一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「酔の助」、閉店

2020-05-31 02:04:48 | 将棋雑記
29日(金)午後6時すぎ、日本テレビのニュースを観ていたら、藤井貴彦アナが「東京の名物居酒屋が閉店しました」と言った。
すごくイヤな予感がしたのだが、その店は神保町の「酔の助」だった!
放送日の前日、28日に閉店してしまったという。あああ、何てこった!

酔の助は、将棋ペンクラブが「魚百」で将棋会をやったあとの二次会会場で、私も何度かお邪魔したことがある。店内は広く、テーブル席の奥は和室になっていた。壁には短冊状のお品書きが貼られており、いかにも大衆居酒屋の風情だった。料理は旨く、舌代は安く、何より店内での将棋を店主が黙認してくれて、すこぶる居心地のいい店だった。
そんな酔の助の最大の特徴は、テレビや映画のロケが多かったことで、ドラマを観ていて、気が付けば酔の助、ということがたびたびあった。
志村けんの訃報に際し「となりのシムラ6」(NHK)がアンコール放送されたが、その中の一コーナーでも、ロケに使われていた。ちなみに昨年は、50件も使われたという。
突然の閉店の理由はやはり「コロナ」で、客がバタッと来なくなり、資金繰りに行き詰まったものらしい。
ご主人が高齢で辞める、というのならまだ割り切れるが、「コロナ」とは無念極まりない。いったいこのウイルスは、世界中にどれだけ迷惑を掛ければ気が済むんだ!? まったく、やるせない。
どうなんだろう、こういう時こそ、クラウドファンディングとかで基金を募集できないのだろうか。
ただ、店内もだいぶくたびれていたようだし、ここがちょうどいい幕引きと考えたのかもしれない。
ともあれ酔の助の皆さま、41年間、お疲れ様でございました。ありがとうございました。
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甲斐智美女流五段は、元NGT48の北原里英に似ている

2020-05-30 01:52:10 | 似ている
日付変わって今日5月30日は、甲斐智美女流五段のお誕生日。おめでとうございます!
その甲斐女流五段は、元NGT48の北原里英に似ていると思う。
北原里英は1991年6月24日、愛知県生まれの28歳。
2007年、「AKB48・第2回研究会オーディション」に合格。翌年、選抜入りした。その後もAKB48のレギュラー的存在として活躍し、2012年にはSKE48の兼任となった。
2015年にはNGT48に移籍。2018年4月に卒業した。
現在は、6月19日に公開予定の映画「HERO~2020~」の宣伝で忙しい。
なお、この映画の主演は廣瀬智紀。彼の奥さんは、元AKB48の川栄李奈である。
北原里英は瞳がキラキラしていて、いつもにこにこしているのがよい。安心して起用できるタレント、という感じがする。今後も安定して活躍すると思う。
甲斐女流五段と北原里英は、くちびるが似ている。甲斐女流五段がメガネを外し、絶好調の表情になったら、さらに似てくると思う。

現女流棋界は里見香奈女流四冠と西山朋佳女流三冠の天下だが、甲斐女流五段は女王1期などタイトル7期の実力者であり、ふたりの牙城を崩せる、数少ない女流棋士のひとりだと思う。
昨年の第1期清麗戦では五番勝負に登場したが、里見女流五冠に敗れてしまった。またのタイトル戦登場を期待するものである。
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伊藤博文七段、引退

2020-05-29 00:15:59 | 男性棋士
伊藤博文(いとう・ひろふみ)七段は26日に行われた第33期竜王戦6組昇級者決定戦で今泉健司四段に敗れ、フリークラス規定により引退となった。
伊藤七段は1984年8月、四段昇段。名前が名前なので、当時の将棋ファンは、あの伊藤博文がついに四段か! と沸き立ったものだ。
伊藤七段は、基本は振り飛車党で、中飛車を好んで指した。引退局の今泉四段戦も、中飛車だった。また対局中はつぶやきが巧みで、人は伊藤七段を「終盤の話術師」と呼んだ。
伊藤七段は、デビュー以後は特筆すべき活躍はなかったが、勝率は悪くなかった。だが第49期順位戦C級2組で降級点を取ってしまう。C級2組では1個目の降級点は、昇級しない限り消えない。その後勝ち越しもあったが降級点は消えず、これが祟って、第57期C級2組で3個目の降級点を取り、1999年3月、39歳でフリークラスに降級となってしまった。
1994年度から開始されたフリークラス制度は、復帰規定はあったものの厳しく、いったん落ちたらもう順位戦には戻れないと言われていた。該当の成績を取れるくらいなら、最初から落ちないという理屈である。
だが伊藤五段は頑張った。2000年度は好調で、24局を終えて17勝7敗。当時は年度18勝(12敗)でフリークラス脱出だったから、誰もが伊藤五段の順位戦復帰を信じた。
ところがここから悪夢の4連敗を喫し、年度を終えた。藤原直哉七段も、フリークラス1期目の2017年度に17勝7敗となったが、やはり4連敗してしまい、長蛇を逸した。そのくらい、フリークラスの「あと1勝」は遠いのだ。
伊藤五段は落胆したが、希望を見出してくれたのは、ほかの棋士や教室の生徒らだった。
年度勝数は及ばなかったが、「いい所取り」があると教えたのである。
伊藤五段は1999年度の最終戦で、飯野健二七段(第13期竜王戦5組昇級者決定戦)に勝っていた。すなわち18勝11敗。あと3連勝で21勝11敗・勝率.656となり、復帰できるのだ。
2001年度の1局目、伊藤五段は第73期棋聖戦一次予選で山本真也四段に勝ち、あと2勝。
そして5月29日、第35回早指し将棋選手権戦予選で増田裕司四段、小林健二八段に勝ち、めでたく順位戦復帰となった。絶対ないと言われていた、アリ地獄からの脱出を果たしたのである。
だが伊藤五段のピークはここまでだった。
2002年、気分よく順位戦に臨んだものの、降級点を喫する。さらに翌2003年度も降級点を取り、ここで観念した。2004年3月、ついにフリークラスへ転出。降級なら復帰の道はあるが、転出は以後本人がどんなに好成績を取っても、順位戦には戻れない。
私は伊藤五段の出した結論にガッカリしたが、仮に降級しても、もう復帰に臨む気力が残っていなかったのだろう。
フリークラスへの転出は、基本15年の現役生活が与えられる。それに各クラスの位置や降級点によって+αが変わってくる。伊藤五段はC級2組で降級点2だったので、+1年。よって今年伊藤七段が60歳で引退したのは定年ではなく、16年の期限が切れたからだった。
ところで伊藤七段は、民放テレビで珍しい将棋を指している。2004年5月19日放送の「トリビアの泉」(フジテレビ)で、「将棋には804枚の駒を使うものがある」と紹介され、安用寺孝功四段と「大局将棋」を3日間に渡って指したのだ。
ちなみにこの時は「77へぇ」で、豪華な粗品は獲れなかった。
現在伊藤七段の楽しみは、西山朋佳奨励会三段の活躍だろう。女流棋戦ではすでに三冠を獲得し、女流棋界ではトップグループにいる。残るミッションは女性初の四段昇段で、これを果たせば当人はもちろん、伊藤七段の株も上がる。
西山奨励会三段の師匠への敬愛も相当なもので、それが四段昇段へのモチベーションになっていると思われる。次回の三段リーグでの戦いが注目される。

伊藤先生、36年の現役生活、お疲れ様でございました。
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令和に甦った大山十五世名人

2020-05-28 00:56:27 | 男性棋士
24日はNHKアーカイブス「第38回NHK杯3回戦第3局・大山康晴十五世名人VS羽生善治五段戦」が放送された。対局日は1988年11月16日、オリジナル放送日は12月18日。
現在の将棋ファンに、「史上最強の棋士は誰か?」と問うたとき、真っ先に挙がるのがこの両者だ。当時大山十五世名人は65歳、羽生五段は18歳。47も歳の違う最強棋士が相まみえたとは奇跡的だが、当時も似たような認識だったと思う。それは、司会の永井英明氏が冒頭で
「今日の対局は注目度No.1でございましょうか」
と述べたことからも分かる。
両雄の対決映像が残っているのはテレビ棋戦ならではで、貴重な記録である。
解説は、当時42歳の森雞二王位。髪は黒々として若々しい。この年の夏、谷川浩司名人から4勝3敗で王位を奪取し、意気軒高だった。
「大山十五世名人はおじさん族の代表ですしネ、羽生五段も新人類の筆頭ですが、心情的にはおじさんに頑張ってほしいですが……」
と、森王位。「新人類」とは懐かしい単語だ。
この言だと大山十五世名人の分が悪いみたいだが、両者はこの6ヶ月前の第38期王将戦二次予選で顔が合い、青森県旧百石町で大山十五世名人が勝っている。またその前年秋にも「将棋世界」でお好み対局があり、これも大山十五世名人が制勝している。ただ本局はこの時点で、羽生五段は年度37勝9敗。手が付けられない強さだった。
棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段、記録・秒読みは谷川治惠女流二段。どちらも若いが、現在と雰囲気はまったく変わっていない。
羽生五段の先手で対局開始。▲7六歩△3四歩。
意外だったのは、大山十五世名人が盤にくっつきそうなくらい、膝を前に出していたこと。
大山十五世名人は小柄だったが、ほとんどの棋士が、大山十五世名人が盤の前に座ると迫力があった、と証言している。これは、盤に近く座ることで、物理的な迫力を演出していたのではないか? いや、大山十五世名人ならマジであり得る。これは新たな発見だった。
大山十五世名人は中飛車に振る。大山十五世名人は振り飛車の中で四間飛車が最も多いが、その次は中飛車ではないだろうか。
羽生五段は全身鋭角で、やっぱりギラギラしている。切れたナイフだ。だが相手が大名人だからか、まだハブニラミは見られない。
羽生五段は▲5七銀左とし、急戦の構え。▲4六歩のあと、▲3七銀とした。
大山十五世名人は△6三銀から△7二飛。これが大山十五世名人独特の急戦対抗策で、昭和40年代前半から、すでにこの指し方をしている。例えば、1966年2月8日~9日対局の第15期王将戦第3局・山田道美八段戦(図)である。

しかしこの形は玉飛接近のうえ玉も薄く、余人には真似できない。何より大山十五世名人自身、ほかの指し方より勝率は悪かった気がする。
ただ羽生五段はこの翌年、青野照市九段相手に振り飛車を指し、袖飛車を用いている(当ブログ2019年7月14日「羽生九段の振り飛車」)。本局を参考にしたわけではないだろうが、羽生五段の芸域の広さに驚くのである。
大山十五世名人は、NHK杯などのテレビ対局では、和服を着用する。本局もそうで、羽織は墨色、小袖はねずみ色だった。ただ1984年3月4日放送のNHK杯・大内延介八段との一戦は、白のスーツで対局した。対局の後に出張があったからだ。
大山十五世名人は泰然自若。駒をマス目の中央に置き、手つきはゆったりしている。将棋ファンの規範になるかのようである。しかし終盤になれば、盤の隅から隅まで視線が動くはずだ。
羽生五段は▲7七桂と跳ね、次に▲6五桂を見る。これで全面戦争は避けられず、大山十五世名人は△7五歩と迎え撃った。
中盤、▲5三桂成に文字通りノータイムで△7二飛と逃げた。大山十五世名人なら、たとえノータイムで指せても20秒くらい考えそうなものだが、相手が△7二飛を考えていないと見たのだろう。
森王位は多弁でないが、解説は簡にして要を得て分かりやすい。
なお森王位は、大山十五世名人、羽生九段ともタイトル戦を戦ったことがある、数少ない棋士である。
形勢はほぼ互角で進む。大山十五世名人は、駒台には歩を前方に、それ以外の駒を後方に置く。羽生五段の置き方は逆で、手前に歩が置かれていた。
羽生五段▲6三成桂の飛車取りに、森王位は△7六銀の突進を説いたが、大山十五世名人は穏やかに△7一飛。厳密にいえば疑問手かもしれないが、この落ち着きが大山十五世名人の持ち味ともいえる。
しかし羽生五段は▲7五歩と銀を取り、△同飛に▲7六歩△同飛▲7七歩と先手を取って好調である。
ここで大山十五世名人が△8九銀の王手。森王位と永井氏が「あっ!」と驚く。これを▲同玉は△7七角成▲同金△同飛成で先手受けづらい。
そこで羽生五段は▲6九玉と逃げたが、これが冷静な判断だった。
大山十五世名人は7七の歩をつまむと左手にほうりこむ。お得意のしぐさで、△7七角成。
▲同金△同飛成となって、先手も相当怖い。しかしそこで▲6五角(図)の王手が、詰めろ逃れの好手だった。

△7四歩を強要し△7七歩の筋をなくしたあと、▲6八金が当然ながら強い受けだ。
ここで△7八金が利けばいいが、先手の飛車の横利きが強く、わずかに寄らない。
谷川女流二段の秒読みが響く。山下カズ子女流五段は機械的だが、谷川女流二段のそれは癒し系だろうか。
大山十五世名人は△7五竜と引き揚げたが、羽生五段は▲7六銀と打つ。ここで大山十五世名人の投了となった。素人目には早いようだが、攻防ともに見込みがない。
テレビでは「金寄られるのうっかりしたね」という大山十五世名人の悔悟が聞き取れた。
森王位と永井氏が対局室に入ると、
「はじめ△3七歩打っとくんだったね、△7五歩打つところで」
と大山十五世名人。
盤面を初形に戻し、あらためて感想戦が始まる。私だったら18歳の少年に負けて将棋盤をひっくり返したくなるところだが、大山十五世名人は勝っても負けても態度が変わらない。
「森さんならこう行くんだろうけどねぇ」
感想戦は、大山十五世名人が森王位にやんわりと語りかける形で進行する。羽生五段は、勝負が済めば18歳の一青年で、神妙な面持ちである。そして私はといえば、名人の貴重な肉声が聴けて、感謝感激である。
大山十五世名人はカメラのほうを時折見る。たぶん、残り放送時間を確認していたのだろう。
大山十五世名人はかつてNHK杯で、灘蓮照八段相手に中盤で大優勢になったのに、放送時間の尺を考えてぐずぐずしていたら逆転負けした、という逸話がある。
大山十五世名人が真っ先に悔やんだ局面に到達した。
「…今の順は知ってたんだけども、こう打っておくと……」
△7五歩と打つ前に△3七歩▲同飛と飛車の横利きを消しておくべきで、この交換があれば、終盤の▲6八金寄りがなかった、ということらしい。
その後も感想戦は「大山ペース」で進み、放送時間の終了となった。32年の時を経て大山十五世名人が甦り、私は大いに満足した。

そして31日は、第38回の準決勝、谷川名人VS羽生五段戦である。これも将棋ファン垂涎の一局だ。
いよいよ佳境を迎え、もはや現在のNHK杯よりわくわくしている自分がいる。
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消えたブログネタ

2020-05-27 00:41:07 | プライベート
22日の記事で「将棋世界誌の目玉記事の少なさ」を書いたが、よく考えたら我がブログもそうで、こうも将棋イベントが軒並み潰れては、私もブログネタがない(別になくても構わないのだが)。
そこで、昨年あったイベントと、それを記事にした日数を調べてみた。〔〕内は開催日、()内は掲載日。

江の島将棋頂上決戦〔3月9日〕:8日間(3月12日~19日)
世田谷花みず木女流オープン戦〔4月29日〕:4日間(5月13日~16日)
シモキタ名人戦〔4月30日〕:3日間(5月19日~21日)
ゴールデンウイーク旅行〔5月2日~7日〕:15日間(7月21日~22日、24日~25日、29日~8月2日、4日~9日)
将棋ペンクラブ関東交流会〔5月26日〕:5日間(6月13日~17日)

合計35日。これだけのブログネタが消滅したわけだ。
江の島将頂上決戦は、竹俣紅さんやザブングル・加藤歩氏が参加するかどうか楽しみだったが、恐らく中止になったのだろう。
世田谷花みず木女流オープン戦は、対局場所の玉川高島屋自体が休館だった可能性が高い。
シモキタ名人戦は、毎年大物棋士を間近で見られただけに、中止はさびしかった。
ゴールデンウイークの旅行記を書けなくなったのは痛いが、旅費を消費しなかったぶん、助かったともいえる。それに現在の私は、とても旅行できる立場にない。
将棋ペンクラブ関東交流会は、昨年は就職叶ってそれを会員に報告したものだが、すぐに離職してしまい、会員に合わせる顔がなかった。
今年の中止は、どこかホッとしたところもある。
なお、昨年は3月下旬にあった「けやきカップ」は、観客席が少なかったため、途中で帰宅した。今年も顔を出すつもりでいたが、その前にコロナ禍でネット中継のみとなってしまったのは皮肉だ。
今年の名人戦は6月から始まる予定だが、今年は新橋解説会はあるのだろうか。昨年秋の竜王戦は解説会があったかどうか分からないのだが、新橋には行かなかった。
名人戦解説会がコロナ禍で休止になると、またブログネタがなくなることになる。
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