一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

アマの文章

2009-04-30 23:47:37 | 将棋雑記
現在旅行中です。本日は岡山のカプセルホテルから書き込みをします。

先日、「将棋ペンクラブ」投稿用の文章を執筆中、とチラッと書いたが、それがたまたま早く出来上がったので(ただし推敲は不十分)、文章の内容上、今回に限り「関係者」に一足先に送信し、読んでもらった。
2日後、その関係者氏から返信がきたのだが、それを読んで愕然とした。私の思い込みからくる間違いを、いくつも指摘されていたからだ。
さすがに「プロ」の校正は違う、などと感心している場合ではなかった。今回の「間違い」は、重大な事柄を確認もせず平気で文章にしており、笑って済ませられる性質のものではななかったからだ。だからもし私の拙稿が関係者氏の目を通らず、そのまま次号に掲載されたいたらと思うとゾッとする。
以前も書いたとおり、印刷物に訂正は利かないのだ。随筆にウソを書いては絶対にいけない。たとえそれが自分の勘違いであってもだ。だから事実を書く場合は、それが本当かどうか、しっかりした裏付けが必要なのだ。それを私は怠った。
本音をいえば、今回関係者氏に送信したのは、多少、義理のようなものもあった。こんな文章にしましたので、一応読んでおいてください、という軽い意識のものだった。しかしそれはとんだお笑い種だった。強烈なカウンターを喰らった。関係者氏に、「もっと自分の文章に責任を持ってください」と諭されているかのようだった。
3月の将棋ペンクラブ最新号発送の会合のとき、湯川博士先生から私の文章を褒められ、少し天狗になっていたようだ。
私の文章力が「アマ三段」なんてとんでもない。文章がアマすぎる。この体たらくじゃあ、せいぜい「アマ初段」がいいところであろう。将棋同様、文章のほうも、まだまだ勉強しなければいけないようだ。
私の甘ったるい意識にガツンと喝を入れてくれた関係者氏には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

あ、自宅に日本女子プロ将棋協会から「ミネルヴァファンクラブ」のお知らせが来ていたらしいですが、5月6日は行けません。そのころ私は、指宿の砂風呂に入っています。申し訳ありません。
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金曜サロン・藤森奈津子女流三段①

2009-04-25 23:54:05 | LPSA金曜サロン
24日の金曜サロン、夕方担当は藤森奈津子女流三段だった。
藤森女流三段は日本女子プロ将棋協会(LPSA)の理事であり、元祖アイドル棋士である。
今年は年女だそうだ。あの「なっちゃん」が48歳ということはありえないから、今年の8月で36歳、ということになる。
藤森女流三段は昨年3月14日、私が初めてLPSAの金曜サロンにお邪魔したときの指導棋士であった。
そのときの思い出は将棋ペンクラブ最新号に触れているので煩雑は避けるが、なごんだ雰囲気の中にもピンと張りつめた空気があり、独特の緊張感があったのを覚えている。
そのときは例によって角落ちで指導していただいたが、私の緊張も高まっていて、中盤で錯覚から緩手を出してしまった。ここで上手に正着を続けられたら、恐らく私が負けていたと思う。
しかしそこで藤森女流三段が緩めてくれ、私はなんとか勝利を収めることができたのだった。
だからあのときもし藤森女流三段が勝っていたら、私はその後金曜サロンに通い続けていたかどうか。それを考えると、藤森女流三段も蛸島彰子女流五段と同様、私を金曜サロンの常連にした殊勲者といえる。
指導対局中の藤森女流三段は軽口も交え、ほがらかだ。しかし公式戦になると、その表情は険しい。
私は昨年6月に行われたLPSAの公認棋戦である「1DAYトーナメント・とちのきカップ」で、藤森女流三段の対局姿を間近で拝見する機会に恵まれたが、いつもとは違う真剣な表情に、心打たれたものだった。
それから私は、たとえ1DAYトーナメントでも、それが公開対局ならば、スーツを着用して観戦するようになった。
やや話が逸れたが、藤森女流三段の将棋は三間飛車(石田流)一本である。相手の作戦が分かっているのだから、対策は立てやすいと思いきや、やはり指しなれているだけあって、そう簡単に攻略はできない。
優勢になったからこれで一本勝ちだろうと思いきや、意外な粘りをひねり出されたことが多々あり、それで負けた将棋も何局かある。事実24日の将棋も、こちらが圧倒的優勢だったのに、飛車の打ち場所を一路間違えたため泥仕合になり、最終的にはこちらが体力負けした。
藤森女流三段はこのところ公式戦の成績はパッとしないが、かつて中井広恵女流六段に勝ったこともある実力者である。
かつて鹿野圭生女流初段が里見香奈女流初段(当時)に一発入れたように、藤森女流三段にも、1年に1回でいいので、大物食いをしてほしいものである。
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金曜サロン・中倉宏美女流二段①

2009-04-25 01:57:52 | LPSA金曜サロン
24日の金曜サロン、昼は中倉宏美女流二段、夕方は藤森奈津子女流三段の担当だった。
中倉女流二段については、あらためて述べるまでもない。この3年間、NHK杯将棋トーナメントの司会者として、最もテレビに登場した人気棋士である。
中倉女流二段は、金曜サロンではいつも昼の担当なので、私も仕事でお会いできないのだが、そこを無理に時間を作って、サロンに伺ったこともある。先日の「マンデーレッスン」では中倉女流二段がゲストだったが、定員いっぱいの棋客が訪れたという。中倉女流二段の人気ぶりがうかがえるエピソードである。
また中倉女流二段といえば、一昨年の6月、東京・新宿で行われた日本女子プロ将棋協会(LPSA)の発足イベントで、実姉・彰子女流初段とコンビを組んでの、伝説の名司会を思い出す。
あの新宿イベントは、大袈裟にいえば、今後のLPSAを占う大切なイベントだった。なにしろ新宿の通りで一般客相手に将棋をアピールをするのだ。LPSAの関係者が、「大半の客が興味なくその場を立ち去ってしまうのではないか」と懸念したとしても、ちっともおかしくない状況だった。
しかしLPSAのみんなは頑張った。
中倉姉妹も、内心は不安でいっぱいだったと思う。しかしふたりは精一杯の笑顔を振りまき、懸命に総合司会という大役を完遂したのだ。
もしLPSAに中倉女流姉妹がいなかったら、現在のLPSAはなかった、と言っても過言ではないだろう。
そんな中倉宏美女流二段との指導対局である。私の心臓が高鳴らないはずがなかった。
ああ、いいのだろうか。私みたいな男が中倉女流二段に指導対局を仰いでいいのだろうか、と自問する。
そのたびに、まあいいではないか。私にだってこのくらいの小さな幸せがあったっていいではないか、と自答し、中倉女流二段に対峙するのだった。
中倉女流二段は居飛車と振り飛車の対抗形を好む、ケレン味のない指し手が特徴である。ちょっと譬えが変態的で恐縮だが、容姿も指し手も、クリーミーな感じがする。癒される。だからこちらも、落ち着いて対局ができるのだ。
中倉女流二段は女流名人位戦B級リーグのほかに、女流王位戦リーグにも入っており、先日の1回戦では、室田伊緒女流初段との苦しい将棋を逆転勝ちした。中倉女流二段には、タイトルに挑戦する力量がある。ただそれを、本人が気付いていないだけだ。全国の宏美ファンのためにも、今期は頑張ってほしい。
そうそう、今日の指導対局の結果は? それはふたりだけの秘密である。
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船戸陽子先生、お誕生日おめでとうございます

2009-04-23 00:20:49 | 女流棋士
船戸陽子先生、お誕生日おめでとうございます。
船戸先生のこの1年は、今までの人生で最も充実していたのではないでしょうか。
これからも「将棋女子プロ棋士とソムリエールの顔をもつ、世界でただひとりの女」として、頑張ってください。陰ながら応援しております。
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加賀さやかさんと話した

2009-04-21 19:05:21 | 愛棋家
加賀さやかさんは著名なイラストレーターだが、かつて「近代将棋」や「NHK将棋講座」に連載も持っていた、熱烈な将棋ファンである。現在は「将棋世界」で、内藤國雄九段のイラストを見ることができる。
おしゃれな着物の数々や小梅ちゃんのような髪型など、一度見たら忘れられないお姿だ。
加賀さんは将棋の各種イベントやタイトル戦などにも精力的に参加されていて、将棋関係者との交友範囲もかなり広い。アマ高段者で加賀さんの名前を知らなければモグリであろう。
私も何度か日本女子プロ将棋協会のイベントにお邪魔したが、加賀さんの姿はよくお見かけした。
将棋ペンクラブの幹事もされていて、関東交流会には必ず顔を出される。しかし私は、加賀さんと話をしたことが一度もなかった。
私は極度の人見知りなので、自分から声をかけることはない。
また加賀さんのほうも、私がペンクラブ会報に駄文を載せているので、顔と名前は認識しているはずだが、声をかける人物にまではランクされていないようだった。
とはいうものの、加賀さんとはこれからも各所で顔を合わせそうである。いずれどちらかが話しかけるときが来るのだろうが、ここまでくると我慢くらべだ。
私は、こちらから話しかけたら負け、と勝手に「勝負」していた。
そんな折、3月の将棋ペンクラブ最新号の送付作業で、加賀さんと席を同じくする機会がきた。そのときはお互い黙々と作業をしていたので会話はなかったが、その後入った居酒屋で、ついに話をした。
内容はなんだったか。大した話ではなかったのだが、ついに加賀さんと言葉を交わして、前々からの課題をひとつクリアした気がしたものだった。
あ、肝心なことを忘れていた。
今回、どちらから話しかけたのだったか――。
それがいまもって、まったく思いだせない。
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