一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「第69回 あっち亭こっち勉強会」に行く(後編)

2024-09-27 19:09:13 | 落語
「越すに越されぬ年の暮れ~」と東家小春の浪曲が響く。そこに沢村理緒の三味線がシャリン、と鳴る。
年に三十俵いただく小役人・穴山小左衛門。しかし年を越すカネがなくなり、旧知の松野陸奥守に三十両の無心をしようと考えた。
しかし自ら出向くのはバツが悪いので、小左衛門は、奉公人の権助に使いを出す。
ところが権助は行き先が分からなくなり、床屋のご隠居に聞く。するとご隠居は「松 陸奥守」とあった空白に「平」をあて、これは松平陸奥守、すなわち仙台の伊達公のことだ、と看破した。
手紙は伊達の屋敷に届いたが、応対に出た伊達公は、仲の悪い御家人の使いが訪ねてくるとはよほどのことと思いながらも、無心の額が三十両とは少なすぎる。十は千の間違いで、三千両であろう……と勘違いしてしまう。
千春の声には艶があって、聞き取りやすい。陸奥間違いは落語でもあるが、どこで曲を入れるかが聞かせどころなのだろう。千春の浪曲に理緒の合いの手と三味の音が呼応して、協奏曲を聴くようであった。
最後はきっちり決まったと思うのだが、千春は「まだ早い」というアクションである。だが幕はそのまま閉まってしまった。ともあれこれで仲入りである。
仲入り後は、仏家シャベル(湯川博士氏)の登場である。幕が開くと釈台が据えられ、シャベルが鎮座していた。演題は「心の杖」。
「えー私もセミ・アマですけど、やっと私もアマチュアに近づいてきたなという程度のものでございます」
シャベルは昨年の正月、ここで「心眼」をやった。それが好評だったので今年の正月も、盲人の噺をやった。これに盲人協会の関係者がいたく感激し、シャベルに、今年の夏もこのようなネタを演ることを所望したという。
ところがシャベルが調べると、盲人が主人公の噺はほとんどない。そこでシャベルは、かつて盲人棋士・西本馨七段に取材したことがあったので、それを下敷きに新作を作ったというわけだった。
ただしこれを落語とは呼べないが、そこはあっち亭こっち(長田衛氏)が「仏談(ぶつだん)」の新カテゴリーにしたのだった。仏家の談話だから、仏談。いい得て妙だと思う。
シャベルは、先ごろ終わったパリ・パラリンピックをマクラに、巧みに本題に入ってゆく。
西本七段は後天的失明だが、それによって、1959年に順位戦C級2組から降級した。当時は順位戦で降級すると、予備クラス(現在の三段リーグ)に編入できたので、西本四段(当時)も当然、復帰を狙った。だが、生活は苦しくなった。
当時は大阪在住だったが、夫人の勧めで京都府舞鶴に引っ越した。今回の噺は、シャベルがその西本七段宅にお邪魔して取材したことがベースになっている。
西本七段はその自宅で将棋道場を開き予備リーグを戦ったが、盲目のハンデはどうにもならない。対局していても相手の指し手が分からず、時間切れ負けになったことが何度もあったようだ。
シャベルはそれらのエピソードを、なるべく散文的にしゃべる。私は西本七段の動く姿をテレビで見たことがあるが、シャベルはその口調がそっくりである。ただ、地の言葉と西本七段の話言葉が、一部ごっちゃになってしまったのが惜しい。
「わしが関西で偉いと思ぅてるのは3人だけや。予備リーグで優勝して、東西決戦で勝った橋本三治、北村文男、星田啓三。この3人になろぅて、わしも優勝して上がろう、の気持ちがあったからやってこれたんや」
西本七段へのインタビューは、午後10時だと思ったら、午前1時を回っていた。これではさすがにお開きである。
西本七段は、ビールの空き瓶を流しに置きに行く。
「見ていると、西本先生、その辺にあるボタンをパチンパチン、とやって、私たちの飲んでいた部屋が暗くなった。どうしたんだろう、と腹の中で思っていたら、西本先生こっちを向いてにやりと笑って、『目開きは、不自由なもんやなあ』」
なるほど、心眼のような見事な下げであった。
そして最後は、こっちの登場である。MISATOさん以降の出来を講評していたが、やはり千春さんのラストは、もう一節あったらしい。それをこっちが一泊早く幕にしてしまったらしい。まあ手作りの寄席、こういう失敗はつきものだ。
さて最後は「ちりとてちん」。俳句の会を主催していたご隠居。しかし同好の士がすべて都合がつかなくなったため、料理が余ってしまった。そこで男は竹さんを呼んだ。竹さんは調子がよく、出された料理をことごとく持ち上げる。
この辺の、こっちの食事の仕草が実に見事だ。ああ、なんだか腹がすいてきた。
ご隠居は豆腐があったことを思い出したが、この陽気で腐ってしまった。
そこでご隠居はいたずら心を起こし、裏に住んでいる寅を呼んでくる。彼は知ったかぶりのイヤ味な奴で、ご隠居は彼に一泡吹かせてやろうと考えたのだ。
ご隠居は、この豆腐を台湾名物「ちりとてちん」と、寅に説明した。
寅はごちそうにさんざんケチをつけたあと、腐った豆腐「ちりとてちん」も口に入れる。
「お、どうだ、ちりとてちんはどんな味だ?」
「うぅん、豆腐の腐ったような味」
下げが見事に決まって、大団円である。
気分がクサクサしているとき、笑いの効能は絶大だ。笑っているだけで免疫ができる。
このあとは二次会が予定されている。ほかを見ると、音楽家の永田氏、画家の小川敦子さんがいた。しかしほかに将棋を知るメンツはなく、これで帰ることにした。
次回の勉強会は10月15日(火)。私は行けないが、興味のある方は、遊びに行ってください。
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「第69回 あっち亭こっち勉強会」に行く(前編)

2024-09-26 23:50:44 | 落語
8月上旬、湯川博士氏からハガキが来た。読むと、湯川氏が「お江戸両国亭」での寄席に出演することになり、そのお誘いだった。日にちは9月10日(火)、開場は12時30分である。
湯川氏はアマチュア落語家を引退したという話だったが、それを聞いて私は、「アマに引退も何もあるものか。辞めたくなったら辞めて、やりたくなったらやればいい」と思った。今回湯川氏はめでたく現役復帰?することになったわけだ。
演目は「心の杖」で、湯川氏のオリジナル。伝説の盲目棋士・西本馨七段を語るという。なるほどこれなら、稽古の必要もほとんどなさそうだ。
私の出欠も、1ヶ月前の9日までだったら、平日ならいくらでも融通が利く。これは参加する一手だと思った。
私はハガキを買い、参加・不参加に○を付ける返信ハガキのように印刷をし、参加に○を付けて投函した。私は昨年7月9日の、湯川夫妻の金婚式パーティーにも、このテイでハガキを出したかったのだが、忙しさにかまけて投函しなかった。結果、私は欠席扱いとなり、「将棋ペン倶楽部」への金婚式レポートも書けない事態になってしまった。とりあえず今回、第一関門はクリアである。

さて当日、ラフな格好で両国駅を降りた。お江戸両国亭へ行く前に、まずは腹ごしらえである。同じ国道沿いにある「天かめ」に入る。ここは値段とセルフサービスが立ち食いそば仕様だが、簡易テーブルとイスがあり、総合的にお値打ち価格である。
私は二倍もりを頼む(520円)。そばは香り高く、うまかった。そば湯もポットにあったが、だいぶぬるかったのがご愛嬌か。
さて、お江戸両国亭に入る。ここは以前、1回だけお邪魔したことがある。今回と同じあっち亭こっち(長田衛氏)主催の「あっち亭こっち勉強会」で、そのときは木村家べんご志(木村晋介氏)がゲスト出演した。
今回は回を重ねて69回目になる。アマチュアが月に1回勉強会を開き、早6年近くになるわけだが、小屋を借りるのだってけっこうなおカネがかかるから、道楽ではできない。毎回一定数のお客が入る、こっちの実力が分かるというものである。
入口を入るとこっち、湯川夫妻がおり、私はこっちに木戸銭1,000円を渡す。前回は500円を払った記憶があるが、500円玉は天かめで使ってしまった。
しかしこっちは千円札を受け取ったまま、何もしない。
「(木戸銭は)いくらですか?」
「1,000円です」
「ああ……」
あぶないところだった。あやうくお釣りを所望するところだった。でも私のいまの言葉なら、1,500円か2,000円と思った、の可能性もあるわけで、失礼にはあたらないだろう。
席は、前から2列目が空いていたので、座った。しかし将棋と違い、知り合いの顔がない。きょうは純粋に落語を愉しむしかないようだ。
13時になり、こっちの軽い説明が終わると、早速開演である。
トップバッターは、「ミス荒川放水路」のMISAKOさん。きょうも見目麗しく、召した浴衣が涼しげだ。ちなみに荒川放水路は、来月の12日で、通水100周年となる。
MISAKOさんの落語は「道灌(どうかん)」。ご隠居と八五郎の軽快なおしゃべりが面白い、前座にピッタリの噺だ。
MISAKOさんは、社会人落語家の大先輩・仏家シャベル(湯川氏)から、「MISAKOはセミ・アマチュアだな」と言われたという。
「セミ・プロっていう言葉はご存じでしょう? だけどセミ・アマチュアってなんだろうなあ、アマチュア以下ってことでしょうか?」
MISAKOさん、オリジナルのマクラで笑わせ、噺に入る。MISAKOさんはご隠居と八五郎のやり取りを、明瞭な口調で語る。声質、しゃべり方が仏家小丸(湯川恵子さん)とそっくりだ。落語は何を語っているのか分からければ話にならない。MISAKOさんはその基本をしっかり押さえており、猛稽古の跡がうかがわれた。
「お前も相当、歌道に暗いな」
「ああ、カドが暗いから、提灯を借りに来たのさ」
下げが綺麗に決まって、幕。お次はこっちである。こっちは仲入りを挟み、2席やる。これがいつものパターンである。
幕が開くと、こっちが座っていた。
「MISAKO、無事に終わってよかったですね。安心しましたよ」
会場から笑いが起こる。愛娘の初落語を見る、父親の心境だろうか。
ひととおりマクラが終わると、こっちはメガネを外し、噺に入った。最初の噺は「おしの釣り」。上野の池は、古くから殺生禁断の地だった。ところが七兵衛は、毎晩池に鯉を釣りに行き、それを売って生計を立てていた。
あるとき与太郎がその話を聞きつけ、「おらも連れてってくれ」とせがんだことから、事件が起こる。
こっちはややハスキーボイスながら、こちらも明瞭に語る。七兵衛はやや低音で、与太郎は高音で、巧みに演じ分ける。落語は多くの演者をひとりでやらねばならない。この演じ分けも大切である。
七兵衛は役人に見つかり、咄嗟におしを演じる。七兵衛はしゃべれないが、「ううーーーっ」だけで噺が進む。ここがこの噺のハイライトである。けっきょく役人も、七兵衛の演技にまんまと騙されてしまう。
「親孝行の徳に免じて、赦してつかわすぞ」
「んーーーー、ありがとうございます!」
「おおーーっ、器用なおしだ。口を利いた」
続いては浪曲である。演者は東家千春。2018年、浪曲師・東家三楽に入門。初期はナンセンスものが好きだったが、最近は情緒も入れるようになってきたという。
曲師は沢村理緒。こちらは2020年、浪曲曲師・沢村豊子に入門。現在も奮闘中とのことである。この2人のケミストリーが見ものだ。
幕が開き、千春がいう。
「本日の演目は『陸奥間違い』というもので、台本通り忠実にやれば、必ず笑いが取れるという演目でございます」
鉄板のマクラが出たところで、浪曲に入った。
(つづく)
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立川談志の「芝浜」

2022-12-29 23:34:08 | 落語
文化放送25日の「龍角散pesents・志の輔ラジオ落語DEデート」のゲストは山田邦子。はっちゃけた話が面白かった。
そして名作落語は、立川談志の「芝浜」。1966年5月7日、渋谷・東宝演舞場での噺である。
立川談志については、あらためて語るまでもない。
1952年、五代目柳家小さんに入門。1963年、真打に昇進し、(七代目)立川談志を襲名する。
1966年には「笑点」を企画し、自ら司会を務めた。第1回の放送は5月15日で、上記「芝浜」が演じられた8日後だった。
1983年、立川流を創設し、家元となった。
2011年11月21日、75歳で病没。
談志の落語は弁舌なめらかで、粋な江戸弁を堪能できる。芝浜でも、夫婦の会話が圧巻。当時談志は30歳で、最も脂が乗っていた時期だと思う。若さゆえの勢い、みずみずしさが感じられた。
私の好きな談志のエピソードを2つ挙げる。
談志が大御所になってからの話。ある落語で、前列の席で居眠りをしていた客にヘソを曲げ、落語を止めて袖に引っ込んでしまったことがあった。
たとえば「あんでるせん」のマスターも、客が集中しないでマジックを見ていると、憤慨することがある。一流の芸には、こちらも一流の客として臨まねばならないのである。
もうひとつ。談志とその付き人がタクシーに乗ったときのこと。運転手が「芸能人はいいなあ。テレビに出て好きなことをして、いっぱいおカネをもらえるんだから」と、談志に嫌味を言った。
談志は黙って聞いていたが、聞き終わって、「その通りだよ。なんであんたはやんねえんだよ」と言った。痛快な一言である。
これ、将棋に置き換えると、「棋士はいいよなあ。将棋を指しているだけでおカネをもらえるんだから」となる。これにももちろん、上の答えがそのまま当てはまる。結局、何をやるにも才能が要るということだ。
さて「芝浜」は人情話の最高峰で、サゲの「よそう。また夢になるといけねえ」は、日本で最も有名なサゲであろう。
この夫婦の会話は、亭主が芝浜で財布を拾ってから、3年目の大晦日だった。よって、芝浜は年の瀬に演じられることが多い。
今回分の「落語DEデート」は、Radikoで1月1日まで聴くことができる。興味のある方は、あさっての大晦日に聴いてみてはどうだろう。
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第3回 新春CI寄席(6)

2020-02-05 00:14:29 | 落語
私は言う。
「大沢と申します。私は将棋ペンクラブには1993年に入会したと思います。初投稿は2003年でした。ブログと紙媒体でどちらも書いていますが、直しが利かないという点で、紙はブログの数倍の緊張感がありますね。
例えばブログで間違えたら、その場で直しちゃえば問題ありません。だけど印刷物はそうは行きません。次の号で訂正できればまだいいですが、その号しか持ってない人は、間違えた文章が載ったままです。だから印刷物に文章を書くのは、素晴らしくいいことなんですよ。
……もっとも私は、ブログに力を入れてますけど」
とりあえず下げたので、佳しとする。求職のウラ話はしなかった。
「ブログに食の名店の紹介をしてほしいな」
と、寺川俊篤住職が言った。
その気持ちは分かるが、私は旅に出ても牛丼チェーン店に入って満足しているクチなので、とても紹介はできない。ただ、ふらりと入った店で気に入ったところはあるので、それらの紹介はできそうだ。その店がいまも健在かどうかは別だが。
最後に石畑梅々氏。
「きのうは浅草で講談がありまして、今週も地方に行かなきゃならない。それで頭がいっぱいになっちゃいましてね、今日は失敗しちゃった」
永田氏もそうだが、実は梅々氏もさっきからこれを繰り返している。確かに高座のとき詰まった箇所があったが、客は演出と取り、何とも思っていなかった。しかし当事者は悔やむのだ。
これで長い自己紹介が終わり、また雑談が始まった。
私は酒が飲めないので、小川敦子さん、参遊亭遊鈴さんやTanさんは、時おりお茶を勧めてくれる。こうした配慮は女性ならではで、とてもありがたい。
その敦子さんと永田氏は、オシャレな関係にあるらしい。私は絶句してしまったが、なるほど昼に抱いた感触がズバリで、私の直感も満更ではないと思った。
湯川博士氏いわく、この4月は浜松で将棋ペンクラブ交流会があるという。浜松の企業で、スポンサーになってくれるところがあるらしい。博士氏は本当に人脈が広い。
「ところでキミは何者なんだい?」
また梅々氏に聞かれる。
ホントにその通りで、私以外は「先生」と呼ばれる方や一流企業に勤める方ばかり。私だけが何の取り柄もないのに、この新年会に参加している。場違いだと思う。
私は梅々氏の講談のラストの「男の花道とは――」のあとを忘れてしまい、そのセリフを改めてお聞きしたいのだが、何となく躊躇われる。将棋ペン倶楽部にその部分を載せたいのだが、このぶんだと、適当に創作せざるを得ない。
ここで恵子さんが詩吟を披露する。朗々と唄うそれは玄人はだしで、恵子さんは本当に多芸だ。博士氏ともども、理想的な第二の人生といえるだろう。

夜も更けてきて、三々五々散会となる。とりあえずタクシーを2台呼んだ。表は雨が降っていた。私がたまに外出するとこうだ。
タクシーには女性陣が中心に乗り、あと1台呼ぶことになった。
私は歩いて帰りたいのだが、恵子さんは「いっぺんにみんな帰っちゃうとさびしいから、残ってよ」と言う。それでタクシーは保留し、俊篤住職、Kan氏、永田氏、敦子さん、私の5人がしばし延長することになった。
「煮物、あまり出なかったね。来年は作るのをやめよう」
と恵子さん。
大根と人参の煮物が大皿にいっぱい残っている。これは私も食したかったのだが、テーブルの端にいるので、取れなかったのだ。
私はいまがチャンスと、煮物ばかりバクバク食べる。
恵子さんが「あ!」と頓狂な声を挙げた。「今日の落語、話し忘れたところがあった!」
それで披露してもらうと、
「まんじゅうをそんなに食べると、シャベルみたいに糖尿になっちゃうよ」「それで死んじゃったらどうするの?」「殺人罪にならないからいいんだよ」
だった。確かに可笑しい。
今日の小丸の落語、噺に破綻はないが、妙にアッサリしていると思ったのだ。なるほどこれが、小丸のカスタマイズだったか。
演者は今回の出来でも素晴らしかったのに、もっといい笑いを提供できた、いい演舞を披露することができたと、自責の念にかられるのだ。
ただその思いがあるから、さらに芸が上達するとも云える。
私の横では、すっかり酔い潰れた博士氏が、頭を垂れてブツブツつぶやいている。もう限界のようで、布団をかぶせて寝てもらった。
さて、さすがに帰ることとする。博士氏、恵子さんには今年もお世話になりました。恵子さんの手料理は美味かった。ごちそうさまでした。
来年もこの席にいられればありがたいが、それは無職を意味する。そんなのはイヤだ。
恵子さんがタクシーを呼んだが、私のタクシー嫌いを察してか、恵子さんが「タクシー代はKanさんが払ってよ」とか言っている。
永田氏と敦子さんも帰りたいふうだが、恵子さんは泊まってもらいたいようだ。
結局、タクシーはKan氏と私だけが乗った。聞けばKan氏は、行きは美馬和夫氏とタクシーで来たという。じゃあ皆さんは相当、早く着いたのだ。私の遅刻は、ホントに罪が重かった。
「行きは美馬さんにタクシー代を出してもらったんで、ここはボクに出させてよ」
とKan氏。それじゃあ私が惨めすぎるので、ほんの気持ちだけ負担させていただいた。
(おわり)
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第3回 新春CI寄席(5)

2020-02-04 01:25:00 | 落語
永田氏は、仏家シャベルの「鰍沢」で、男の発砲の際、音入れができなかったことを悔やんだ。
「師匠の噺にタイミングを合わせられなくて……失敗しました」
でもハタから見れば鉄砲音がなくても問題はなく、私たちは普通に落語を拝聴していた。
このように、当事者は悔やんでも第三者は全く気にしないケースは、日常生活でもよくある。ただそのくらい、永田氏は気合を入れて臨んでいたということだ。
湯川博士氏と永田氏が居場所を替わった。博士氏は中央でシャベりたいらしい。まあそうであろう。
私が永田氏にライブの出来を褒めると、逆にたいそう感謝された。結果お互い恐縮して、握手ばかりを繰り返す妙な光景である。
かように新年会は盛り上がっているが、博士氏等、しゃべる人は限られているので、永田氏の仕切りで、順番に自己紹介となった。まずは美馬和夫氏から。
「将棋ライターをやっています……」
しかし言ったそばから博士氏らが補足をしていく。
「美馬君は昔は、書いた文章をすぐボクに見せてきてねえ……」
美馬氏は全国区の将棋アマ強豪で、湯川夫妻と私はその実力を知っているが、ほかはピンと来てないのがもどかしい。「昔は文章の終わりに(笑い)とか書いてたんだが、今はだいぶ文章が上達した」
「私はブログに(笑)を使ったことは一度もありません」
と、これは私。だが美馬氏に対抗してどうしようというのだ。こう言われたら美馬氏だって不愉快だろう。
ただこのセリフは本当である。(笑)と書かなくても笑っているな、と思わせるところがブロガーの矜持である。
美馬氏は現在その文章力を買われ、「将棋世界」と「将棋ペン倶楽部」で健筆を振るっている。
ここから時計回りならよかったのだが、Kan氏に行ってしまった。Kan氏は元社会科の先生だ。Kan氏は美馬氏と同学年だったことに驚き、急に親しみが沸いたふうだった。
続くHiw氏とSuwさんは誰もが知る大手旅行会社の元上司と部下である。湯川夫妻の寄席には、観客として欠かせぬ存在である。
恵子さんが言う。
「ある冬の食のイベントの時ね、お蕎麦を提供する係をやったんだけど、400人分作ることになってね、とても手が足りない。そこでHiwさんに頼んだら快く引き受けてくれてね、まあHiwさんが寒い中、黙々と蕎麦を作ってくれて――」
この時の蕎麦を食べたかったと思う。
しかしさっきのKan氏もそうだが、ひとりしゃべるごとに補足が入るので、自己紹介が遅々として進まない。いっぽう私は妙なプレッシャーがかかり、何を言おうか考えてしまう。求職中のエピソードはいくらでもあるのだが、それがどのくらいウケるだろうか。
次は岡松三三さん。
「オオウ! ミミ! ミミ!! ミミーーーーーッ!!!」
と、石畑梅々さんが絶叫する。梅々さん、激しく酒癖が悪い。ようやく静かになったところで、三三さんの言葉を待つ。
「私は恵比寿に住んでいて、空き家が3つあります」
地方にいくと空き家問題があるが、それは東京でも同じことがいえる。私も他人事ではなく、頭が痛い。
続く恵子さんは落語を覚える苦労を話す。博士氏が代弁する。
「オレはあまり落語の稽古はしないんだ。寄席の2、3日前になったらチャッチャッとやるくらいだけど、恵子はよくするんだよ。道を歩いてても、急にしゃべりだす。『まんじゅうなんか嫌いだ!』って叫ぶから、ヨソ様が驚いてこちらを見るわけよ。違う違う、いまのはコイツがしゃべったんだ、って――」
何だか博士氏がしゃべると、みんな落語に聞こえてしまう。
恵子さんは女流アマ名人戦5回優勝の強豪だが、昔は女流棋士の頭数が少なかったから、プロへのスカウトもあったらしい。
「だけどオレが断ったんだ」
と博士氏。以前女流アマ名人戦の決勝で、山田久美という少女に勝って優勝した時、取材陣は恵子さんを撮らず、相手ばかりを撮っていたそうだ。
「優勝したのは私なのに、肩越しにカメラがあるんだから――」
これではプロになっても先が見えていると思い、博士氏の意見を尊重し、プロになるのを見合わせたという。
「その判断は、いまでは間違ってなかったと思う」
と博士氏。博士氏、相当酒は入っているのだが、時々まともなことを言う。
寺川俊篤住職は、今回CI寄席を聞いて、運営その他で学ぶところがいっぱいあったという。ただそれは反面教師の部分が多く、客の目からは何気ないことでも、運営の視点からは修正点があったようだ。
湯川邸へも何度も来ているという俊篤氏、今年の大いちょう寄席も期待したい。
博士氏は飛ばして、Tanさん。彼女と博士氏、参遊亭遊鈴さんが高校の同級生ということは、昨年のこのブログでも述べた。
「博士さんは高校生のころかわいくて人気があってね、あぁ私もケイコなので、恵子さんとは同じ名前です。私も博士さんのことを快く思っていたけど、大したもんだと思ったのは、結婚相手を間違えなかったことよ」
一同「??」
「だって恵子さんのような、素晴らしい人を選んだんだもの――」
何だかみんな、いいネタを披露している。
遊鈴さんは小話を披露する。
「じゃあ、節分の小話をやります。
ある家に間男がしのびこんだ。男は女とよろしくやっていたんですが、そこに旦那が帰って来た。二人は慌てて、ああアンタ、ベランダへ逃げて! 家では豆まきが始まった。
『福は内、オレは外』」
みんなゲラゲラ笑う。マジで落語の延長戦である。
小川敦子さんは知る人ぞ知る画家である。
「小川さんの絵を観た時ね、湯川さんが、綺麗な絵だね、って言ったのよ。私も同じ意見だった」
と恵子さん。そこで「将棋ペン倶楽部」の表紙を描いてもらうことになったのだ。
いよいよ永田氏の番だ。永田氏は、また効果音の失敗を懺悔した。
聞けば事前に打ち合わせはやったらしいのだが、シャベルはあんな感じでほとんど聞いてないので、本番では永田氏が、独自のタイミングで音のボタンを押していたらしい。それでシャベルのペースに合わず、失敗した……。
「オレは打ち合わせは、あまり聞いてなかったから。オレは落語で失敗したって、素知らぬ顔で続けちゃうよ」
と博士氏。そういえば今日の噺でも「話は戻りますが――」と、さりげなくリカバリーする場面があった。だが一発勝負の効果音は、それが許されなかったのだ。
そしてついに、私の番が来た。
(つづく)
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