おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(6月21日)の午後は姫路城を見学しました。
日本人よりも外国人の方がずっと多かった印象でした。
写真を中心にお伝えします。
白鷺城として有名な姫路城、私は初訪問です。
確かに美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c6/ad508d42152c252de9a26d4a6e885c97.jpg)
ただ、天守閣に至る道のりは遠かった。
私は鯱(シャチ)に関心を寄せました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/52/95ca631a97fb417f3721f499d320e33a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e3/4b99c09809b3beb71e7b890b4ae1e2c5.jpg)
これは武者隠し。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/84/e55690c4166104e9a912f9d287fde6ec.jpg)
姫路城と姫路市の模型。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8e/0d5bd478881ddd35e3a5119c7e6c4e85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/aa/f8901502beda37b29dfbe0ff773c8d53.jpg)
西の丸からにも行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a7/e32fa6f8dbe7b3f3259b202ffa911233.jpg)
西の丸では、千姫(家康の孫、秀忠と江の娘)の哀しい物語が心に残りました。
こんな運命をたどっています。
・慶長8年(1603年)に7歳で秀頼(11歳)と結婚し、従者ともに大坂城に入る。
・慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。
その後、秀頼と側室の間の娘・天秀尼が処刑されそうになった時に、千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける(秀頼と淀殿に対する助命嘆願は聞き届けられなかった)。
なお、天秀尼は後に「縁切り寺」として有名な東慶寺の住職となった。
・元和2年(1616年)、20歳で桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚した。
・本多忠刻との間に長女・勝姫(池田光政正室、池田綱政生母)、長男・幸千代が生まれた。
・しかし、幸千代が3歳で没し、寛永3年(1626年)には夫・忠刻、姑・熊姫、母・達子が次々と没するなど不幸が続いた。
・このような不幸が続くのは秀頼の祟りだと懸念し、観音様に頼った。
・やがて本多家を娘・勝姫と共に出て江戸城に入り、出家して天樹院を号した。
何だか運命に弄ばれた感がする千姫の物語が印象に残りました。
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<お目休めコーナー> 6月の花(21)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b7/31831c3e12fc4441a87c4fb0ec5c83fe.jpg)