一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA「日めくり詰め将棋カレンダー2010」に、応募作が採用された

2009-08-31 00:17:28 | 将棋雑記
29日、外出先から帰宅すると、LPSAから大判の封筒が届いていた。
LPSAファンクラブ・ミネルヴァの更新カードや、9月のイベントのパンフレットは金曜サロンで戴いていたので、このほかに何があるのだろうと訝ったが、あっ、ひょっとして…と封を切ると、「日めくり詰め将棋カレンダー・採用のお知らせ」だった。28日のLPSAサイト「ひとこと日記」で、藤田麻衣子女流1級が「本日、発送作業を終えました」と記していたのが頭にあったからだ。
私は詰将棋を創るのが苦手で、昨年は島井咲緒里女流初段との指導対局で現れた局面をそのまま投稿したら、幸運にも採用された。
今年は、LPSA金曜サロンでのリーグ戦で現れた変化手順(9手詰)を基に作ったもの、高校時代に唯一創った詰将棋(7手詰)、よくある手順の詰将棋(7手詰)、の3つを用意した。
ところが来年の詰将棋は最長が7手詰ということで、最初の詰将棋は却下。高校時代に創った詰将棋は7手だが、手順にインパクトがなく、当時先輩に出題したら一目で詰まされてしまった。しかも、その手順こそ憶えているが、いまは駒の配置の記憶すらあやふやだ。「よくある手順の詰将棋」は、作意が同じ詰将棋が今年の日めくりカレンダーに掲載されて、これも見送らざるを得なくなった。
困った。迷ったすえ私は、リーグ戦で現れた変化手順のものを投稿することにした。これは初めの2手が必然なので、却って7手のほうが、手順が引き締まる。しかしこれも「詰め将棋」というより「詰む将棋」という感じは否めない。またこの収束手順が偶然とはいえ、今年の日めくりカレンダーで松尾香織女流初段が出題された詰将棋と同じだった。
私はますます困窮したが、まあ、採用されなければそれも良しと割り切って、その詰将棋を投稿(FAX)した。
その結果、今年も運よく採用となったわけだが、私がミネルヴァ会員、駒込サロンの会員、日めくりカレンダー担当である藤田女流1級と知り合いとくれば、採用の確率も高くなるというもので、複雑な気分である。
同封の書類を見ると、「応募作採用のお知らせ」の紙には、〈採用作品〉として、図面が掲げられてあった。複数の作品を応募した方には、どれが採用されたか分かるので有難いが、これ、作成するスタッフは大変である。なにしろ、365題の図面を個別に作らなければならないのだから。
その作業だけでも膨大な時間が割かれているわけで、めんどうでも、より正確な情報を作者に報せるという方針に、私は大いに感心した。
今年は賞品として、オリジナル図面メモ帳が同封されていた。LPSAの経営状態は与り知らぬが、けっして順風ではないと思う。昨年の賞品はオリジナル手ぬぐいだったと記憶するが、そのとき私は女流棋士のひとりに、「(経費がかかるので)賞品は贈らなくてもいいんじゃないですか」と進言したことがある。まあカレンダーを販売する以上、何の礼もなし、というわけにはいかないだろうが。
ともあれ日めくりカレンダーは、LPSAと藤田女流1級が生んだヒット商品である。来年の日めくりカレンダーが、今年以上の販売数になることを祈っている。
最後に蛇足だが、今回私は掲載希望日を指定しなかった。その場合LPSAでは、駒込サロンの会員で、たとえば金曜サロンのレギュラーなら、金曜日に載せるよう配慮しているという。
来年は何日に掲載されるのだろう。いまから楽しみである。
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8月28日のLPSA金曜サロン

2009-08-30 00:29:51 | LPSA金曜サロン
28日、LPSA金曜サロンに行く。
この日の指導対局担当は、昼が中倉宏美女流二段、夕方が中井広恵女流六段だった。
午後2時25分ごろに入室すると、ずいぶん会員がいる。金曜サロンは原則的に女流棋士との指導対局がメインなので、会員同士が対局する将棋盤は4面しか用意されていない。しかしこの日は、そこが全部埋まっている。観戦している人も何人かいた。
いつぞやのマンデーレッスンで、中倉女流二段がゲスト講師になったときも満員御礼だったが、今回もそうだ。この日の棋客が全員中倉女流二段目当てとは思わないが、NHK杯将棋トーナメントでの知名度の高さもあいまって、絶大な人気である。
中倉女流二段の服装はしっとりした感じ。船戸陽子女流二段の艶やかな衣装もいいが、中倉女流二段も魅せる。
この日も新規の方がいらして、入会の手続きをしていた。宮田利男七段の将棋教室に通われているそうで、私が2回ぶんの席料を払っていると、「ブログを読んでます」と挨拶される。私のブログの読者の絶対数は少ないが、最近はこう言われるケースが多い。R氏のブログで私のメンが割れているということもあるが、ネットの影響力をあらためて感じる。
中倉女流二段を観賞していたいが、植山悦行手合い係氏は、会員同士の対局をどんどんつけてゆく。こちらも将棋を指しにきているので、喜んで指す。しかしスペースがないので、中井女流六段の指導対局用の将棋盤を使うことになった。
セミレギュラーのO氏も見え、「おっ、きょうは指導対局ですか」と茶化す。
夕方からは中井女流六段の登場である。中井女流六段は先日、北海道稚内市の観光大使に任命された。私は沖縄も好きだが、北海道も好きだ。いつの年だったか、2月に北海道の雪まつりを観て、3月に宮古島の海に入ったことがある。日本は広いのだ。もちろん宗谷岬も、何度も訪れている。機会があったら、再訪したいと思う。
また新しい方が見える。と、その方が「私が『LPSAファン』です」と言う。このブログに時々コメントを寄せてくれる方だ。いつもはブログ上でのお付き合いだけだが、こうした顔合わせは、プチオフ会のようで嬉しい。LPSAファン氏は前々から駒込サロンに足を運ぶつもりだったようだが、もし一般の将棋ファンがR氏や私のブログを読んで、LPSA駒込サロンへ関心を持ってくれたら、私もこのブログを開設した甲斐があるというものだ。
中井女流六段に指導対局を受ける。それが終わると、LPSAファン氏と束の間の「ゆんたく」となった。LPSAファン氏も、先日ご家族で石垣島を旅行してきたのだ。ご本人は離島めぐりを望んでいたようだが、その意見は却下されたそうだ。ここが家族旅行の難点である。結局は石垣島のみでのんびり過ごしたとのこと。もちろんそれも立派な1手である。
植山手合い係氏が、「沖縄ですか?」と話の輪に入ってくる。今回は私との話し相手が船戸女流二段ではないので、拒絶はしない。
再び会員との将棋に戻ると、中倉女流二段があがるところだった。挨拶をすると、「ブログ、いつも読んでます」。
この一言が嬉しい。私のファンランキングが、山口恵梨子ちゃんと同率2位になった。
それにしても今日はお客様が多い。ドイツからの将棋ファンも久しぶりに訪れ、この日は最終的に、25人ぐらいの棋客になったのではないか。
それまでの記録は、島井咲緒里女流初段が夕方の担当だったときの、17人が最高である。「伝説の17人斬り」は今でも語り草になっているが、今回中井女流六段は、何人の会員と指導対局をこなしたのだろう。
放課後、中井女流六段と軽くお話をする。女流将棋界の重鎮である、LPSAの代表理事と話をさせていただける栄誉を感じる瞬間だ。
ところがその中井女流六段は、例のファンランキングで「圏外」になったことがご不満だったようだ。
「いや違うんですよ中井先生。先生は私から見れば永遠のアイドル、偶像なんです。だから中井先生は別格なんです。いわば『王将』ですから。王将にランクはつけられないでしょ?」
と弁解して、ゴマかしておく。
ともあれこの日も楽しいサロンだった。現在私は仕事が少なくて、昼間から遊べる心境でもないのだが、このサロンが日頃の憂さを忘れさせてくれている。ありがたいことだと、LPSAの皆さまには感謝している。
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悪夢の社団戦(後編)

2009-08-29 02:25:12 | 社団戦
義務教育を受けている男子中学生が社会人とは思えぬが、将棋は大人と子どもが対等の条件で戦える、優秀な競技である。出場資格に制限はないのだ。とはいえ、彼の横の副将は小学生に見える。こちらの副将はM氏だったが、まるで祖父と孫のような戦いで、M氏は私以上に指しづらかったのではないか。
将棋は前局に続いて、私の先手番となった。
☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖5四歩。
後手はゴキゲン中飛車をにおわせる。ここで☗2五歩☖5二飛☗5八金なら☖5五歩とくると思った。それなら☗2四歩~☖5六歩と大決戦になる公算が高い。私もこの急戦は嫌いではないが、どうしても☗2五歩と突けなかった。相手のほうがこの定跡を熟知していると感じたからだ。
私は☗4八銀と自重する。しかし中学生を相手に、この気合負けは免れなかった。厳密には、ここで勝敗は決していたのかもしれない。
以下後手は角を換わり、飛車を2二に廻る。いかにもゴキゲン中飛車を指し慣れている感じだ。
相手は1手指すごとにそっぽを向いている。局面を考えるのは自分の手番だけで十分、という態度だ。ちょっとカチンとくるが、私も中学生のときはこんな感じだったのだろうか。
将棋は持久戦になった。ここで、唯一の勝負所だった局面を示してみよう。

先手 私:1六歩、1九香、2八飛、3六歩、3七桂、4六銀、5六歩、5八金、6六歩、6七銀、7六歩、7七桂、7八金、8七歩、8八玉、9六歩、9九香 持駒:角、歩
後手氏:1一香、1四歩、2二飛、2四歩、3三桂、3四歩、4四銀、5四歩、6二金、6三銀、6四歩、7二金、7三桂、7四歩、8二玉、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角、歩2

局面は☗2四歩と突き捨てたところだったか。ここで☗2三歩は☖4二飛☗2四飛☖3五銀☗同歩☖4六飛と捌かれて悪い、と読んでいながら、そう指してしまった。まったくどうかしている。
もうこれで劣勢なのだが、以下の進行を記せば、☗4七歩☖3六飛☗4八銀(泣きたい1手)☖6五歩(まったく読みになかった)☗2二歩成☖6六歩☗同銀☖4四角…となり、角の利きを最大限に活かされ、こちらのひどい見落としもあり(もっともここでは敗勢だった)、サンドバッグ状態での無残な敗戦となった。
感想戦では、真っ先に「☗2四歩の突き捨てが悪手でしょう」と言われた。☗2三歩に、幸便に☖4二飛と廻られたからだが、敗着はもっと先だと思っていただけに、この指摘は意外だった。ただ、ひとつ分かったことは、彼の棋力が私より上だ、ということだ。
いつの間にか見知らぬオジサンが感想戦に加わり、さらに局面を検討する。☖6五歩が意外と厳しかったので、それなら先手から突くのはどうか、となった。
すなわち☗4三角☖5二角☗同角成☖同金を利かし、☗6五歩と突くのである。以下☖6五同歩☗6四歩☖同銀☗3一角は先手優勢。
これは後手にも☖6六歩☗同銀☖3九角の筋が生じるが、これは飛車を見捨てて☗6七金右が好手で、後手は☖2八角成と飛車を取っても、馬の働きが今ひとつとなる。
オジサンはなぜか私側を持って検討してくれていたが、やはり同年代に肩入れしたくなったのだろうか。この方の棋力も、相当あると見た。
4局目の扇子は中井広恵女流六段の非売品直筆扇子を用意したが、かようなわけで、またも開かれることはなかった。もっとも感想戦ではこちらもアツくなって、つい扇いでしまったが。
M氏も必勝の将棋を負け、チームも1勝6敗の完敗となった。全4局が終わってみれば、個人、チーム成績とも1勝3敗だった。戦前は、個人もチームも4勝0敗と信じていただけに、この結果はかなり堪えた。
大会が滞りなく終了すると、今度は撤去である。また私は学生時代を思い出す。
テキパキと動いて、会場が朝来たときと同じガラーンとした状態になり、私たちも引き揚げる。
この後は、チームのメンバーらとちょっと豪勢な打ち上げとなった。惨敗だった私はグゥの音も出ない。ちなみに、LPSAファンクラブ会員の宣伝本部長・R氏は2勝1敗。負けた1局も、強豪のKK氏相手に善戦しており、チームの成績が全体的に悪かった中で、R氏は今回のMVPだった。さぞや美味い酒だったろう。
打ちひしがれている私に知り合いの女性が、私のブログの意見を述べる。
「私は一公さんが月見栞のことを書いてもいいと思うの。だけど女流棋士をおばさん呼ばわりしたことがあったでしょ。あれは許せない。
男はさァ、歳を取っても味が出るとか別のいい方があるけど、女性にはそれがないでしょ。ああいう言葉は安易に使わないでほしい」
彼女は私をまっすぐに見ると、そう言いきった。
「おばちゃん」云々は、ジョークのつもりで書いたのだが、同性の立場から見ると、笑って看過できない書き込みだったらしい。これはまったく正当な主張であり、私は返す言葉がなかった。
彼女は私を冷めた目で見つめ、口もとの端を上げて、「この人どうしようもないわね」と言わんばかりに、薄く笑みを浮かべていた。いつもは温和で優しい女性なのだが、このときは、その表情が怖かった。
というわけで、大山康晴15世名人の命日だった7月26日は、本当にいろいろあった。しかしいい経験にもなった。私はLPSAの女流棋士に、公式戦の前に「頑張ってください」と激励したことが何度もあった。しかしそれが彼女らにとって、いかにたいへんなプレッシャーとなっていたか、私はまったく分からないでいた。
むろんプロとして活動している以上、ファンからの声を無碍にはできない。しかしこちらも、軽い気持ちで口にしていたところもあったのだ。これからは、激励の伝達方法にも、一計を案じる必要もあると痛感した。
さて、明日30日は社団戦の3日目が行われる。私は幸いなことに、いや残念なことに、地元の夏祭りがあって参加できない。しかし社団戦には魔物が棲んでいる。参戦されるLPSAチームの皆さまは、かかるプレッシャーを撥ねのけて、悔いのない将棋を指してください。
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悪夢の社団戦(中編)

2009-08-28 00:13:19 | 社団戦
会場に戻って、LPSAブースを覗く。この日もLPSAの女流棋士が大勢繰り出し、接客をしていた。
藤森奈津子女流三段、船戸陽子女流二段、松尾香織女流初段、大庭美夏女流1級、大庭美樹女流初段、藤田麻衣子女流1級…。現役組は、前日の第3期マイナビ女子オープン予選一斉対局でことごとく敗退しており、会場へ足を運ぶのも苦痛だった女流棋士もいたと思う。
しかしブースを出展し、ファンと交流を図るのも重要な任務である。ブースのレギュラーメンバーが敗戦のショックで休むようだったら、私はその女流棋士のファンを辞めるつもりでいたが、当然のごとく全員が顔を出し、私は彼女たちをあらためて見直した。なお後半には、植山悦行七段、中井広恵女流六段も見えた。
第2局開始。私はまたも後手番となった。先手が早めに☗2五歩を決めてきたので、私は向かい飛車に振る。だがこちらの右銀が7二→6三→5四→4五と、だんだん玉から離れていき、苦戦を自覚した。
しかしそこから先手の緩手に乗じて何とか盛り返し、勝勢になったので、私はここで初めて扇子を開く。中倉彰子女流初段の「夢」と揮毫されたカラー扇子である。1局目は中倉宏美女流二段の扇子を用意したが、開く機会はなかった。
ところが「勝利宣言」をしてからも、私が慎重に時間を使うので、観戦していたチームメートが、「また一公さん、やり損ねたんじゃないか?」と心配したようだ。
しかしこの将棋は逃さない。最後に先手玉を即詰みに討ち取り、何とか勝ち名乗りを上げることができた。1勝するのがこんなにシンドイものだとは思わなかった。チームも5勝2敗で勝利。
3局目は、LPSA金曜サロン常連のKK氏が在籍するチームと対戦。私は当初1回休む予定だったが、けっきょく4局戦うことになった。戦前はこれが当然と考えていたが、こんなにプレッシャーがかかるのなら、1回ぐらい休まないと体がもたない。
それはともかく、3局目でやっと私の先手番となった。後手の作戦は4手目☖3三角戦法だったが、☖5二金右と上がったりして、一向に狙いが分からない。
私は矢倉に組んだが、後手が飛車先不突きを活かして☖8四角と上がり、矢倉崩しの布陣を敷いて、ここで私はまたもや作戦負けを自覚した。では、その局面を記してみよう。

先手 一公:1七歩、1九香、2六歩、2八角、2九桂、3八飛、4七歩、4八銀、5五歩、6五歩、6七金、7六歩、7七銀、7八金、7九玉、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:歩2
後手:1一香、1三歩、2一桂、2二銀、2三歩、3一玉、3二金、4三金、4四歩、4五銀、5三歩、6二飛、7三桂、7四歩、8三歩、8四角、9一香、9三歩 持駒:歩

後手が☖5四銀と出てきたので、☗4六角のまま☗5五歩と突く。しかしこれは自ら角道を止めて損だった。以下☖4五銀に☗2八角とこちら側に引いたのがまた疑問。ここはまだしも☗6八角だった。
決定的に悪手だったのは☖6五歩を素直に☗同歩と取ってしまったことで、それが上の局面である。ここでは☖3六銀と出られて次の☖2七銀成が受からずツブレだと考えていたが、後手は☖6五同桂☗6六銀にズバリ☖6六同角と切り、☗同金に☖2七銀と打ってきた。
見るからに単純な手だが、存外この手も厳しかった。☗4八の銀が邪魔をして、飛車が横に逃げられない。仕方のない☗3九飛に☖2八銀成と角をタダで取られ、これがまた飛車取り。本当は7九まで逃げたいのだが、私は泣く泣く☗6九飛。
後手は☖3八成銀と活用する。ここで☗5七銀は☖6五桂が利いているから無効。渋々☗6五金と桂を外したが、☖4八成銀~☖5八成銀がまた飛車に当たり、もうイヤになった。金曜サロンならここで投了というところだが、ほかの6局がまだ中盤戦たけなわなのに、大将の私が早々と投げるわけにはいかない。チームの士気に係わる。ここが団体戦のつらいところである。
私は小刻みに時間を使い粘りに出るが、指せば指すほど悪くなってゆく。勝利をほぼ掌中に収めている相手は指すのが楽しくて仕方ないだろうが、こちらはどん底状態だ。
最後は☖8五金と縛られ必死がかかり、無念の投了となった。チームの皆さんに迷惑をかけたことはもちろんだが、こんなにひどい将棋を指した自分が情けなかった。チームも1勝6敗で完敗した。
4局目の間に時間ができたので、再びLPSAブースへ向かう。と、将棋ペンクラブ幹事のM氏にお会いする。M氏は先日の将棋ペンクラブ大賞選考会の文芸部門で、見事「優秀賞」を受賞された。
「このたびは優秀賞、おめでとうございます」
「ありがとうございます。9月18日のペンクラブ贈呈式には来てくれますよね」
9月下旬といえば、19日(土)~23日(水・祝)が秋のゴールデンウィークで、5連休の企業も多い。むろんウチもそうで、このチャンスを逃したら、次は6年後である。だから私もこれを大いに活用し、17日(木)の夜から沖縄に飛ぶか北海道へ向かうかと考えていたが、M氏に直々に誘われては、今年も贈呈式に伺わざるを得ない。とはいえ、これも楽しみな年中行事である。
「ゼヒお邪魔させていただきます。あ、あと、次号の会報にも投稿させていただきますので、よろしくお願いします」
「あ、そうですか。なんという題ですか?」
「はあ…『聖夜前日のドラマ』です」
将棋ペンクラブ関係ではほかにも重鎮が見えており、湯川博士先生がいらしたが、畏れ多くて挨拶はしなかった。しかし奥さまの恵子さんには、丁重に挨拶をしておく。恵子さんはにこやかに応対してくれた。どうやら恵子さんにも、私を認知していただけたようである。
LPSAブースに行くと、藤森女流三段が私の着けているゼッケンを見て、、
「そのピンクのゼッケン、よく似合いますね」
と、にこやかに言う。ピンクのゼッケンなんか似合わないと思うのだが、藤森女流三段はしきりに褒めてくれる。ところがこれが強烈な皮肉で、それに気付いたのは、その日の打ち上げの席でのことだった(2日前の「謝罪文」を参照)。それほど私は、余裕をなくしていたのだ。
そんな状態で4局目が開始された。しかし私は、その対戦相手を見て、ギョッとした。ちゅ、中学生ではないか!!
(つづく)
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悪夢の社団戦(前編)

2009-08-27 00:02:53 | 社団戦
きょうは私が初めて参加した、7月26日に行われた第20回社会人将棋団体リーグ戦(社団戦)の模様を書こうと思う。私にとって悪夢の1日だったので本当は書きたくないのだが、このまますっとぼけるわけにもいかない。
会場は東京・浜松町にある東京産業会館。都内在住の私にはなんてことない場所だが、他県から来る選手はたいへんである。
私はD組・LPSA星組で参加。社団戦は10時開会だが、今回はLPSAチームが会場の設営・撤去に充たっていたので、1時間前に集合する。
9時に会場入りし、倉庫から机や椅子を出す。私が学生のときはこうしたバイトをよくやったものだ。昔に戻った気分で、体を動かした。
その間にも、続々と選手がやってくる。それにしてもすごい数の出場者だ。数百人規模である。中にはプロ級の棋力を持った強豪もおり、この大会が全国的な催しだということを実感する。
設営も終えて、10時すぎになる。Y監督の指令で、私は大将での出場となった。大将というガラではないのだが、強豪のM氏が午後にいらっしゃるということで、他のメンバーの棋力を見ても、私がその席にすわるしかないらしい。
団体戦は高校生以来だから、かなり久しぶりだ。自分の勝敗がそのままチームの勝敗に直結するケースもあるので、かかるプレッシャーは相当なものである。しかし、ふだんは手強い敵が味方なのだから、頼もしいともいえる。
この日は4局を指すとのことだったので、私は扇子を4本用意した。団体戦では、勝ち名乗りがなによりの朗報である。私は当然4勝するつもりだったので、勝利が確信できた時点で大げさに扇子を扇ぎ、「オレは勝ったぞ!」とみんなに報せるつもりだった。
1勝ずつ、違う扇子を使う。用意したのは中倉彰子女流初段、宏美女流二段姉妹のカラー扇子、LPSAサインラリー扇子、中井広恵女流六段の非売品直筆扇子の4本であった。
午後からと諦めていた、大将格のM氏も到着。M氏には副将を務めていただき、10時半ごろだったか、いよいよ1局目の対局開始となった。
相手に駒を振っていただき、私の後手番。私は先後に敏感で、先手がほしかったので、いきなりデバナを挫かれた形となった。それにしても、この息苦しい緊張感はなんだろう。先ほどまでは4戦全勝のつもりでいたのに、そんな思惑は早くも吹き飛んでいた。
将棋は私の四間飛車に、先手氏が角道を開けない引き角戦法。私は漠然と駒組を進めていたが、☗5六歩と角道を開けられたところで、早くも不利になったことに気付き愕然とした。こちらの布陣は2一桂、2三歩、3二銀、3三角、3四歩、4一金、4二飛、4三歩。どうやっても角交換が受からないのだ。こんな初歩的なスジを見落とすとは、初めての社団戦で、舞い上がっていたとしか考えられない。
それでも角交換後に、3一金~4一飛~4四歩~2二金~4三銀~3二金~3三桂~2一飛と陣形を立て直し、数手進んで先手氏の☗6七金に☖4七角と打ち、☗1八角に☖1五歩と端を攻めて、これは優勢になったと思った。
以下相手の角を召し取り、☖1九飛☗6九香☖1二飛成(成香を取った)に、先手氏が☗8六桂と打ったのが、以下の局面である。

先手氏:4六歩、5六歩、5七銀、6六歩、6七金、6八金、6九香、7六歩、7八銀、8六桂、8七歩、8八玉、8九桂、9五歩、9九香 持駒:飛、桂、歩
後手 一公:1二竜、2五馬、3二金、4三銀、4四歩、4七と、5三歩、6一金、6四歩、7二銀、7四歩、8一桂、8二玉、8三歩、9一香、9三歩 持駒:角、香、歩4

この局面は角桂交換で後手優勢。しかし☗7四桂跳ねを防ぐ☖7三香は☗7五歩。☖7三銀は☗8五桂。☖6三銀は☗5五桂で、意外とうるさい。
ここで私は持ち時間30分の中の5分以上を使い、☖4一角と打った。
なんたる手か。こんな利かされを指しているようでは、植山(真部)門下を破門される。ここは、☗7四桂と跳ぶなら跳べと☖5七とと銀を取り、☗同金寄に☖8五銀と打つべきだった。
本譜は☗1三歩☖2一竜を利かし☗7七桂と跳ねてきた。動揺している私は遊び駒を活用しようと☖4二金~☖5二金と寄る。ところがすかさず☗3三桂と竜角取りに打たれ、一遍に形勢を損ねてしまった。
ここからは疑問手の連発である。平常心など、どこかに行っていた。それでも終盤は王手竜取りをかけるなどして飛車を2枚手にしたが、その飛車を☖6七飛と打ち、☗7八銀と打たれたところで苦慮していると、対局者から意外な言葉をかけられた。
「切れました」
秒読みの30秒が経ち、時間切れ負けとなってしまったのである。
持ち時間が残り2分になったところまでは記憶にあったが、それ以降は、持ち時間が切れたことも、秒読みに入っていたことも、全く気付かなかったのだ。
「あっ、失礼しました!」
私はどちらかといえば早指しのほうで、LPSA金曜サロンのリーグ戦でも、滅多に秒読みになったことはないのだが、今回はいつにもまして慎重になっていた。時間切れ負けも、初めての経験だった。自軍の選手は、局面が敗勢だったから、私が負けを告げるのが悔しくて、あえて時間切れにしたと解したらしい。
しかし私はそんな卑屈なことはしない。堂々と勝ち、堂々と負けるのである。今回は正真正銘、本当に秒読みの音が聞こえなかった。そのくらい、私は緊張していたのだ。これが団体戦のプレッシャーというものなのか。
チームも2勝5敗で負けた。お昼休みになったが、とても昼食を摂る気になれない。それでも会館の向かいにある立ち食いそば屋に入って、もりそばを流しこむように食べた。砂を噛むようだった。
(つづく)
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