一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第72期王座戦第3局

2024-09-30 22:53:31 | 男性棋戦
第72期王座戦第3局である(主催:日本経済新聞社、日本将棋連盟)。ここまで藤井聡太王座の2勝。永瀬拓矢九段は前期以上に闘志を燃やしたはずだが、結果が伴っていない。ここが勝負事の難しさである。
対局場は藤井七冠が八冠を達成した京都市の同じ宿で、両者は否が応でも意識せざるを得ない。とはいえ永瀬九段のほうに、より大きな感慨があったと思われる。あの悪夢から1年、対局者として、またこの地に戻ってこられたからだ。ただし、カド番という状況は同じである。
第3局は永瀬九段の先手。永瀬九段の注文で、角換わりになった。こうなればまた、金をまっすぐ立ち、飛車を引く例の形に落ち着く。
しかしそこからが厄介で、両者千日手模様で待つ。角換わりはこれがあるから廃れたともいえるが、何の巡り合わせか、いまや日々の対局でこの戦型を見ない日はない(たぶん)。
けっきょく藤井王座は右玉を選択した。角落ちだか飛車落ちだかの上手ような形になった。2002年に金沢孝史四段(当時)が王座戦で清水市代女流王位(当時)と対戦したとき、清水女流王位が完璧な布陣を構築したので、金沢四段が仕掛けずして「投了を考えた」というのが、今回の藤井王座の形に近い。
藤井王座、左桂を跳ねた。これで局面がほぐれること確実だが、桂を手にすれば藤井王座のほうに手が多そうで、これは藤井王座のほうが、考えていて楽しいだろうなと思った。
だが、永瀬王座も頑強に受けて、形勢不明。そして9筋の端攻めに出た。私も大野八一雄七段との角落ち指導対局で、何度も端攻めをしたが、効果を上げたことはあまりない。
だが永瀬九段のそれは、うまく端を破っていた。私が桂などを投資したのに対し、永瀬九段は歩だけの攻略だった。やはりプロの端攻めは違うのである。
藤井王座は、馬をじりじりと敵玉に寄せる。永瀬九段としては、いつ爆発するか分からない時限爆弾があるようで不気味だろう。
しかし永瀬九段はうまく角を世に出し、優勢になった。自玉周辺に時限爆弾はあるものの、この寄せ形はシンプルで、永瀬九段も考えやすいだろう。
持ち時間も、珍しく藤井王座が先に1分将棋になった。ここからの受けが見ものだ。藤井王座は金を受けたが、やがて盤上から消えた。いっぽう永瀬九段は銀を取りつつ詰めろに迫り好調。これは永瀬九段が勝ったと思った。
だが藤井王座は裸玉で粘る。実は私も前日の社団戦で似た展開になったのだが、裸玉は取られる駒がないから、存外耐久性があるのだ。しかし敗勢には違いない。現在の形勢バーは「永瀬75:25藤井」である。
藤井九段、つにに、銀で王手をした。いままでAIが何度も推奨していた手である。大山康晴十五世名人も、受けの合間に攻めを挟んだが、このほうが対局者が困惑するようである。
実はここまで、バイトの帰りの車中でスマホを見ていた。両者1分将棋の大詰めなので、私はホームで続きを見ようと思ったくらいだ。
でもとりあえずはメシである。松屋に入るとすぐ注文がきてしまうので、てんやに入った。これなら注文が来るまで、スマホを見られる。
ところがてんやに入ってスマホを見ると、驚愕の画面になっていた。形勢バーが「永瀬1:99藤井」になっていた。なんでだ!?!?!?!?
永瀬九段、盤上に馬と銀、持駒に金があるのに、藤井玉が絶望的に詰まない。
その元凶は9筋の歩打ちだった。永瀬九段、銀の王手に、玉を横に逃げたのだ。私だったらナナメ上に逃げだしたいが、まあ横に逃げてもよかったことはよかった。ただし香の王手に歩を合いしたのが大悪手だった。このとき形勢バーがググーッと動いたと思われる。
解説の中村太地八段によると、香の王手には桂を跳ねるのがよかったようだ。だけど1分将棋で、そんなあぶない受けはできない。
ここがAI評価値の恐ろしいところで、正着を指し続ければ勝ちになるが、一手でも間違えば奈落の底なのだ。しかもその正着が見つけにくいときている。
永瀬九段、髪をかき上げ呆然としている。デジャヴだ。この光景、同じこの地で、1年前にも見た。その悪夢再び、か!
21時、永瀬九段投了。藤井王座、王座初の防衛なる!!
それにしても藤井王座、まさかこの将棋も勝つとは…!! 藤井王座は全局集を出すからアレだが、この将棋も大逆転の名局として、編まれるのではないだろうか。
藤井王座はこれで、タイトル数25期。谷川浩司十七世名人の27期に、あと2期である。信じられない。
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きょうは社団戦最終日!!

2024-09-29 08:40:11 | 社団戦
きょうは社団戦最終日。
我が将棋ペンクラブは、7部白で7勝5敗、16チーム中6位である。もう昇級の目はないが、ひとつでも上の順位を目指して頑張る。
私もきょうは参戦する。悔いのない将棋を指したいと思う。
では、行ってきます。
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羽生九段の54歳は?

2024-09-28 22:56:14 | 将棋雑記
きょう28日は、第4期白玲戦第4局が行われる予定だったが、西山朋佳白玲がコロナに罹り、延期となった。
最近はすっかりコロナが影を潜めているが、世界がコロナを無視しているだけで、蔓延は現在も続いている。
西山白玲は養生に務め、次局は元気に戻ってきてもらいたい。

   ◇

きのうは羽生善治九段54歳の誕生日だった。棋士の真価が問われるのは、50歳すぎにあると思う。大山康晴十五世名人の評価が高いのは、50歳以降の戦績が群を抜いていたからである。
羽生九段はどうか。50歳から51歳にかけての2021年度は14勝24敗だったが、2022年度は33勝18敗、2023年度は33勝23敗と盛り返した。
53歳時の戦績を正確に書くと、2023年9月27日から2024年9月26日までの1年間で、26勝21敗だった。
では、おもな棋士の54歳時の戦績を載せてみよう。

・大山康晴十五世名人 1977年3月13日~1978年3月12日
28勝29敗 順位戦A級、棋聖防衛(第30期)、棋聖失冠(第31期)

・加藤一二三九段 1994年1月1日~1994年12月31日
16勝16敗 竜王戦3組、順位戦A級

・米長邦永世棋聖 1997年6月10日~1998年6月9日
13勝17敗 竜王戦1組、順位戦A級

・中原誠十六世名人 2001年9月2日~2002年9月1日
9勝22敗 竜王戦1組、順位戦B級1組

・谷川浩司十七世名人 2016年4月6日~2017年4月5日
12勝18敗 竜王戦3組、順位戦B級1組

大山十五世名人は50代が強かったが、54歳の年は不調で、1977年度は27勝30敗で、年度初の負け越し。54歳単体でも28勝29敗で、1つの負け越しとなった。
タイトルは棋聖を持っていたが、第30期は森雞二八段に3勝1敗で勝ったものの、第31期は中原名人相手に2連勝3連敗で敗れ、虎の子のタイトルを明け渡した。
ほかはご覧の通りだが、中原十六世名人の成績が悪い。かつての五冠王が、ちょっと信じられない成績である。これが加齢の怖さなのだろう。
以上、上記5名で勝ち越しなし。羽生九段は勝ち越しできるか。
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「第69回 あっち亭こっち勉強会」に行く(後編)

2024-09-27 19:09:13 | 落語
「越すに越されぬ年の暮れ~」と東家小春の浪曲が響く。そこに沢村理緒の三味線がシャリン、と鳴る。
年に三十俵いただく小役人・穴山小左衛門。しかし年を越すカネがなくなり、旧知の松野陸奥守に三十両の無心をしようと考えた。
しかし自ら出向くのはバツが悪いので、小左衛門は、奉公人の権助に使いを出す。
ところが権助は行き先が分からなくなり、床屋のご隠居に聞く。するとご隠居は「松 陸奥守」とあった空白に「平」をあて、これは松平陸奥守、すなわち仙台の伊達公のことだ、と看破した。
手紙は伊達の屋敷に届いたが、応対に出た伊達公は、仲の悪い御家人の使いが訪ねてくるとはよほどのことと思いながらも、無心の額が三十両とは少なすぎる。十は千の間違いで、三千両であろう……と勘違いしてしまう。
千春の声には艶があって、聞き取りやすい。陸奥間違いは落語でもあるが、どこで曲を入れるかが聞かせどころなのだろう。千春の浪曲に理緒の合いの手と三味の音が呼応して、協奏曲を聴くようであった。
最後はきっちり決まったと思うのだが、千春は「まだ早い」というアクションである。だが幕はそのまま閉まってしまった。ともあれこれで仲入りである。
仲入り後は、仏家シャベル(湯川博士氏)の登場である。幕が開くと釈台が据えられ、シャベルが鎮座していた。演題は「心の杖」。
「えー私もセミ・アマですけど、やっと私もアマチュアに近づいてきたなという程度のものでございます」
シャベルは昨年の正月、ここで「心眼」をやった。それが好評だったので今年の正月も、盲人の噺をやった。これに盲人協会の関係者がいたく感激し、シャベルに、今年の夏もこのようなネタを演ることを所望したという。
ところがシャベルが調べると、盲人が主人公の噺はほとんどない。そこでシャベルは、かつて盲人棋士・西本馨七段に取材したことがあったので、それを下敷きに新作を作ったというわけだった。
ただしこれを落語とは呼べないが、そこはあっち亭こっち(長田衛氏)が「仏談(ぶつだん)」の新カテゴリーにしたのだった。仏家の談話だから、仏談。いい得て妙だと思う。
シャベルは、先ごろ終わったパリ・パラリンピックをマクラに、巧みに本題に入ってゆく。
西本七段は後天的失明だが、それによって、1959年に順位戦C級2組から降級した。当時は順位戦で降級すると、予備クラス(現在の三段リーグ)に編入できたので、西本四段(当時)も当然、復帰を狙った。だが、生活は苦しくなった。
当時は大阪在住だったが、夫人の勧めで京都府舞鶴に引っ越した。今回の噺は、シャベルがその西本七段宅にお邪魔して取材したことがベースになっている。
西本七段はその自宅で将棋道場を開き予備リーグを戦ったが、盲目のハンデはどうにもならない。対局していても相手の指し手が分からず、時間切れ負けになったことが何度もあったようだ。
シャベルはそれらのエピソードを、なるべく散文的にしゃべる。私は西本七段の動く姿をテレビで見たことがあるが、シャベルはその口調がそっくりである。ただ、地の言葉と西本七段の話言葉が、一部ごっちゃになってしまったのが惜しい。
「わしが関西で偉いと思ぅてるのは3人だけや。予備リーグで優勝して、東西決戦で勝った橋本三治、北村文男、星田啓三。この3人になろぅて、わしも優勝して上がろう、の気持ちがあったからやってこれたんや」
西本七段へのインタビューは、午後10時だと思ったら、午前1時を回っていた。これではさすがにお開きである。
西本七段は、ビールの空き瓶を流しに置きに行く。
「見ていると、西本先生、その辺にあるボタンをパチンパチン、とやって、私たちの飲んでいた部屋が暗くなった。どうしたんだろう、と腹の中で思っていたら、西本先生こっちを向いてにやりと笑って、『目開きは、不自由なもんやなあ』」
なるほど、心眼のような見事な下げであった。
そして最後は、こっちの登場である。MISATOさん以降の出来を講評していたが、やはり千春さんのラストは、もう一節あったらしい。それをこっちが一泊早く幕にしてしまったらしい。まあ手作りの寄席、こういう失敗はつきものだ。
さて最後は「ちりとてちん」。俳句の会を主催していたご隠居。しかし同好の士がすべて都合がつかなくなったため、料理が余ってしまった。そこで男は竹さんを呼んだ。竹さんは調子がよく、出された料理をことごとく持ち上げる。
この辺の、こっちの食事の仕草が実に見事だ。ああ、なんだか腹がすいてきた。
ご隠居は豆腐があったことを思い出したが、この陽気で腐ってしまった。
そこでご隠居はいたずら心を起こし、裏に住んでいる寅を呼んでくる。彼は知ったかぶりのイヤ味な奴で、ご隠居は彼に一泡吹かせてやろうと考えたのだ。
ご隠居は、この豆腐を台湾名物「ちりとてちん」と、寅に説明した。
寅はごちそうにさんざんケチをつけたあと、腐った豆腐「ちりとてちん」も口に入れる。
「お、どうだ、ちりとてちんはどんな味だ?」
「うぅん、豆腐の腐ったような味」
下げが見事に決まって、大団円である。
気分がクサクサしているとき、笑いの効能は絶大だ。笑っているだけで免疫ができる。
このあとは二次会が予定されている。ほかを見ると、音楽家の永田氏、画家の小川敦子さんがいた。しかしほかに将棋を知るメンツはなく、これで帰ることにした。
次回の勉強会は10月15日(火)。私は行けないが、興味のある方は、遊びに行ってください。
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「第69回 あっち亭こっち勉強会」に行く(前編)

2024-09-26 23:50:44 | 落語
8月上旬、湯川博士氏からハガキが来た。読むと、湯川氏が「お江戸両国亭」での寄席に出演することになり、そのお誘いだった。日にちは9月10日(火)、開場は12時30分である。
湯川氏はアマチュア落語家を引退したという話だったが、それを聞いて私は、「アマに引退も何もあるものか。辞めたくなったら辞めて、やりたくなったらやればいい」と思った。今回湯川氏はめでたく現役復帰?することになったわけだ。
演目は「心の杖」で、湯川氏のオリジナル。伝説の盲目棋士・西本馨七段を語るという。なるほどこれなら、稽古の必要もほとんどなさそうだ。
私の出欠も、1ヶ月前の9日までだったら、平日ならいくらでも融通が利く。これは参加する一手だと思った。
私はハガキを買い、参加・不参加に○を付ける返信ハガキのように印刷をし、参加に○を付けて投函した。私は昨年7月9日の、湯川夫妻の金婚式パーティーにも、このテイでハガキを出したかったのだが、忙しさにかまけて投函しなかった。結果、私は欠席扱いとなり、「将棋ペン倶楽部」への金婚式レポートも書けない事態になってしまった。とりあえず今回、第一関門はクリアである。

さて当日、ラフな格好で両国駅を降りた。お江戸両国亭へ行く前に、まずは腹ごしらえである。同じ国道沿いにある「天かめ」に入る。ここは値段とセルフサービスが立ち食いそば仕様だが、簡易テーブルとイスがあり、総合的にお値打ち価格である。
私は二倍もりを頼む(520円)。そばは香り高く、うまかった。そば湯もポットにあったが、だいぶぬるかったのがご愛嬌か。
さて、お江戸両国亭に入る。ここは以前、1回だけお邪魔したことがある。今回と同じあっち亭こっち(長田衛氏)主催の「あっち亭こっち勉強会」で、そのときは木村家べんご志(木村晋介氏)がゲスト出演した。
今回は回を重ねて69回目になる。アマチュアが月に1回勉強会を開き、早6年近くになるわけだが、小屋を借りるのだってけっこうなおカネがかかるから、道楽ではできない。毎回一定数のお客が入る、こっちの実力が分かるというものである。
入口を入るとこっち、湯川夫妻がおり、私はこっちに木戸銭1,000円を渡す。前回は500円を払った記憶があるが、500円玉は天かめで使ってしまった。
しかしこっちは千円札を受け取ったまま、何もしない。
「(木戸銭は)いくらですか?」
「1,000円です」
「ああ……」
あぶないところだった。あやうくお釣りを所望するところだった。でも私のいまの言葉なら、1,500円か2,000円と思った、の可能性もあるわけで、失礼にはあたらないだろう。
席は、前から2列目が空いていたので、座った。しかし将棋と違い、知り合いの顔がない。きょうは純粋に落語を愉しむしかないようだ。
13時になり、こっちの軽い説明が終わると、早速開演である。
トップバッターは、「ミス荒川放水路」のMISAKOさん。きょうも見目麗しく、召した浴衣が涼しげだ。ちなみに荒川放水路は、来月の12日で、通水100周年となる。
MISAKOさんの落語は「道灌(どうかん)」。ご隠居と八五郎の軽快なおしゃべりが面白い、前座にピッタリの噺だ。
MISAKOさんは、社会人落語家の大先輩・仏家シャベル(湯川氏)から、「MISAKOはセミ・アマチュアだな」と言われたという。
「セミ・プロっていう言葉はご存じでしょう? だけどセミ・アマチュアってなんだろうなあ、アマチュア以下ってことでしょうか?」
MISAKOさん、オリジナルのマクラで笑わせ、噺に入る。MISAKOさんはご隠居と八五郎のやり取りを、明瞭な口調で語る。声質、しゃべり方が仏家小丸(湯川恵子さん)とそっくりだ。落語は何を語っているのか分からければ話にならない。MISAKOさんはその基本をしっかり押さえており、猛稽古の跡がうかがわれた。
「お前も相当、歌道に暗いな」
「ああ、カドが暗いから、提灯を借りに来たのさ」
下げが綺麗に決まって、幕。お次はこっちである。こっちは仲入りを挟み、2席やる。これがいつものパターンである。
幕が開くと、こっちが座っていた。
「MISAKO、無事に終わってよかったですね。安心しましたよ」
会場から笑いが起こる。愛娘の初落語を見る、父親の心境だろうか。
ひととおりマクラが終わると、こっちはメガネを外し、噺に入った。最初の噺は「おしの釣り」。上野の池は、古くから殺生禁断の地だった。ところが七兵衛は、毎晩池に鯉を釣りに行き、それを売って生計を立てていた。
あるとき与太郎がその話を聞きつけ、「おらも連れてってくれ」とせがんだことから、事件が起こる。
こっちはややハスキーボイスながら、こちらも明瞭に語る。七兵衛はやや低音で、与太郎は高音で、巧みに演じ分ける。落語は多くの演者をひとりでやらねばならない。この演じ分けも大切である。
七兵衛は役人に見つかり、咄嗟におしを演じる。七兵衛はしゃべれないが、「ううーーーっ」だけで噺が進む。ここがこの噺のハイライトである。けっきょく役人も、七兵衛の演技にまんまと騙されてしまう。
「親孝行の徳に免じて、赦してつかわすぞ」
「んーーーー、ありがとうございます!」
「おおーーっ、器用なおしだ。口を利いた」
続いては浪曲である。演者は東家千春。2018年、浪曲師・東家三楽に入門。初期はナンセンスものが好きだったが、最近は情緒も入れるようになってきたという。
曲師は沢村理緒。こちらは2020年、浪曲曲師・沢村豊子に入門。現在も奮闘中とのことである。この2人のケミストリーが見ものだ。
幕が開き、千春がいう。
「本日の演目は『陸奥間違い』というもので、台本通り忠実にやれば、必ず笑いが取れるという演目でございます」
鉄板のマクラが出たところで、浪曲に入った。
(つづく)
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