おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
残りが5日ほどの9月に、私たちは生と死の相反する2つの稀有な体験をしました。
9月7日には孫の誕生、1週間も置かない12日には母の死。
妻は、孫が産まれた翌々日には産院に行ってこの手で抱っこができて喜んだのも束の間、その3日後には、タクロウと共に実の母の息絶える姿を感謝の言葉を放ちながら見送ったのです。
9月17日の告別式を終えて、母の部屋がベッドから棺、さらには遺骨の置かれた場所になってからやっと、我が家では神棚に「命名 〇〇」と孫の色紙を貼ったのです。
西に向かって命名の色紙、南に向かって遺骨と位牌。
生と死、神道と仏教の同居には、ある心理的なコントラストを覚えます。
母を喪ってからの妻のことが気がかりでした。
実の母を見送って泣き崩れるかと懸念していましたが、その姿を見ることはありません。
母のケアを始めてからの18年、さらには部屋のリフォームなどに邁進してから3年、そして同居開始からの133日、妻には一種のやり切った感があるのでしょう。
その後もさまざまな手続きをたんたんとこなしています。
一方の私、今朝はこんな不思議な思いをしました。
起床後、1階の居間に降りてきて、義母が寝ていた部屋 ー 今は遺骨のある部屋 ー でふと、寝息のことをリアルに思い出したのです。
義母の寝息の観察は、義母の健康状態を窺う133日間に自分に課した責務のようなものでした。
その私が、9月12日の朝、義母の寝息に対する感性が極めておそまつだったことが悔やまれます。
当日の7時半頃、義母の寝息の異変に最初に気づいたのは妻でした。
それから必死に声掛けや訪問医への連絡などやるべきことを完璧にやりこなしたのは妻でした。
私は義母の最後の日、妻とタクロウに託して、どうしても避けられない研修のために新宿に出かけました。
結果として、お昼に息を引き取った義母を看取ることができませんでした。
その後も研修が相次ぎ、告別式を9月17日に終えても義母と正式にお別れできていないようなやり残し感があり、気分はややうつ的です。
義母との同居がたった133日間だとは全く予想しておらず、数年単位だと覚悟していたからなおさらです。
昨日やっと四十九日にあたる納骨式の日程が決まりました。
その日までの心象風景を自分で観察しながら、私の百倍も喪失感が大きい妻のことを、できるだけサポートしたいと思う私です。
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