初入院は父同様に80歳過ぎと勝手に決めつけていたのだが、まさか74歳でこうなるとは予想もしなかった。
まさに人生は一寸先が見えないのだと思った。
同級生の仲良しグループも15名ほどいるが、一昨年に元気印一番で、体育協会の県の理事をしていた、メンバー中一番若いY子がスポーツ審判中に倒れて半月後に亡くなったことはここでも書いた。
そして次いで元気印の私が大手術をしたので、友達の間にも少しショックがあったようだ
Y子といい、私と言い突然だったので毎日元気でいても、数時間後に命の危険が訪れる年代になった誰もが自覚せざるを得まい。
メンバーの中には遥か向こうから心臓や尿器を患って病院通いをしている人、乳がん、子宮がんと10年以上付き合いながら元気に暮らしている人
ヘルニア、骨折といとまない手術をしながら現役で働いている人、みな仲良しメンバーだ。
そして私もこの病気経験メンバーの仲間入りをしたというわけだ。
入院前には、一応人生設計があったのだ
八十歳までの6年間に行きたいところに行って見ようと考えて、その第一弾として6月か7月に一人で岡山、瀬戸内、伊予、高知、高松、奈良、伊賀、名古屋を6泊で回る計画が7割がたできていたのだ
しかし、それは水泡に帰した
その先は、資金的にも体力的にも衰退していくのであとは1泊、2泊のポイント旅行を年1~2回考えていた。
だが少なくとも半年間は大人しくすることになるだろう、ましてや1週間の旅をするなら1年後に体の具合を確認して、OKのお墨付きをもらわない限り駄目だろう。
このように弱気になったのも、これまで入院も手術も経験ない故だ、入院慣れしている人から見ればちゃんちゃらおかしいだろう。
さて今後1年、いや回復計画一期の秋までどのように暮らせばいいのか
もっとも楽しく暮らすにはどうすればいいのか、少し前向きに考える必要がある、それどころか今日一日をどう暮らすか、それが問題だ
無駄には過ごしたくない、だが入院前と体調は大きく変わってしまった
退院後は入院前と変わらないほどパワーがみなぎっていて、外出や家の中でのあれこれも散歩も積極的にやっていた
しかし一昨日、僅かな体調変化で病院に相談に行って見て、やはり今は療養中の身なのだと改めて知った。
やはり慌てず、スローな暮らし方が宜しい
それで目が覚めても、しばらくはベッドの中でまどろみ、早朝のけだるさを楽しむ
チュン太たちの催促も無視してゆっくり、ゆっくり
それからチュン太たちにご飯をやって、それをリクライニング椅子に座って15分ほど眺める
朝は、このパターンだな、あとは追々考えることにしよう。
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