体育館入口前に、I氏と、Aクラス1回戦で対局した甘いマスク氏がいた。するとI氏が寄ってきて、
「彼、一公さんのブログのファンで、一公さんがこの大会に出るのを知って、対戦できることを祈ってたらしいよ。そしたら(対局場の盤の)前に一公さんが座ったんで、感激したらしいよ」
と言うので、私はたいへん驚いた。
いままで私のブログに登場したアマ棋客で、「それは私です」とご本人からコメントが入ったケースは何回かあるが、LPSA金曜サロンで会うべくして会ったLPSAファンさんを除けば、今回は読み手と書き手が偶然会った、稀なケースである。
私は自分が対局で負けると、相手が船戸陽子女流二段であろうと中倉宏美女流二段であろうと、己の未熟を棚に上げて、あの美しい顔が憎たらしく見えて仕方がない。今回もそうで、私は甘いマスク氏に不愉快な気持ちを抱いたのだが、I氏にそう言われれば、私も嬉しさがこみあげてくる。
私は甘いマスク氏に歩み寄ると、
「ゼヒ優勝してください!!」
と激励したのだった。
午後1時からは「プロ棋士の50面指し」である。12時に申し込みをし、50名を越えたら抽選で参加者を決めるというシステムである。私はトーナメント戦で2連敗したため、申し込み資格がある。私は当初遠慮をしていたのだが、中井広恵女流六段から、「せっかくいらしたんだから、対局していってください」と温かい言葉をいただき、整理券をもらっていたのだ。
体育館に入ると、T氏がいる。とりあえず挨拶したのち、私は甘いマスク氏との痛恨の局面を、T氏に見せる。ところが、そのときの状況を詳しく説明しても、T氏は怪訝な顔である。理由を聞くと、甘いマスク氏が☖4八銀と打った手では、☖4九飛と打って、☗同金☖同桂成☗同玉☖4八金で簡単な詰みではないか、というのだ。
言われてみればたしかにそうで、さすがに終盤の強いT氏である。…ということは、甘いマスク氏も最短の詰みが見えなかったわけで、それほど秒読みは、選手の棋力を低下させる、ということだ。
T氏も整理券をもらい、参加選手の抽選となったが、T氏、I氏、そして私と、市外からの遠征組はほとんど当たったようだ。
指導対局の棋士は、中井女流六段、植山悦行七段、野月浩貴七段、石橋幸緒女流四段、船戸女流二段の5名。男女の別なく、それぞれ10面指しである(ちなみに藤田麻衣子女流1級は「どうぶつしょうぎ」の担当だった)。LPSA金曜サロンに通っている私としては、野月七段に教えていただくのがスジだろうが、やはり船戸女流二段に教えてもらいたい。
私が整理券番号のある席に着座すると、その船戸女流二段が近くにいらした。船戸女流二段はどこまでが担当なのだろう。昨年の天童市「人間将棋」の指導対局では、船戸女流二段に当たらず残念な思いをした。ところが運命とは不思議なもので、その後私は、金曜サロンで船戸女流二段に20局以上教えていただくことになる。しかしイベントとサロンでは雰囲気が違う。私は、今度こそ船戸女流二段が私のコーナーまで来るよう、願った。
と、しばらくして船戸女流二段が私の列の担当と分かり、心の中で快哉を叫んだ。
ちょっと大袈裟だが、実はこれが、今年船戸女流二段に教えていただく、最後の将棋になるからだった。
今年の金曜サロンは、12月18日に船戸女流二段の担当を残しているが、私はその日、九州にいるのだ。私が毎年12月に長崎の喫茶店に行く、ということは以前書いたが、今年はその日程を(九州旅行として)17日~20日と決めていたからだ。
何もこの週にしなくてもいいのでは、とも自問自答したが、この喫茶店に初めて訪れたのが11年前の12月18日で、その同じ日に、どうしても入店したかった。
考えてみれば、船戸女流二段がLPSAに移籍してから、金曜サロンでは、一度の休みもなく、船戸女流二段に指導対局を受けてきた。9月の北海道旅行では、日程を切り上げてまで帰京し、「連続対局記録」を続けた。だが今回は、12月18日の担当、中倉女流二段・船戸女流二段のゴールデンコンビをソデにし、記録を途切れさせてまで、長崎へ行く。まあ、こんなバカなところも、私らしい。もっとも両女流からすれば、久しぶりにウルサイ会員がいなくて清々する、といったところであろう。
屋上屋を架す、と言えなくもないが、今年はもうない、と諦めていた矢先の船戸女流二段との指導対局である。私はいつも以上に気合を入れ、船戸女流二段との対局(香落)に臨んだ。
船戸女流二段は、中飛車に振ってきた。私は船戸女流二段の直筆扇子を手にし、船戸女流二段の闘志を鈍らせるべく、姑息な手段を使う。
局面は一進一退の攻防が続いたが、中盤、上手の☖5四角成に対して、私が☗7七銀と上がった手が問題だった。部分図を記すと、
上手・5四馬、6五飛、8四香… 持駒:金など
下手・6七歩、6九金、7六歩、7七銀、7八玉、8七歩、8九桂… 持駒:桂など
である。ここで船戸女流二段は凡手を指したが、☖8七香成があった。☗同玉は☖6七飛成が厳しく、☗6八金は☖7六馬で即詰みがある。よって香成には玉をよろけるしかないが、☖8五飛と廻られ、下手敗勢。
船戸女流二段がこの手を見送ってくれたので、☗6六桂と打って息を吹き返した。以下はむずかしいところもあったが、私は敵陣に金銀をベタベタ打ち、餌を求める公園の鳩のようにじわじわ迫り、銀星を挙げることができた。
このとき感心したのは船戸女流二段の終盤の指し手で、受けはむずかしいのに、最後まで粘るのだ。少し悪くなるとすぐ投げてしまう私とはエライ違いで、将棋に対する姿勢をあらためて教えていただいた気がした。
「今年1年、ありがとうございました」
「…? (まだ12月の)金曜サロンがありますよ」
「いえ、それはまあ…」
「……。でも、フランボワーズカップは来てくださいますよね」
「ああ、あれは行かせていただきます」
――ちょっと切ない会話だった。
さて今回の50面指し、いちばん最後まで残ったのは、意外?にも野月七段だった。時間があったので指導対局を瞥見したが、局後の感想戦が懇切丁寧で、感心した。これからの棋士は公式対局だけではなく、指導対局もうまくこなさないとダメだ。今回は無料だったが、有料の場合は基本的に、指導棋士を選ぶ権利はこちらにある。そのときどれだけの将棋ファンから支持を得られるか。棋士として生活するために、ファンとのコミュニケーションも重要な要素になってくるだろう。
甘いマスク氏とまた会う。戦績を聞くとあれから勝ち進み、準決勝で敗れたとのことだった。しかし3位入賞は立派な成績である。中井女流六段から、賞状と記念品を貰っていた。
午後3時からは、その中井女流六段と石橋女流四段の席上対局である。
解説は、まず植山七段と、聞き手が船戸女流二段。どちらも見なれた姿だが、中年のオジサンより、長身の美人棋士を観賞したい。対局者は「圏外」なので、私は大盤解説を注視することにした。
戦形は後手番・石橋女流四段の四間飛車に、先番・中井女流六段の採った作戦は、なんと棒銀だった。加藤一二三九段なら「当然ですネ」とニンマリするところだが、じっくり型の中井女流六段にしては珍しい。
将棋は激烈な内容になり、解説が野月七段に代わってから、「次の一手」が出題された。「野月候補手」をグー、「船戸候補手」をチョキ、「その他」をパーとし、挙手で正解者を選ぶのだ。注目の正解は「パー」で、しかもその手が「私には思い浮かばない手」(野月七段)で、評判はわるかったが、私も中井女流六段の指した手が第一感だったので、なんだか嬉しかった。
先ほど私に挨拶をしてくださった藤田女流1級が聞き手を代わり、対局は続行。将棋は激烈な攻め合いとなり、最後は打ち歩詰めの局面(もちろん打たない)で石橋女流四段が投了し、中井女流六段の嬉しい勝利となった。
中井女流六段の閉会の辞で締めとなり、楽しいイベントは終了した。しかし以前ならいざ知らず、いまの環境では、このまま帰れないところである。周りを見渡すと、金曜サロンの常連が何人かいる。(ちょっとどこかへ寄っていこうか)とアイコンタクトをする。これが激烈な「2回戦」の始まりであった。
(つづく)
「彼、一公さんのブログのファンで、一公さんがこの大会に出るのを知って、対戦できることを祈ってたらしいよ。そしたら(対局場の盤の)前に一公さんが座ったんで、感激したらしいよ」
と言うので、私はたいへん驚いた。
いままで私のブログに登場したアマ棋客で、「それは私です」とご本人からコメントが入ったケースは何回かあるが、LPSA金曜サロンで会うべくして会ったLPSAファンさんを除けば、今回は読み手と書き手が偶然会った、稀なケースである。
私は自分が対局で負けると、相手が船戸陽子女流二段であろうと中倉宏美女流二段であろうと、己の未熟を棚に上げて、あの美しい顔が憎たらしく見えて仕方がない。今回もそうで、私は甘いマスク氏に不愉快な気持ちを抱いたのだが、I氏にそう言われれば、私も嬉しさがこみあげてくる。
私は甘いマスク氏に歩み寄ると、
「ゼヒ優勝してください!!」
と激励したのだった。
午後1時からは「プロ棋士の50面指し」である。12時に申し込みをし、50名を越えたら抽選で参加者を決めるというシステムである。私はトーナメント戦で2連敗したため、申し込み資格がある。私は当初遠慮をしていたのだが、中井広恵女流六段から、「せっかくいらしたんだから、対局していってください」と温かい言葉をいただき、整理券をもらっていたのだ。
体育館に入ると、T氏がいる。とりあえず挨拶したのち、私は甘いマスク氏との痛恨の局面を、T氏に見せる。ところが、そのときの状況を詳しく説明しても、T氏は怪訝な顔である。理由を聞くと、甘いマスク氏が☖4八銀と打った手では、☖4九飛と打って、☗同金☖同桂成☗同玉☖4八金で簡単な詰みではないか、というのだ。
言われてみればたしかにそうで、さすがに終盤の強いT氏である。…ということは、甘いマスク氏も最短の詰みが見えなかったわけで、それほど秒読みは、選手の棋力を低下させる、ということだ。
T氏も整理券をもらい、参加選手の抽選となったが、T氏、I氏、そして私と、市外からの遠征組はほとんど当たったようだ。
指導対局の棋士は、中井女流六段、植山悦行七段、野月浩貴七段、石橋幸緒女流四段、船戸女流二段の5名。男女の別なく、それぞれ10面指しである(ちなみに藤田麻衣子女流1級は「どうぶつしょうぎ」の担当だった)。LPSA金曜サロンに通っている私としては、野月七段に教えていただくのがスジだろうが、やはり船戸女流二段に教えてもらいたい。
私が整理券番号のある席に着座すると、その船戸女流二段が近くにいらした。船戸女流二段はどこまでが担当なのだろう。昨年の天童市「人間将棋」の指導対局では、船戸女流二段に当たらず残念な思いをした。ところが運命とは不思議なもので、その後私は、金曜サロンで船戸女流二段に20局以上教えていただくことになる。しかしイベントとサロンでは雰囲気が違う。私は、今度こそ船戸女流二段が私のコーナーまで来るよう、願った。
と、しばらくして船戸女流二段が私の列の担当と分かり、心の中で快哉を叫んだ。
ちょっと大袈裟だが、実はこれが、今年船戸女流二段に教えていただく、最後の将棋になるからだった。
今年の金曜サロンは、12月18日に船戸女流二段の担当を残しているが、私はその日、九州にいるのだ。私が毎年12月に長崎の喫茶店に行く、ということは以前書いたが、今年はその日程を(九州旅行として)17日~20日と決めていたからだ。
何もこの週にしなくてもいいのでは、とも自問自答したが、この喫茶店に初めて訪れたのが11年前の12月18日で、その同じ日に、どうしても入店したかった。
考えてみれば、船戸女流二段がLPSAに移籍してから、金曜サロンでは、一度の休みもなく、船戸女流二段に指導対局を受けてきた。9月の北海道旅行では、日程を切り上げてまで帰京し、「連続対局記録」を続けた。だが今回は、12月18日の担当、中倉女流二段・船戸女流二段のゴールデンコンビをソデにし、記録を途切れさせてまで、長崎へ行く。まあ、こんなバカなところも、私らしい。もっとも両女流からすれば、久しぶりにウルサイ会員がいなくて清々する、といったところであろう。
屋上屋を架す、と言えなくもないが、今年はもうない、と諦めていた矢先の船戸女流二段との指導対局である。私はいつも以上に気合を入れ、船戸女流二段との対局(香落)に臨んだ。
船戸女流二段は、中飛車に振ってきた。私は船戸女流二段の直筆扇子を手にし、船戸女流二段の闘志を鈍らせるべく、姑息な手段を使う。
局面は一進一退の攻防が続いたが、中盤、上手の☖5四角成に対して、私が☗7七銀と上がった手が問題だった。部分図を記すと、
上手・5四馬、6五飛、8四香… 持駒:金など
下手・6七歩、6九金、7六歩、7七銀、7八玉、8七歩、8九桂… 持駒:桂など
である。ここで船戸女流二段は凡手を指したが、☖8七香成があった。☗同玉は☖6七飛成が厳しく、☗6八金は☖7六馬で即詰みがある。よって香成には玉をよろけるしかないが、☖8五飛と廻られ、下手敗勢。
船戸女流二段がこの手を見送ってくれたので、☗6六桂と打って息を吹き返した。以下はむずかしいところもあったが、私は敵陣に金銀をベタベタ打ち、餌を求める公園の鳩のようにじわじわ迫り、銀星を挙げることができた。
このとき感心したのは船戸女流二段の終盤の指し手で、受けはむずかしいのに、最後まで粘るのだ。少し悪くなるとすぐ投げてしまう私とはエライ違いで、将棋に対する姿勢をあらためて教えていただいた気がした。
「今年1年、ありがとうございました」
「…? (まだ12月の)金曜サロンがありますよ」
「いえ、それはまあ…」
「……。でも、フランボワーズカップは来てくださいますよね」
「ああ、あれは行かせていただきます」
――ちょっと切ない会話だった。
さて今回の50面指し、いちばん最後まで残ったのは、意外?にも野月七段だった。時間があったので指導対局を瞥見したが、局後の感想戦が懇切丁寧で、感心した。これからの棋士は公式対局だけではなく、指導対局もうまくこなさないとダメだ。今回は無料だったが、有料の場合は基本的に、指導棋士を選ぶ権利はこちらにある。そのときどれだけの将棋ファンから支持を得られるか。棋士として生活するために、ファンとのコミュニケーションも重要な要素になってくるだろう。
甘いマスク氏とまた会う。戦績を聞くとあれから勝ち進み、準決勝で敗れたとのことだった。しかし3位入賞は立派な成績である。中井女流六段から、賞状と記念品を貰っていた。
午後3時からは、その中井女流六段と石橋女流四段の席上対局である。
解説は、まず植山七段と、聞き手が船戸女流二段。どちらも見なれた姿だが、中年のオジサンより、長身の美人棋士を観賞したい。対局者は「圏外」なので、私は大盤解説を注視することにした。
戦形は後手番・石橋女流四段の四間飛車に、先番・中井女流六段の採った作戦は、なんと棒銀だった。加藤一二三九段なら「当然ですネ」とニンマリするところだが、じっくり型の中井女流六段にしては珍しい。
将棋は激烈な内容になり、解説が野月七段に代わってから、「次の一手」が出題された。「野月候補手」をグー、「船戸候補手」をチョキ、「その他」をパーとし、挙手で正解者を選ぶのだ。注目の正解は「パー」で、しかもその手が「私には思い浮かばない手」(野月七段)で、評判はわるかったが、私も中井女流六段の指した手が第一感だったので、なんだか嬉しかった。
先ほど私に挨拶をしてくださった藤田女流1級が聞き手を代わり、対局は続行。将棋は激烈な攻め合いとなり、最後は打ち歩詰めの局面(もちろん打たない)で石橋女流四段が投了し、中井女流六段の嬉しい勝利となった。
中井女流六段の閉会の辞で締めとなり、楽しいイベントは終了した。しかし以前ならいざ知らず、いまの環境では、このまま帰れないところである。周りを見渡すと、金曜サロンの常連が何人かいる。(ちょっとどこかへ寄っていこうか)とアイコンタクトをする。これが激烈な「2回戦」の始まりであった。
(つづく)