことだが、いつも虚しい気持ちになる。
近くに蕎麦屋がありこちらは営業中だったが、店頭に舌代が掲げられていない。「見積りのない店に入らない」は私のポリシーなので、今回は見送りとした。
14時50分の「フェリーあそ」に乗った。船内は適度な混み具合で、意外だった。
乗船前の調べでは、熊本港には15時50分着。以下シャトルバスが16時発で、熊本駅着が16時25分となる。新幹線は高くて利用できないから高速バスかJRの鈍行を利用することになるが、福岡城での光イベントを見るためにはもうギリギリで、とても下通アーケード街どころではない。今さらながら加津佐往復が疑問だった。
しばし2等客室でぬくぬくしていたが、デッキに出る。フェリー航行跡の波が鮮やかだ。旅行に船旅を挟むと旅情豊かになる。
ほぼ定刻に下船。専用シャトルバス(ライトバン)は6人の乗客だったが、さらにアジア人が加わった。前を行く旅行客についてきたようなのだが、日本語が不自由だ。それでも運転手さんは行先を確認したうえで、もちろん無料で乗せてあげた。これが日本のおもてなしである。
バスは定刻の6分前に発車した。私は熊本駅から16時37分の鈍行に乗る予定だが、1本早い16時15分のに乗れればなおいい。バスはびゅんびゅん飛ばしているが、その列車に間に合うかどうか。
しかし無人駅の前に横づけしてくれるならともかく、熊本駅構内は広い。仮に15分までに着いても、目当てのホームまで数分かかるから、やはりほぼ絶望である。
熊本駅新幹線口には16時15分に着いた。それでも定刻より10分早く着いたのだから、運転手さんには感謝である。
改札はSuicaで通過した。駅構内は大規模な工事中で、新設のホームが何本かできていた。
16時37分の列車に乗車。大牟田には17時30分に着いた(940円)。このまま博多まで乗ってもいいのだが、私はここで降りる。西鉄に乗り換えたほうが安くあがるからである。
大牟田は今年のゴールデン・ウィークに続いてのお邪魔で、前回とは逆の行程となる。待ち時間は23分あるが、駅前に食事処がないのは体験済みだ。駅隣接のコンビニでも食料を買う気力がなく、私はそのまま西鉄大牟田線の特急に乗った。
列車内は外国人が多かった。みな太宰府天満宮をお参りしてきたのだろう。
特急は快調に飛ばし、18時55分、西鉄福岡に着いた(1,020円)。九州とはいえ真冬なので、さすがに夜の帳が下りていた。ここから福岡城の光イルミネーションへのアクセスは、地下鉄で大濠公園に行き、徒歩8分である。ゼヒ見てみたいが、帰りのANAは20時55分である。夕食も摂りたいし、いろいろ考えると今回は見送るのがベターと判断した。結局、加津佐へ行った時点で、光イルミネーションを諦めざるを得ない運命だったのだ。
最後の晩餐を探す。福岡といえばうどんで、これまで何軒か美味い店を見つけたが、今日はどうか。
いろいろ歩いたが馴染みの店は見つけられず、博多大丸エルガーラの5階に食堂街があったので、そこで食べることにした。
入った店は「華元」。和食処で、私は大ざるせいろを注文した。
蕎麦は更級。ツルツルしていて、喉ごしがいい。札幌・中島公園「福住」、すすきの「一心」などに匹敵する美味さだった。820円はちょっとアレだが、食す価値はあると思う。
地上に戻りふらふら歩くと、クリスマスのイルミネーションが目に入った。昨年もお邪魔した「TENJIN Christmas Market」である。
中では飲食店が軒を連ねており物すごい人出だが、私は心から楽しめる精神状態ではなく、何も食べない。きらびやかなクリスマスの雰囲気だけ楽しんだ。
よく考えたら、ここは福岡市庁舎前の広場だった。博多どんたくでお祭り本舞台になっているところで、昼と夜ではガラッと雰囲気を異にする。







同じイベントは博多駅前にもある。バスに乗れば100円で駅前まで行けるはずだが、そのバスを見つけるより、歩いて行ったほうが早い。
私は中央公園、中洲川端商店街と、博多どんたくの散歩時と逆のコースを行く。これ、昨年もこんな感じだった。
多少大回りの形で駅前に着く。ここもきらびやかで、サンタクロース姿の男女がステージでライヴをやっていた。ああしかし、時間がない。私は遠くから一瞥すると、地下鉄で福岡空港に向かった。





地下鉄の空港駅には20時19分に着いた。ふつうならこれで余裕なのだが、両親にカステラの一つも買わねばなるまい。
ところがANAの土産物店のレジは長蛇の列である。ANAは同クレジットカードで10%引きになるから、使い勝手がいい。客もそれを分かっているのだ。
このまま順番待ちをしていたら埒が明かないので、手荷物検査場を抜けてしまう。
だがその先にもANA最後の土産物店があり、そこでじっくり買物をした。
ふぅ~、これで後は家へ帰るのみである。だけど今回の旅行はどうだったんだろう。あまり実りがなかった気もするが、大過なく済んだことを佳とすべきか。
搭乗が始まった。私は「23F」と前方だから、まだ先だ。
あッ…!! 最寄り駅までの「モノレール&山手線割引きっぷ」を買い忘れていた!
アオくなって周りを見ると、何という幸運か、近くにその券売機があった。
無事購入し、これで148円の得となった。
ANA272便は機材の変更があり、私は中央4人掛けの右から2番目となった。今回も右に女性が座ったが、これは珍しい。
私はマイイヤホンを取り出し、オーディオサービスを楽しんだ。
カルチャー・クラブの「君は完璧さ」がいい。私が青春時代に流行った曲で、今度ミスDJにリクエストしよう、と思った。
(おわり)
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2017年長崎旅行・6

2017-12-29 12:19:34 | 旅行記・九州編
大三東駅はイメージ通り、ホームのすぐ隣に有明海が迫っていた。あっちこっちに黄色いハンカチがたなびいており、「幸福の黄色いハンカチ」を彷彿とさせる。現在はそのイメージで売り出しているらしい。
ホームは2面で、今日はイベントでもあるのか、駅舎側には運動会用テントが設えられ、多くの人々が何かの準備をしていた。
その後方には常設のステージがあり、定期的にイベントが開かれていることが推測できた。
ただ惜しむらくは、この手の無人駅にはたいていあるトイレが、ここにはなかった。ここがJRと民間鉄道の違いだろうか。何だかお腹が痛くなって、小もしたくなった。次の下りは10時22分である。その時間まで我慢できるだろうか。
じっとするにも寒くて、私はホームをうろうろする。
黄色いスーツを着た芸人が、駅名板をバックに記念撮影している。やはり今日、何かが行われるのだ。
ただし構内を撮影するには十分すぎるほどの時間がある。曇天なのがアレだが、鉄道カメラマンになったつもりで、何枚か撮った。
09時56分、上り電車が入線する。やはり駅には列車が似合う。今年はここでの写真を年賀状に使おうか。













10時22分、下り列車に乗った。このまま終点の島原外港まで乗ればいいのだが、島原駅に「鯉駅長」がいる、との情報を見て、こちらも興味がわいた。
10時35分、島原下車。やや寄り道が過ぎるが、まだ予定内の行動である。
鯉駅長は、文字通り巨大な「鯉」だった。それが駅舎内の水槽でゆったり泳いでいた。この鯉を観るために列車を1本遅らせたとは微妙だが、まあいい。
おおそうだった、何はともあれトイレである。用を足してスッキリして、もう何でも来い、の気分になった。
駅からは島原城が見えるが、今回は観光しない。ここから加津佐方面へのバスが通じているが、これは2008年に部分廃止した島原鉄道をほぼトレースしている。次のバスは11時05分だが、これは島原港を通過するはずである。
私はとりあえず10時59分の下り列車に乗った。列車は定刻を3分遅れの11時07分、終点島原外港に着いた。
ここまで仮に、諫早から1本で乗ってくれば、1.510円。1日乗車券を使えたから3割以上得したが、もう少し使い尽くしたい感じである。
次の熊本行き九商フェリーは12時20分だが、そう慌てて熊本に渡ることもない。バスに乗り、島原鉄道の部分廃線跡を供養しようと思う。何しろ今日はどこまで乗っても無料である。
島原外港駅から島原港へは近いが、その中間地点にバス停があり、これが加津佐方面に行く。私は念のため島鉄バスに電話で確認し、11時18分のバスに乗ることにした。
11時05分・島原駅前発のバスは、3分遅れの11時21分、湊町バス停を発車した。
空は快晴になり、車内にそそぐ陽光がまぶしい。しばらく走ると、左手に公園が見えてきた。1990年、雲仙普賢岳の噴火に伴う火砕流で一帯が火の海と化し、8月には荒天による土砂で、家屋の大部分が埋まってしまった。
ここを見学して折り返そうとも思ったが、何しろ交通費が「無料」である。私は降りられなかった。
右手には、遠くに高架橋が見える。島原鉄道は先の災害で運休を余儀なくされたが、1997年4月1日、被災鉄路を高架にし、全線開通した。
その鉄路に私も乗車したことがあるが、見晴らしがよくなった半面、1990年6月3日の火砕流で43人の命が犠牲になったことを思うと、複雑な気分だった。
だがその開通部分も含め、2008年4月1日に島原外港-加津佐間35.3kmが廃止になってしまう。南島原から加津佐までの赤字額がひどく、同路線には同社の路線バスも通じていたから、苦汁の決断だった。
とはいえ、全線開通からわずか11年である。復旧までに多額のおカネをつぎこんだわけで、それなら高千穂鉄道のように、休止のまま廃止にしてもよかったのではないか。
いま高架を見ると、クルマが走って見える。一般道に活用されたのだろうか。
車窓から廃線跡をチラチラ窺う。県道は意外にアップダウンしており、廃線跡がそのたびに反対側に移る。鉄道の敵は急激な高低差だから、平たい土地に鉄路が敷かれている。それゆえに意外なコースを通るから、鉄路からの車窓はおもしろいのだ。
気が付けば、廃線跡に薄い板が敷かれていた。まさか廃線跡訪問者への道しるべでもあるまいが、目印が出来て分かりやすくなった。
口之津着。隣接した港から島原フェリーの天草行きが出ているが、いくら無料でもこれに乗るわけにはいかない。
12時27分、加津佐海水浴場前着。先の電話で確認したが、島原港からここまで1時間10分もかかるとは、やや誤算だった。この調子では熊本下通アーケード街での食事はおろか、熊本をただの中継地点にせざるを得ない。
すぐ近くに旧加津佐駅があった。この駅は廃止後も一度訪れたことがあるが、トタン風の駅舎は健在で、寂れ具合もヒドくなっていなかった。





ただし見物するとなるとこれで終わりで、帰りのバスは13時ちょうどである。
近くに温泉神社、なる愉快な名前があったので、お参りする。神社は急峻な崖の中途にあり、ここが観光地ならもっと知られているのにと思う。
麓に下りるが、とくに食事処もない。あっても食す時間がない。近くのコンビニでおにぎりを1個買い、バス停の近くで頬張った。今日の行程イメージにはない行動だ。
定刻を2分遅れのバスに乗った。ほかに乗客は数人いたが、私の感覚では多い方である。車内では眠気が襲ってうつらうつらしたが、この感覚は嫌いではない。
島原港には、定刻を6分遅れの14時16分に着いた。次の熊本行きフェリーは14時50分である。熊本港からは熊本駅まで無料のシャトルバスが出ている。私はチケット(780円)を買い、シャトルバスの予約も済ませ、とりあえず表へ出た。この近くに、うまい皿うどんを食べさせる店があるからだ。
ところが…。
(つづく)
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2017年長崎旅行・5

2017-12-28 00:26:27 | 旅行記・九州編
川棚駅に戻ると、17時32分の長崎行きに間に合った。ここは普通に切符を買わねばならないが、自動券売機を見るとオレンジカードがまだ使えるようだ。先月の自宅の大掃除でかなりオレンジカードが出てきたが、もうプレミアはないので、地方で消費する手はある。
しかし残念、今回はそれらのカードを持ってこなかった。
「この駅はオレンジカードが使えるんですね」
私は悔し紛れに、年配の駅長さんに聞く。
「今日はカードが詰まっちゃいましてね」
「ほう」
「当駅ではよく起こるんですワ。他の駅では使えると思います」
何となく会話が噛みあわなかったが、まあいい。
大村線の上りに乗る。マジックショーの余韻が何とも言えずいい。諫早には、定刻を3分遅れの18時21分に着いた(740円)。
諫早は昨年から駅舎の工事中で、今年も続いていた。ちょうど島原鉄道が発車するところで、女性駅員さんが気にかけてくれたが、私が乗車するのは明日である。時刻表があるとのことで、それをいただいた。
さて晩飯である。諫早ではバスターミナルの近くの中華料理屋に、2年連続で入っている。今年もお邪魔したいが、場所がうろ覚えである。
訪ねるとそれらしき店はあったが、外観に見覚えがない。ぐるぐる回ってやはりその店しかないと結論し、ドアを開けると、果たしてそこだった。「なるほど」という店名だったのを初めて知った。
「ちゃんぽん」(700円)を注文する。傍らのカウンターにはみかんが盛られていて、これは無料である。今年もいただいたが、皮が厚かったものの、甘かった。
ちゃんぽんも安定の味だった。
今宵の宿、「諫早グリーンホテル」に向かう。ホテルのだいぶ先にコンビニの灯りが見えたが、今夜は何も買わないことにする。
ホテルにチェックイン。翌日の朝食を聞かれたので、申し込んでおく。
部屋に入ると、午後7時15分だった。今夜はテレビ東京系で「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」が放映されている。もちろん予約録画はしているが、旅先で旅番組を観るのもオツなものだ。だが今から観ると中途半端だが、どうするか。
とりあえずテレビを点けると、何とテレ東系の地デジだけ放映されていなかった。
さすが東京ローカルで、旅行の際、テレ東だけ映らないケースは時々ある。
部屋には有料ビデオのシステムがあった。エレヴェーター脇にカード券売機とプログラムが置かれていたが、番組配信システムは微妙で、つまらぬ番組に当たると、1~2時間は無駄な時間を過ごさなければならなくなる。よって有料ビデオは、テレビ備え付けのハードディスクが望ましい。これなら好きな番組を観られるからだ。
試しにプログラムを持ってくると、現在は「羞恥!彼氏連れ素●娘をマシン…」が放送中だった。
21時からは「おっぱいデカくてスタイル抜群!街中で目を引くS級人妻を…」が放送されるが、パンフレットに出演者の画像が掲載されていない。
23時からの「ラグジュTV×PRESTIGE SELECTION」は女優の紹介があったが、何となく整形美人の香りがする。
01時からの「旦那が近所の奥さん達に寝とられ、私も近所の旦那に…」も、内容がいま一つのようだ。
さらに03時からの4時間番組は熊倉しょうこ、園田みおん、鈴木あいり、水稀みり&カンパニー松尾が出演するが、これは放送時間が遅すぎる。
むかし有料ビデオで、私お気に入りの女優が深夜3時に登場するため、目覚ましを3時にセットして就寝したことがあった。しかしいざ起こされたら心臓がバクバクいって血管が収縮し、死ぬかと思った。
50を過ぎて、もうこんな無茶はしたくない。私はとりあえず大風呂に行き、サッパリして戻ってきたが、9時からフジテレビの「ギリギリ昔話」を観たらこれがおもしろく、有料ビデオは見送りとした。
ちなみに同番組では、ミスDJの千倉真理が出演した。ラジオで事前に知らされてはいたが、わずか1分の出演だった。
地方CMが流れる。福岡城跡を舞台にしたイベントで、現在開催中。スマホで調べると、それは「福岡城チームラボ・城跡の光の祭2017-2018」といい、福岡城跡を巨大なキャンバスにした、プロジェクションマッピングの祭典だった。
大いに興味深いが、開場時刻が午後6時からと遅い上、入場料が1,000円かかる。これは難しい選択に迫られた。
とりあえず私は「ミスDJリクエストパレード」にリクエストメールを送信し、今宵は夜中の1時ごろに就寝した。

翌17日(日)。1泊2日は早く、早くも今日が旅行の最終日である。
朝は7時20分ごろに起きる。旅先でしっかり朝食を摂るのはプランが充実している証左だが、反面早起きしなければならないので、デメリットでもある。
朝食は和定食を選んでいた。食堂のカウンターには牛乳、オレンジジュース、ヨーグルトなど洋食用のメニューも置かれている。これらをいただいても文句は言われないだろうが、やはり倫理違反であろう。私は大人しく、納豆やノリなどをいただいた。
美味しく朝食を摂り、8時20分ごろチェックアウト。諫早駅に着き、島鉄券売機で「Shimatetsuフリーパス1日乗車券」を購入した。これで島原鉄道全線、島鉄バス、島鉄フェリーが1,000円で乗り放題となる。通常は第2、第4の日曜日に販売されているが、10月~12月は毎週販売につき、この恩恵にあずかったわけだ。
08時36分の列車は1両。適度に客が乗っており、私はトイレ向かいの壁際3人掛けの席に座った。よく見ると優先席だったが、まあいい。
定刻に発車。車窓はやや見にくいが、今日は天気はよさそうだ。
途中パラパラと乗客があり、08時59分、愛野に着いた。ここ愛野は大昔、雲仙小浜まで雲仙鉄道が通じていたが、1938年に廃止になっている。
今日は廃線跡探訪をする余裕はないので、先を急ぐ。ところで今日の日中の予定は島原鉄道の乗り潰しだが、それだけでは芸がないので、途中下車も考えている。
午後にフェリーで熊本に渡ったあとは下通のアーケード街まで行き、ウエストで「ごぼ天せいろそば」を食べられれば理想なのだが、どうなるだろうか。
列車は停まり、小学生が乗ってきた。彼はおずおずと、私の並びのシートに座った。
私が小学生の時は方向音痴というか鉄道に疎く、親戚の家に一人で遊びに行った帰り、乗る電車を間違えてとんでもないところに行ってしまい、見知らぬ駅で下車してタクシーに乗ったことがある。その時の所持金は870円で、私は不安でたまらず、車内で涙をこぼした。
最寄りの駅前に着いてメーターを見ると、奇跡の870円。私は最小限?の被害で家まで着けたわけだが、あれは私の半生の汚点のひとつだった。
この小学生も、今はひとりで不安でいっぱいなのではないだろうか。私が見守ってあげたいと思った。
09時38分、大三東(おおみさき)に着く。ここはJR北海道釧網本線北浜駅やJR四国予讃線下灘駅などと並んで、ホームから海を間近で見られることで有名である。
以前から一度降りてみたかった駅で、私は迷いつつ、降りてしまった。
あの小学生とサヨナラか。
そう思ったら、降りたことを後悔した。
(つづく)
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2017年長崎旅行・4

2017-12-27 00:22:48 | 旅行記・九州編
カウンターには数種類のコインがたちまち置かれた。再度書くが、私からの位置では、コインを出したくても、出せなかった。
マスターの直筆の格言が母親に渡される。これは相当なお宝で、彼女は大人数で来た甲斐があったというものだろう。
「80年代に流行ったものは何ですか」
と、マスターがルービックキューブを2つ出す。これもマスターの得意技だ。まずは、それらを客に渡して遊ばせる。
それらを回収し、うち1つをマスターが解説を交え、6面の色を揃えた。注目はここからで、マスターが「35手」とか言ってカシャカシャやると、もう1つの配色とまったく同じになった。
これを将棋に譬えれば、ある中盤の局面を、終局図(指し始め図か?)から35手プレイバックして、同じ局面を作った感じだ。
さらにマスターは、キューブを頭上でカシャカシャやり(つまりキューブを見ないで)、6面揃えた。この間約8秒である。と思えば一瞬で6面を揃えたりして、初見の客はあんぐりするばかりである。
太い五寸釘が出される。マスターは客に渡し、曲げるよう指示するが、客はもちろん曲げられない。しかしマスターの手にかかると、指一本で軽く曲がってしまうのだ。
フォークが出される。これもマスターはぐにゃぐにゃと曲げてしまう。これは子供の関心を引いたのか、子供が「やらせてー」とカウンターに身を乗り出した。おいおい、勘弁してくれよと思う。マスターは無視しているが、やりにくかろう。
マスターが女性の手にフォークを握らせる。マスターが念を入れると、フォークは彼女の手の中で、グググと曲がった。子供にも持たせ、同様の結果を見せつけた。私たちはもう、訳が分からない。
500mlのコーラのペットボトルが出される。このラベルを、マスターは気合を入れ、一瞬でペットボトルの中に入れてしまった。文章にするとちょっと分かりにくいが、そういう不思議なことを、マスターはいとも簡単にやってしまう。
今度は10円玉を250mlぐらいの瓶に入れるよう試みるが、口が小さいから入らない。しかしマスターは10円玉を小さくして、瓶の中に入れてしまう。
その10円玉は瓶の中で元に戻り、今度は瓶の底から出てくる。その10円玉、今度は500円玉大に大きくなったりする。周りがどよめく。
千円札に50円玉が食い込む。その50円が、お札の中をスイスイ泳いだ。
今度は千円札にボールペンを刺す。もちろん穴が開くのだが、マスターはそのボールペンをお札の中で上下する。つまり、穴の位置がお札の中で動いているのだ。ボールペンを抜くと、お札の穴は塞がっていた。
500円玉にボールペンを貫通させる。ボールペンが抜けると、500円玉には穴が空いていた。
この異様な光景に、子供は騒ぎっ放しである。すると、彼の祖父と思しき人が動き、彼をカウンターから引き離した。
やっと動いてくれたか。しかしちょっと遅かった。それに、子供を嗜めるのは母親の役目だ。だが残念ながら彼女は、自分がマジックを楽しめれば、他者への迷惑はおかまいなしだったようである。
マスターは言う。「旅館の池でポン、ポン、と手を叩く。仲居さんは呼ばれたと思って、客室に行きますね。池の鯉は、エサをもらえると思って寄ってくる。電線に止まっていた鳥は、驚いて逃げていく。同じ音を聴いただけでも、これだけ反応が違うんですね」
そこから、
「癌という字は、口を3つ、山ほど食べる、と書きます。人は求めて、求めて…何でも欲しがりますね」
と発展していく。
「いつも忙しい、忙しい、と言っている人がいますね。でも忙しい、と言っている人ほど、忙しくないですね。忙しい、と言っていれば免罪符になりますからね。どんなに忙しくても、時間をやりくりすれば、皆さんのように時間を作って、来てくれますね」
私たちはしんみり聞き入るのである。
マスターがスプーンをかじる。それは綺麗に歯型がついて、一部がマスターの口中に消えた。
100円玉もかじってしまう。こちらも噛んだ箇所が無くなっていたが、マスターがフッと息を吹きかけると、100円玉は元に戻っていた。
マスターが別の100円玉をペロンとやると、それが湾曲した。それを、100円を出した持ち主にそのまま返却した。これは珍しい。というのも、SNSに載るのを恐れてかここ数年は、マスターはコインを元の状態に戻して返していたからだ。
いずれにしても、この100円玉も、かなりのお宝に昇格した。
そろそろマジックの終了時間が近づいてきた。ポカリスエットのペットボトルが出され、マスターはそのキャップをペットボトルの中に入れた。マスターは訓練して、最近この技ができるようになったという。
これにてマジックは終了である。時に17時16分。実に3時間におよぶマジックだった。マスターは大変な疲労だったと察するが、私たちも異次元の光景を見すぎて、驚き疲れしてしまった。
ではここで、マスターの教えをまとめておこう。

・物事は何でも良い方に良い方に考える。
・何歳になっても、つねに10年後の自分を想像し、10年前の自分、つまり現在の自分は何をすべきか考える。
・人間の能力はほとんど変わらない。ちょっとの努力が未来を変える。
・努力は3ヶ月間、続けてみる。効果が現れるのはそのあたりから。
・見返りを期待しない。
・「忙しい」と口にしない。
・食べ過ぎない。

カウンターには、ぐにゃりと曲がったスプーンとフォークが並べられる。これがここ数年のお馴染みの光景で、有料(300円)だが、みんな記念に1本購入していく。そしてマスターと握手をし、これが束の間のおしゃべりタイムとなるのだ。
たちまち列ができ、私の前のカップルは、男性が「モノを造る仕事がいい」とアドバイスを受けていた。
私の番になった。
「東京から?」
「はい…」
「東京から来ましたね」
ここで私が現在の悩みを吐きだせばいいのだろうが、第2部の時間も迫っているので、私が話を継がなかった。それは、女流棋士との感想戦を短めに切り上げるのと同じ感覚だった。それに、自分の悩みは、自分自身で解決するしかないからだ。
マスターに、脳天と腰に「気」を注入してもらったが、これで十分だった。
今日は不愉快な出来事もあったが、私は清々しい気持ちで、あんでるせんを後にした。
(つづく)
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