「越すに越されぬ年の暮れ~」と東家小春の浪曲が響く。そこに沢村理緒の三味線がシャリン、と鳴る。
年に三十俵いただく小役人・穴山小左衛門。しかし年を越すカネがなくなり、旧知の松野陸奥守に三十両の無心をしようと考えた。
しかし自ら出向くのはバツが悪いので、小左衛門は、奉公人の権助に使いを出す。
ところが権助は行き先が分からなくなり、床屋のご隠居に聞く。するとご隠居は「松 陸奥守」とあった空白に「平」をあて、これは松平陸奥守、すなわち仙台の伊達公のことだ、と看破した。
手紙は伊達の屋敷に届いたが、応対に出た伊達公は、仲の悪い御家人の使いが訪ねてくるとはよほどのことと思いながらも、無心の額が三十両とは少なすぎる。十は千の間違いで、三千両であろう……と勘違いしてしまう。
千春の声には艶があって、聞き取りやすい。陸奥間違いは落語でもあるが、どこで曲を入れるかが聞かせどころなのだろう。千春の浪曲に理緒の合いの手と三味の音が呼応して、協奏曲を聴くようであった。
最後はきっちり決まったと思うのだが、千春は「まだ早い」というアクションである。だが幕はそのまま閉まってしまった。ともあれこれで仲入りである。
仲入り後は、仏家シャベル(湯川博士氏)の登場である。幕が開くと釈台が据えられ、シャベルが鎮座していた。演題は「心の杖」。
「えー私もセミ・アマですけど、やっと私もアマチュアに近づいてきたなという程度のものでございます」
シャベルは昨年の正月、ここで「心眼」をやった。それが好評だったので今年の正月も、盲人の噺をやった。これに盲人協会の関係者がいたく感激し、シャベルに、今年の夏もこのようなネタを演ることを所望したという。
ところがシャベルが調べると、盲人が主人公の噺はほとんどない。そこでシャベルは、かつて盲人棋士・西本馨七段に取材したことがあったので、それを下敷きに新作を作ったというわけだった。
ただしこれを落語とは呼べないが、そこはあっち亭こっち(長田衛氏)が「仏談(ぶつだん)」の新カテゴリーにしたのだった。仏家の談話だから、仏談。いい得て妙だと思う。
シャベルは、先ごろ終わったパリ・パラリンピックをマクラに、巧みに本題に入ってゆく。
西本七段は後天的失明だが、それによって、1959年に順位戦C級2組から降級した。当時は順位戦で降級すると、予備クラス(現在の三段リーグ)に編入できたので、西本四段(当時)も当然、復帰を狙った。だが、生活は苦しくなった。
当時は大阪在住だったが、夫人の勧めで京都府舞鶴に引っ越した。今回の噺は、シャベルがその西本七段宅にお邪魔して取材したことがベースになっている。
西本七段はその自宅で将棋道場を開き予備リーグを戦ったが、盲目のハンデはどうにもならない。対局していても相手の指し手が分からず、時間切れ負けになったことが何度もあったようだ。
シャベルはそれらのエピソードを、なるべく散文的にしゃべる。私は西本七段の動く姿をテレビで見たことがあるが、シャベルはその口調がそっくりである。ただ、地の言葉と西本七段の話言葉が、一部ごっちゃになってしまったのが惜しい。
「わしが関西で偉いと思ぅてるのは3人だけや。予備リーグで優勝して、東西決戦で勝った橋本三治、北村文男、星田啓三。この3人になろぅて、わしも優勝して上がろう、の気持ちがあったからやってこれたんや」
西本七段へのインタビューは、午後10時だと思ったら、午前1時を回っていた。これではさすがにお開きである。
西本七段は、ビールの空き瓶を流しに置きに行く。
「見ていると、西本先生、その辺にあるボタンをパチンパチン、とやって、私たちの飲んでいた部屋が暗くなった。どうしたんだろう、と腹の中で思っていたら、西本先生こっちを向いてにやりと笑って、『目開きは、不自由なもんやなあ』」
なるほど、心眼のような見事な下げであった。
そして最後は、こっちの登場である。MISATOさん以降の出来を講評していたが、やはり千春さんのラストは、もう一節あったらしい。それをこっちが一泊早く幕にしてしまったらしい。まあ手作りの寄席、こういう失敗はつきものだ。
さて最後は「ちりとてちん」。俳句の会を主催していたご隠居。しかし同好の士がすべて都合がつかなくなったため、料理が余ってしまった。そこで男は竹さんを呼んだ。竹さんは調子がよく、出された料理をことごとく持ち上げる。
この辺の、こっちの食事の仕草が実に見事だ。ああ、なんだか腹がすいてきた。
ご隠居は豆腐があったことを思い出したが、この陽気で腐ってしまった。
そこでご隠居はいたずら心を起こし、裏に住んでいる寅を呼んでくる。彼は知ったかぶりのイヤ味な奴で、ご隠居は彼に一泡吹かせてやろうと考えたのだ。
ご隠居は、この豆腐を台湾名物「ちりとてちん」と、寅に説明した。
寅はごちそうにさんざんケチをつけたあと、腐った豆腐「ちりとてちん」も口に入れる。
「お、どうだ、ちりとてちんはどんな味だ?」
「うぅん、豆腐の腐ったような味」
下げが見事に決まって、大団円である。
気分がクサクサしているとき、笑いの効能は絶大だ。笑っているだけで免疫ができる。
このあとは二次会が予定されている。ほかを見ると、音楽家の永田氏、画家の小川敦子さんがいた。しかしほかに将棋を知るメンツはなく、これで帰ることにした。
次回の勉強会は10月15日(火)。私は行けないが、興味のある方は、遊びに行ってください。
年に三十俵いただく小役人・穴山小左衛門。しかし年を越すカネがなくなり、旧知の松野陸奥守に三十両の無心をしようと考えた。
しかし自ら出向くのはバツが悪いので、小左衛門は、奉公人の権助に使いを出す。
ところが権助は行き先が分からなくなり、床屋のご隠居に聞く。するとご隠居は「松 陸奥守」とあった空白に「平」をあて、これは松平陸奥守、すなわち仙台の伊達公のことだ、と看破した。
手紙は伊達の屋敷に届いたが、応対に出た伊達公は、仲の悪い御家人の使いが訪ねてくるとはよほどのことと思いながらも、無心の額が三十両とは少なすぎる。十は千の間違いで、三千両であろう……と勘違いしてしまう。
千春の声には艶があって、聞き取りやすい。陸奥間違いは落語でもあるが、どこで曲を入れるかが聞かせどころなのだろう。千春の浪曲に理緒の合いの手と三味の音が呼応して、協奏曲を聴くようであった。
最後はきっちり決まったと思うのだが、千春は「まだ早い」というアクションである。だが幕はそのまま閉まってしまった。ともあれこれで仲入りである。
仲入り後は、仏家シャベル(湯川博士氏)の登場である。幕が開くと釈台が据えられ、シャベルが鎮座していた。演題は「心の杖」。
「えー私もセミ・アマですけど、やっと私もアマチュアに近づいてきたなという程度のものでございます」
シャベルは昨年の正月、ここで「心眼」をやった。それが好評だったので今年の正月も、盲人の噺をやった。これに盲人協会の関係者がいたく感激し、シャベルに、今年の夏もこのようなネタを演ることを所望したという。
ところがシャベルが調べると、盲人が主人公の噺はほとんどない。そこでシャベルは、かつて盲人棋士・西本馨七段に取材したことがあったので、それを下敷きに新作を作ったというわけだった。
ただしこれを落語とは呼べないが、そこはあっち亭こっち(長田衛氏)が「仏談(ぶつだん)」の新カテゴリーにしたのだった。仏家の談話だから、仏談。いい得て妙だと思う。
シャベルは、先ごろ終わったパリ・パラリンピックをマクラに、巧みに本題に入ってゆく。
西本七段は後天的失明だが、それによって、1959年に順位戦C級2組から降級した。当時は順位戦で降級すると、予備クラス(現在の三段リーグ)に編入できたので、西本四段(当時)も当然、復帰を狙った。だが、生活は苦しくなった。
当時は大阪在住だったが、夫人の勧めで京都府舞鶴に引っ越した。今回の噺は、シャベルがその西本七段宅にお邪魔して取材したことがベースになっている。
西本七段はその自宅で将棋道場を開き予備リーグを戦ったが、盲目のハンデはどうにもならない。対局していても相手の指し手が分からず、時間切れ負けになったことが何度もあったようだ。
シャベルはそれらのエピソードを、なるべく散文的にしゃべる。私は西本七段の動く姿をテレビで見たことがあるが、シャベルはその口調がそっくりである。ただ、地の言葉と西本七段の話言葉が、一部ごっちゃになってしまったのが惜しい。
「わしが関西で偉いと思ぅてるのは3人だけや。予備リーグで優勝して、東西決戦で勝った橋本三治、北村文男、星田啓三。この3人になろぅて、わしも優勝して上がろう、の気持ちがあったからやってこれたんや」
西本七段へのインタビューは、午後10時だと思ったら、午前1時を回っていた。これではさすがにお開きである。
西本七段は、ビールの空き瓶を流しに置きに行く。
「見ていると、西本先生、その辺にあるボタンをパチンパチン、とやって、私たちの飲んでいた部屋が暗くなった。どうしたんだろう、と腹の中で思っていたら、西本先生こっちを向いてにやりと笑って、『目開きは、不自由なもんやなあ』」
なるほど、心眼のような見事な下げであった。
そして最後は、こっちの登場である。MISATOさん以降の出来を講評していたが、やはり千春さんのラストは、もう一節あったらしい。それをこっちが一泊早く幕にしてしまったらしい。まあ手作りの寄席、こういう失敗はつきものだ。
さて最後は「ちりとてちん」。俳句の会を主催していたご隠居。しかし同好の士がすべて都合がつかなくなったため、料理が余ってしまった。そこで男は竹さんを呼んだ。竹さんは調子がよく、出された料理をことごとく持ち上げる。
この辺の、こっちの食事の仕草が実に見事だ。ああ、なんだか腹がすいてきた。
ご隠居は豆腐があったことを思い出したが、この陽気で腐ってしまった。
そこでご隠居はいたずら心を起こし、裏に住んでいる寅を呼んでくる。彼は知ったかぶりのイヤ味な奴で、ご隠居は彼に一泡吹かせてやろうと考えたのだ。
ご隠居は、この豆腐を台湾名物「ちりとてちん」と、寅に説明した。
寅はごちそうにさんざんケチをつけたあと、腐った豆腐「ちりとてちん」も口に入れる。
「お、どうだ、ちりとてちんはどんな味だ?」
「うぅん、豆腐の腐ったような味」
下げが見事に決まって、大団円である。
気分がクサクサしているとき、笑いの効能は絶大だ。笑っているだけで免疫ができる。
このあとは二次会が予定されている。ほかを見ると、音楽家の永田氏、画家の小川敦子さんがいた。しかしほかに将棋を知るメンツはなく、これで帰ることにした。
次回の勉強会は10月15日(火)。私は行けないが、興味のある方は、遊びに行ってください。