生まれてから今日まで、お墓参りや、仏壇参り、神社参拝のいずれかをしたことがない人はいないだろう。
仏教にしろ神道にしろ、その目的は自分の幸せ、家族の幸せを願うことは同じだ。
神道を語ると広くなりすぎるから、仏教にしぼる。
仏教の始まりはインドの釈尊(お釈迦さま)の悟りからだ。
それは万民の幸せのためなのか?
貴族、王族の幸せのためなのか?
それとも自分や家族だけの幸せを願ったものなのか?
インドは特に身分差別が顕著な国だから案外、貴族以上のためのものではなかっただろうか。
釈尊も貴族階級である、その弟子たちもまた貴族階級だったのではないか?
葬儀で僧侶が読経するようになったのは何時からだろうか?
今では葬式仏教と皮肉られるほど大衆化した人間仏教
奈良、飛鳥時代ころの渡来仏教はやはり貴族以上のものであり、皇族、貴族階級が仏教を保護し、一族の永久の繁栄と死後の安泰を願った。
貴族や僧侶からみた人間とは貴族以上であり、平民は便利の良い労働力でしかなかったかのように思える。
貴族以上から見れば民衆は言葉が通じる家畜程度にしか見えていなかったのでは?
だが貧しくひもじい、搾取ばかりされる民衆にも神にすがる気持ちはある
それは寄進や布施が必要な仏教ではなく、先祖の霊であり、自然界に起こる様々な現象を擬人化(擬神化)して恐れ敬うシャーマニズムが民衆の宗教・神道となったのではないだろうか。
それは仏教渡来より遙かに早く日本で大衆化していた。
人の心に悲しみ、慈しみ、労り、愛が芽生えた時から、死は身近であり、避けられないと知り
死も、死後も人間の力の及ばないことであり、全能の神や仏に全て任せることとしたのだ。
故に、縄文、弥生、それ以前さえ共同生活をしていた民衆でも死者どころか愛犬の弔をしていた証拠が残っている。
そもそも貴族以上と民衆の宗教のスタートは違う所から始まっていて、それは早くから身分差別があった証なのだ。
文字を持たない人間民衆に仏教が行き渡るのは12世紀になって阿弥陀経、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗。 法華経、日蓮の日蓮宗などまで待つ。
禅の宗教などは厳しい難業で自力で悟りを開くが、浄土真宗などは無知な民衆に7言の念仏をとなえていれば誰彼問わず阿弥陀様が救ってくれると、他力本願を推奨した。
故に権力に保護されてきた既存宗教から迫害を受け、島に流されたが
行く先々で布教をしたので案外、越後、北陸路で真宗門徒が多いのだ。
話しは違うが朝鮮でも民衆は文字がなく文盲であった
14世紀、朝鮮4代王世宗(セジョン)は日本の仮名にあたるハングル文字を作り、民衆に広めようとしたが、貴族階級(ヤンバン)の反対で実現せず、皮肉にも20世紀前半、日本が朝鮮を併合してから併合政策にハングル文字を普及させたという。
このように文字にしろ、宗教にしろ内外問わず貴族階級以上(日本では鎌倉時代以後は武士階級も知識階級、搾取階級として含まれる)のものであった。
万民に広がった今は逆に民衆階級の宗教離れが加速している
神棚や仏壇がない家が増え、墓もなく都会では分譲のメモリアルが登場だ。
コロナ以後、葬式も法事もささやかになり、ある意味イベント的葬儀から本来の家族葬になったのは喜ばしい。
町のメインストリート左右に200本もの花輪が立ち並び、それぞれが企業名を競い合う、あのような光景は二度と見ることはないだろう。

大正から昭和にかけての作家、倉田百三は病弱ゆえ若い頃は、救いを求めキリスト教会に通った。
その印象が強いためキリシタンだと思われがちだが、26歳の時に「出家とその弟子」を出版している。 既にキリスト教より親鸞の浄土真宗に傾倒していた。
文中にはたまにキリスト教的な解釈がまじる
(解説より)
親鸞の宗教家の面より人間親鸞の苦悩が描かれて興味深い。
日蓮宗ですが
私は無宗教派
しかし盆には墓参りしています??
人間に、家族や仲間への情愛が芽生えたため
弔いが始まった。
そのくらい大昔には宗教も坊さんも無かった
だから本来、弔いに宗教は関係ないと思います、関係者同士の気持ちですから。
後から宗教ができて死んだ後のことまで言って脅かすものだから坊さんの言う通りにしなければ地獄行き
今の人間の多くが、そんなこと信じないから墓仕舞いが増えている。
信心と墓参りは、まったく異なる心持ちですから、tsakaeさまのやり方は全然矛盾してないと思います。