いけねえ……。今年は「将棋文化検定」に申し込むつもりだったのに、29日で締め切っていた。
先日の渡部愛女流王位のパーティーに続いて、またもうっかりである。
時間はあるのに、私は何をやっていたのか。私は本当にアホだと思う。
◇
先崎学九段の新刊「うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした1年間」(文藝春秋刊・1,250円+税)を読んだ。といっても私は貧乏なので、図書館から借りて読んだ。
この本を読む前の予備知識としては、先崎九段は2017年9月1日から2018年3月31日まで休場。その理由は「一身上の都合」だった。
当時ネットではこの休場理由の憶測がいろいろ飛んだが、私は心の病気と信じて疑わなかった。肉体的な病気で休み、しかも約半年後にそれが明けるなら、病状を公開しても差し支えはないはず。それができないから心の病気だとフンだのだ。
それに、思い当たるフシもあった。私は2017年4月30日に、下北沢の「シモキタ名人戦」に行き、そこで先崎九段のトークショーを拝聴した。当時先崎九段は、監修をしていた「3月のライオン」が映画化になり、スタッフのひとりとして多忙を極めていた。それで、これ以外の仕事(対局は除く)はまったくやってない、という意味のことを語っていた。
しかし、である。いくら忙しいと言ったって、映画1本の話だろう。しかも先崎九段は監督やプロデューサーではない。ほかの仕事をセーブするほど忙しくはあるまいに、と私は訝った。ということはつまり、このころから先崎九段は、精神に異常をきたしていたのではないか。
とすれば、その理由は何か。私は、羽生善治竜王や、森内俊之九段、佐藤康光九段に対する劣等感が高じたのではと考えた。
奨励会時代から「天才先崎」と謳われたのに、棋歴では大きく差を付けられてしまった。その劣等感が日に日に募り、それがついに爆発した――。
そんなことが本書には書かれてあると思った。
とその前に、読者にこういう疑問はないだろうか。
うつになった人が、発症から寛解まで、その過程を克明に記すことができるのか、と――。
結論から言えば、これはできると思う。ただほとんどの患者は、それを言語化する能力と、気力がない。よしんばあったとしても、それを書籍化するツテがない。先崎九段は、幸いこの両方を持っていた。かくして「うつ病九段」が上梓されたのである。
しかし読み始めると、先崎九段のうつ病の発症は、2017年6月23日だった。これは意外で、春ごろからその萌芽はあったと思っていた。
まあ確かに映画「3月のライオン」の多忙がこの病気の一因でもあったのだが、羽生竜王への劣等感、という私の推測は大外れ。私は大きな考え違いをしていたのだ。
さらに読み進めると、なかなかになかなかである。病気に罹った者の心理状態が生々しく綴られる。
あまり内容を書くとネタバレになるのでアレだが、うつ病は「何でも悪い方に悪い方に考える」のだという。まるで私みたいだが、先崎九段は将棋の才能も文才もあるし、まあタイトル戦には絡めなかったものの、A級と九段に昇り、棋戦優勝も果たした。奥様と子供さんもいて、棋士生活だって今後全敗しても、65歳までは現役を保証されるのだ。齢50を過ぎて独身無職、ゆくゆくは孤独死が待っている私に比べたらはるかに天国で、どうしてうつになる要素があろうか、と訝るところはあった。
だがしかし、誰にだって人生の悩みはあるものだし、凡人とは別の次元で脳がショートし、うつ病を発症することはある。うつは身近な病気なのだ。
先崎九段は7手詰の詰将棋も解けなくなるほど、手が読めなくなる。何かをする、という行為がまったくできなくなる。
本書ではこれらを縦軸に、藤井フィーバーが横軸に描かれる。そして雁木の爆発的流行があり、この間カヤの外に置かれる先崎九段の焦燥感が痛ましい。
もうひとつ、唸らされることがある。本書にはまったく触れられていないが、この年の夏、先崎九段は、「第29回将棋ペンクラブ大賞」の観戦記部門優秀賞を受賞していた。つまり2017年秋に発行された機関誌には、先崎九段の「受賞のことば」が掲載されていたのである。
ペンクラブから受賞の知らせが行ったのは7月中旬。そのころ先崎九段はうつ病を発症し、地獄の入口で苦しんでいた。それであの文章を書けるとは、私は唸らざるを得ない。
読者の中に将棋ペンクラブの会員がいたら、あの受賞のことばを読み直してみるといい。別の感慨が湧きおこるはずである。
本書の後半では、プロとの練習将棋に、瑕疵なく勝てるようになる。このあたりの復元力が凄まじい。これ、一般人だったら、大駒1枚弱くなって、そのままではないだろうか。
というわけで本書を読了して、私は放心してしまった。私は1985年に公開された千秋実主演の映画「花いちもんめ。」を、なぜか思い出した。
第31回将棋ペンクラブ大賞は、現行とは選考方法を変える可能性があるらしいが、現状では文芸部門大賞の最有力候補だろう。うつ病患者がこれほど生々しく病状を吐露した例はほかになく、貴重な資料にもなる。他の分野でも賞を総ナメしそうである。
そして私は最後に、大胆な予想をしてしまう。
「本書は、映画化される」
これは間違いないと思う。
でも公開間際に、先崎九段がキャンペーンに忙殺され、病がぶり返しては元も子もない。
活動の際は、今度こそマネージャーを付けてもらいたい。
先日の渡部愛女流王位のパーティーに続いて、またもうっかりである。
時間はあるのに、私は何をやっていたのか。私は本当にアホだと思う。
◇
先崎学九段の新刊「うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした1年間」(文藝春秋刊・1,250円+税)を読んだ。といっても私は貧乏なので、図書館から借りて読んだ。
この本を読む前の予備知識としては、先崎九段は2017年9月1日から2018年3月31日まで休場。その理由は「一身上の都合」だった。
当時ネットではこの休場理由の憶測がいろいろ飛んだが、私は心の病気と信じて疑わなかった。肉体的な病気で休み、しかも約半年後にそれが明けるなら、病状を公開しても差し支えはないはず。それができないから心の病気だとフンだのだ。
それに、思い当たるフシもあった。私は2017年4月30日に、下北沢の「シモキタ名人戦」に行き、そこで先崎九段のトークショーを拝聴した。当時先崎九段は、監修をしていた「3月のライオン」が映画化になり、スタッフのひとりとして多忙を極めていた。それで、これ以外の仕事(対局は除く)はまったくやってない、という意味のことを語っていた。
しかし、である。いくら忙しいと言ったって、映画1本の話だろう。しかも先崎九段は監督やプロデューサーではない。ほかの仕事をセーブするほど忙しくはあるまいに、と私は訝った。ということはつまり、このころから先崎九段は、精神に異常をきたしていたのではないか。
とすれば、その理由は何か。私は、羽生善治竜王や、森内俊之九段、佐藤康光九段に対する劣等感が高じたのではと考えた。
奨励会時代から「天才先崎」と謳われたのに、棋歴では大きく差を付けられてしまった。その劣等感が日に日に募り、それがついに爆発した――。
そんなことが本書には書かれてあると思った。
とその前に、読者にこういう疑問はないだろうか。
うつになった人が、発症から寛解まで、その過程を克明に記すことができるのか、と――。
結論から言えば、これはできると思う。ただほとんどの患者は、それを言語化する能力と、気力がない。よしんばあったとしても、それを書籍化するツテがない。先崎九段は、幸いこの両方を持っていた。かくして「うつ病九段」が上梓されたのである。
しかし読み始めると、先崎九段のうつ病の発症は、2017年6月23日だった。これは意外で、春ごろからその萌芽はあったと思っていた。
まあ確かに映画「3月のライオン」の多忙がこの病気の一因でもあったのだが、羽生竜王への劣等感、という私の推測は大外れ。私は大きな考え違いをしていたのだ。
さらに読み進めると、なかなかになかなかである。病気に罹った者の心理状態が生々しく綴られる。
あまり内容を書くとネタバレになるのでアレだが、うつ病は「何でも悪い方に悪い方に考える」のだという。まるで私みたいだが、先崎九段は将棋の才能も文才もあるし、まあタイトル戦には絡めなかったものの、A級と九段に昇り、棋戦優勝も果たした。奥様と子供さんもいて、棋士生活だって今後全敗しても、65歳までは現役を保証されるのだ。齢50を過ぎて独身無職、ゆくゆくは孤独死が待っている私に比べたらはるかに天国で、どうしてうつになる要素があろうか、と訝るところはあった。
だがしかし、誰にだって人生の悩みはあるものだし、凡人とは別の次元で脳がショートし、うつ病を発症することはある。うつは身近な病気なのだ。
先崎九段は7手詰の詰将棋も解けなくなるほど、手が読めなくなる。何かをする、という行為がまったくできなくなる。
本書ではこれらを縦軸に、藤井フィーバーが横軸に描かれる。そして雁木の爆発的流行があり、この間カヤの外に置かれる先崎九段の焦燥感が痛ましい。
もうひとつ、唸らされることがある。本書にはまったく触れられていないが、この年の夏、先崎九段は、「第29回将棋ペンクラブ大賞」の観戦記部門優秀賞を受賞していた。つまり2017年秋に発行された機関誌には、先崎九段の「受賞のことば」が掲載されていたのである。
ペンクラブから受賞の知らせが行ったのは7月中旬。そのころ先崎九段はうつ病を発症し、地獄の入口で苦しんでいた。それであの文章を書けるとは、私は唸らざるを得ない。
読者の中に将棋ペンクラブの会員がいたら、あの受賞のことばを読み直してみるといい。別の感慨が湧きおこるはずである。
本書の後半では、プロとの練習将棋に、瑕疵なく勝てるようになる。このあたりの復元力が凄まじい。これ、一般人だったら、大駒1枚弱くなって、そのままではないだろうか。
というわけで本書を読了して、私は放心してしまった。私は1985年に公開された千秋実主演の映画「花いちもんめ。」を、なぜか思い出した。
第31回将棋ペンクラブ大賞は、現行とは選考方法を変える可能性があるらしいが、現状では文芸部門大賞の最有力候補だろう。うつ病患者がこれほど生々しく病状を吐露した例はほかになく、貴重な資料にもなる。他の分野でも賞を総ナメしそうである。
そして私は最後に、大胆な予想をしてしまう。
「本書は、映画化される」
これは間違いないと思う。
でも公開間際に、先崎九段がキャンペーンに忙殺され、病がぶり返しては元も子もない。
活動の際は、今度こそマネージャーを付けてもらいたい。