IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「ゴーヤチャンプル」が大好きですが・・・

2010-07-17 10:48:36 | 晴耕雨寝




沖縄に行った時に、那覇の居酒屋で食した「ゴーヤチャンプル」の美味しさが忘れられない。
好きだからと言っても、東京でも伊豆でも、居酒屋で「ゴーヤチャンプル」の注文はしないし、ましてや、自分で作ろうなんて事も思わない。何時か、沖縄に再び訪れて、あの居酒屋で「ゴーヤチャンプル」を食べたいと思っている・・・無いかも知れないけれど・・・。

たまたま、我が家の畑のお隣さんが「ゴーヤ」を作っていて、その種がこぼれ、我が畑で芽を出した。
そのまま、放ってある。
その内、花が咲き、実が成るかも知れないから・・・だが、お隣さんが分けてくれる確率のほうが高いかも・・・と、踏んでいる。以前、貰ったときでも、私は「チャンプル」を作らないから、というより、料理に二手間以上の手を掛けたくない(面倒だから)ので、普通の野菜炒めにしてしまっが、取立てだからなのか、結構、いけたので、楽しみにもしてる。

今年、畑から(お隣さんの畑ではありませんよ、我が家の畑から)、小さな苗を一本取ってきて鉢植えにした。
実はならないだろうが、芽の伸びる様の美しさに感動してしまう。それと、ちょっと触れただけで、「ゴーヤ」の苦い香りが漂い、これにも、また、感動!



トム・ハンクス、デンゼル・ワシントンの出演する映画、「フィラデルフィヤ」に感動して、DVDを十数回観ている。
その感動のおすそ分け・・・オープニングテーマ曲です。 に
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「トレニア」三昧の日々

2010-07-15 09:17:54 | 晴耕雨寝



去年のトレニアを植えた鉢をそのままにしていたら、こんなに(写真上)芽を出しました。
新しく種を蒔いたのではありません、自然にこぼれた去年の種が、勝手に芽を出すのです。こんな状態が、我が家の庭のあちらこちらで発生してます・・・もやしのように!。
花も可愛らしいし(写真下)、花が咲かないとどんな色か判らない(何しろ勝手なんで)と思うと、一本も捨てられないのです。でも、我が家の庭では、限度オーバーなので、そこで、友人宅に、無理やり押し付けています。
無理やりですから、当然、タダですが、一応、お茶でもどう?なんて口実をつくるので、結構、経費も掛かるものでして、私の懐具合からすれば、捨ててしまうべきかも知れません。でも、捨てられないんですよね。

今は、「トレニア」をどうにかすべき「晴耕雨耕」の日々です・・・雨が降るとまたグワーっと芽を出すのですから、晴れの日も雨の日も、頭から離れません・・・困った事です。





最近、悩める私が癒されている音楽「ショパン ノクターン第20番」です

 

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「空蝉の庭」夏模様

2010-07-12 10:34:40 | 空蝉の庭




「空蝉の庭」の管理者である友人は、植える木や花を選ぶことは勿論の事、配置も、剪定、枝切りなど、きっちり計算しているのだと言う。きっと、植物は、生き生きとした最高の姿を、それも自然な姿としてみせてくれるのだと思う。
これが、皆が憧れれる「イギリス式の庭園」の醍醐味だろうと察する。

我が家の庭(と言うほどのものでは無いけれど・・・)は、大体、母が、気まぐれに思いついた物を、好き勝手に植えたので、成長する当然の結果として、植物の間隔は、密集し、重なり合い、日陰となって、庭などとは言えない状態となる。
時折、植木屋さんに剪定をして貰うこともあるが、母が気に入らなくて、ひゃくまんだらの文句を言うから、植木屋さんに気の毒だし、お金も掛かるので、最近は、私が、自分勝手に邪魔な部分を切り落としている。当然、美しい庭とは言えない。結構、イライラしていた。

で、この頃、考え方を少し変えた。
計算しないで枝を切るから、思いがけないところから新芽が出てきたりする。それを楽しもうという気持ちに変えたのだ。木の陰に、ひょろひょろと伸びる痩せた草木にも、面白さと新鮮さを感じるようになったきた。
中でも、一番、面白いし、楽しみは、毎年、我が家の庭は、少しずつ姿を変えることである。
私は、変化するの物が好きなんだと、つくづく思う・・・今頃になっても、まだ・・・。





ミュージック、スタート

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察する能力は・・・

2010-07-11 10:40:10 | この頃思う事



最近、誰かと話している時、ふと感じることがある。
話は続いているけれど、話が全く交わっていないなと思う状態があるのだ・・・つまり、お互いに自分の事だけを懸命に言い続けているだけで長話をしている事が・・・。


またまた登場をお願いする海原純子先生の「心のサプリ」から・・・マニュアル対応云々・・・マニュアルはとても便利で、それに沿って対応すると自分が必要な情報を獲得できる。しかし逆に、相手が自分に伝えたい情報を聴きとる力はアップしないこともあるだろう・・・聴く力は「察する能力」に通じる。ただ聴くだけでなく、そこから相手の気持ち、状況を察することが、日本語というきわめて特殊な言語をもつ私たちの文化とコミュニケーションの基盤になってきた。それが崩壊している。(毎日新聞日曜版)

私がここで言いたいのは、「日本語文化の崩壊」でなく、勿論、大事なことだが、一応、それは置いといて、要するに、私が(友達もかな?)、相手の話を聴くという労力を、省き始めているのが問題だという事。
だから、互いに相手が、何故、この話を、今するのかを、感じる事が無くなっているようなのだ。それよりもっと悪く、長話をしていたのに、さて、あの時、何を話していたのかさえ、思い出さない時があるから、困ったものである。

昨晩、友人と映画の話をしていたとき(話を聴かない友人ではありません・・・念の為!)、出演していた俳優の名前が思い出せなくて(こんなことは、もう、日常茶飯事で)、「これは宿題ね!」と言って別れた。そして、1時間後、友人からメールが届き、俳優の名前が記されていた。
これで、気持ち悪さが消えると安堵したが、さ~て、彼等は何の映画に出ていたと言ったのだっけ・・・思い出せない・・・否、きっと、私は本気で聴いていなかったのだ。
私の「察する能力」は地に落ちたのかも・・・思い当たる節もあるから怖い




去年は病気に罹ったらしくて、花が咲かなかった「ゆり」だが、今年は、優雅な姿を見せてくれた。自然は強い


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クラシックカーあれこれ

2010-07-08 08:11:55 | 小さな旅への誘い

7月4日に、沼津のアーケード名店街で、昭和の自動車や二輪車を集めた第五回クラシックカー&バイクミーティングが有り、昔懐かしい車やバイクが展示されます。
私はとても興味があります。
資金に余裕があれば、昭和43年頃発売されたトヨタスポーツ800や、日産フェアレディーSR311のオーナーになりたいのですが、宝クジに当選でもしなければ無理な話。
一生の夢は夢で終わるのです。


( 以上のメールがNTさんから入る・・・私は、車の免許を持たないから、興味が無いのが本当のところだが、何かに取り憑かれてる人を見るのは好きである・・・からして、NTさんの報告が楽しみ!・・・By伊豆の花 )

(以下、NTさんからの報告)
クラシックカー&バイクミーティングに今日(7/4)行ってきました。
一般的には旧車と言っている車のことです。
どの車も、見事に手入れのされた美しいものばかりです。
ただ古いだけでは何の価値もありません。40年も50年も前の車だけれど、欠品もなく、当時の美しさを保ちつつ,尚且つ、きちんと乗って走行出来るという至難の技の極地だと思います。
20代の頃欲しかった車が何台かありました。その頃の収入ではとても手が届かない額でした。3年~4年分の給料ですから・・・それも、一切、飲み食いしないでの計算ですから、買えるわけがありません。
新車で買ってずっと大事に乗っている人が、ごくまれにいます。ほとんどは、専門の業者から、常識をはるかに超えた金額で購入したものと思われます。しかも、保証などあるわけがありません。
現在発売されている新車のほうが安いし、安心だし、当然、保証もあるのですから、一般的には利便性がありますが・・・私のクラシックカメラ趣味と、全く、気持ちは同じです。
残念ながら、最近は、デジカメの便利さが圧勝して、クラシックカメラの方は衰退ぎみです。
(1) トライアンフ TR-4 
イギリスの高級スポーツカー。1961年~1965年に発売されたミケロッティデザインのボディ。
このちょっとアクの強い顔付きが好みの分かれるところだろうか。私はこの顔が好きだ。いかにもスポーツカーらしくて。驚くことに、今でも交換部品が手に入るそうだ。
イギリスという国は古い物を大切にする国だ。日本人は見習わなくてはいけない。


(2) ダットサン ブルーバード1200
見覚えがあるでしょう。昭和38年式 この時代ではまだどこの家にも車があったわけではなく、歯医者さんとか経済的に恵まれた人でないと所有できなかった。
昔の車は丈夫だから、50年経った今でも、まだ乗れる。


(3) ホンダ S800
60年代の憧れの車、車好きの男なら誰でも欲しかったはず。しかし当時は金持ちの坊ちゃまあたりでないと乗ることはできなかった。貧坊ちゃまは蚊帳の外。


(4) スバル360
現在では二輪車でさえ1500CCもあるのに昔は360CCで4人も乗って走った。
今から52年程前に発売された富士重工の軽自動車。


(5) パブリカ コンパーティブル
1966年発売 空冷水平対向800CCで、大きな魅力は、丈夫でなかなか壊れないし、驚くほど燃費が良い。小型で保管場所にも困らない車だ。
エンジンはトヨタスポーツ800と同じだそうです。


[写真と文:N・Tさん提供]


(By 伊豆のの花)
私は基本的には、この世に形あるものを遺したくないと思っている。
海外の観光地に行くと、たとえば、有名な遺跡であっても、風雨のさらされて、明日には、土に、砂に還って行って欲しいと思う。何も残らない姿に、安堵感のような気持ちを覚えるのだ。それが、往々にして、補修され、塗り直されてしまう。生活臭の無い建造物は、何故か、寂しい・・・。
だから、走り回る「クラシックカー」には存在を認められるが、飾って置くだけの物には、修復された「遺跡」のようで、これも寂しいと感じてしまう・・・趣味は、それぞれで面白い。

この記事を書いている時、TVで「マイケル・ジャクソン」の曲が流れてました。プレイヤーを開始させると、聞こえてきますよ・・・お楽しみください!。

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成福寺の蓮

2010-07-06 08:33:54 | 小さな旅への誘い








今日、成福寺の蓮の写真を撮影に行ってきました。
10時過ぎだったため、あまり満足な写真が撮れませんでした。早起きをして行かなければ だめですね。
数はすごいと言うほどはありません。全部 鉢に植えられています。
勝手なイメージとしては、菖蒲のように畑のようかなと思っていたのですが違いました。

[写真と文:N・Tさん提供]




蓮というと、どうしても「極楽浄土」を連想してしまう為か(聞いた話では、仏教では、蓮とは睡蓮のことだとか・・・)、蓮池があり、多少水は淀んでいても穏やかな水面を朝日がキラキラと輝き、その中にスッと伸びる蓮、その凛とした立ち姿に思わず手を合わせてしまう・・・なんて、勝手に想像している、というより、固定観念みたいなものを持っている。
仏教的にいえば、「色即是空 空即是色」なのだから、大鉢にだって「極楽浄土」はある訳で・・・まだまだ修行が足りないのだろう。
とは言いながらも、NTさんの撮られた「蓮の開花」進捗状況風な写真を見ていると、何やら、お釈迦様の姿が見えるような気がするが・・・どう思います?(by 伊豆の花)
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何時の日か「酔芙蓉」に出会えるなれば・・・

2010-07-05 12:56:42 | この頃思う事

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「酔芙蓉」もどきの「あじさい」です。この子も、初めは白い花なのですが、だんだん良いお顔になってきます。
でも、ほろ酔い加減になるには10日位掛かりますから、飲み過ぎでアルコールが残っているのかも・・・。


今、関心のある花は「酔芙蓉」である。
我が家にも、何本か「芙蓉」の木はあるけれど、「酔芙蓉」は持っていない。絶対、手に入らない物ではないから、近くの園芸店に行けば、簡単に買う事出来るだろうが、私は買わない事に固執している。
買わないのは、一応、理由があって(「ケチ」だからかも知れないが・・・)、この花には、出会いたい情景があるからなのだ。

朝に白い花を咲かせ、午後にだんだんピンク色にかわり始め、夕方から夜にかけてさらに赤く変わり、翌朝にはしぼんでしまう・・・という「酔芙蓉」の酔いっぷりを、出来れば、どこの町でも良いのだが、夕刻の人気のまばらな時間に、太陽が西に沈みかけているなんてのも悪くないなぁ、何げ無く通り過ぎる道端で、「あら、何とも良いお顔ですねぇ・・・」と目に留まる・・・そういう出会いをしたいと思っている。
更に、贅沢を言うならば、私がほろ酔い加減であれば、申し分ない。
こんな出会いであれば、「酔芙蓉」にとっても、自分の魅力を最大限知らしめられる最高の舞台だと思うけれど・・・。

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古代ハス!!

2010-07-04 18:45:23 | 写メールから



伊豆の国市 成福寺の蓮              [写真提供:T・Tさん]


遊び友達のNTさんから、成福寺の「蓮」が見どころという情報が入った。
去年の事、そのお寺の「蓮」の写真は、友人(TTさん)から、写メで貰っていたから、今年も来るだろうと思ってはいたが、NTさんのメールのすぐ後に、TTさんから写メールが届いた・・・これって、私を媒体とした、不思議な現象か?・・・否、超常現象を扱ったTVドラマの見過ぎで・・・美しいな、綺麗だなと感じる時は、皆、同じということなのだろう(人が密集している所へは行きたくないへそ曲がりの私でさえ、花の一番綺麗な時に、見てみたいと思うのだから・・・)。

平泉にある中尊寺では、確か、「古代蓮の池」というのが有ったような記憶がある・・・というのは、以前、見に行ったという記憶はあるけれど、花を見た記憶が無いからだが・・・。
で、ネットで調べてみた。やはり、存在している。800年前の蓮の種(果実か?)の発芽させることに成功したそうだ。
もっと古い(大賀ハス:2000年前、行田蓮:1400~3000年前)のも有ると言うではないか・・・同じ花が何千年も咲き続けている訳でもないが、一度、見てみたいと思う・・・行けるかなぁ。

蓮というと仏教がらみと思いがちだったが、もともと、ヒンドゥー教に登場しているという。
泥水の中から生えたのに、真っ直ぐに伸び、清廉な花を咲かせる姿が、俗世の欲にまみれず、清らかに生きる象徴としてとらえられている、このイメージが仏教に継承されたのだそうだ。

「蓮は泥より出でて泥に染まらず」・・・中国成句

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目に留まった新聞記事から・・・その三

2010-07-03 09:26:01 | この頃思う事



我が家の「ぶどう」も、大分、成長して大きくなりましたが、きっと、食べられません・・・あまりにも酸っぱくて。
ウルムチでは、「ぶどう」の収穫時、街中にぶどうの露天市が並び、私も、購買意欲をそそわれて、あちこちの店で手に入れたものだが、今も、その光景は見られるのだろうか・・・。


民族 横たわる疑念・・・ウイグル族、漢族 デマが憎悪をあおり
中国新疆ウイグル自治区ウルムチの大規模暴動から5日で1年。
中国政府が公表しただけで200人近い死者を出した暴動の傷跡は深く、ウルムチ市では、ウイグル族は市南部へ、漢族は北部へと移り住む分断化が進んでいた。民族の十字路として栄えたシルクロードの拠点都市に活気が戻るのはまだ先になりそうだ。[分断の町から ウルムチ暴動1年(毎日新聞から)]

ウルムチへ初めて訪れたのは、1981年の夏だった・・・単なる観光旅行でしかなかったが、街の空気も、通り過ぎる人々にも、何故か惹かれる街だった。
その後、数回、この街に行った。中国の経済伸張とともに、訪れる度に街の姿が変わってはいたが、街を包む空気は変わっていなかったように思う。私は、のんびり街を散策しながら、人々に魅入り、空気を堪能し、癒されていた。
私が単なる旅行者であったからとしても、あののんびりとした穏やかな空気の中に、今日のウルムチが潜んでいることなど想像もしてなかった。
確かに、歴史的にも、今日的な問題としても、民族としての確執、対立、葛藤はあると認識はしている。
しかし、旅行者に安らぎと癒しをくれ、魅力を見せてくれた人々に嘘は無かったはずと信じている・・・政治、政策はあろうけれど、どうしても納得出来ないものがある。
人間は、ほんとうに、愚かなものだ!歴史を勉強しても、それから学ぶ事しない。だが、賢く振舞う方法は知っていると願う・・・とても、好きな街だから、一層、願う・・・。


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