一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

最近見た夢(2024-11-06、08、10、12、18)

2024-11-19 22:23:54 | 
最近見た夢を記しておこう。
まず6日に見た夢。
とても印象的な夢を見た後、場面変わって、私は大勢の親類とともに、近所の蕎麦屋に行った。
そこで食事を終えた後、そこここで将棋を指し始めた。
私の将棋は私が勝勢になったが、相手が投了しない。私は駒を取り続け、全駒状態になってしまった。
向こうの将棋は、指し将棋に飽きたみたいで、駒を逆さまに立て、将棋倒しをしていた。

続いて8日に見た夢。
何か夢を見たのだが、1回小便に起きたら、その内容を忘れてしまった。
寝直して今度は、船戸陽子女流三段と野田澤彩乃女流初段が将棋会館で対局している夢を見た。近くでは私と棋友が観戦している。どうもこれが船戸女流三段の現役引退対局だったようだ。野田澤女流初段もとっくに対局しているが、なぜかこちらも現役だった。
将棋は船戸女流三段が勝った。感想戦が簡単に終わり、船戸女流三段はその場を離れた。
野田澤女流初段はまだ残っていたので、私が盤の前に座り、一局お願いした。
先後はじゃんけんで決める。チョキとチョキであいこ。次は野田澤女流初段がパー、私がグーで、私が後手となった。
▲7六歩に、私はいつもは△3四歩なのに、△8四歩と指してしまった。
そこに船戸女流三段が戻ってきた。

続いて10日に見た夢。
私はみんなと旅行していた。その後、ダンス大会に出た。
ステージ上に出場選手が並び、4~5人を一組にし、向かい合って踊る。それが何組かあった。
私は客席のほうを向かっていた。よって、私と向かい合っていた組は、客席に背中を見せていることになる。
踊りの下手な人は、いつの間にか消えていく。私の向かいには4~5人が残っていたが、私の側は、私しか残っていなかった。自分はそんなに踊りがうまかったかな、と思った。
小便で一回起きて、寝直した。今度は具志堅用高がでてきて、結婚相手を真剣に探していた。

続いて12日に見た夢。
オフクロが台所で、夕飯の支度をしていた。
私はラジオを聴いており、アリスの曲がかかっていた。それは聴いたことのないメロディーだが明らかにアリスのもので、目が覚めたとき、そのメロディーをはっきり記憶していた。
いい曲だった。

続いて18日に見た夢。この日は夜中に小便によく起きた。そのたびに違う夢を見たのだが、何回目かに見た夢では、どこかのお寺を訪ねた。ちょっとアドベンチャーな雰囲気があったのだが、よく分からない。

この辺で上げておこう。
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最近見た夢(2024-10-19、24、27、11-02、04)

2024-11-04 23:40:36 | 
最近見た夢を記しておこう。
ます、10月19日に見た夢。
私はオフクロと旅行をしていた。ある建物の一隅にその地域の土産物コーナーがあった。だが営業時間外で、商品棚には一部布が掛けられていた。
ハンコ大のこけしのようなものが多く陳列されていたが、そのうちのひとつがなくなっていた、らしい。
そこで、私に疑いがかけられた。確かに私はその近くをうろうろしていたのだ。
私は店の男性に1,150円を払うよう言われた。私は財布と、そのほかの場所にも現金を持っていたが、とりあえず財布から壱万円札を出す。ところが男性から「こりゃなんや?」と言われた。
それはチラシをお札大に切ったものだった。
ほかのお札2枚も同様で、私は動揺した……ところで、スマホのアラームで叩き起こされた。

翌20日も夢を見た。起きた直後まで夢の内容を覚えていたのだが、忘れてしまった。
ストーリー的なものは大丈夫だが、イメージ的なものは忘れやすいようだ。

続いて24日に見た夢。
私たちは有志で将棋合宿をしていた。場所は和室の大部屋である。棋士の参加もあり、羽生善治九段、久保利明九段らがいた。
羽生九段はさっそく将棋を指していた。だが、盤駒が全部で5組しかない。
そこで、私たちは自宅に戻って、盤駒を調達することになった。行くメンバーは私を含めて5人で、A氏、それに女性がひとりいた。
自宅付近にはクルマで40分近くかかる。ほかのメンバーはまた別の区域に住んでいるがそこはそれ、とりあえず出発した。
ところが合宿所最寄りのさびれた商店街にスーパーがあり、女性が、ここで食物を調達していく、とクルマから降りた。そこでアラームに起こされた。

続いて27日に見た夢。
この朝もいろいろな夢を見たのだが、憶えているのは一部。
我が家の台所に残飯や何やらがうずたかく積もっており、そこに犬が1匹紛れ込んで、漁っていた。
しばらくして窓から出て行ったが、今度は犬が2匹になり、それを連れてきた若者といっしょに、残飯を漁っていた。
彼らは私に気付き逃げたが、私も頭に来たので、「おーい!!」と叫びつつ、逃げ遅れた犬にパンチをやった。と、右手が現実の段ボールに当たり、目が覚めてしまった。
夢を見て叫ぶのはままあるが、現実で右腕を突き出したのは初めて。これはどういう夢判断なのだろうか。

続いて11月2日に見た夢。
私は母校の小学校の校庭にいた。そこでヨドバシカメラ主催の大抽選会があり、大変な数の客がキチンと整列して座っていた。
みんな抽選券を持っており、6ケタの数字が合えば、何か賞品をもらえるようだった。
数字が読み上げられ、「×××896」だった。
私は券を1枚持っていたが、外れてしまった。

続いて5日に見た夢。
私はどこかのイベント会場にいた。道の両側にはブースが並び、それらは飲食を提供するところが多かったが、その中にヒロミがいた。
ある店では新作料理を試作中で、それができあがった。これをみなに試食させるみたいだった。
私も欲しかったが、ダメだと言われた。
俳優の平山祐介に似た男が私に、「もう退会してくれないか」と言った。
私は彼らが運営している団体に所属していたのだが、私の出席率があまりにも悪いので、退会を促したというわけだった。
そこで、スマホのアラームで叩き起こされた。

この辺でアップしておこう。
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最近見た夢(09-24、25、26、10-04、10、16)

2024-10-16 12:18:46 | 
最近見た夢を記しておこう。
24日は何度か小便で起きたのだが、その間に見た夢である。
私は旅行をしていて、最西端の駅に行った。その駅は崖にあったのだが、駅舎はなかった。たぶん、地下に埋もれていたのだろう。
場面変わって、私はワゴン車に乗っていた。ある観光地があり、そこで一時下車したい人はするシステムだった。
その観光地は、ふつうの道に天使の像があった。私は何度か訪れていたが、以前はもっと道が狭かったと思う。現在は拡張され、見やすくなっていた。
いっしょにワゴンから降りた青年がいたので彼にそのことを言ったが、彼はなんと答えたか、分からなかった。

つづいて25日に見た夢。
「ゆうひが丘の総理大臣」のロケをやっており、中村雅俊とその生徒が、バイクに乗り、いましも走り出すところだった。生徒の一人に、なぜか国分太一がいた。

つづいて26日に見た夢。
あるイベントがあり、2人の女性がこちらに来た。これからアーティストのライブがあるのだが、誰が出るか楽しみにしたいので、2人は、それまで調べないようにしている、といった。
だが私はパンフレットを持っている。そこには出演アーティストが書いてあるので、知らせたくなってしまった。
中を見ると、「GLAY」とあったので、彼女らに教えてしまった。
場面変わって、小公園でもイベントが行われていた。将棋盤は合計3面置かれ、いくつかの小皿には、サイコロが4つずつ入っていた。チンチロリンでもやるのだろうか。
将棋コーナーでは、植山悦行七段が青年に指導対局を行っていた。なぜ植山七段が出てきたか。25日の記事で書いたので、その記憶が映像化されたのだろう。

つづいて、たしか10月4日に見た夢。
私は風呂の排水溝の、丸い目皿めがけて、小便をしていた。目皿の手前半分に横から小便をかけたあと、奥の半分にも、小便をかけた。
あぶない。こんな夢を見て寝小便をしたら、シャレにならない。

つづいて10日に見た夢。
私は有志と研修旅行に出ていた。陸上競技場のトラックのような形状の高台に、新たなレールが設置されているところだった。千葉県で新線が建設中なのだ。レールの内側は池だか湖になっていて、私たちはその地点から見ていた。
私たちはその近場で食事と土産物を買うことになった。行動は2人一組で、食事の場面を仲間に見られてはいけないというルールがあった。食事はひとり1,000円以内である。
と、しゃがんでいる男性が振りむいた。
「オッペ!」
小・中学生のときに同級生だった佐藤である。対して親しくなかったが、なぜ彼が出てきたのか分からない。
さて食事である。私の相方はA氏だった気もするが、元同僚の須賀氏だった気もする。
ある土産物屋の内部には小さな座敷があり、そこで食事が摂れるようになっていた。外からはカーテンで隠れているので、誰にもバレない。
しかし私たちは保留した。すると、別の女子グループと会った。私たちは、すぐに食事処に入らなかったことを後悔した。

このあと、12日は織田裕二、14日は菜々緒が夢に出てきたのだが、はっきりしない。

そして16日に見た夢。
自宅の狭い2階に、弟やめいがやってきて、みんなで賑やかにテレビを見ていた。
私はどこかに旅行に行く予定だったのだが、その映画が面白く、全部見終えたときには深夜の
2時半を過ぎていた。どうも、福山雅治が出ていた気がする。
そこから私はクルマで行くのか知らないが、本当に家を出なければならなかった。
ところが、続けて見たテレビ映画がまた面白かった。数百メートルにおよぶ断崖絶壁があり、その先は海岸だった。崖の上にいた人物が海岸に向かって降下する。それは私だった気もするのだが、よく分からない。
そこで尿意で目が覚め、寝直して、また夢を見た。
私ともうひとりで、ある研究者だか医者の家にいった。ある患者が苦しんでおり、その助を求めるためだった。
博士―小林薫のイメージだった―は研究室にこもる。夢なのにだいぶ長い時間がかかった。
すると博士は注射器を作ってきた。いまの時代は昭和初期で、この注射器が画期的な発明になったらしい。
そして、ある液体を見せた。これは胃の中に常駐する液体で、これでヒトの病気を治すという。
博士はチューブのようなものを胃の中に何度も挿れ、その液を採取していた。それがある程度たまり、患者に注入することができるようになったのだった。

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最近見た夢(2024-08-25、09-17、20、22)

2024-09-22 21:58:21 | 
最近見た夢を記しておく。
まず8月25日に見た夢。私も含めて10人くらいいた。
そこで、漢字を書くことになった。漢字に規定はないので、何を書いてもよい。だから次から次へと出てくる。これじゃあ面白くもなんともないと思った。

つづいてかなり飛んで、9月17日に見た夢。
この日は小便が近く、1時間置きぐらいにしにいった。
その何度目かに見た夢で、Yが出ていた。なにかの大会にイラストを応募するのだが、Yは2枚応募のうちの1枚(ハガキ大)は、しっかりペン入れをして仕上げていた。
しかしYは、この1枚に自信がないのと、残り1枚もまだ仕上げていなかったので、結局私が描き直すことになった。

つづいて20日に見た夢。
私はある都市の商店街にいた。その商店街はさびれていて、ほとんど店がなかった。
その商店街で、ピンクレディー・未唯のライブがある。だが、観戦はその商店街の抽選券で当たらねばならなかった。
私は何かの手段で、その抽選券を1枚手に入れた。すると商店街の女性が、当選番号が書かれたホワイトボードを掲げてやってきた。そこには「220」「4」などの数字が書かれていた。
私の持っている抽選券は「330」だったようで、やはり外れた。

つづいて22日に見た夢。
きょう22日は、小便で起きるたび違う夢を、合計3つ見たのだが、最初と最後のは忘れてしまった。
2つ目の夢は、私は奈良県の上空から、緑の葉っぱ生い茂る森の中に降下していった。その森は四方をプラスチックの壁で囲われていた。
着地すると、自衛隊のごとく「演習」があった。1対1で対峙するのだが、私の相手は菅家(かんけ)だった。菅家とは高校時代の級友だが、当時はあまり親しくなかったのに、なぜ彼が出てきたのか分からぬ。
その菅家が1mくらいの鉄の棒を、私に向けて突いてくる。その棒の先には20cmくらいの錆びた鉄の棒が多数ついていた。
だが私の武器は大したことがなく、これじゃあ私がやられる。

このところ夢の記憶があまりなく、冒頭の夢からもう1ヶ月近くが経ってしまった。
ここら辺で上げておこう。
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最近見た夢(2024-08-10、11、15、16、18、22)

2024-08-22 23:37:57 | 
最近見た夢を記しておく。
まず10日に見た夢。私は女流王将戦の挑戦者決定戦を戦うことになっていた。私は招待選手として出場し、勝ち進んだらしい。ただ、私は男性である。その問題はいいのかと思った。
傍らには、将棋ペンクラブのKid氏と、俳優の岡田義徳がいた。彼らの話によると、最近の日経新聞観戦記に、私の将棋が載ったという。
岡田義徳は、これから新幹線で岡山に帰るというので、それなら、日経に載ったであろう私の将棋は、私も自戦記としてPCに入れてあるので、それをプリントアウトするから、車内で読んでほしい、といった。ただ、盤面はうまくプリントアウトできるか、自信がなかった。
そこで、スマホのアラームで叩き起こされた。

続いて11日に見た夢。
私はある大金持ちの邸宅にいた。そこは5~6階建てだったが、各界が吹き抜けみたいになっていて、しかも各階に電灯がついておらず、薄暗かった。しかもゴーストタウンのように埃っぽく、とても人が住んでいるふうには見えなかった。
4階だったか、本屋があった。
ある階では、私がむかし使っていたセカンドバッグが、埃の中から出てきた。近くに福山雅治がいて、彼はこの家の主ではなかったが、近しい関係にあった。
私は福山雅治に断り、そのバッグをいただいた。
それで、最寄りのバス停に向かうと、福山雅治も姿を消した。私にプレゼントしたいものがあり、ウチに先回りしたらしかった。
そこで、アラームで叩き起こされた。

続いて15日に見た夢。
私たちは大勢で遠足に行っていた。私は小学生くらいで、仲間の中心は、アンミカだった。ただ、アンミカは大人だったと思う。
仲間の中には、小学生時代に同級生だった、Mもいたと思う。
なんでこんな夢を見たかと考えるに、前日、幼馴染のYと会ったからだろう。遠足の写真も見たから、それが夢で再生されたのだろう。

続いて16日に見た夢。
私のもとに、あんかけ焼きそばが4人分あった。それは鉄板の中にあり、各自で適当な分量を取る。すでに3人が取り、あとは私が一人前をさらえばいいのだが、ほんの少ししか残っていなかった。
音尾琢真が料理長だった気がしたが、鉄板をよく見ると、まだ一人前が残っていた。
そこで尿意で、目が覚めた。

続いて18日に見た夢。
ウチの家の庭に、親戚のおばさんが犬になって、つながれていた。首から下は、犬だったか人間だったかは分からない、ただ、福は着ていた。
私は、おばさんにこの扱いはかわいそうだと思った。
オフクロが、おばさんに何かを語りかけた。オフクロも、できればおばを家に上げたいと考えていたようだ。

続いて22日に見た夢。
今回の夢は、全編「マンガ」だった。ちゃんと駒割りされたマンガで展開された。たぶん大島やすいちの絵だったと思うのだが、はっきりしない。
尿意で起きて寝直したあとは、内容は同じっぽかったが、今度は実写だった。
「夢はなんでもあり」なのが、夢の面白いところだ。
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