一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

プロ野球クライマックスシリーズにモノ申す

2024-11-06 00:11:30 | プライベート
今年のプロ野球日本シリーズは、セ・リーグ3位からクライマックスシリーズ(CS)を勝ち上がった横浜DeNAが、パ・リーグ覇者のソフトバンクホークスに4勝2敗で勝ち、26年ぶりの日本一となった。26年ぶりといえば、横浜ベイスターズ時代の、1998年以来である。権藤博監督のもと「マシンガン打線」を標榜し、メチャクチャに打ちまくった年だ。
反対にソフトバンクは呆然としただろう。第2戦を終えて2勝。ここからホームに戻るから、十中八九日本シリーズも優勝と見ていたはずだ。
しかしそこからまさかの4連敗。2000年のVS巨人以来の、悪夢の星取りとなってしまった。
まさに横浜ファンには堪えられない展開となったわけだが、そもそも私はCS反対論者なので、今回の横浜の日本一はとうてい受け入れられなかった。
そもそも日本のプロ野球にCSが導入されたのは2004年。下位チームの消化試合を防ぐために、パ・リーグが導入した。
それが興行的に成功を収めたことから2007年にセ・リーグも追随した。
だが私は、ペナントレースで優勝したチームがそのリーグを代表して日本シリーズを戦うのが当たり前と思っていたから、この制度には相当に抵抗があった。
ちなみに2024年まで、リーグの優勝チームがCSで敗れたケーズは、パ・リーグが21回中5回、セ・リーグが18回中4回ある。野球界の興行のために、優勝しても日本シリーズに出られない悲劇が9回も起きたわけだ。
むかし野村克也が、まだCSがなかった時代だが、日本シリーズに敗れたチームに「敗者」のイメージが付くことを嘆き、「リーグ優勝をするということは、大変に価値のあるものなのだ」と述べていた。
今年の巨人はその日本シリーズすら出場できなかったわけで、同じく優勝の影が薄くなってしまった。
しかも、今年の横浜はペナントレースで71勝69敗3引き分けだった。貯金2で日本一はひどい。
実は将棋界にも、これと似たようなことがあった。第2期と第3期の順位戦は、A級1位~3位と、B級1位の4名がパラマス方式で戦い、名人挑戦者を決めていた。
第2期順位戦のA級1位は升田幸三八段。B級は大山康晴七段が1位だった。大山新八段はそのままパラマスを勝ち抜き、最上位で升田八段と三番勝負を行った。これが世にいう「高野山の決戦」である。
これに大山八段が2勝1敗で勝ち、塚田正夫名人に挑戦した。ルールとはいえ、面白くなかったのは升田八段であろう。当時の升田八段なら、塚田名人に勝つ可能性も十分あった。そしてもしそこで名人を獲っていたら、後の流れで永世名人になっていたかもしれないのだ。
この制度は第4期に解消され、以降はほぼ現行通りになった。が、プロ野球のCSは、異を唱える人はいないようだ。だけどこのシステムがある限り、私はバカバカしくて、プロ野球を見る気にはなれない。
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備忘録10月25日・いつも以上にくだらない話なので、読むには及びません

2024-10-25 13:49:10 | プライベート
7月8日の記事のつづきになるが、その内容は、我がスマホの調子が悪くなり、ソフトバンクのショップでSIMを交換してもらった、というものだった。その際に店員のお勧めのキャンペーンで、1年間限定でソフトバンクからY!mobileに乗り換えた。この間は、月15GBだったものが、データ使い放題になる。肝心の料金は、それまで月に約2,700円かかっていたが、約3,500円になる(ちなみに1年を過ぎると、この支払いが月約6,900円になるので、またソフトバンクに戻らなければならない)。支出は多くなるが、ソフトバンクから補助金2万円が出るので問題はない。しかも電話の通話実績があまりないことから、いままでの定額1,000円から、掛けた分だけの支払いに代えてもらった。
というのが概要で、これで大いに得をしたと思ったのだが、よくよく考えるとそうでもなかった。
まず、データ料の年間約9,600円の超過分は、2万円の補助金が出るから、むしろ儲けたと思っていた。
ところがよく考えてみると、上記掛け放題の1,000円がなくなったから、いままでのソフトバンクなら、支払いは月1,700円前後となった。だが今回のシステムの提示額約3,500円は、すでに掛け放題の1,000円分が抜かれていると思う。あの若い店員は、この額を提示したあとに掛け放題の解消を申し出たと思うのだが、ここでは突っ込まない。
結論としては、私の支払い額が1,700円から3,500円に上がったということだ。すると、年間の支出増が1,800円×12ヶ月の21,600円となり、2万円の補助金をもらっても足が出てしまうのだ。
むろんこの間、今回のウリである「データ見放題」があるのだが、私もそこまで動画は見ないので、そこまで恩恵は受けない。結局、得したようでそうでもなかったのである。
じゃあ今回の契約を止めればよかったことになるが、今回のキャンペーンは、SIMカードの交換が条件になっていたと思う。結局、このキャンペーンは受けざるを得なかったということだ。だからこの1年間は、せいぜい動画を見るしかない。

それよりも今回の仕様変更で、神経質になっているのが電話代だ。調べてもよく分からなかったのだが、我がスマホで電話を掛けると、「30秒22円」のようだ。だがこれ、月に長電話をすると、1,000円くらい軽く越えてしまう。
だからスマホで電話をするときは迅速に内容を話し、すぐに切り上げることにした。
否、家にいるときは固定電話で掛けるようにした。
ところがある時、スマホのソフトバンクアプリを見ると、固定電話を掛けたあとに、電話代があがっていた。我が固定電話はその料金もソフトバンクに払っている。もしやその関係で、固定電話の通話料も高くなっているのではないか。そう疑念を感じたら固定電話も使いにくくなった。
そこできょう25日は一日時間があり、午前中は外出する用事があり、会社に電話する要件があったので、公衆電話を使うことにした。
財布に10円玉が残っていたので、使う。話は1分以内で終えなければならないが、用件が済んだあとに、私が電話口の女性に「社員番号を申し上げましょうか?」と余計な一言ったのがマズかった。その瞬間に切れてしまったのだ。いやあ、1分は短い!
仕方ないから、私はテレカ(懐かしい名詞だ)を使う。幸い、「3度」が残っていた。これなら最初からテレカを使えばよかった!
今度は別の女性が出たので、改めて用件を言わなければならない。それも終わり、受話器を置く間際、残り度数を示す「2」が「1」に変わった。えっ、もう!? 落ちるのが早いよ! 40秒くらいしか経ってなかったんじゃないの?
……しかし、受話器を置く間際に数字が減る後味の悪さ、久しぶりに味わった。
結局、節約しようとして30円分も使ってしまった。
私は帰宅し、改めてNTT東日本の、固定電話→固定電話の料金を調べてみる。すると今年1月に料金改定があり、全国一律3分9.35円だった。
たしかソフトバンクはNTTの料金を肩代わりして払っていると、あの店員は言っていた。その言葉を改めて信じるならば、家から掛けていれば、たった10円で済んでいたのだ。
ただ、ふつうにスマホを使っていたら、1分余の通話があったから、66円かかっていたことになる。
いずれにしても、これからは固定電話をできるだけ利用することにする。
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未来は変えられる

2024-10-24 23:45:42 | プライベート
昨今は「闇バイト」が幅を利かせている。一般市民は、いつ自分が被害に遭いやしないかと、おちおち枕を高くして寝られない。
いつも不思議に思うのだが、なんで内容も分からない高額のバイトに、ほいほい応募してしまうのだろう。何をやるにしても、相手の情報を知ることが、行動の第一歩だと思うのだが。
バイトに応募して免許証の写しを渡したって、そこで留まることは可能だ。
黒幕が脅してきたって、無視してしまえばいい。なに、バラされて困ることは何もあるまい。
それでも人の家に泥棒に入ったとして、彼らはやることが荒っぽい。裏口からコソコソ入るのではなく、正面からガラスを割って入るのだからかなわない。
だけど、カネ欲しさに家主を傷付けたら、強盗致死傷罪である。基本的に、罪名に「強」が付いたら重罪になる。空き巣の類ならともかく、こんな重大事件なら警察も本気を出す。犯人はまず捕まると思って間違いない。
蛇足だが、誰にも見られていない、完全犯罪だ、と犯人が思ったとしたらそれは浅はかで、完全犯罪というのは、犯罪自体がなかったと錯覚させることをいう。全国的に知られた事件は、その時点で完全犯罪ではないのだ。
いや、それでも自分は捕まらないと高を括っている犯人もいるだろう。だが、いつ警察が捕まえに来るかと思うと、夜も眠れないのではないだろうか。本当に毎日、何かに追われている気分なのである。私は殺人犯になった夢を見たことがあるから、分かるのだ。夢から覚めて、本当に安堵したことを憶えている。とにかく、逃亡状態は健康によくないのだ。
仮に逮捕されれば、それからが大変である。事件の性格上、犯人に同情の余地はまったくなく、重い懲役が科せられる。上は死刑、無期懲役、軽くたって10年は軽く超えてしまうだろう。
仮に懲役20年になったとして、この服役がつらい。とにかく、あらゆることの自由が利かない。その中できついのが、異性との交遊がなくなってしまうことだ。ことに男が若いときは、頭の中の9割は女のことを考えているだろう。だけど服役したら、女性と触れあうことは一切できない。目にできるのは、テレビの中か、慰問くらいだ。いかがわしいビデオを見ることなどもってのほか。これは相当につらい。
まあ現在の私も似たようなものだが、私の場合、おカネを出せば、すべて何とかなる。これが服役者との大きな違いだ。
さらに、好きな食べ物が食べられない、どこにも旅行ができない、好きなファッションもできない。もう、何もできないのである。私は毎日似たような食事をし、旅行も思うようにできず、洋服も毎日変わらない。だけど、豪華な食事を摂ろうと思えばできるし、旅行も無理をすればできる。洋服も、何かを買おうと思えばできる。この差が大きいのだ。
私の友人は若い時から世界を飛び回っていたが、いちばんいい国は結局、日本だったという。食はもちろん世界一。景観にしても、世界の名所は、日本で代替のところが必ずあるという。仕事も、無理を言わなければ必ずあるし、平和ボケするくらい平和だ。日本に生まれたことは、それだけで相当運がいいと言わねばならない。
それをみすみす蹴って、犯罪に手を染めて、人生の数十年をあたら棒に振る。
これから闇バイトをしようとする輩よ。よーくその後をシミュレーションするべきである。過去は変えられないが、未来はいくらでも変えられるぞ。
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長嶋茂雄、現役引退50年

2024-10-14 23:32:35 | プライベート
きょう10月14日は何の日か。鉄道ファンなら「鉄道の日」、食通なら「焼きうどんの日」というだろう。
そして、コアな野球ファンなら、「長嶋茂雄が現役を引退した日」となる。
「長嶋茂雄」の説明は必要あるまい。国民栄誉賞も受賞した、日本のプロ野球界を代表するスーパースターである。きょうはその長嶋茂雄が1974年10月14日に引退試合を行ってから、50年になるのだ。
長嶋は佐倉一高から立教大学に進学し、六大学野球で活躍した。8ホームランの新記録(当時)をひっさげ、1957年、巨人に入団した。
デビューは1958年4月5日の開幕戦・国鉄スワローズ戦。だが、国鉄のエース・金田正一の前に4打席4三振。別の意味で、鮮烈なデビューとなった。
だがそれから長嶋は打ちまくった。1年を終え、29本塁打、92打点、打率.305。本塁打と打点の二冠王になり、打率も2位だった。今年の大谷翔平みたいなものである。惜しかったのは本塁打で、もし30本を達成していれば、打率、盗塁37とともに、「トリプルスリー」を達成していた。
だが長嶋は、実際は30本塁打を打っていた。9月26日の広島カープ戦で28号を打ったのだが、1塁ベースを踏み忘れ、幻となった。このチョンボも長嶋らしい。
長嶋の人気の秘密は、1959年6月25日、天覧試合でのサヨナラホーマーに代表されるように、ここぞという場面で、ヒットを打ってくれることたった。
そして、ファンへの徹底したショーマンシップがあった。
長嶋はヘルメットを一回り大きめにしていた。それだと空振りしたときヘルメットが飛び、観衆が湧くからである。
サードでの守備範囲も広く、ショートまで侵食するのは当たり前。ショート正面のゴロは横から飛び出し、軽く捌いた。
ピッチャー横も守備範囲で、ボテボテのゴロは「オレが捕る!」とばかり捌く。ファーストにスローイングした右手の薬指と小指がピクピク動き、その姿に観客は熱狂した。
その反対に、フライの捕球はあまり興味を示さなかった。フライは捕るだけで、見せ場がないからである。だから平凡なフライは、ショートの黒江透修に任せていた。
また、巨人が大差で勝っているときにゴロが飛んでくると、わざとトンネルをし、観客を楽しませた。
こうして長嶋は、王貞治とともに、昭和40年代の巨人常勝の立役者となった。
だがそんな長嶋にも、体力の限界がやってくる。1971年は打率.320で6度目の首位打者を獲ったが、72年は.266、73年は.269と、徐々に成績が落ちて行った。
そんな秋の日、長嶋は川上哲治監督に呼ばれた。
「長嶋、私は今年で監督を辞める。お前は今年で現役を辞め、来年は監督をやれ」
そう、川上はおもむろに切り出した。
だが長嶋は
「地位も名誉も要りません、あと1年、1年だけ現役をやらせてください」
と頼みこんだ。川上も了承し、こうして長嶋の1974年が始まった。
だが長嶋は調子がパッとしない。6月にはついに先発メンバーから外れ、ときには1番を打つことにもなった。調子が上向いてきたときも、使ってもらえないときがあった。長嶋と川上との関係が、なんとなくギクシャクしていた。
実は長嶋は、あと2~3年は現役を続けるつもりでいた。しかしもうダメである。夏頃には、今年限りでの引退を決めていた。
10月12日、ナゴヤ球場で中日ドラゴンズが優勝を決め、巨人のV10はなくなった。同日、長嶋が現役引退を表明した。
翌13日、中日とのダブルヘッダー最終戦が引退試合にあたったが、雨天中止で翌14日に順延となった。
ところがこの日は中日が名古屋市で、祝勝パレードを開くことになっていた。主力選手の高木守道は、このパレードを蹴ってでも長嶋の引退試合に臨みたかったが、球団にダメを出された。
余談だが、しぶしぶパレードに参加した高木は、ファンとの握手攻めに長時間遭い、両手が腫れてしまった。そのため、ロッテオリオンズとの日本シリーズでは実力を発揮できず、チームも2勝4敗で敗れた。
もし高木が長嶋の引退試合に出場していたら、日本シリーズも違った結果になっていたかもしれない。
さて、10月14日の引退試合である。長嶋は第1試合に3番・サードで出場し、4回に15号本塁打を放った。7回には王も本塁打を放ち、通算106回目のアベックホーマーとなった。
第1試合終了後、長嶋は観衆のコールに応えてダグアウトを飛び出し、外野を一周して、その声援に応えた。
第2試合は4番・サードで出場。最終打席はショートゴロのゲッツーに倒れた。プロ初打席は三振、最終打席はゲッツー。これも長嶋らしかった。
試合終了後は長嶋の引退セレモニーがあった。

昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、きょうまで17年間、巨人ならびに長嶋茂雄のために、絶大なるご支援をいただきまして、誠にありがとうございました。
皆様から頂戴いたしましたご支援、熱烈なる応援をいただきまして、きょうまで私なりの野球生活を続けてまいりました。いまここに、自らの体力の限界を知るに至り、引退を決意いたしました。
振り返りますれば、17年間にわたる現役生活、いろいろなことがございました。その試合をひとつひとつ思い起こしますときに、好調時は皆様の激しい大きな拍手を、この背番号3を、さらに闘志を掻き立ててくれました。
また不調なとき、皆様の温かいご声援の数々のひとつに、きょうまで支えられてきました。我が巨人軍はV10を目指し、監督以下、選手一丸となり死力を尽くして最後の最後までベストを尽くし闘いましたが、力ここに及ばず、10連覇の夢は敗れ去りました。


ここで野球界に永遠に残る、あの名フレーズが出る。

私はきょう引退をいたしますが、
我が巨人軍は永久に不滅です。


「永久」か「永遠」かはクイズで出されるところだが、正解は「永久」である。
テレビで紹介される映像ではここまでだが、実際はこの後も続く。

今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人が明日の勝利のために、今日まで皆様方からいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。長い間皆さん、本当にありがとうございました。

こうして長嶋の現役生活は終わったのだが、改めて問う。長嶋の引退試合は10月14日だったのか?
答えはYesであり、Noである。
実はこの年の秋、ニューヨーク・メッツとの日米野球が組まれた。全18試合の長丁場で現在では考えられないが、それに長嶋も何試合か出場していた。引退が確定した棋士が、竜王戦6組の昇級者決定戦を戦うようなものである。
最後の出場となったのは11月4日、後楽園球場での一戦である。第1打席で長嶋はヒットを打ち、この時点で打率4割越え。野球ファンは、長嶋は来年も現役をやるんじゃないか、と本気で願望したのだった。
最終打席はサードゴロだったと記憶する。
以上、これが本当の、長嶋の現役最終試合であった。
11月20日、メッツとの最終戦後に、川上は監督勇退を表明する。横には長嶋が列席した。シーズンオフにつきもののスーツでなくユニホーム姿なのは、このような理由であった。
そして1975年から長嶋の、波乱万丈の監督人生が始まるのだが、それはまた、別の話。
長嶋のニックネームは「ミスター」「ミスター・ジャイアンツ」「ミスタープロ野球」である。「ジャイアンツ」はともかく「プロ野球」とは、最高のニックネームではなかろうか。
そしてきょう10月14日が、「スポーツの日」として祝日だったのも、いかにも長嶋らしい記念日であった。
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すき家で80円クーポンを値引きしてくれなかった話

2024-10-12 00:58:14 | プライベート
牛丼の吉野家が、9日11時から15日20時まで、主要メニューを100円引き(税込)している。たとえば牛丼並の場合、税込498円が398円となる。なんでも、13年ぶりの企画らしい。
それに対抗したか、松屋とすき家も、それぞれ値引きしている。期間もほぼ同じで、それぞれ50円と80円の値引きだ。ただ両店とも、アプリのクーポン券を提示するか、券売機に読み込ませなければならない。
ちなみに松屋の牛丼は430円が380円に、すき家のそれが430円から350円になる計算だ。
吉野家が客全員にサービスを実施するのに対し、松屋とすき家は客を選ぶ。すなわち、ネット弱者は恩恵を受けられない。
それはともかく、最近は晩ご飯を外食している私には、願ってもない企画だった。
9日、会社の帰りに御徒町で途中下車し、吉野家に入った。むろん、最寄り駅に吉野家がなかったからである(むかしはあった)。
牛丼の並を頼む。出てきた丼の横に伝票が置いてあり、その値段が「498円」だったのでビビったが、会計のときは、アジア系の店員が、ちゃんと398円にしてくれた。
ふだん私は、行かなくてもいい耳鼻科に20年近くも通い、医療費を散財しているのに、こういう100円の得は、妙に大きく感じるのである。
そして11日、今度はすき家に行った。ここも、最寄り駅にすき家はないので、ひとつ前の駅で途中下車した。
ここはタブレット形式で、同じく並を頼んだ。丼が運ばれ、私はタブレットを見ながら食事をしたが、「80円クーポン」の画像が全然出てこない。
それでも食事を終え、私はスマホアプリの80円クーポンを開き、レジに向かった。ここでは日本人の店員が応対してくれた。
「ポイントカードはありますか?」
私はTカード(本当はVカードのほうがよい)を提示し、それをリーダーに読み込ませた。
その後、430円を支払う前に、80円クーポンの画像を提示した。すると店員が、バーコードリーダーみたいなものをかざす。だが、リーダーは反応しない。
「これは使えませんね」
「はあ」
すると店員は、その場を去ってしまった。あとの会計は、私が機械でやりとりをするだけだからだ。
私は店を出て、当然釈然としなかった。こっちは80円引きがあるからわざわざこの店に来たのに、なんだよこれ!!
そこで、クーポン券が反応しなかった理由を考えてみた。
これ、最初にTカードを読んだのがマズかったのではないか。このポイントがいくら付くか知らないが、このTカードは「430円分」の食事に対して付くものだった。だから、そこから80円引いて350円の会計となると、機械の方も、「それは話が違うだろう。350円の会計なら、そのときにTカードを読ませてくれ」となるのではないか。
だから店員は、この値引き期間に限り、最初に「クーポン券はお持ちですか?」と訊かねばならなかった、のではないか。
だけど、である。こういう値引き企画をやるんだったら、店員にもマニュアルというか、諸注意が与えられているもんじゃないか?ふつう。
それと店員も、リーダーが反応しなかったら、もっと疑いの目を向けろよ。なんでその場を離れちゃうんだよ。
少なくとも私のやり方は間違っていなかったと思うし、仮に私がクーポン券を出さなければ、ふつうに430円で会計されていた。これって、本社が本当に値引きする気があったのかさえ、疑わしい。吉野家に対抗するポーズを取っただけじゃないの?
ともかく、これでここのすき家も、当分行かないことが決定した。何しろ私は、日高屋でお冷やが出なかったから、その店に行かなくなったという実績がある(実際あの日以来、どこの日高屋も利用していない)。タダの水でそうなのだから、80円の怨みはでかいのである。
とりあえず12日は、松屋へ行ってみる。
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