一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

サヨナラ、ワインサロン(後編)・お幸せに…

2011-09-15 00:03:19 | LPSA木曜ワインサロン
船戸陽子女流二段は△3四歩と指した。私は▲2六歩。彼女は△4四歩。
船戸女流二段の結婚のコメントを読んでからというもの、私は「穴熊」と「棒銀」に過剰な反応を示すようになってしまった。ちょっと、どちらも見るのがつらい。新郎新婦の独身時代の「攻防」を想像して、将棋が指せなくなってしまうのだ。
穴熊も棒銀も、自分が指さなければいいが、相手がそれを目指してきた場合は、防ぎようがない。
私が居飛車を明示したので、船戸女流二段の居飛車穴熊は消えた。だがまだ、振り飛車穴熊と棒銀の線は残っている。
▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉。
ここ▲6八玉で▲6八銀の矢倉志向なら、船戸女流二段はそれを咎めて中飛車に振りそうな気がした。船戸女流二段の中飛車と穴熊はワンセットだ。そうなってはたまらない。
▲6八玉は、私が二段玉に構えれば、船戸女流二段が居飛車にすると考えた。
しかし船戸女流二段は、△4三銀~△3二金と、まだ態度を明らかにしない。
▲5八金右に△1四歩。15手目▲6八銀。これに船戸女流二段が△6二銀と上がったので、やっと穴熊の線が消えた。
しかし…自分の構想より、相手の手を限定させることに神経を遣うとは、何をやっているのだろう。
続く▲3六歩に船戸女流二段が△5三銀と上がったので、これで棒銀もなくなった。私は安堵の息を吐く。
雁木――船戸女流二段の十八番だ。これこそふたりの、最後の対局にふさわしい。
しかし私は、深く頭を垂れたままだ。
目の前にあこがれの女流棋士がいるのに、顔を上げられない。新婚の船戸女流二段を見ることが、どうしてもできない。私のうつろな目は自陣をさまよい、船戸女流二段のワンピースすら、目に入らなかった。
彼女は、どこを見ているのだろう。盤上か、私か。私を見ているなら、それは蔑みの眼なのか。

私を誘えなかった、情けない男――。

私は一口、ワインを飲む。緊張と絶望で、全然味が分からなかった。
と、船戸女流二段が席を立ち、ホワイトボードに何かを書いた。このとき初めて、私は船戸女流二段の全身を見た。その後ろ姿が、まぶしかった。
あれはいつのワインサロンだったか。このブログに「私は船戸女流二段のミニスカートを覗いた」と書いたら、ある棋友から「あれは書きすぎじゃない?」と意見された。
どうも世間ではこの話が拡がって、私が犯罪者になっていたらしい。
だが私が、神聖な船戸女流二段のスカートを覗くわけがないじゃないか。
もし疑うなら、一度ワインサロンに参加してみればよい。対局者が座っていても、覗くのが角度的に無理なのは、誰でも分かるはずだから――。
きょうの船戸女流二段も、スリムだった。しかしあまりにも、スリムになってしまった。
どうしてここまでスリムになる必要があるのだろう。少なくとも私の知っている船戸女流二段は、こんなにスリムではなかった。もっと、健康的だった。いったい彼女に、どういう心境の変化があったのか――。
しかし私には、何も言う権利はない。仮に言ったところで、大きなお世話です、と非難されるだけだ。

「きょうのワインは、『塩尻桔梗ヶ原』の2010年です」
彼女が振り向いて、言った。
「はい」
私は棋譜ノートの余白に、「塩尻 桔梗ヶ原 2010」と書く。
しかしそれ以上の説明はなかった。これから客が来た際に、改めて講義を行うのだろう。
船戸女流二段が、ケータイからどこかに電話をして、また私の前に座った。私はまた、目を伏せる。
私はケータイを持っていない。いつだったか、船戸女流二段に強く勧められたことがあった。しかし私は、頑としてケータイを買わなかった。
もしあのとき買っていれば、船戸女流二段とメールのやり取りができたのだろうか。電話が来たのだろうか。それができたら、ふたりは親密な仲になれたのだろうか――。
今年のバレンタインデーのこと。船戸女流二段が、私にチョコレートをくれそうな雰囲気があった。しかし船戸女流二段は当日、マンデーレッスンSは休みだった。
そこで私は、当日ゲスト講師だった中倉宏美女流二段に、北海道土産を渡すことを優先させた。
しかし私は船戸女流二段のことが好きだったのだから、なりふりなり構わず、チョコをもらいに行くべきだったと、いまでは思う。そうなれば…。
しかしどれもこれも、局後の感想戦でしかない。とにかく私は、何もしなかったのだ。自分を呪いたいくらい、何もしなかったのだ。
将棋は中盤戦に入った。いつものふたりなら軽口のひとつも出るところだ。しかし船戸女流二段も私も、一言も発しない。それはまるで、最後の対局の荘厳な儀式を行っているかのようだった。
息が苦しくなってきた。私はうつむいたまま、細かい息を吐く。いままでのさまざまな後悔がまじった、情けないため息だ。しかし船戸女流二段の様子に、変化はない。淡々と、指し手を進めている感じだった。
投了したかった。でも、指さなければいけない。それが船戸女流二段へのエチケットでもある。
97手目、私は飛車で歩を払う。これで私が有利になったと思った。ところがその直後に、銀による飛車取りが飛んできた。1秒も考えなかった手だ。
一目、飛車が逃げれば何でもないと思った。だが読んでいくうちに、上手に存分に捌かれてしまうことが分かった。
もう、ダメだ。こんな状態では、とても指すことができない。限界だった。
「負けました」
ついに私は投了した。
「えーっ!?」
と船戸女流二段。いままでも私の早投げは何度かあり、そのたびに船戸女流二段は頓狂な声を上げた。その声を、最後の対局で聞くことになろうとは…。
「ちょっとこれ以上は…」
私はうなだれながら言った。
「じゃあ、もう1局指しましょう」
「いえいえ、それは…もう…勘弁して、ください」
船戸女流二段のありがたい申し出に、私は歪んだ顔で手を振り、それを拒んだ。お情けの2局目を行ったら、泣きだしてしまいそうだったからだ。
船戸女流二段も強くは言わず、そのまま席を立った。感想戦をやる雰囲気ではなかった。
けっきょく、ほかに客は来なかった。しかし、私がここにいる意味もない。ここにいたって、話すことなどないからだ。本当はいっぱい話したいのに。もっと彼女の声を聞きたいのに…。そしてそのチャンスは、いままでだって、いくらでもあったのだ。しかし私は、何もしなかった。
私はワインを一口含むと、これで失礼します、と言って、席を立った。ワインは2口しか楽しまなかった。もう、胃が受けつけなかった。ワインを残してしまい、船戸女流二段に申し訳ないと思う。私は最後まで、出来の悪い生徒だった。
ときに午後7時28分。ワインサロンは9時までだから、あまりにも早い退室だ。
しかし船戸女流二段も、それを予期していたかのように、はい、と答えただけだった。
ドアの近くまで行く。振り返って、お幸せに、と言いたかった。しかし、言えなかった。私は無言で深々と頭を下げると、顔を歪ませ、部屋を出たのだった。

「――私、何年後かに沖縄でワインバーを開くのが夢なんです」
昨年4月のある夜、船戸女流二段が私にそう言った。
「沖縄のどこかの小さな島で、ワインバーを開くの。ちょっと将棋が強い女の人がワインバーをやってるよって、近所の噂になって。それってちょっといいと思わない?」
彼女は人生を達観したような、崇高な表情で、そう語った。
私は何も答えることができなかった。私にとって船戸陽子は女流棋士であり、ソムリエではない。彼女が東京からいなくなることが、考えられなかったからだ。ただひとつだけ分かったことは、彼女は私を見ていない、ということだった。
私は沖縄には行けない。それまで船戸女流二段との結婚を夢見ていた私は、このとき、彼女とは結ばれない運命であることを悟った。私の目から、涙がこぼれ落ちた。
私はいつも、船戸女流二段を見ていた。女流棋士を続けてほしいと願っていた。
LPSAや日本将棋連盟のホームページで彼女の対局がついていると、ああよかった、彼女はまだ将棋を続けてくれていると、心からうれしく思った。
私にはいま、彼女を憎む気持ちがある。彼女に非はまったくないのに、彼女の不幸を望む自分がいる。そんな自分の狭量が情けなく、悲しい。
船戸女流二段には、こんなバカな男の期待を裏切って、幸せになってほしい。対局も、いっぱいいっぱい勝ってほしい。日本将棋連盟のホームページに、船戸女流二段の昇段マジックが掲載されたとき、彼女は、これでハリが出ます、と言った。これからは、私がLPSAのホームページを見るのがイヤになるくらい、勝ちまくってほしい。
そして、いまの主人に巡り会えて本当によかった。私はとても幸せ。こうキッパリと言い切れるくらい、世界一幸せになってほしい。

船戸陽子先生には、この3年余り、本当にお世話になりました。
船戸陽子先生との対局は、本当に楽しかった。他愛ないおしゃべりも、本当に楽しかった。そして船戸陽子先生は、本当に綺麗だった。何人も寄せつけないくらいに気高く、凄絶なまでに、美しかった。
船戸陽子先生のことは、一生忘れない。本当に、ありがとうございました。

最後に、今回のワインサロンで指された、船戸女流二段との指導対局の棋譜を載せておく。
読者の中で、もし時間のある方がおられたら、悲しみと絶望の中で指した私の将棋を並べてほしい。そしてその指し手の中から、私の気持ちのいくらかでも感じ取っていただければ、幸いに思う。

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉△4三銀▲7八玉△3二金▲5八金右△1四歩▲6八銀△6二銀▲3六歩△5三銀▲5七銀左△7四歩
▲6八金上△7二飛▲6六歩△7五歩▲同歩△同飛▲6九玉△4一王▲6七金右△5二金▲6五歩△7一飛▲6六銀△6一飛▲7六金△3一王▲5七銀上△4二金右▲6七金△4五歩
▲2五歩△6四歩▲同歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6四歩△7六歩▲6五銀打△5三金▲7六銀△6四飛▲6五歩△6一飛▲7八玉△7一飛▲7五歩△9四歩▲2四歩△同歩
▲同飛△2三歩▲2八飛△9五歩▲7七角△8四歩▲8六角△4二金打▲5九角△4四金▲3七角△5五歩▲同歩△3五歩▲同歩△3六歩▲5九角△5五金▲5六歩△6六金
▲同銀△6一飛▲2四歩△同歩▲同飛△6四歩▲同歩△2三歩▲2六飛△4六歩▲同歩△6四飛▲6五歩△2四飛▲2五歩△5四飛▲3六飛△4七銀
まで、98手で船戸女流二段の勝ち。

船戸陽子女流二段との指導対局・対戦成績(2008年5月31日~2011年9月1日)
・平手 下手26勝28敗
・香落ち 下手4勝2敗
・角落ち 下手1勝0敗
・10秒将棋(平手) 下手1勝2敗

(完)



このあと私は、錦糸町の風俗に行った。とてもこのまま、真っ直ぐ帰る気にはなれなかったからだ。
しかしこんな心境では、勃つべきものも、勃たない。
けっきょく、何も、出なかった。
(これが本当の、完)
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サヨナラ、ワインサロン(中編)・最後の対局

2011-09-14 00:03:12 | LPSA木曜ワインサロン
中に入ると、船戸陽子女流二段がいた。目にも鮮やかな、ピンクのワンピースだった。でも顔を見ることは、できなかった。
だが、どうしてこの時間になってもほかに人がいないのか、さっぱり分からなかった。いままでの例では、最低でもひとりは客がいた。今回は想定外の状況である。頭が混乱した。だが状況はどうあれ、船戸女流二段にはお土産を渡さなければならない。
「船戸先生、ご結婚おめでとうございます。これ、沖縄土産…結婚祝いになっちゃったけど」
屈辱の言葉だった。なぜ私が、こんなことを言わなくてはならないのか。今年の年頭では、考えもしなかった。今年1年も、楽しく時が過ぎると思っていたのに…。
私は、嗚咽をもらしそうになるのを堪えながら、事前に何度も反芻したセリフを、何とか言い切ったのだった。
「ありがとうございますー」
対して船戸女流二段は、快活に礼を述べた。いや、ふつうに、礼を述べた。
船戸女流二段は、私が過剰なまでに自分を応援していたのを知っている。そして、私が想いを抱いていたのも知っている。しかしそんなことは意識の外にあるかのように、彼女は自然に、礼を述べたのだった。
自分の頭に、血が昇っているのが分かる。胸が苦しい。体が熱い。手足が痺れる。
「あと前回のワインサロンは、無断で休んでしまって、申し訳ありませんでした」
今度は謝る。ワインサロンは原則的に、私が休みの連絡を入れない限り、「参加」という手筈になっていたからだ。
「沖縄には何日間行ってきたんですか?」
船戸女流二段が、散文的な口調で聞く。
「6日間です」
帰ってきたら、たいへんなことになっていました。
とは、言えなかった。
前に書いた文とダブるが、去年私が沖縄から帰ってきたときは、黒く日焼けした私を船戸女流二段がたいそう羨ましがり、
「近いうちに島の土産話を聞かせてください」
と言ったものだ。いま思えば、これが彼女を飲みに誘うチャンスだった。
「それなら来週にでも、島の話を肴に、飲みに行きませんか――」
と。
しかし私には、それが言えなかった。石垣島のユースホステルのみんなの後押しもあったのに、いざチャンスが来ると、言えなかった。もし誘っていれば、どういう展開になっていたか――。
しかしすべてはもはや、仮定の話でしかない。もう「対局」は、終了してしまったのだ。
私は空いている席に座る。出ているグラスは4つ。つまり3人が、まだ来ていないということだ。Kun氏やK・T氏ら、私以外の常連さんは、どこへ行ったのだろう。まさかそろって休みを取った、ということはあるまい。
ともあれ、ワインサロンを受講するたびに抱いていた、「夢の個人授業」である。いままで何度、それを夢想したことか。
神様は残酷な悪戯をする。今回それが現実のものになったのに、船戸女流二段が結婚したいまは、それがただの苦痛でしかなかった。一刻も早くここから、逃げ出したかった。ごめんなさいと告げて、部屋を出たかった。
あ、と思う。私はLPSAの専用メールに、今回で参加を最後にしたい旨を知らせていた。
とするならば、船戸女流二段が、きょうの私のために、ふたりだけの状況を作ってくれたとは考えられないか――。
ワインサロンは完全予約制だ。ほかの客が予約してきたら、「今回は満席になりました」と断れば済む。
のちに私との個人授業がばれ、常連組が不審に思っても、「先に予約した人が、そろってドタキャンしてしまって…」と言い訳をすればよいのだ。
そう思えば、彼女のワンピースのピンクも、私の好きな色だ。もしかしてこれも、私のために…。
とそこまで考えて、可笑しくなった。バカな。船戸女流二段が、私のためにそんな演出をするわけがない。
服はたまたまピンクだった。ほかのお客だって、これから遅れてやってくるのだろう。
「お祭りだったんですか?」
船戸女流二段が聞いてくる。しかし咄嗟には、意味が分からなかった。8月の社団戦は、私が地元の祭りに参加するため、休みをもらっていた。そのことを船戸女流二段は云ったようだった。
この問いかけから、彼女がふだんから、私のブログを読んでいるように思える。しかし残念ながら彼女はもう、私のブログを読んでいない。それは彼女が、私の沖縄旅行を人に言われるまで知らなかったことで分かる。あんなに長期間に亘って沖縄旅行記を書いたのに、彼女の目には触れられていなかったのだ。
しかし、そのほうがよかったのだろう。あんなに惨めな旅行記はない。
あれは私がブログを始めて半年くらい経ったころだったろうか。ブログを続けるのがつらくなって、止めようと考えていたことがあった。
そんなとき、船戸女流二段からメッセージカードをもらった。そこには
「私は大沢さんのブログが大好きです。女流棋士へのLove、あはれみ、おかしみがあふれていて、万葉集のようです」
としたためられていた。
このメッセージが、以後のブログを書くうえで、どれほどの力になったか計り知れない。船戸女流二段に読んでもらいたいから、私は毎日毎日、ブログを書いた。船戸女流二段だけのために、ブログを書いた。
旅に出る際にはこのカードを欠かさず携帯し、彼女と旅をしている気分に浸ったものだった。
あのメッセージカードがこんな使い方をされていたとは、さすがの船戸女流二段も思わなかったろう。
だが彼女は、このブログを読んでいない。私がこれだけ彼女を辱めていれば、彼女が愛想を尽かすのも当然だ。私のウジウジした、歪んだアプローチが、彼女を敬遠させてしまったのだ。自業自得だった。

「は…はい」
私は戸惑いながら、返事をした。
「社団戦、成績いいですね」
「でも、次(最終日)が大事ですから」
こんな他愛もない会話をするのも、きょうが最後だ。冒頭でも書いたが、ワインサロンは、私が船戸女流二段に少しでも近づきたい、と邪な心で受講していたものである。彼女が結婚してしまっては、もう参加する意味がない。
同じように、LPSA芝浦サロンでも、彼女に教えていただく意味がない。対局中に船戸女流二段のご主人のオーラが見えてしまったり、結婚指環が目に入ってしまっては、気持ちがすさむだけだからだ。私は船戸女流二段の結婚を喜んであげられるほど、人間ができてはいない。そんな半端な気持ちで、彼女を想っていたのではないのだ。

ホワイトボードには、「長野県産」と書いてあった。国産のワインは初めてではないか。船戸女流二段が私のグラスに、「最後のワイン」を注いだ。
「先に将棋を始めましょうか」
船戸女流二段が言う。
1対1なので、船戸女流二段が私の向かいに座った。彼女の結婚前なら、確実に私はムラムラしていただろう。いや、私は船戸女流二段と談笑しているときでさえ、いつもムラムラしていた。体も確実に、彼女を欲していた。
それなのに私は、何もしなかった。己の欲望を封印し、彼女に対して、何のアクションも起こさなかった。これでは、彼女を想っていなかったのと同じだ。バカだったと思う。行動を起こすのだったと思う。しかし、もう遅い。何もかもが、遅かった。
いまはもう、ムラムラなどしない。それどころか、船戸女流二段の顔すら見られない。見るのがつらい。私は顔を伏せたままだった。
盤上に駒が撒かれた。船戸女流二段が、細い指で「王将」を取る。私が震える手で「玉将」を取った。
船戸女流二段はそのまま、パッパッパッと並べてゆく。私は1枚1枚しっかりと、並べてゆく。彼女にとってはただの指導対局でも、私にとっては、これが船戸女流二段との最後の対局なのだ。
船戸女流二段が並べ終えたとき、盤上には私の歩が、まだ5、6枚残っていた。
ようやっと最後の歩を、「1七」に置いた。けっきょく指の震えは、最後まで止まらなかった。
「よろしくお願いします」
私は深々とお辞儀をし、精魂を込めて、▲7六歩と指した。
(つづく)
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サヨナラ、ワインサロン(前編)・好きだった

2011-09-13 00:33:45 | LPSA木曜ワインサロン
※きょうから15日までのエントリは、船戸陽子先生は読まないほうが賢明です。船戸先生は現在このブログを読んでいませんが、どんなキッカケで目にするかも分かりません。しかし今回のエントリは、船戸先生が読んでも不愉快になるだけです。これは船戸先生のご主人、およびご家族も同様です。船戸先生は大切な日を控えている。くれぐれも、読むのはお控えください。申し訳ありません。

9月1日は、船戸陽子女流二段主宰の「LPSA木曜ワインサロン」があった。
「ワインサロン」とは、ソムリエの資格を持つ船戸女流二段がオススメのワインを供し、ワインとプチ講義を楽しみつつ、将棋の指導対局も行うという、ワインと将棋好きにはたまらない企画である。私はワインをたしなまないが、船戸女流二段と少しでもお近づきになりたい一心で、欠かさず参加していた。
しかし今回船戸女流二段が結婚したことにより、私がワインサロンに通う意味がなくなってしまった。幸せオーラ全開の船戸女流二段を見ながら将棋を指すなんて、私にはとてもできないからだ。むろん人にもよるのだろうが、私としては、そうである。
私が棋友にいろいろと相談した際、私は
「船戸先生に沖縄土産を渡すため、もう1回だけワインサロンに行く」
と言った。だが棋友は、そろって反対した。
「結婚した人にいまさらお土産を渡しても意味がない。それならほかの女流棋士に渡すべきだ」
「まだ船戸さんに未練があるのか。行っても彼女が迷惑するだけだ」
「スッパリ忘れて、もう会わないほうがいい」
と――。
たしかにそうなのだろう。私はもう、彼女に会わないほうがいい。会ったら、彼女に何を言うか分からない。そんな自分が恐いのだ。だがその一方で私は、自分の口から直接、彼女に結婚の祝福もしたかった。いや別に祝うわけではないが、それで自分の心にケジメをつけたかったのだ。
9月1日午後6時すぎ、私は「White Tiger」や「宮古島バナナケーキ」などを手提げ袋に詰め込んで、芝浦に向かった。
ワインサロンは午後7時から。まだ時間があるが、このままサロンに入って、ほかに誰もいなかったら、気まずくなってしまう。それだけは避けたかった。
「小諸そば」で時間をつぶす。サロンに入る前の小諸そばは芝浦定跡だが、きょうは胃に入りそうにない。それでもおトクな二枚もりを頼んだのは、私が意地汚いからだ。
何とか二枚もりをたぐり終えると、ちょうどいい時間になった。これからサロンに向かえば、7時3分前(6時57分)ごろになる。
しかし、何でこんなことになっちゃったんだ、と思う。

船戸女流二段を初めて見たのは、「週刊将棋」紙上だった。第1期マイナビ女子オープンの一斉予選対局が行われ、船戸女流二段は3連勝で予選を通過。その集合写真に、彼女の姿があったのだ。
たいへんな美人だと思った。長身でスタイルもよく、私のアンテナにビビッときた。完全な、一目惚れだった。しかし私と船戸女流二段の間に接点はなく、またこれからも持てそうにないから、私はこのまま船戸女流二段の、ひそかなファンで終わるものと思っていた。
ところがその1年後、船戸女流二段はLPSAに電撃移籍する。このときの私の喜びを、なんと表現したらいいのだろう。嬉しかった。本当に嬉しかった。そして、これは運命だと思った。
金曜サロンで初めて会話をした。船戸女流二段は初対面の私とも気さくに話してくれた。その声、仕種、何もかもが魅力的だった。私は彼女と昔からの知り合いだったような、懐かしい気持ちになった。そして私はますます、彼女のことが好きになった。
それからは、私の渇いた生活の中で、金曜サロンで彼女と将棋を指すことが、唯一の楽しみとなった。彼女とおしゃべりしているときが、いちばん楽しかった。
私がこれまで心底好きになった女性はあまりいない。23年前に旅先で出会った「角館の美女」と、新卒で入った会社の同僚ぐらいだ。しかし船戸女流二段が私の目の前に現れてからは、彼女しか目に入っていなかった。いつも、彼女を追っていた。そのくらい、彼女のことを想っていた。いままでの人生で、こんなに好きになった女性はいなかった。
いまでは笑い話にしかならないが、長崎県の喫茶店のマスターはちょっとした能力の持ち主で、ヒトの将来が見える。私も毎年12月にお邪魔しているのだが、ある年マスターは、私が将来必ず結婚する、と言った。私の隣に、伴侶になる女性のオーラが見えるからだと言った。
だからいつしか私は、私の結婚相手は、船戸女流二段だと思うようになった。そして、いろいろな妄想をした。ふたりで沖縄を旅行したり、両親に紹介したり、6歳のめいに自慢したり…。ついにはブログに、「結婚報告」を書いたりもした。
繰り返すが、大笑いである。いまでは腹を抱えて、自分のバカさ加減を嗤うしかない。
この想いを、私は昨年の4月下旬に、彼女に手紙で伝えた。だが、彼女からは何の反応もなく、私は落胆した。
ところが最新の調べだと、この手紙を彼女が読んでいなかった可能性が出てきた。まあ、それならそれで、最初から読まれない運命だったのだろう。
夏に石垣島を旅行した際、私はユースホステルのヘルパーさんらに、「恋愛相談」をしてみた。このブログには書いていない私のすべてを、置かれている状況を、ヘルパーさんらにぶつけたのだ。
注目の回答は、「その片思いは絶対うまくいく!!」だった。女性2人の回答だったから、かなりの信頼性があったと思われる。
これに自信を得た私は、意気揚々と帰京する。しかし元の生活に戻ってみると、私は臆病風に吹かれ、彼女にアプローチすることができなかった。チャンスはあったのに、できなかった。
クリスマスイブに、思い切って船戸女流二段を飲みに誘ってみた。しかし結果は「NO」だった。このとき私は、すべてを諦めるべきだったのだろう。
だが私は、未練がましく彼女に執着した。明らかに嫌われているのに、諦めきれなかった。
今年の6月、彼女から
「私が結婚したらどうする?」
と聞かれた。私は冗談だと思ったが、実は本気だったと、いまは分かる。いままでファンでいてくれたあなたに、一応仁義を切っておきます、というところだったのだろう。
しかし私は、
「どうぞどうぞ」
と強がって見せただけだった。ただ、若干の不安を感じた私は、「でもやっぱりショックがあるから、オレが気がついたら船戸先生が結婚していた、というのがいちばんショックが少ないかも」
と続けた。
船戸女流二段は恐らく、それを実行してくれたのだろう。たしかに気がついたら、船戸女流二段は結婚していた。しかし私の衝撃は、たいへんなものだった。
こんなことなら、まだ結婚の影がなかったころの彼女に、アプローチをするべきだったと後悔した。繰り返すが、アプローチするチャンスは、実際に何度かあったのだ。しかし私は、それを悉く見送った。船戸女流二段の存在感に、私はひるんだのだった。

――サロンが入っている玄関に着く。見上げると、2階の窓に灯りが点いている。あの灯りの部屋に、船戸女流二段がいる。もう結婚してしまった、船戸女流二段がいる。
玄関のドアを開けて、中に入った。一歩、また一歩と、階段を上っていく。上がるのが怖い。足がガクガク震える。それはまるで、死刑場への階段のようだった。
2階の、ドアの前に着いた。もうダメだ。心臓が口から飛び出しそうだ。息が荒い。深呼吸をひとつする。口がカラカラだ。舌で、唇を湿らせた。
ドアをノックし、カチャリと開けた。
!? こ、これは……!?
目の前には、誰もいなかった。ほかのみんなは、どこに行ったのだ!?
「こんばんは」
左から、船戸女流二段の声がした。
ええっ!? 何が、どうなっているのだ!?
(つづく)
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7月21日の木曜ワインサロン

2011-07-24 00:09:17 | LPSA木曜ワインサロン
21日は、LPSA木曜ワインサロンに行った。ワインサロンとは、ソムリエの資格を持つ船戸陽子女流二段オススメのワインを楽しみながら、プチ講義と指導対局を楽しむという、将棋とワイン好きにはたまらない企画である。
私は船戸女流二段のファンなのでなるべく参加するようにはしているが、船戸女流二段に見とれてばかりで、肝心のプチ講座がほとんど頭に入らない。
「あのう…これ何度も教えましたけど。常識ですけど。大沢さん、ダメですね」
と船戸女流二段にたしなめられたこともたびたびだ。
きょうは訳あってちょっと早めに入った。大勢の中で船戸女流二段と話すときは、セクハラまがいの発言も平気でする私だが、ふたりきりになると、妙に緊張してしまう。何となく書棚のところに行ったりして、物理的にも精神的にも距離を置きながら話す。
船戸女流二段は先日のマイナビ女子オープンでチャレンジマッチ行きが決まり、やや元気がなかった。しかし実力があるので、チャレンジマッチは勝ち抜いてくるだろう。
若干話が盛り上がり、物理的にもうちょっと近付いてみようか…というところで、Hi氏が見えた。これでふたりの世界は終わりだ。
Hi氏は茨城在住だが、以前からワインサロンを受講したかったらしく、今回待望の初参戦となった。その熱心さには頭が下がる。
開始の午後7時にはちょっと早いが、先に指導対局を始めてしまう。
きょうの船戸女流二段もオシャレで、太腿の「絶対領域」がまぶしい。私の居飛車明示に、船戸女流二段は中飛車に構えた。
7時ちょっと前になったところで、Kun氏が見えた。さらに新規の客が2人加わり、ここでワイン講義の開始。
きょうのオススメワインは、前回と同じ、南フランス・ラングドック地方の白ワインだった。「ラングドック」とは初耳だが、前回聞きもらしたらしい。
ひとしきり講義を受けたあと、
「では、お試しください」
の声に従って、口に含む。前回より酸味が強く、硬質な感じがする。魚介類や白身の肉に合うとのことだった。
いきなり将棋が始まったので怪訝そうだったHi氏も、優雅にワインを楽しんでいる。Hi氏、今回はクルマで来たが、それを宿泊先のホテルに置いて、改めて電車で来たそうだ。ファンとはありがたいものである。
将棋のほう、私は▲3八飛戦法で対抗した。

上手・船戸女流二段:1一香、1三歩、2一桂、2三歩、3三角、4三金、4四銀、5一飛、5五歩、6一金、6四歩、7二銀、7四歩、8一桂、8二王、8三歩、9一香、9四歩 持駒:歩
下手・一公:1七歩、1九香、2五歩、2九桂、3八飛、5六歩、5七銀、5八金、6七歩、6八銀、6九金、7六歩、7八玉、8七歩、8八角、8九桂、9六歩、9九香 持駒:歩3
(△5五歩まで)

船戸女流二段はミニスカートだったので、スキを見てのぞきこむが、その下になにかを履いていた。ちょっと興醒めして、指導対局に専念する。
1歩ドクで指しやすいと思ったが、△5五歩と突かれて分からなくなった。それで▲4六銀と出たが、これでは自信がなかった。
ここで△5六歩なら▲4五歩△5五銀▲同銀△同角▲同角△同飛▲3二飛成が一変化だが、それは下手も5筋にキズがあるので、こちらがつまらないと思っていた。
ところが船戸女流二段は△3四歩。らしからぬ弱気な一手だ。
私は▲4五歩。△5三銀と引くようでは話にならぬので△3五銀と出たが、するりと▲5五銀と出ては、私の優勢となった。歩の持ち数が0対4、何より銀の働きが違いすぎる。ここからは気負わずに指すことを心掛けた。
最後は船戸玉を都詰めに討ち取って、うれしい勝利となった。
木曜ワインサロンは1回4,000円。決して安くない料金だが、上で述べたとおり、これからもなるべく参加しようと思っている。
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七夕ワインサロン

2011-07-11 00:13:39 | LPSA木曜ワインサロン
7日(木)は、「LPSA七夕ワインサロン」に行った。ワインサロンとは、船戸陽子女流二段が主宰する、ワインと将棋のコラボレート企画である。
船戸女流二段オススメのワインを楽しみながら、将棋をパチリ。真夏の夜に、優雅なひとときだ。通常は「木曜ワインサロン」だが、きょうは七夕なので、「七夕ワインサロン」なのだった。
サロンに入る前に、「小諸そば」で腹ごしらえ。サロンに入ったのは、午後6時50分ごろだった。
先客は珍しやSi氏。Si氏は文字どおり「先生」と呼ばれている職業で、凡人の私などは足元にも及ばない。それでも親しく話せるのは、間に将棋が介在しているからだ。
船戸女流二段に挨拶をする。相変わらず魅力的だ。ブログの読者がウルサイが、きょうは七夕だから、チャンスがあれば飲みに誘おうと思っていた。
Kun氏が入室する。Kun氏もまた、けっこうな役職に就いている。将棋ペンクラブの集まりでも、教師や作家、弁護士など、錚々たるメンバーが名を連ねるが、私は将棋のおかげで、皆さんと臆することなく話をすることができる。将棋さまさまである。
7時5分前(6時55分)だが、先に対局に入る。毎回テーマを決めている船戸女流二段、きょうは「対抗形ナイト」らしい。たまらない。船戸女流二段はさわやかな夏服の装いだが、派手さはない。ワインの妨げになるからだろう、香水の香りもしない。
▲7六歩△3四歩▲9六歩。私は居飛車か振り飛車か決めかねているので、船戸先生どうぞ。に、大沢さん決めてよ。と△3三角。じゃあ居飛車で。と▲2六歩。分かった、じゃあ私が振るね。と△4四歩。「棋は対話」というが、こういう「会話」が楽しい。
K・T氏も入室。これで役者がそろった感じだ。ここでワイン講義に入る。
まずは告知。FM(ラジオ)・FUJIで、11日(月)16時15分から放送される「Pump up Radio」内の「おけいこ学び隊」で、LPSAが紹介されるらしい。
MCのDJ氏は、収録時に将棋に夢中になり、
「どうでもいい手を指すと、自分に負けた気分になる」
との名言を残したそうだ。FM・FUJIは、場所によっては東京でも聴けるらしいので、その環境にある方は、聴いてみるのもいいと思う。
きょうの船戸さんのオススメは白ワイン。銘柄は聞きもらした。品種は「シャル・ド・ネ」。一口ふくむが、うまい。前回はキリッとした感じ、前々回は甘めだったが、今回はその中間という感じか。船戸さんの表現を借りれば、味にふくらみがあり、あたたかみがあるという。魚や鶏肉(棒棒鶏)、ゆで豚などに合うらしいから、サッパリ系の食事が合うようだ。
船戸女流二段は中飛車に振り、穴熊に潜った。Kun氏には振り飛車穴熊、K・T氏には居飛車穴熊。Si氏は二枚落ちだったから、「全部穴熊になっちゃった」ことになる。前回は急戦の将棋を指していたが、ニュースタイルの陽子はどこかへ行っちゃったようである。私との将棋は、下。

船戸女流二段が△7六銀とカチこんできたところだが、悪手。▲同銀△同歩に、▲4三銀と飛車角両取りに打てば、私の必勝だった。ところが▲4三銀で▲8七香と据えたため、すかさず△7四飛と廻られ、チャンスを逸した。
とはいえ▲8七香もわるい手ではなく、最終手は香の利きを活かした▲8四歩で、幕。酒に弱い私には、ワインぐらいのアルコール量がちょうどよく、頭の回転もよくなるようだ。
この対局で、船戸女流二段との平手指導対局は50局目(10秒将棋の3局は除く)。勝敗は、25勝25敗のイーブンになった。
私の将棋が一番早く終わったが、きょうは帰らない。前述のとおり、展開によっては…というところだが、3人の対局はまだまだ続きそうである。
Kun氏が逆転勝ちを収め、そそくさと後にした。Si氏はというと、寄せありと読んで飛車を切ったが、上手玉は逃れていた。しかしそこからSi氏が踏ん張り、いまは再び勝勢になっている。K・T氏との将棋は、相穴熊のこってりした戦いが続いている。熱戦で、まだゴールが見えない。
「まだK・Tさんと指しますよ…」
と船戸女流二段がつぶやく。一公さん、待っててもムダですよ、というところか。今年の七夕は諦めるしかなさそうだ。
Si氏、じっくり考えて、上手玉を寄せ切った。簡単な感想戦が終わったところで、私はSi氏といっしょにサロンを出る。
このあとはサイゼリヤへ。その先にあるガストに入る手もあったが、サイゼリヤに落ち着いた。
LPSAファンのSi氏は、LPSAに対する愛があふれ、話していて、とても楽しかった。LPSAは、Si氏のようなファンのためにも、いま以上にいい将棋を指さなければならない。期待に応えなければならない。
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