きょう9月2日は、私と角館の美女が出会った日なのだが、将棋界では、中原誠十六世名人のお誕生日である(渡辺弥生女流二段もお誕生日)。今年は77歳。まさに喜ばしい寿だ。では昨年に続き、「中原の名局」をお届けする。
今年取り上げるのは、1975年11月17日、18日に東京・羽澤ガーデンで指された第14期十段戦第2局・中原十段VS大山康晴棋聖戦である(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)。
まず、対局日を見てピンと来られた方は、重度の将棋マニアである。この日、東京の「蔵前国技館」で、第1回「将棋の日」が行われた。両対局者はそれに伴い、第1日目の午後に国技館へ移動し、大勢の観客の前で、数手を指したのだった。断定はできないが、公開対局の第1号だったのではあるまいか。
戻ってこの将棋、大山棋聖の四間飛車に、中原十段の中央位取りとなった。きのうも書いたが、中原十段の得意戦法である。ただ、中央位取りというのは捉えどころがないというか、この形まで作っても、その後の指し方が分からないのである。羽生善治九段はこの戦法を指したことがないらしいが、そんなところも原因のひとつではなかろうか。
実戦は中原十段が▲4七銀と引き、3筋から反撃。戦いが始まった。
といっても、著作権の問題があり、全譜は掲載できない。終盤の寄せの部分のみ紹介する。
第1図以下の指し手。▲6五銀直△同歩▲6三成香△同玉▲5四銀△7二玉▲6三金△8二玉▲7二金打△9二玉(第2図)
第1図は104手目、△2四角まで。先手の攻め駒は現在3枚で、もう1枚ほしい。そこで、▲6五銀直と桂を補充するのが好手。以下、▲6三成香から金銀をベタベタ打ち、後手玉を端に追い込んだ。
第2図以下の指し手。▲9三歩△同玉▲8五桂△8四玉▲7三金引△7五桂▲9三銀△同桂▲7四金△同玉▲7五歩△8五玉▲7七桂(投了図)
まで、中原十段の勝ち。
ここで▲9三歩が一歩千金の好手。これに△同桂は▲7三金寄で先手勝ちなので、後手は△同玉と取る。
そこで▲8五桂が厳しい追撃だ。つづく△8四玉に▲7三金引が、▲7四金△同玉▲7五銀△8五玉▲7七桂までの詰めろ。
よって大山棋聖は△7五桂とその順を防いだが、やはり▲7四金があり、以下▲7七桂まで、大山棋聖の投了となった。
投了以下は、△7五玉▲9七角△7四玉▲6五銀上△8四玉▲7六桂まで。桂使いの名手にふさわしい、投了図および詰み上がりといえよう。
両雄の将棋にはコクがあり、ほかの棋士とは一味違うことを実感する。この時期、ふたりでタイトルを独占していたのも、当然に思えた。
今年取り上げるのは、1975年11月17日、18日に東京・羽澤ガーデンで指された第14期十段戦第2局・中原十段VS大山康晴棋聖戦である(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)。
まず、対局日を見てピンと来られた方は、重度の将棋マニアである。この日、東京の「蔵前国技館」で、第1回「将棋の日」が行われた。両対局者はそれに伴い、第1日目の午後に国技館へ移動し、大勢の観客の前で、数手を指したのだった。断定はできないが、公開対局の第1号だったのではあるまいか。
戻ってこの将棋、大山棋聖の四間飛車に、中原十段の中央位取りとなった。きのうも書いたが、中原十段の得意戦法である。ただ、中央位取りというのは捉えどころがないというか、この形まで作っても、その後の指し方が分からないのである。羽生善治九段はこの戦法を指したことがないらしいが、そんなところも原因のひとつではなかろうか。
実戦は中原十段が▲4七銀と引き、3筋から反撃。戦いが始まった。
といっても、著作権の問題があり、全譜は掲載できない。終盤の寄せの部分のみ紹介する。
第1図以下の指し手。▲6五銀直△同歩▲6三成香△同玉▲5四銀△7二玉▲6三金△8二玉▲7二金打△9二玉(第2図)
第1図は104手目、△2四角まで。先手の攻め駒は現在3枚で、もう1枚ほしい。そこで、▲6五銀直と桂を補充するのが好手。以下、▲6三成香から金銀をベタベタ打ち、後手玉を端に追い込んだ。
第2図以下の指し手。▲9三歩△同玉▲8五桂△8四玉▲7三金引△7五桂▲9三銀△同桂▲7四金△同玉▲7五歩△8五玉▲7七桂(投了図)
まで、中原十段の勝ち。
ここで▲9三歩が一歩千金の好手。これに△同桂は▲7三金寄で先手勝ちなので、後手は△同玉と取る。
そこで▲8五桂が厳しい追撃だ。つづく△8四玉に▲7三金引が、▲7四金△同玉▲7五銀△8五玉▲7七桂までの詰めろ。
よって大山棋聖は△7五桂とその順を防いだが、やはり▲7四金があり、以下▲7七桂まで、大山棋聖の投了となった。
投了以下は、△7五玉▲9七角△7四玉▲6五銀上△8四玉▲7六桂まで。桂使いの名手にふさわしい、投了図および詰み上がりといえよう。
両雄の将棋にはコクがあり、ほかの棋士とは一味違うことを実感する。この時期、ふたりでタイトルを独占していたのも、当然に思えた。