一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「クイズ・正解は1年後2018」の答え合わせ

2018-12-31 00:09:17 | 将棋雑記
30日はヨドバシカメラAkiba館に行った。ブルーレイディスクRの10枚組(2つ)をレジに持って行ったら、すぐ前に20枚組を手にしている女性がいた。我が10枚組は1,180円だが、2つ買うと15%割引になる。どちらが安いのだろう。
試しに20枚組の値段を確認しに戻ってみると、1,990円だった。私は頭の中で計算してみるが、1,990円より、1,180円を2つ買って15%引のほうが、僅かに安い気がした。
それで改めてレジに行ったら、我がブルーレイRは2,006円だった。
じゅ、16円損した……。

   ◇

夜は「第60回日本レコード大賞」を観た。私は「紅白歌合戦」は好きだがレコード大賞はあまり観なくて、冷静に考えたら15年ぶりくらいではなかろうか。
大賞の結果は意外だったが、将棋ファンにはこたえられない結果だったかもしれない。

   ◇

今年1月4日にアップした「クイズ・正解は1年後2018」の答え合わせをする。

1.里見香奈女流五冠が4月以降も現役を続行する。
○…何を妙なことを、と言われそうだが、里見奨励会三段が3月に奨励会を退会したら、女流棋士も引退してしまうのではないか、という噂があったのだ。しかし実際は、もちろん女流棋士を続けた。まあ、そうなるよね。

2.室谷由紀女流二段が写真集を出す。
×…写真集どころか、結婚してしまった。

3.男性棋士×女流棋士の組み合わせの結婚がある。
×

4.渡部愛女流二段がタイトル戦に出場する。
◎…タイトル挑戦どころか、女流王位を奪取した。お見事!

5.天童人間将棋に渡部女流二段が出場する。
×…今年は無理だったが、いつか出場すると思う。

6.竹俣紅女流初段がCMに登場する。
×…今年は無理だったが、いつか登場するだろう。

7.藤井奈々女流3級が女流2級に昇級する。
◎…2017年は0勝6敗だったが、2018年は年はじめから5連勝し女流王座本戦入りし、女流2級昇級を決めた。さらに年末には女流王将戦の本戦入りを果たし、女流1級に昇級した。お見事!

8.女流棋士(奨励会員は含まない)が男性棋戦で合計4勝する。
◎…設問は「4勝以上」という意味なので、文句なく正解。何と16勝もした。

9.NHK将棋フォーカス「将棋講座」の講師を女流棋士が務める。
×

10.女流棋士が4人デビューする。
×…加藤圭女流2級、加藤結李愛女流2級、水町みゆ女流2級、田中沙紀女流3級、脇田菜々子女流2級、礒谷真帆女流初段の6人だった。

以上、正解4つ。渡部女流王位のタイトル戦登場を当てたのはすごかった。


続いて、1月17日にアップした<男性棋士編>の答え合わせをする。

1.羽生善治竜王の100期目タイトルは「棋聖」。
×…棋聖、竜王とも失冠し、100期はおろか無冠になってしまった。

2.新名人が誕生する。
×

3.渡辺明棋王がタイトル戦の挑戦者になる。
○…来年1月から行われる王将戦七番勝負の挑戦者になった。

4.藤井聡太四段が公式戦通算100勝を達成する。
○…12月12日に達成した。100勝18敗の勝率.847は、100勝達成時での最高勝率。

5.中尾敏之五段が順位戦に復帰する。
×…期限内に1勝足りず、引退となった。

6.藤井四段が天童or姫路城or関ケ原の人間将棋に出場する。
×

7.桐山清澄九段が公式戦1,000勝を達成する。
×…年初から5勝1敗と好調だったが、2月のNHK杯予選決勝で負けてから勝ち運に見放され、以後20連敗。通算勝ち星も992で留まり、1,000勝は来年以降に持ち越しになった。

8.藤井四段が六段に昇段する。
◎…六段どころか、七段に昇段してしまった。

9.昇段者は16~18人。
×…高見泰地五段→七段(叡王)、藤井四段→七段、遠山雄亮五段→六段、都成竜馬四段→五段、西川慶二七段→八段、増田康宏五段→六段、宮田敦史六段→七段、片上大輔六段→七段、阪口悟五段→六段、竹内雄悟四段→五段、瀬川晶司五段→六段、佐々木勇気六段→七段、の12人だったのでハズレ。
女流棋士はカウントしないが、参考までに記すと、武富礼衣女流3級→女流初段、小高佐季子女流3級→女流2級、飯野愛女流1級→女流初段、上田初美女流三段→女流四段、藤井奈々女流3級→女流1級、渡部女流二段→女流三段(女流王位)、加藤圭女流3級→女流2級、宮宗紫野女流初段→女流二段、加藤結李愛女流3級→女流2級、礒谷真帆女流2級→女流初段、の10人だった。

10.「将棋世界」が増ページされる。
×

以上、こちらの正解は3つだった。


さて、この1年間も将棋界は藤井聡太七段に牽引され、将棋ブームに沸いた1年だった。
でも私にはまったく関係のない話で、遠い国の出来事だった。私個人としてはついに就職が叶わず、無駄な1年となった。自分史を語る時、黒歴史は1983年11月からの2年半だが、今年はそれに近いヒドさだった。もう本当に、どうしようもなかった。
さすがに今年がどん底だと思うが、何だか内臓の調子も悪いし、来年はまだ底があるかもしれない。とにかく、少しでも光明が見えればいいと思う。
皆様よい年をお迎えください。
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羽生九段は挑戦者になれるか

2018-12-30 00:11:09 | 将棋雑記
羽生善治九段は48歳2ヶ月で無冠になった。この歳からほかの並みいる強豪を抑え、タイトル戦の挑戦者になれるだろうか。
参考のために、48歳以降で挑戦者になったケースを調べてみた。

・大山康晴十五世名人
1972年 第11期十段戦 48歳→敗退
1973年 第12期十段戦 49歳→奪取
1974年 第33期名人戦 51歳→敗退
1974年 第24期棋聖戦 51歳→奪取
1975年 第14期十段戦 51歳→敗退
1976年 第26期王将戦 53歳→敗退
1978年 第19期王位戦 54歳→敗退
1979年 第29期王将戦 56歳→奪取
1981年 第22期王位戦 57歳→敗退
1983年 第8期棋王戦 59歳→敗退
1986年 第44期名人戦 63歳→敗退
1990年 第15期棋王戦 66歳→敗退
※1980年の王座戦(当時は準タイトル戦)にも登場している(奪取)。

・升田幸三実力制第四代名人
1966年 第25期名人戦 48歳→敗退
1968年 第27期名人戦 50歳→敗退
1971年 第30期名人戦 53歳→敗退

・塚田正夫名誉十段
1962年 第1期棋聖戦 48歳→敗退
(第1期につき、本戦2位で登場)

・二上達也九段
1980年 第37期棋聖戦 48歳→奪取

・米長邦雄永世棋聖
1993年 第51期名人戦 49歳→奪取

・森雞二九段
1995年 第43期王座戦 49歳→敗退


わずか6人と少ないが、やはり特筆すべきは大山十五世名人で、1983年の棋王戦登場で、当時の6大タイトルすべてで挑戦権を獲得した。獲得タイトルは、十段1、棋聖7、王将3。
最後のタイトル戦は、平成に入ってからの1990年・第15期棋王戦で、66歳だった。

升田実力制第四代名人は53歳で名人戦の挑戦者になり、第5局を終え、時の名人・大山をカド番に追いこんだ。しかし第6局、第7局と負け、長蛇を逸した。
勝負ごとにタラレバはないけれど、もしこの時名人を奪取していたら、名人在位の高齢記録を5歳も上回り、一大升田フィーバーが起こっていたと思われる。

二上九段は第37期棋聖戦の挑戦者決定戦で天敵大山王将を破り、48歳で登場。米長棋聖に1敗後3連勝で奪取した。翌期は中原誠名人、翌々期は加藤一二三九段をいずれもストレートで降し、後半生の偉業とした。

米長永世棋聖は49歳11ヶ月で名人を奪取。初の50歳名人として話題になった。

こうしてみると、48歳はまだまだ若い。石川達三(原田泰夫九段)「四十八歳の抵抗」じゃないけれど、これからである。
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LPSA芝浦サロン・中倉宏美女流二段・13

2018-12-29 00:21:06 | LPSA芝浦サロン
2013年8月23日(金)、LPSA芝浦サロンで中倉姉妹に教えていただいた将棋を振り返る。
人気姉妹の登板とあって、当日は大盛況。知り合いではHon氏、Tod氏、TK氏などがいた。
まず中倉彰子女流初段(当時)との指導対局。この時私は沖縄旅行帰りで、彰子女流初段に「ずいぶん焼けてますね」のお言葉をいただいた。
先手がもちろん私で、▲7六歩△8四歩▲7八飛となり、私の三間飛車、彰子女流初段の居飛車穴熊となった。以下難しい戦いになったが、私が中盤で銀をボロッと取られたのが痛く、以降は防戦一方。結局112手まで、私が負けた。
全譜を紹介したいのだが、彰子女流初段は記譜の公開を望まないので、投了図だけ掲げておく。

2局目は宏美女流二段とである。宏美女流二段とは「ワイン勝負」を行っていたが、前局で私が規定の勝ち星をクリアしたので、本局から純粋な指導対局に戻った。宏美女流二段はこの日もしっとりと美しく、まさに「平安美人」の趣だった。

初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8八角成▲同銀△2二銀▲7七銀△7二銀▲4八銀△3三銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6八玉△4二玉▲5六銀△5二金▲5八金△9四歩▲3六歩△5四銀▲7九玉△3一玉▲6六歩△4四歩▲3七桂△7四歩(第1図)

私の居飛車明示に、宏美女流二段は4手目△3二金。▲7八金には△8八角成ときた。当時宏美女流二段が得意にしていた1手損角換わりで、前局(2013年6月7日)もこの作戦だった。また宏美女流二段はこの3日後に中井広恵女流六段戦(倉敷藤花戦)を控えており、その実戦練習の意味合いもあったと思う。
お互い銀を腰掛け、△5二金▲5八金。今だったらどちらも金を真っすぐ立っているだろう。
さらに数手進んだが、私は▲2五歩と伸ばしていないし、宏美女流二段にいたっては飛車先の歩も突いていない。
△7四歩に次の手がどうだったか。

第1図以下の指し手。▲4八飛△8四歩▲9六歩△1四歩▲1六歩△7三桂▲4五歩△同歩▲1五歩△同歩▲7五歩△同歩▲4五銀(第2図)

▲4八飛がどうだったのだろう。当時は飛車を4筋に回す手が好きだったのだが、現在なら居飛車で指したいところ。
△7三桂に私は▲4五歩と仕掛けたが、今ならやはり▲2五歩と伸ばしている。当時は▲2五桂と跳ねる手を含みにしていたのだろう。
各筋の歩を突き捨てて、▲4五銀。次の宏美女流二段の手が軽手だった。

第2図以下の指し手。△4七歩▲同金△4五銀▲同桂△4四銀▲5六金△3七角▲4九飛△3八銀▲6九飛△4七銀不成(第3図)

△4七歩がプロっぽい手だと思った。ここはふつうに△4五同銀でもいいと思うが、△4七歩▲同金で金をソッポにやられて、イヤな感じがした。
△4四銀で、次に△4六歩▲同金△3七角があるから私は▲5六金と上がったが、宏美女流二段の△3七角~△3八銀が厳しい。ここは指しづらさを感じた。

第3図以下の指し手。▲7四歩△8五桂▲7三歩成△8一飛▲6三と△7七桂成▲同金△7六歩▲7八金△5六銀不成(第4図)

私は▲7四歩と打ったが、△8五桂と跳ばせてよくなかった。とはいえ代替の手も難しい。下手は▲2五歩と伸びてないのがつらいのだ。返すがえすも、第1図の▲4八飛では▲2五歩だった。
私は狙いの▲6三とだが、宏美女流二段が△同金と取ってくれるはずもなく、△7七桂成~△7六歩と厳しく攻めてくる。この手に取る手もあったのだが、泣きの涙で▲7八金と引いた。
宏美女流二段は△5六銀不成と金を取ったが、次の手がマズかった。

第4図以下の指し手。▲5二と△5八銀▲2九飛△6七銀上成▲4一金△2二玉▲4二と△4一飛▲同と△5五角成(第5図)

私は▲5二とと金を取ったが、マズかった。ここは▲5六同歩とし、5二の金取りを残すほうがよかった。
というのも次の△5八銀が痛打で、△5六銀がまだ生きているため、▲6八飛と上がれないのだ。やむない▲2九飛に△6七銀上成と活用され、クサッタ。
それでも▲4一金から▲4二とと迫り、まだ希望は持てたのだが、△5五角成に次の手が、盛大なココセだった。

第5図以下の指し手。▲7二飛△7八成銀▲同玉△4五馬(投了図)
まで、78手で宏美女流二段の勝ち。

ここで▲7二飛と打ったのが大悪手。宏美女流二段に△7八成銀から△4五馬と純粋な王手飛車を掛けられ、ここで投了した。

この▲7二飛、ひとつ隣の6二に打てば詰めろで、これは宏美女流二段も相当受けにくかったのではないか。確かこの何日か前、Kun氏が宏美女流二段に王手飛車を掛けられて負けたのだが、二の舞を演じてしまった(追記:▲6二飛でも△6七金の筋があり、下手は相当危ない)。
というわけで最後はちょっとアレだったが全体的に上手ペースで、中倉姉妹の強さを実感したのだった。
この後は駒込のジョナ研に向かった。今となっては懐かしい思い出である。

さて今年の宏美女流二段は、個人成績はパッとしなかったが、6月には渡部愛女流二段が女流王位を獲り、11月には礒谷真帆さんがLPSA所属の女流棋士としてデビューした。LPSA代表理事としては、充実した1年だったのではなかろうか。
2019年は宏美女流二段が活躍する番である。
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夢総ざらい(2018.12.03、06、10、21)

2018-12-28 01:25:44 | 
早いもので今年も残り4日である。無職でも時の経つのは早いのだ。
それで、12月に見た夢で憶えているものを、今年のうちに書き出してしまおう。

まず3日の朝方は、見応えのある夢を見た。たぶん、今年いちばん印象に残ったかもしれない。
私はどこかの朝市というか、食堂街にいた。アジアのどこかだと思うのだが、日本であろう。
米倉涼子だったと思うのだが、女性とぶらぶらしていた。
場別の場所では、真部一男九段、佐藤康光九段、藤井猛九段らが、喫茶店のオープンテラスにいた。私は「心の師匠」である真部九段には挨拶しよう、と思った。
ある女性が来て、それが若手女流棋士(女流2級?)だったか女優だったか思い出せないのだが、女性はあるレポートを提出しなければならないらしく、その文章を私が教えることになった。
どこかの店のテラスで向かい合わせに座り、いろいろ話す時間は楽しかった。
その後私は目が覚めたが、またも夢を見直した。その夢も見応えがあったのだが、内容は忘れてしまった。

6日の朝方も面白い夢で見応えがあったのだが、ほとんど内容は忘れてしまった。
俳優の野間口徹が、忍者みたいに山沿いを走った。彼は私のいるこちら側へ降りて来たが、今度は持っている縄を崖の上方にほうると、どこかの出っ張りに器用に引っ掛け、するすると登っていった。
……というところで、目覚まし時計に叩き起こされた。
面白いところだったのに、もったいなかった。

続いて10日に朝に見た夢である。私は、由緒あるどこかのホテルにいた。そこでは私の祖母の遺産の件で、祖母を交えて話し合うことになっていたらしい。実際の祖母は30年以上も前に他界したが、夢では大女優がやっていた。それが誰だったか……。森光子だった気もするが、思い出せない。
まずは私の家族の番である。私には妻子がいたようだ。祖母は私たちに数千円のお小遣いをくれ、それで話は終わりのようだった。
続いては弟夫婦(現実とは別人)と祖母との話し合いになるようだったが、祖母は別れ際、私に再び数千円をくれた(と思う)。
だが帰り道に確かめると茶封筒もあり、その中には一万円の札束もあった。これは祖母が明らかに、私に誤って渡したものだ。私は内臓が痛く(これは現実の世界でもそうだ)、治療費の足しにしてもいいかと思ったが、この金がなければ祖母が困ると思い、返しにいった。
祖母はホテルの一室にひとりいたが、おカネがなくなったことに気付いたらしく、悄然としていた。
私が茶封筒を渡すと、祖母は安堵した。茶封筒の中は、帯封のついた一万円札があった。すなわち100万円ということだ。私はくすねないで良かったと、心から思った。
……というところで、目覚まし時計のベルに叩き起こされた。
この夢の続きも見たかっただけに、残念である。

最後に、21日の朝に見た夢。場所はどこかの高速道路のパーキングエリア。芝生の一角で赤塚不二夫がインタビューを受けていた。赤塚不二夫はあぐらで、車座にレポーターがいた。
でも赤塚不二夫は阿部サダヲだった。彼は「もう50になったので、そろそろ結婚したい」と語った。
実際の赤塚不二夫は早くに結婚し、再婚もしている。しかし私は夢の中で、「それならオレもまだ望みはあるかな」と考えた。
というところで、目覚まし時計の音に叩き起こされた。

以上である。2019年は、夢だけでも楽しいものを見たい。
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惜しい引退

2018-12-27 00:06:14 | 女流棋士
26日に日本将棋連盟HPの対局結果を見たら、前日に行われた第41期女流王将戦予選で、竹俣紅女流初段が鈴木環那女流二段、清水市代女流六段を連破し、本戦入りを決めていたのに驚いた。
竹俣女流初段については13日の記事でも言及したから重複を避けるが、要するに来年3月いっぱいで将棋界から決別する。
ということは将棋に対する情熱もないんだろうから、残りの対局は適当に指すと思っていた。
ところが竹俣女流初段は実力者の2人を破ったわけで、これは称賛に値する。とくに清水女流六段は10月にも女流王座戦五番勝負に登場するなど、いまだトップグループを走っている。容易に倒せる相手ではなく、竹俣女流初段の実力を示したといえるのだ。
だが女流王将戦の本戦開幕は4月らしい。竹俣女流初段のブログによると、4月の時点で勝ち残った棋戦があっても、それは不戦敗になるらしい。
ずいぶん厳しい措置に思えるが、今回は自発的な引退(退会)なので、やむを得ないのだろう。
それにしても、である。かつて熊坂学五段が森内俊之竜王(当時)に勝っても、中尾敏之五段が佐藤康光九段に勝っても、両者は翌年、引退を余儀なくされた。今回も、清水女流六段に勝つほどの逸材がなぜ引退(退会)しなければならないのかと思う。
以前の記事の繰り返しになるが、日本将棋連盟と女流棋士会が竹俣女流初段に寄り添えば、もっと別の道筋が見つけられた気がする。例えば長期休場扱いするなど、何か落とし所があった気がするのだ。師匠の森内俊之九段も、引退回避の説得をできなかったものか。
しかし、もう遅い。将棋界は逸材を手放した。
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