一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2024年九州旅行・8

2025-02-15 22:43:26 | 旅行記・九州編
お代はSuicaで払った。現在それまでのチャージ額は9888円。焼きカレーは1000円だったので、残金は8888円になったのではないか? 8並びとは末広がりで縁起がいい。でも、面倒なので明細までは確認しなかった。
門司港駅に戻り、再び駅舎を愛でた後、緊張しながら改札口を抜け、小倉に向かった。
小倉は北九州市を代表する駅で、鹿児島本線にも日豊本線にも行ける、重要なジャンクションである。
15時55分、小倉で下車すると、旦過市場へ向かった。旦過市場は多くの飲食店、食料品店が集まり、北九州市民の台所である。
だが、2022年の4月と8月に火災があり、市場は壊滅的な打撃を受けた。むかし東京・新宿の「思い出横丁」で火事があったが、木造の建物群は常にその危険と隣合わせにある。今回の訪問は、旦過市場の現状を確認するためだった。
駅前のアーケード街を抜けると、旦過市場があった。パッと見は健在だったが、中に入ると通路から左全部が工事中だった。プレハブ造りで営業もされているが、あまりにも味気ない。
通路の右手は健在だが、こちらもやがて建て替えられるのだろうか。だけどでっかいビルを建ててそこの1階で営業されても、ありがたみを感じない。
ただ、旦過市場の主要顧客は地元の人だろう。その人たちから見たら、建物が新しくなったほうがいいに決まっている。私たち外部の人間は、黙って推移を見守るしかないのだ。
以前もお邪魔した和菓子屋が営業していたので、水ようかん、塩大福、水大福を買った(390円)。
歩きながら食べようとも思ったがはしたないので、とりあえずリュックにしのばせ、小倉城に向かう。
近代的なビル群の先に、小倉城はあった。今回の旅で3つめの城である。ぜひとも中に入りたいが、もう時間がないので、天守閣を眺めるに留める。
近隣の公園では、クリスマスイベントの飾りつけの最中だった。この時期の九州といえば、天神や博多駅前でクリスマスマーケットを覗くのが定番だったが、結局ひとり旅ではあまり楽しめないことが分かり、今年はお邪魔しなかった。
駅前のアーケード街を通ったとき、「湖月堂」という和菓子屋が気になったので、再度行ってみることにする。カステラがあったら買いたかったのだが、純粋な和菓子専門店のようで、何も購入はしなかった。
もうひとつ、小倉駅といえば、駅前の一角にある、ストリップ小屋と成人映画館である。いまは小倉駅に立派な駅ビルが建ち、モノレールも開通した。九州を代表する駅ではあるが、小倉の本質は旦過市場や成人映画館のような猥雑さである。文化の継承という意味で、これらはなくしてはいけない。
以前あったと思しき場所に行くと、ストリップ小屋と成人映画館は健在だった。うんうん、それでよい。
私は満足して、駅ビルに入る。惣菜店では辛子明太子が売られており、切れ子が300g1,080円だった。これはけっこう安いと思うのだが、これに保冷バッグや保冷剤がつくと高くついちゃうのではないか。それで、店員さんがいたのに申し訳ないが、購入を断念した。
再び小倉駅前に出る。旨そうな天ぷら定食屋がある。むかし似た場所で天ぷら定食を食べたことがあるが、680円で美味かった記憶がある。ただそのときは、店の地下に下りて食べた。
ここは1階で、微妙に雰囲気が違う。それと、晩飯にするにはちょっと時間が早く、それほどお腹も減っていなかったので、やはり入店を断念した。
さて、そろそろ北九州空港に向かうことを意識しなければならない。空港へは小倉バスセンターから直行便が出ているが、先入観から、バス代が高いような気がした。
小倉から南下した朽網駅からも空港行きが出ている。スマホを繰ると、朽網からちょっと歩いたところに食事処もあるようだったので、そのルートを採った。長崎空港から川棚バスセンターへ行くのと同じパターンである。
小倉からはタイム20分で朽網に着いた。駅は西口と東口があるようだが、空港方面は東口のほうだ。そこから食事処へ行くには、途中で線路を跨がなければならない。ちょうどS字のような感じで、道に迷って空港バスに乗り損ねると、ヤバイことになる。こんなに危ない橋を渡るんだったら、素直に小倉から乗ればよかったのだが、変化を望むのが私の悪い癖である。
ともあれ食事処を目指し。タイム20分前後で、目当ての店「黒酢チキン南蛮専門店 たかもとや」に着いた。このあたりは食事処が並んでいて、駐車場も広い。クルマ族にかなり利用されているのではないだろうか。
入店し、店名にもなっているチキン南蛮定食を注文する。
チキンは衣がザクザクで好き嫌いが分かれるところだが、私は好きなほうだ。タルタルソースがたっぷり用意されていたのもよかった。肝心の味もよく、950円の価値はあった。
あとは無事に駅に着けばよい。だが、行きと帰りは景色が違い、スムーズには帰れなかった。
国道沿いにトヨタの販売店があったので駅を聞くと、「あちらの道を入ったところにあります」。私はいつの間にか、行き過ぎていたのだ。旅の2日目、おばあちゃんに早岐駅方面を教えてもらい助かったように、今回の旅も、街の人の教えに助けられた。
19時22分の空港行きバスに乗り、定刻より2分早い19時40分、北九州空港に着いた。
我がスターフライヤーは21時10分発なので、お土産を買う時間は十分にある。カステラの購入は絶対として、辛子明太子の切れ子を見たら、200g1,080円だったのでひっくり返った。小倉の駅ビルは同額で300gあったから、どう考えても小倉のほうが得だった。
私が買うのを断念したときの、店員さんの何ともいえない顔が思い出される。次に小倉に行ったら、あそこで辛子明太子を買おうと思った。
楽しかった旅も終わり。2025年は2024年よりいい年になるだろうか。とりあえず、あんでるせんに行けるだけの心の余裕は持つようにしたい。
(おわり)
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2024年九州旅行・7

2025-02-14 00:09:38 | 旅行記・九州編
私は特急に乗ることにした。窓口で特急券を所望すると、券売機を勧められた。それなら私でも操作できるが、駅員さんが手助けしてくれる。Suicaも使え、精算後は11208円が10458円になった。
駅の向こう側のホームには、「ななつ星in九州」が停まっていた。ななつ星は編成がひとつしかないんだろうから、ここで出会えるとは奇跡である。私は心の中で手を合わせた。
11時32分発の特急ソニック24号に乗る。JR九州の在来線特急に乗るのはかなり久しぶりだ。車内は先進的なデザインで、さっきは普通列車の座席にケチをつけたが、JR九州の特急列車のデザインは、JRグループ一だと思う。
それなのに、特急ソニックは自由席でも閑散としていた。平日のこの時間は当然か。車内は静かで、普通列車でゴトゴトした同じレールの上を走っているとは思えない。
この快適さなら小倉まで乗っていたいが、それだとべらぼうな特急料金になってしまう。私は予定通り、中津で下車した。
中津は鶏の唐揚げが有名で、駅を出ればチキン南蛮を食べさせる店がたくさんある。しかしここで時間を取っては、時間を短縮した意味がなくなってしまう。10分の待ち合わせで、普通列車に乗り換えた。
列車のシートはまたも片側6席だ。私は座らず、適当に席が空いた吉富で座った。
タイム1時間8分で小倉着。きょうは小倉も観光したいが、我が切符は北九州市が終着となっている。それなら細かいことだが、行けるところまで行くのがよい。すなわち、すぐに門司港へ行くのがよい。
待ち時間は20分ある。駅構内に立ち食いそば屋があったので、食す。ごぼ天うどんかしわ入りは570円で、私の立ち食いそば限度額から外れるが、それを頼んだ。なおここでもSuicaが使え、チャージ額が10450円から9888円になった。
ごぼ天うどんは美味かった。九州でうどんを食べるなら、ごぼ天は欠かせない。
小倉からはタイム14分で門司港に着いた。門司港近辺は「門司港レトロ」を謳い文句にしているが、その象徴が、この門司港駅である。ところがこの門司港駅、2012年に駅舎の保存修理工事が始まり、完全終了は2019年だった。まったくのお待たせで、それだけに鉄道ファンとしては、その雄姿を一度は拝まなければならない。
門司港駅のホームは、吊り下げ駅名標や駅名板が、昔のままだった。カップルなどが記念写真を撮っていた。ふだんこの類のアイテムとは無縁の人たちが、そこで写真を撮る。それほど、「門司港レトロ」は浸透しているのだ。たぶん、ホームで最もグズグズする終着駅であろう。
旅の初日に新大村で購入した切符とも、これでお別れである。3日間、よう頑張ってくれた。
でも私は改札口を抜けるとき、ダメ元で切符を所望した。すると駅員は快諾し、記念のスタンプを捺してくれた。どうも、同じことを所望する観光客がいるようだ。
コンコースも開業当時を再現していて、東京駅の丸の内口を思わせた。切符売場も再現されているが、さすがにこれは使わない。その脇に自動改札機がある。
コンコースの南側に、横長の侵入口がある。これが関門連絡船の通路跡である。昔はこの先100mを行ったところに連絡船が発着していたらしい。
さて、いよいよ駅舎とご対面である。
駅舎は洋風の味があり威風堂々、九州の玄関口にふさわしい佇まいだ。
写真撮影に専念したあと、海のほうに向かう。門司港といえば焼きカレーで、専門店が連なっている。入ってみたいが、いざ入ろうとすると、店内が見えないところや、入ってもほぼ満席であり、結局入れない。私はビビリなのである。だけど以前門司港を訪れたときは食べなかったので、きょうはどこかで食べたい。
いくつか無料の資料館を回る。赤レンガの美しい旧門司税関は、1階に押収品が陳列されている。中には書籍の中身をくりぬいて拳銃をしのばせたものもあり、映画の世界を見ているようだ。
門司港レトロ展望室はマンションの31階にあり景色がいいのは分かるが、有料(300円)なので入らない。貧乏人はおカネを散財できないのである。
もうひとつ、門司港といえば、関門トンネルの近くまで行く観光列車があるのだが、きょうは運転している気配がない。
一通り観光を終え、カレー店を探していると、一軒見つけた。ケーキなども売っているようだが、こういうパーラー的な店のほうが、美味い焼きカレーを提供してくれそうな気がする。
しかし焼きカレーは1000円で、さっきの2軒より高い。もっともここは、チーズと生卵が載っている。とはいえカレーごときに1000円なあ……。
だが今回の私は、初日の肉肉うどん、2日目のあっさりとんこつラーメン、先ほどのごぼ天かしわうどんと、私の許容範囲を越えた額のおカネを支払ってきた。今回もその流れで、食べる。
店に入ると、道路に面するテーブルを案内してくれた。、私は基本の焼きカレーを注文する。でも前述の通り、チーズと生卵はオンしている。
出てきたカレーはグツグツしていて、いかにも美味そう。一口食べると、美味い。生卵をくずして食べると、また美味い。皿が厚いので、ドリアを食べているようにも思える。なるほどこれが本場の焼きカレーか。これで1000円は、高くないと思った。
気持ちよく会計となる。…あれ? ひょっとして……!?
(つづく)
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2024年九州旅行・6

2025-02-13 15:43:17 | 旅行記・九州編
よく見ると、待合室の中をふらふらと行き来しているオッサンがいる。ニオイの発生源はここらしく、私は席を立って、ホームに行ったりした。
大分行きの列車は、定刻を3分遅れの17時35分に到着し、乗った。
いまは冬至前後なので、最も陽が短い。18時12分に由布院に着いたが辺りは真っ暗で、もう降りられない。そのまま大分に向かった。
大分19時30分着。大分は日豊本線、久大本線、豊肥本線を要するジャンクションなので、駅ビル自体も大きい。
改札を抜けると、床に線路のイラストがあった。それで思い出したが、この線路の上を、ときどき電気自動車が走るのだ。
さて、今回の宿はまたも、快活CLUB(大分店)だ。その場所が駅から遠いが、なんとなく行ってみる。その途中に松屋があったので、入った。
牛めしは安定の美味さだった。
しばらく歩くと、大分店はアーケード内にあるようだった。無事店を見つけ、入店する。それでもまだ腹が空いていたので、私は外出した。と、店の100メートルくらい先に、味噌ラーメンの専門店を見つけた。この近くはさんざん通ったのに、なぜ気付かなかったのか。
食事は食券方式で、味噌ラーメン(肉あり)が850円だった。店は若夫婦の経営で、私の経験上、家族経営、とくに夫婦のそれは、まずハズレがない。
カウンター向こうの厨房では、鉄鍋からグアッと炎が舞った。どうもこれが店のウリらしい。
出された味噌ラーメンは具も多く、味噌の味もよく、美味かった。これ、東京だったら今のご時世1,000円はいくだろう。「味噌乃屋」、これからも頑張ってほしいと思った。
大分店に戻り、再び愛弓りょうを鑑賞したが、きょうは早めに寝る。いつものことだが、旅の2日目は、劣悪な就寝環境でも熟睡できるのだ。

明けて12月20日。旅の3日目、最終日である。大分店は、12時間パック2750円にポイント使用で、2268円になった。一夜の宿としては、安く上がったと見るべきだろう。
さてきょうは門司港駅が目的だが、いきなり行くのは味が悪い。日豊本線の途中に何か観光地はないか。
スマホで調べると、大分駅から33km先にある、杵築が面白そうだった。城下町でお城もある。いままで似たような地名は訪れたことがあるが、杵築は盲点だった。
07時48分の日豊本線に乗る。車両は九州でよく見かける電車だが、4人掛けのシートが散見される。ところがその様子がおかしい。この列車は転換クロスシートで、車端部分は固定。そしてドア付近に収納式の座席があった。つまり「1、2、2、2、2、1」で最大10人が座れた。
ところがこの電車は、両端の椅子が取り払われ、2人席も1組取り払われ、そのうえ両端が固定されていた。つまり「2、2、2」である。これだと転換できるのは真ん中のシートのみ。よって、左右どちらかは4人席になってしまうのだ。JR九州、なんでこんな改悪をしたのか。
とりあえず2人席に座った。日豊本線は鹿児島本線に比べてローカルな位置づけだが、大分から上は、まだ列車の本数がある。
08時28分、杵築着。杵築駅舎がこれまた、瓦屋根の古風な駅で、九州の名駅100選に選ばれてもおかしくない。駅前にはお約束の門松が一揃い、飾られていた。
朝が早いので、エキナカの観光案内所は開いていない。そのまま、路線バスに乗った。城下町はJRの路線に依存しないので、バスで移動することはよくある。
タイム11分で、杵築バスターミナルに到着した。ここの案内所もまだ開いていない。左手が丘になっていたので、そちらが観光地を見定め、登って行った。
すると左手に、鄙びた建物と味のある石段があった。もちろん地元の人が生活していて、いまも住民が朝の掃除をしている。
階段を下りた先には杵築城がありそうだ。その入口に、青筵神社があった。こぢんまりとしていて、歴史は浅そうだ。でも10円を投じてお参りした。
その先の天守閣は10時開演の札が立っていたが、構わず行く。私の目当ては天守閣の撮影で、城内に入るのではないからだ。
すると、杵築城に出た。すぐ前には展望台があり、ここが撮影スポットのようだ。
すると、「開いてますよ~!!」と、城内からお呼びがかかった。ここまで来といて、中に入りたくありません、とも言えず、入る。
入城料は400円だが、ほかにセット料金もいくつか用意されていた。ここ以外の施設にも多く入るのであれば、そちらのほうが得だ。
だけど無料で入れるところもあるので、「単品」でお願いした。
城内は総コンクリート造りで、どう考えても再建である。例によって資料館となっていた。有馬記念館のときもそうだったが、私はこの類の資料館でほとんど勉強しない。ただぼーっと歩いて、観光した気分に浸るだけである。
最上階に出た。ここは表に出られ、回遊式になっている。なかなかのサービスのよさだが、足がすくんでしまう。四方の景色はよかったが足早に一周し、中に戻った。
再び街歩きに戻るが、係の人から街歩きマップをもらい、それを参考に、歩く。とりあえず目指すは郵便局で、城下町の中心にあった。前を走る道路は幅広く、宮崎県の飫肥を思わせる。
「杵築本町郵便局」1,220円。これで今回の貯金ミッションは終了である。
同じ並びに、歴史ある「綾部みそ」があった。味噌が1パック700円とリーズナブルだったので、「あわせみそ」をひとつ買う。
ついでに歴史を聞くと、ここはむかし、酢を売っていたそうだ。だからその脇にある坂の名を「酢屋の坂」というそうだ。実は、町の人の話こそ、いちばん面白かったりする。
おにぎり屋があったので中に入ると、お米を炊いていて時間がかかる、とのことだった。これは縁がなかったと諦める。
再び城下町に上がり、あたりを散策する。中根邸は、無料で入れる屋敷だ。中はよく手入れされていて、室内にも入れた。そしてこういう屋敷にお邪魔すると、規模はまったく違うのだが、我が家にいる錯覚をする。同じニオイがするのである。
大通りに下りると、駅に向かうバスの時間だった。もちろん乗ってしまう。酢屋の坂11時17分発、杵築駅前11時28分着。
駅の観光案内所が開いていたので食事処を聞くと、城下町のほうにあるという。……やはりそうか。
では、もう門司港に向かうか。ただ、次の列車は12時55分である。だが、特急列車を使うのなら、次は11時32分、3分後である。今回は企画きっぷを使っていないので、特急料金を払えば乗れる。とはいえ、仮に中津まで利用したとしても、750円かかる。この出費は痛いが、1時間半の短縮も大きい。
特急に乗るべきか、乗らざるべきか!?
(つづく)
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2024年九州旅行・5

2025-02-12 23:36:23 | 旅行記・九州編
(2日のつづき)
ここで210円をケチると後悔しそうなので、入る。
すぐ右の階段を上ると、年配の男性スタッフ2名が愛想よく迎えてくれた。私のこの入館料がスタッフ氏の給料になると思えば、このおカネは惜しくない。
「ささ、ビデオをご覧ください」
スタッフ氏が恭しく言い、私はシアターの前に腰かけた。先着は年配の夫婦で、さっき参道ですれ違った。
ビデオは徳川幕府と有馬氏の関係を説いたもので、ものの5分で終わったが、まだほかにも2本あった。これはなんだかんだで時間がかかりそうである。
ようやくビデオ上映が終わり、館内を回る。私は老眼がひどく、あまりモノを見る気がしないので、ふんふんと頷きながらも、心は上の空である。
ただ、競馬の有馬記念は、本当にこの有馬氏から来ていると知った。
記念館を後にし、梅林寺に向かう。JRの線路を越えると荘厳な建物が見えてくる。ここは有馬一族の菩提寺で、お堂の中には重要文化財がたくさんあるらしい。
私は建物の歴史云々よりも、建物の造形、構造に惹かれる。木造建築は、日本が世界に誇れる技術だと思う。
その先の水天宮に急ぐ「水天宮」といえば東京のそれが有名だが、実は久留米のここが総本山、と観光案内所のお姐さんは教えてくれた。
その水天宮は、住宅地の一角にあった。私は正面の鳥居からではなく、脇から入ってしまったようだ。
「総本山」の先入観があるからかもしれないが、社殿は威風堂々としており、島根県の出雲大社、福井県の永平寺などに通ずる静謐さがあった。
境内の前には、赤ちゃんを抱いたご家族がいた。水天宮といえばお宮参りが対句で、生後1ヶ月ほどの赤ちゃんを連れてお参りする。私には縁がなかったが(まだ諦めていないが)、ここまで来てお参りをしないわけにはいかない。
お賽銭を投じ、社務所で御朱印を所望した。ここのそれは2種で、いずれも500円。ここで何を血迷ったか、私は2種ともお願いしてしまった。
最近の神社はなかなかにアレで、御朱印などは1種類でいいのにいろいろ揃え、コレクターの蒐集欲を刺激する。私はコレクターではないが、まんまと狙いにハマってしまった。
水天宮を後にし、とりあえず昼食である。だが、食堂の類がない。そうこうするうち、駅に着いてしまった。
地方を観光して、東京が便利だと思うのは、飲食店の多さである。牛丼専門店なら各駅にありそうで、食事にはまったく困らない。しかし地方は、飲食店があまりない。
駅に入っても飲食店が見つからなかったが、先ほどの観光案内所の先に、食事処界隈があった。だが準備中のところもあり、私の守備範囲なのはとんとつラーメン店くらいだ。それで、そこに入った。
「あっさりとんこつラーメン」を頼む(800円)。ラーメンはふつうに美味かったが、ふつうの美味さで800円はちょっと高いと思った。
時刻は午後1時を過ぎた。この時間にまだ久大本線に乗れてないとは少なからぬ誤算で、やはりきのうの内に久留米まで来ておくべきだった。愛弓りょうを鑑賞している場合ではなかったのである。
改札口の横には、立派な門松が飾られていた。年末年始のよくある光景だが、クリスマスを飛び越えて正月の飾りとは珍しい。
13時13分発、日田行きの久大本線に乗る。車内はまあまあの混み具合で、とりあえず立って行く。うきはで余裕ができたので、そこから座っていった。
夜明着。2年前はここでBRTひこぼしラインに乗り換えたが、今回はこのまま乗り通す。
14時22分、定刻を1分遅れで日田着。日田は鄙びた通りがいくつもあり、ここも散策に絶好なのだが、以前訪れたので、先を急ぐ。14時39分発の大分行きに乗った。
さて問題はここである。このまま由布院に行けば、15時53分着。いまさら金鱗湖に行っても仕方ないが、その途中にある、シャレた喫茶店には再訪したい。過去に2回訪れ、店備え付けのお客様ノートに、何かを書いた覚えがある。
だが私は、豊後森で降りた。ここ豊後森からは宮原線が分岐していたが、1984年12月1日に全線廃止された。その遺構で最大にして最高のものが、駅付近にある扇形の機関庫である。
いつも久大本線に乗ると、この駅を素通りしていた。そのたびに機関庫を横目にし、途中下車したい欲望にかられていたのである。今回やっと、念願が叶ったわけだ。
立派な駅舎を出て右に行くと、数分のところに機関庫はあった。操業停止から数十年経っているが朽ちてはおらず、よく手入れされていると思う。
その先端にはSLが留め置かれ、いまにも動き出しそうだ。あたりには男性がひとりいるのみなので、私は遠慮なく施設を撮影した。
隣接する建物は鉄道ミュージアムで、これは100円かかる。
館内は、旧宮原線の資料を中心に置かれていた。が、そこまで資料は多くなかった。もうちょっと何か、目玉資料が欲しかったところである。
これで観光は終わりだが、まだ午後4時にもなっていない。次の大分行きは17時32分で、だいぶ時間がある。それこそ喫茶店の類があればいいが、それらしき店は閉まっていた。
といって、ほかにこれといった店もなさそうである。後先考えずここで下車したが、ここで時間を持て余すくらいなら、由布院まで行ってしまったほうがよかった。よく、「行き当たりばったりの旅が楽しい」とイキっている人がいるが、私の経験上、事前にしっかり計画を練って行ったほうが観光のロスがなく、楽しい旅になる。私のこんな旅はダメなのである。
私は幹線から外れた道路を歩いてみた。しかし行けども行けども何もない。地元の高校があったが、その向かいは旧ガソリンスタンドだった。ずいぶん妙な取り合わせで、このガソリンスタンドが現役時は、シュールな光景だっただろう。
仕方ないから引き返し、JRの線路を越えて、その先に行く。そこはかなり開けていて、道幅も広かった。両端には商店の類も多い。
下校中の女子高生が、傍らの雪を丸めて、友達に投げている。「キャッキャッ、やめてー」とはじけた声が飛ぶ。アオハルである。
ファミマがあったので、ガリガリ君を買い、駅に戻った。
次の列車まで、まだ時間がある。だが、列車待ちの同志が何人かいて、よかった。
……? しかし、さっきから辺りが小便臭い気がする。これは何だ?
(つづく)
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2024年九州旅行・4

2025-02-02 21:50:12 | 旅行記・九州編
愛弓りょうは2019年のデビューだが、そのときは「三浦歩美」という芸名だった。ということは、三浦歩美名義で探せば、その作品が出てくるのではないか。
探してみたらビンゴで、私は愛弓りょうの新作ならぬ旧作を鑑賞することができたのである。
ひとつびっくりしたのは、デビュー当時よりいまのほうが、綺麗になっていたこと。やはり女優は、見られて綺麗になるのだと実感した。
ビッグコミックのゴルゴ13を読んでみる。ゴルゴの顔はコピペなのだろうか。新たな作家が描いているようにも思える。だが、ゴルゴの顔をクリアしたとしても、コマ割りがおかしい。さいとう・たかを風ではないのである。
よりさいとう・たかをの筆に近づけたいのならば、コマ割りも研究すべきであろう。
やることをやって、就寝である。だけどブランケットだけでは眠れない。でも横になっているだけでだいぶ違う。
そうこうしているうち、19日の朝6時半過ぎになった。もうチェックアウトの時間である。だが、表に出ると、雨が降っていた。
そういえばきのうは曇天だった。その雲が雨になったのだ。しかしまったくの無警戒で、傘など持っていない。
またこういう時に限って、駅まで時間がかかるのだ。仕方ない、キャップをかぶって、あとはどうにでもなれ、と歩き出した。
タイム15分で、大塔駅に着いた。国道沿いにあり、路面電車の電停みたいである。
雨は幸い、ほとんどあがった。現在07時13分。5分後には早岐方面の列車が来るから、ふつうに考えたら、その列車に乗ればよい。だけどこの駅は無人駅だから、車内で整理券を取る必要がある。そして次の早岐で佐世保線に乗り換えとなるが、そのとき、車内で精算をしないで降りることになる。
その場合、早岐からの切符を持っている私は、無賃乗車ができてしまうのだ。
むろん、早岐の改札口ではみだし料金を払えばいいが、ちょっと面倒臭い。
それと私が誘惑にかられて、無賃乗車をしないとも限らない。それを断ち切るには、早岐まで歩いていけばよいと考えた。
次の佐世保線の江北着は08時42分だった。ということは時間的に、大塔の次の次の列車、すなわち07時43分の列車で間に合う計算だ。ということは大塔駅から、徒歩約30分で早岐に着けばよい。これだけ時間があれば、行けるだろう。
それで、早岐まで歩いていくことにした。
早岐までたった一駅、しかもレールに沿って歩けばいいから楽勝と思いきや、途中でレールがなくなり、どっちに行っていいか分からなくなった。
国道から下道に下り、道行くおばあさんに早岐駅を聞いてみる。すると、私の予想とは反対の道を指され、びっくりした。
いや、このままの道を行ったら、えらいことになっていた。おばあさんに感謝である。
なんとなく建物が多くなり、見覚えのある道に出た。早岐では何度かビジネス旅館に泊まったことがあり、その道の記憶がある。ただ、ここからがまだ長い。けっこうギリギリになってきた。
早岐駅前着、07時42分。ホームから「次の佐世保線は07時51分……」というアナウンスが聞こえ、ホッとした。
駅に入り、佐世保線に乗って再びホッと一息。リュックサックを開けると、きのう郵便局で貰った中綴じカレンダーが、雨に濡れてフニャアフニャになっていた。……こういうものである。でも乾けば使えるので、意地でも使う。
車内では、前日に新大村のスーパーで買った菓子パンを頬張り、朝食とする。私の食事は、旅先でもわびしいのだ。
タイム51分、佐世保線は江北に着いた。江北駅はかつての肥前山口駅で、2022年9月、西九州新幹線の開業とともに改称された。「肥前山口」のほうが九州らしく私は好きだったが、住所が江北町なら仕方ないか。
ここは以前観光したことがあるので先を急ぐ。長崎本線に乗り換え、タイム46分で鳥栖着。ここで31分の待ち合わせである。
ホームには立ち食いそばの建物があったが、まだやっていない。改札口を抜けると、同じ立ち食いそば屋が営業していた。狭いながらもテーブルとイスがある。かしわうどん・460円はちょっと高いと思うが、旅先の立ち食いそばは格別なので、許容する。
かしわうどんは、美味かった。
鳥栖から久留米はタイム7分で着いた。ここから久大本線に乗り換え、九州を横断する。今回のメインルートである。
ただ、この久留米。松田聖子やチェッカーズの地元で、西鉄も通じているから都会の雰囲気があるのだが、よく考えたら観光したことがない。
ちなみに昨日検索した「久留米高校前」は、久大本線で久留米からひとつ先の駅だった。もしきのうそちらに泊っていたら私は先を急いでいたはずで、ここ久留米に明るいうちに着いたのも何かの縁だと思った。初の久留米観光とする。
まず、駅前の観光案内所に寄る。観光するとき、ガイドブックを携行するのもいいが、駅前の観光案内所の利用をお勧めする。観光客相手だから相手も親切にしてくれるし、最新の情報を得られるのもよい。場合によっては、割引券がもらえる場合もある。
係さんにいろいろ教えてもらい、とりあえず久留米城跡を目指す。いまはアレだが、若いころの私は、城巡りが趣味だった。天守閣から下界を眺めると、殿様になった気分で、いいのである。
いただいたマップを見ると、城跡の近くに郵便局があった。だが駅の近くに、早くも郵便局があった。「久留米ブリヂストン通郵便局」、1,219円。この通りにはブリヂストンがあるらしい。
「川棚郵便局って、山口県の?」
局員さんが私に通帳を返しつつ、聞いてくる。九州の局員さんはなかなかフレンドリーだ。
「いえ、長崎県の川棚でして……」
たしかに山口県に川棚温泉があるが、もちろん違う。しかし、なぜ長崎県の川棚なのか、と説明をすると長くなるので、そのまま失礼した。
タイム10分程度で、城跡に着いた。反りの利いた石垣がお城のあったことを物語り、その周りにはお濠がめぐらされている。
城跡には、篠山神社があった。お賽銭を投じ、おみくじを引く。それと、御朱印を所望した。御朱印は、巷でブームになる前からいただいているが、最近は私の旅行自体が少なくなったので、めっきり頻度が落ちた。
よって今回も御朱印帳も携行しておらず、紙でいただく。ところがこの神社の場合、紙は300円で、御朱印帳に直接揮毫は500円だった。この初穂料体系は初めてである。
これでもう城跡を後にしてもいいが、傍らに「有馬記念館保存会」という建物があった。
私は競馬をやったことが一度もないが、この名称は、どうしたって競馬の有馬記念を思い起こさせる。
折しもこの何日か前にRadikoで聴いた「てるのりのワルノリ」で、この話題をやっていた。すなわち、現有馬記念は1956年に始まったが、当初の名称は「中山グランプリ」だった。その翌年から「有馬記念」となったらしい。ここ久留米の有馬記念館がそれと関係があるとは思えぬが、入るか、否か。
(12日につづく)
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