船戸陽子女流二段は△3四歩と指した。私は▲2六歩。彼女は△4四歩。
船戸女流二段の結婚のコメントを読んでからというもの、私は「穴熊」と「棒銀」に過剰な反応を示すようになってしまった。ちょっと、どちらも見るのがつらい。新郎新婦の独身時代の「攻防」を想像して、将棋が指せなくなってしまうのだ。
穴熊も棒銀も、自分が指さなければいいが、相手がそれを目指してきた場合は、防ぎようがない。
私が居飛車を明示したので、船戸女流二段の居飛車穴熊は消えた。だがまだ、振り飛車穴熊と棒銀の線は残っている。
▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉。
ここ▲6八玉で▲6八銀の矢倉志向なら、船戸女流二段はそれを咎めて中飛車に振りそうな気がした。船戸女流二段の中飛車と穴熊はワンセットだ。そうなってはたまらない。
▲6八玉は、私が二段玉に構えれば、船戸女流二段が居飛車にすると考えた。
しかし船戸女流二段は、△4三銀~△3二金と、まだ態度を明らかにしない。
▲5八金右に△1四歩。15手目▲6八銀。これに船戸女流二段が△6二銀と上がったので、やっと穴熊の線が消えた。
しかし…自分の構想より、相手の手を限定させることに神経を遣うとは、何をやっているのだろう。
続く▲3六歩に船戸女流二段が△5三銀と上がったので、これで棒銀もなくなった。私は安堵の息を吐く。
雁木――船戸女流二段の十八番だ。これこそふたりの、最後の対局にふさわしい。
しかし私は、深く頭を垂れたままだ。
目の前にあこがれの女流棋士がいるのに、顔を上げられない。新婚の船戸女流二段を見ることが、どうしてもできない。私のうつろな目は自陣をさまよい、船戸女流二段のワンピースすら、目に入らなかった。
彼女は、どこを見ているのだろう。盤上か、私か。私を見ているなら、それは蔑みの眼なのか。
私を誘えなかった、情けない男――。
私は一口、ワインを飲む。緊張と絶望で、全然味が分からなかった。
と、船戸女流二段が席を立ち、ホワイトボードに何かを書いた。このとき初めて、私は船戸女流二段の全身を見た。その後ろ姿が、まぶしかった。
あれはいつのワインサロンだったか。このブログに「私は船戸女流二段のミニスカートを覗いた」と書いたら、ある棋友から「あれは書きすぎじゃない?」と意見された。
どうも世間ではこの話が拡がって、私が犯罪者になっていたらしい。
だが私が、神聖な船戸女流二段のスカートを覗くわけがないじゃないか。
もし疑うなら、一度ワインサロンに参加してみればよい。対局者が座っていても、覗くのが角度的に無理なのは、誰でも分かるはずだから――。
きょうの船戸女流二段も、スリムだった。しかしあまりにも、スリムになってしまった。
どうしてここまでスリムになる必要があるのだろう。少なくとも私の知っている船戸女流二段は、こんなにスリムではなかった。もっと、健康的だった。いったい彼女に、どういう心境の変化があったのか――。
しかし私には、何も言う権利はない。仮に言ったところで、大きなお世話です、と非難されるだけだ。
「きょうのワインは、『塩尻桔梗ヶ原』の2010年です」
彼女が振り向いて、言った。
「はい」
私は棋譜ノートの余白に、「塩尻 桔梗ヶ原 2010」と書く。
しかしそれ以上の説明はなかった。これから客が来た際に、改めて講義を行うのだろう。
船戸女流二段が、ケータイからどこかに電話をして、また私の前に座った。私はまた、目を伏せる。
私はケータイを持っていない。いつだったか、船戸女流二段に強く勧められたことがあった。しかし私は、頑としてケータイを買わなかった。
もしあのとき買っていれば、船戸女流二段とメールのやり取りができたのだろうか。電話が来たのだろうか。それができたら、ふたりは親密な仲になれたのだろうか――。
今年のバレンタインデーのこと。船戸女流二段が、私にチョコレートをくれそうな雰囲気があった。しかし船戸女流二段は当日、マンデーレッスンSは休みだった。
そこで私は、当日ゲスト講師だった中倉宏美女流二段に、北海道土産を渡すことを優先させた。
しかし私は船戸女流二段のことが好きだったのだから、なりふりなり構わず、チョコをもらいに行くべきだったと、いまでは思う。そうなれば…。
しかしどれもこれも、局後の感想戦でしかない。とにかく私は、何もしなかったのだ。自分を呪いたいくらい、何もしなかったのだ。
将棋は中盤戦に入った。いつものふたりなら軽口のひとつも出るところだ。しかし船戸女流二段も私も、一言も発しない。それはまるで、最後の対局の荘厳な儀式を行っているかのようだった。
息が苦しくなってきた。私はうつむいたまま、細かい息を吐く。いままでのさまざまな後悔がまじった、情けないため息だ。しかし船戸女流二段の様子に、変化はない。淡々と、指し手を進めている感じだった。
投了したかった。でも、指さなければいけない。それが船戸女流二段へのエチケットでもある。
97手目、私は飛車で歩を払う。これで私が有利になったと思った。ところがその直後に、銀による飛車取りが飛んできた。1秒も考えなかった手だ。
一目、飛車が逃げれば何でもないと思った。だが読んでいくうちに、上手に存分に捌かれてしまうことが分かった。
もう、ダメだ。こんな状態では、とても指すことができない。限界だった。
「負けました」
ついに私は投了した。
「えーっ!?」
と船戸女流二段。いままでも私の早投げは何度かあり、そのたびに船戸女流二段は頓狂な声を上げた。その声を、最後の対局で聞くことになろうとは…。
「ちょっとこれ以上は…」
私はうなだれながら言った。
「じゃあ、もう1局指しましょう」
「いえいえ、それは…もう…勘弁して、ください」
船戸女流二段のありがたい申し出に、私は歪んだ顔で手を振り、それを拒んだ。お情けの2局目を行ったら、泣きだしてしまいそうだったからだ。
船戸女流二段も強くは言わず、そのまま席を立った。感想戦をやる雰囲気ではなかった。
けっきょく、ほかに客は来なかった。しかし、私がここにいる意味もない。ここにいたって、話すことなどないからだ。本当はいっぱい話したいのに。もっと彼女の声を聞きたいのに…。そしてそのチャンスは、いままでだって、いくらでもあったのだ。しかし私は、何もしなかった。
私はワインを一口含むと、これで失礼します、と言って、席を立った。ワインは2口しか楽しまなかった。もう、胃が受けつけなかった。ワインを残してしまい、船戸女流二段に申し訳ないと思う。私は最後まで、出来の悪い生徒だった。
ときに午後7時28分。ワインサロンは9時までだから、あまりにも早い退室だ。
しかし船戸女流二段も、それを予期していたかのように、はい、と答えただけだった。
ドアの近くまで行く。振り返って、お幸せに、と言いたかった。しかし、言えなかった。私は無言で深々と頭を下げると、顔を歪ませ、部屋を出たのだった。
「――私、何年後かに沖縄でワインバーを開くのが夢なんです」
昨年4月のある夜、船戸女流二段が私にそう言った。
「沖縄のどこかの小さな島で、ワインバーを開くの。ちょっと将棋が強い女の人がワインバーをやってるよって、近所の噂になって。それってちょっといいと思わない?」
彼女は人生を達観したような、崇高な表情で、そう語った。
私は何も答えることができなかった。私にとって船戸陽子は女流棋士であり、ソムリエではない。彼女が東京からいなくなることが、考えられなかったからだ。ただひとつだけ分かったことは、彼女は私を見ていない、ということだった。
私は沖縄には行けない。それまで船戸女流二段との結婚を夢見ていた私は、このとき、彼女とは結ばれない運命であることを悟った。私の目から、涙がこぼれ落ちた。
私はいつも、船戸女流二段を見ていた。女流棋士を続けてほしいと願っていた。
LPSAや日本将棋連盟のホームページで彼女の対局がついていると、ああよかった、彼女はまだ将棋を続けてくれていると、心からうれしく思った。
私にはいま、彼女を憎む気持ちがある。彼女に非はまったくないのに、彼女の不幸を望む自分がいる。そんな自分の狭量が情けなく、悲しい。
船戸女流二段には、こんなバカな男の期待を裏切って、幸せになってほしい。対局も、いっぱいいっぱい勝ってほしい。日本将棋連盟のホームページに、船戸女流二段の昇段マジックが掲載されたとき、彼女は、これでハリが出ます、と言った。これからは、私がLPSAのホームページを見るのがイヤになるくらい、勝ちまくってほしい。
そして、いまの主人に巡り会えて本当によかった。私はとても幸せ。こうキッパリと言い切れるくらい、世界一幸せになってほしい。
船戸陽子先生には、この3年余り、本当にお世話になりました。
船戸陽子先生との対局は、本当に楽しかった。他愛ないおしゃべりも、本当に楽しかった。そして船戸陽子先生は、本当に綺麗だった。何人も寄せつけないくらいに気高く、凄絶なまでに、美しかった。
船戸陽子先生のことは、一生忘れない。本当に、ありがとうございました。
最後に、今回のワインサロンで指された、船戸女流二段との指導対局の棋譜を載せておく。
読者の中で、もし時間のある方がおられたら、悲しみと絶望の中で指した私の将棋を並べてほしい。そしてその指し手の中から、私の気持ちのいくらかでも感じ取っていただければ、幸いに思う。
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉△4三銀▲7八玉△3二金▲5八金右△1四歩▲6八銀△6二銀▲3六歩△5三銀▲5七銀左△7四歩
▲6八金上△7二飛▲6六歩△7五歩▲同歩△同飛▲6九玉△4一王▲6七金右△5二金▲6五歩△7一飛▲6六銀△6一飛▲7六金△3一王▲5七銀上△4二金右▲6七金△4五歩
▲2五歩△6四歩▲同歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6四歩△7六歩▲6五銀打△5三金▲7六銀△6四飛▲6五歩△6一飛▲7八玉△7一飛▲7五歩△9四歩▲2四歩△同歩
▲同飛△2三歩▲2八飛△9五歩▲7七角△8四歩▲8六角△4二金打▲5九角△4四金▲3七角△5五歩▲同歩△3五歩▲同歩△3六歩▲5九角△5五金▲5六歩△6六金
▲同銀△6一飛▲2四歩△同歩▲同飛△6四歩▲同歩△2三歩▲2六飛△4六歩▲同歩△6四飛▲6五歩△2四飛▲2五歩△5四飛▲3六飛△4七銀
まで、98手で船戸女流二段の勝ち。
船戸陽子女流二段との指導対局・対戦成績(2008年5月31日~2011年9月1日)
・平手 下手26勝28敗
・香落ち 下手4勝2敗
・角落ち 下手1勝0敗
・10秒将棋(平手) 下手1勝2敗
(完)
このあと私は、錦糸町の風俗に行った。とてもこのまま、真っ直ぐ帰る気にはなれなかったからだ。
しかしこんな心境では、勃つべきものも、勃たない。
けっきょく、何も、出なかった。
(これが本当の、完)
船戸女流二段の結婚のコメントを読んでからというもの、私は「穴熊」と「棒銀」に過剰な反応を示すようになってしまった。ちょっと、どちらも見るのがつらい。新郎新婦の独身時代の「攻防」を想像して、将棋が指せなくなってしまうのだ。
穴熊も棒銀も、自分が指さなければいいが、相手がそれを目指してきた場合は、防ぎようがない。
私が居飛車を明示したので、船戸女流二段の居飛車穴熊は消えた。だがまだ、振り飛車穴熊と棒銀の線は残っている。
▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉。
ここ▲6八玉で▲6八銀の矢倉志向なら、船戸女流二段はそれを咎めて中飛車に振りそうな気がした。船戸女流二段の中飛車と穴熊はワンセットだ。そうなってはたまらない。
▲6八玉は、私が二段玉に構えれば、船戸女流二段が居飛車にすると考えた。
しかし船戸女流二段は、△4三銀~△3二金と、まだ態度を明らかにしない。
▲5八金右に△1四歩。15手目▲6八銀。これに船戸女流二段が△6二銀と上がったので、やっと穴熊の線が消えた。
しかし…自分の構想より、相手の手を限定させることに神経を遣うとは、何をやっているのだろう。
続く▲3六歩に船戸女流二段が△5三銀と上がったので、これで棒銀もなくなった。私は安堵の息を吐く。
雁木――船戸女流二段の十八番だ。これこそふたりの、最後の対局にふさわしい。
しかし私は、深く頭を垂れたままだ。
目の前にあこがれの女流棋士がいるのに、顔を上げられない。新婚の船戸女流二段を見ることが、どうしてもできない。私のうつろな目は自陣をさまよい、船戸女流二段のワンピースすら、目に入らなかった。
彼女は、どこを見ているのだろう。盤上か、私か。私を見ているなら、それは蔑みの眼なのか。
私を誘えなかった、情けない男――。
私は一口、ワインを飲む。緊張と絶望で、全然味が分からなかった。
と、船戸女流二段が席を立ち、ホワイトボードに何かを書いた。このとき初めて、私は船戸女流二段の全身を見た。その後ろ姿が、まぶしかった。
あれはいつのワインサロンだったか。このブログに「私は船戸女流二段のミニスカートを覗いた」と書いたら、ある棋友から「あれは書きすぎじゃない?」と意見された。
どうも世間ではこの話が拡がって、私が犯罪者になっていたらしい。
だが私が、神聖な船戸女流二段のスカートを覗くわけがないじゃないか。
もし疑うなら、一度ワインサロンに参加してみればよい。対局者が座っていても、覗くのが角度的に無理なのは、誰でも分かるはずだから――。
きょうの船戸女流二段も、スリムだった。しかしあまりにも、スリムになってしまった。
どうしてここまでスリムになる必要があるのだろう。少なくとも私の知っている船戸女流二段は、こんなにスリムではなかった。もっと、健康的だった。いったい彼女に、どういう心境の変化があったのか――。
しかし私には、何も言う権利はない。仮に言ったところで、大きなお世話です、と非難されるだけだ。
「きょうのワインは、『塩尻桔梗ヶ原』の2010年です」
彼女が振り向いて、言った。
「はい」
私は棋譜ノートの余白に、「塩尻 桔梗ヶ原 2010」と書く。
しかしそれ以上の説明はなかった。これから客が来た際に、改めて講義を行うのだろう。
船戸女流二段が、ケータイからどこかに電話をして、また私の前に座った。私はまた、目を伏せる。
私はケータイを持っていない。いつだったか、船戸女流二段に強く勧められたことがあった。しかし私は、頑としてケータイを買わなかった。
もしあのとき買っていれば、船戸女流二段とメールのやり取りができたのだろうか。電話が来たのだろうか。それができたら、ふたりは親密な仲になれたのだろうか――。
今年のバレンタインデーのこと。船戸女流二段が、私にチョコレートをくれそうな雰囲気があった。しかし船戸女流二段は当日、マンデーレッスンSは休みだった。
そこで私は、当日ゲスト講師だった中倉宏美女流二段に、北海道土産を渡すことを優先させた。
しかし私は船戸女流二段のことが好きだったのだから、なりふりなり構わず、チョコをもらいに行くべきだったと、いまでは思う。そうなれば…。
しかしどれもこれも、局後の感想戦でしかない。とにかく私は、何もしなかったのだ。自分を呪いたいくらい、何もしなかったのだ。
将棋は中盤戦に入った。いつものふたりなら軽口のひとつも出るところだ。しかし船戸女流二段も私も、一言も発しない。それはまるで、最後の対局の荘厳な儀式を行っているかのようだった。
息が苦しくなってきた。私はうつむいたまま、細かい息を吐く。いままでのさまざまな後悔がまじった、情けないため息だ。しかし船戸女流二段の様子に、変化はない。淡々と、指し手を進めている感じだった。
投了したかった。でも、指さなければいけない。それが船戸女流二段へのエチケットでもある。
97手目、私は飛車で歩を払う。これで私が有利になったと思った。ところがその直後に、銀による飛車取りが飛んできた。1秒も考えなかった手だ。
一目、飛車が逃げれば何でもないと思った。だが読んでいくうちに、上手に存分に捌かれてしまうことが分かった。
もう、ダメだ。こんな状態では、とても指すことができない。限界だった。
「負けました」
ついに私は投了した。
「えーっ!?」
と船戸女流二段。いままでも私の早投げは何度かあり、そのたびに船戸女流二段は頓狂な声を上げた。その声を、最後の対局で聞くことになろうとは…。
「ちょっとこれ以上は…」
私はうなだれながら言った。
「じゃあ、もう1局指しましょう」
「いえいえ、それは…もう…勘弁して、ください」
船戸女流二段のありがたい申し出に、私は歪んだ顔で手を振り、それを拒んだ。お情けの2局目を行ったら、泣きだしてしまいそうだったからだ。
船戸女流二段も強くは言わず、そのまま席を立った。感想戦をやる雰囲気ではなかった。
けっきょく、ほかに客は来なかった。しかし、私がここにいる意味もない。ここにいたって、話すことなどないからだ。本当はいっぱい話したいのに。もっと彼女の声を聞きたいのに…。そしてそのチャンスは、いままでだって、いくらでもあったのだ。しかし私は、何もしなかった。
私はワインを一口含むと、これで失礼します、と言って、席を立った。ワインは2口しか楽しまなかった。もう、胃が受けつけなかった。ワインを残してしまい、船戸女流二段に申し訳ないと思う。私は最後まで、出来の悪い生徒だった。
ときに午後7時28分。ワインサロンは9時までだから、あまりにも早い退室だ。
しかし船戸女流二段も、それを予期していたかのように、はい、と答えただけだった。
ドアの近くまで行く。振り返って、お幸せに、と言いたかった。しかし、言えなかった。私は無言で深々と頭を下げると、顔を歪ませ、部屋を出たのだった。
「――私、何年後かに沖縄でワインバーを開くのが夢なんです」
昨年4月のある夜、船戸女流二段が私にそう言った。
「沖縄のどこかの小さな島で、ワインバーを開くの。ちょっと将棋が強い女の人がワインバーをやってるよって、近所の噂になって。それってちょっといいと思わない?」
彼女は人生を達観したような、崇高な表情で、そう語った。
私は何も答えることができなかった。私にとって船戸陽子は女流棋士であり、ソムリエではない。彼女が東京からいなくなることが、考えられなかったからだ。ただひとつだけ分かったことは、彼女は私を見ていない、ということだった。
私は沖縄には行けない。それまで船戸女流二段との結婚を夢見ていた私は、このとき、彼女とは結ばれない運命であることを悟った。私の目から、涙がこぼれ落ちた。
私はいつも、船戸女流二段を見ていた。女流棋士を続けてほしいと願っていた。
LPSAや日本将棋連盟のホームページで彼女の対局がついていると、ああよかった、彼女はまだ将棋を続けてくれていると、心からうれしく思った。
私にはいま、彼女を憎む気持ちがある。彼女に非はまったくないのに、彼女の不幸を望む自分がいる。そんな自分の狭量が情けなく、悲しい。
船戸女流二段には、こんなバカな男の期待を裏切って、幸せになってほしい。対局も、いっぱいいっぱい勝ってほしい。日本将棋連盟のホームページに、船戸女流二段の昇段マジックが掲載されたとき、彼女は、これでハリが出ます、と言った。これからは、私がLPSAのホームページを見るのがイヤになるくらい、勝ちまくってほしい。
そして、いまの主人に巡り会えて本当によかった。私はとても幸せ。こうキッパリと言い切れるくらい、世界一幸せになってほしい。
船戸陽子先生には、この3年余り、本当にお世話になりました。
船戸陽子先生との対局は、本当に楽しかった。他愛ないおしゃべりも、本当に楽しかった。そして船戸陽子先生は、本当に綺麗だった。何人も寄せつけないくらいに気高く、凄絶なまでに、美しかった。
船戸陽子先生のことは、一生忘れない。本当に、ありがとうございました。
最後に、今回のワインサロンで指された、船戸女流二段との指導対局の棋譜を載せておく。
読者の中で、もし時間のある方がおられたら、悲しみと絶望の中で指した私の将棋を並べてほしい。そしてその指し手の中から、私の気持ちのいくらかでも感じ取っていただければ、幸いに思う。
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉△4三銀▲7八玉△3二金▲5八金右△1四歩▲6八銀△6二銀▲3六歩△5三銀▲5七銀左△7四歩
▲6八金上△7二飛▲6六歩△7五歩▲同歩△同飛▲6九玉△4一王▲6七金右△5二金▲6五歩△7一飛▲6六銀△6一飛▲7六金△3一王▲5七銀上△4二金右▲6七金△4五歩
▲2五歩△6四歩▲同歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6四歩△7六歩▲6五銀打△5三金▲7六銀△6四飛▲6五歩△6一飛▲7八玉△7一飛▲7五歩△9四歩▲2四歩△同歩
▲同飛△2三歩▲2八飛△9五歩▲7七角△8四歩▲8六角△4二金打▲5九角△4四金▲3七角△5五歩▲同歩△3五歩▲同歩△3六歩▲5九角△5五金▲5六歩△6六金
▲同銀△6一飛▲2四歩△同歩▲同飛△6四歩▲同歩△2三歩▲2六飛△4六歩▲同歩△6四飛▲6五歩△2四飛▲2五歩△5四飛▲3六飛△4七銀
まで、98手で船戸女流二段の勝ち。
船戸陽子女流二段との指導対局・対戦成績(2008年5月31日~2011年9月1日)
・平手 下手26勝28敗
・香落ち 下手4勝2敗
・角落ち 下手1勝0敗
・10秒将棋(平手) 下手1勝2敗
(完)
このあと私は、錦糸町の風俗に行った。とてもこのまま、真っ直ぐ帰る気にはなれなかったからだ。
しかしこんな心境では、勃つべきものも、勃たない。
けっきょく、何も、出なかった。
(これが本当の、完)