見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

新春西国巡礼(3):永観堂、金戒光明寺、知恩院

2010-01-21 23:59:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
永観堂 禅林寺(京都市左京区)

 先だって、陳舜臣の『巷談中国近代英傑列伝』という本を読んで、歴史学者の王国維が、京都のどこに住んでいたか知りたいと書いた。そうしたら、まさに京都に向かう朝、携帯でブログの管理画面を開いたら、見ず知らずの行灯さんから「永観堂の方に住んでいたようです」というコメントが入っていた。インターネットの世界って、これだから面白い。

 周辺を歩いて、王国維旧居の碑でもないかと探したが、見つからなかった。あとで調べたら「南禅寺附近に住んでいた」という中国語のサイトもあったので、もう少し南下してみればよかったのかもしれない。のちに王国維が、「永観」「観堂」という号を使うようになったのは、しばしば散策した永観堂の閑寂な趣きを愛したからであろうともいう。なるほど。久しぶりに訪ねた「みかえり阿弥陀堂」は壁画復元中だった。今年の秋には完成とのこと。

紫雲山・くろ谷 金戒光明寺(京都市左京区)

 少し歩いて、「第44回 京の冬の旅」で特別公開中の金戒光明寺に寄る。「冬の旅」パンフレットの表紙を飾っている、伝運慶作の文殊菩薩(渡海文殊形式)が見どころ。金戒光明寺の文殊菩薩と聞いて、私はすぐに思い当たることがあった。2007年に、けっこう長い期間、京博の本館に展示されていたものだ(→記事)。そのときは、ライティングが凝っていて、お~武闘派の美形!と感心していたのだが、今回、お堂で見ると、文殊はともかく、獅子がぽっちゃりして可愛らしすぎる。あれ?この像じゃなかったかしら?と不安を感じた上に、ボランティアっぽい中年女性のガイドさんに「この文殊さんは、京都の博物館で展示なさってませんでしたか?」とお尋ねしたら、「いいえ。お寺の外には出てませんよ」と言下に否定されてしまったのだが、調べてみると、やっぱり、私の記憶どおりらしい。

 説明によれば、金戒光明寺の文殊菩薩は、桜井の文殊(安倍文殊院)、切戸の文殊(智恩寺)と並んで「日本三大文殊」に数えられるそうだ。ここのかわりに、山形県の亀岡文殊(大聖寺)を挙げることもある。

 幕末、金戒光明寺には、京都守護職に任命された会津藩の本陣が置かれた。本堂の縁先に上がって振り返ってみると、御所にも粟田口(東海道の発着点)にも近く、さらに大山崎(天王山)附近までが一望できる、絶好のロケーションだったことが分かる。

浄土宗総本山 知恩院(京都市東山区)

 最後に、友人から「ぜひ行ってみて」とすすめられた知恩院へ。「冬の旅」キャンペーンで三門(山門)が公開されている。急な階段を登って、二階の楼閣内部に入ると、真っ暗。文化財(壁画・天井画)保護のため、窓や出入口に暗幕を垂らし、自然光を遮断するかたちでのみ、公開が認められたそうだ。ちょっと戸惑うが、眼が慣れてくると、かえって雰囲気があってよい。

 ここは、おばちゃんガイドの話が非常に上手くて、面白かった。知恩院の諸堂は徳川家康によって造営され、2代秀忠が建てた三門は火災で焼失するが、すぐに3代家光によって再建された。このように徳川三代が深くかかわったのは、平城である二条城に対して、何か事があったときは、この知恩院を本陣として使うことを想定していたためだという。「うぐいす張り(侵入者を防ぐセンサーの役目)が仕掛けられたお寺なんて、ここだけです」という説明に、なるほどと思う。2011年4月には、法然上人の800年大遠忌法要が予定されているが、今から百年前の700年大遠忌には、大勢の人が京都に押し寄せ、京都駅だけでは捌き切れないため、梅小路駅が設けられたのだそうだ。面白いなあ。

 天井画では、寸詰まりのような龍の一種(飛龍?)に注目。永観堂の壁画にもいた。中国か韓国の寺院でも見たような気がする。
コメント
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