19日に公開された映画「聖の青春」は大ヒットのようである。もっとも私はおカネを出して映画を観る習慣がないので、テレビ放送でもない限り、観ない。
ところで今月の3日、上野TSUTAYAに入ったら、村山聖九段?に見つめられた気がした。
よく見ると松山ケンイチで、「聖の青春」の1カットが、雑誌「シナリオ」の表紙になっていたのだ。
「シナリオ」はその名の通り、映画のシナリオが2~3本掲載されている月刊誌である。私はかつて「映画釣りバカ日誌」掲載号を買ったことがあるが、おのが脳内で登場人物が生き生きと動き、とてもおもしろかった。
…というわけで今回、「シナリオ」最新号を購入した。
購入してもすぐ読まないのは私の流儀で、昨夜やっと読んだ。
改めて、「聖の青春」のシナリオライターは向井康介。監督は森義隆。
シナリオ本文の前に、自身による「創作ノート」が掲載されており、これがおもしろい。
かいつまんで紹介すると、プロデューサーの滝田和人から最初の連絡があったのが2009年暮。そして年明けに森義隆から原作本が送られてきた。この頃すでに映画化の話が持ち上がっていたのだった。
ところが肝心の資金が集まらず、映画化が暗礁に乗り上げた。そこに救いの手を差しのべたのがKADOKAWAだった。「角川会長が元奨励会員だった」らしいのだが、これは初耳。本当だろうか。
いま少し紹介を続けると、この時点で向井康介のアプローチもはっきりしていたという。いわく「病気ものにしない」「師弟愛と距離を取る」「泣かせにいかない」等々。
私はナルホドとニンマリした。ウェットからの脱却で、お涙頂戴モノが苦手な私は、これだけでもう、おもしろく読めると思った。
創作ノートは2ページだったが、この文を読むと読まないでは、映画(シナリオ)の見方がかなり変わると思う。
いよいよ本文を読む。三段組で29ページである。シナリオは必要最小限の描写しかしないので、読み手にかなりの自由が利く。自身が監督になって、シナリオを映像化するのだ。例えば村山聖役を本人にするも松山ケンイチにするも、私の自由である。
シナリオライターの長坂秀佳が「ドラマの出来の責任度はシナリオ50%、監督50%」と書いていた気がするが、「監督50%」は、読者自身の読み方にかかっている。
約1時間で読み終えたが、誤解を恐れずに書けば、とてもおもしろかった。村山九段の凄絶な後半生が、ギュッと凝縮されて描かれていた。ことに終盤の手術のくだりは、ドライに読んでいても、こみあげてくるものがあった。私は「聖の青春」の原作本を読んでいないが、シナリオでは村山九段の実像にかなり迫っていたと思う。
明らかに脚色、という箇所がいくつかあり、それが奏功しているとは思えなかったが、映画というエンターテインメント性を考えるとやむを得なかったのだろう。
あとは全体的に、羽生善治現三冠の存在感が大きかった。ヘタをすると、主人公を食ってしまった感すらある。とにかくシナリオの中の羽生三冠は(実物と同じく)カッコよかった。
ちなみに私の「村山九段変換率」は、本人8割、松山ケンイチ2割だった。森信雄七段は本人とリリー・フランキー半々というところか。村山九段の御母堂は存じ上げないので、竹下景子100%。活字から竹下景子の声が聞こえてくるようだった。
私のイメージと森監督の画がどのくらい一致しているか興味深いが、ひとつだけはっきりしているのは、もし私が監督だったら職権を乱用して、室谷由紀女流二段を友情出演させていたであろうことだ。
…というわけで、映画を観る予定がない人は、「シナリオ」を読んでみるとよい。税込957円である。
(文中一部敬称略)
ところで今月の3日、上野TSUTAYAに入ったら、村山聖九段?に見つめられた気がした。
よく見ると松山ケンイチで、「聖の青春」の1カットが、雑誌「シナリオ」の表紙になっていたのだ。
「シナリオ」はその名の通り、映画のシナリオが2~3本掲載されている月刊誌である。私はかつて「映画釣りバカ日誌」掲載号を買ったことがあるが、おのが脳内で登場人物が生き生きと動き、とてもおもしろかった。
…というわけで今回、「シナリオ」最新号を購入した。
購入してもすぐ読まないのは私の流儀で、昨夜やっと読んだ。
改めて、「聖の青春」のシナリオライターは向井康介。監督は森義隆。
シナリオ本文の前に、自身による「創作ノート」が掲載されており、これがおもしろい。
かいつまんで紹介すると、プロデューサーの滝田和人から最初の連絡があったのが2009年暮。そして年明けに森義隆から原作本が送られてきた。この頃すでに映画化の話が持ち上がっていたのだった。
ところが肝心の資金が集まらず、映画化が暗礁に乗り上げた。そこに救いの手を差しのべたのがKADOKAWAだった。「角川会長が元奨励会員だった」らしいのだが、これは初耳。本当だろうか。
いま少し紹介を続けると、この時点で向井康介のアプローチもはっきりしていたという。いわく「病気ものにしない」「師弟愛と距離を取る」「泣かせにいかない」等々。
私はナルホドとニンマリした。ウェットからの脱却で、お涙頂戴モノが苦手な私は、これだけでもう、おもしろく読めると思った。
創作ノートは2ページだったが、この文を読むと読まないでは、映画(シナリオ)の見方がかなり変わると思う。
いよいよ本文を読む。三段組で29ページである。シナリオは必要最小限の描写しかしないので、読み手にかなりの自由が利く。自身が監督になって、シナリオを映像化するのだ。例えば村山聖役を本人にするも松山ケンイチにするも、私の自由である。
シナリオライターの長坂秀佳が「ドラマの出来の責任度はシナリオ50%、監督50%」と書いていた気がするが、「監督50%」は、読者自身の読み方にかかっている。
約1時間で読み終えたが、誤解を恐れずに書けば、とてもおもしろかった。村山九段の凄絶な後半生が、ギュッと凝縮されて描かれていた。ことに終盤の手術のくだりは、ドライに読んでいても、こみあげてくるものがあった。私は「聖の青春」の原作本を読んでいないが、シナリオでは村山九段の実像にかなり迫っていたと思う。
明らかに脚色、という箇所がいくつかあり、それが奏功しているとは思えなかったが、映画というエンターテインメント性を考えるとやむを得なかったのだろう。
あとは全体的に、羽生善治現三冠の存在感が大きかった。ヘタをすると、主人公を食ってしまった感すらある。とにかくシナリオの中の羽生三冠は(実物と同じく)カッコよかった。
ちなみに私の「村山九段変換率」は、本人8割、松山ケンイチ2割だった。森信雄七段は本人とリリー・フランキー半々というところか。村山九段の御母堂は存じ上げないので、竹下景子100%。活字から竹下景子の声が聞こえてくるようだった。
私のイメージと森監督の画がどのくらい一致しているか興味深いが、ひとつだけはっきりしているのは、もし私が監督だったら職権を乱用して、室谷由紀女流二段を友情出演させていたであろうことだ。
…というわけで、映画を観る予定がない人は、「シナリオ」を読んでみるとよい。税込957円である。
(文中一部敬称略)