○陳舜臣『巷談中国近代英傑列伝』(集英社新書) 集英社 2006.11
なつかしいなあ、陳舜臣さん。70年代後半から80年代は、このひとの中国歴史小説を読みまくった。中国近代史に関する私の基礎教養は、時代順に『旋風に告げよ』(鄭成功)→『実録・アヘン戦争』→『太平天国』→『江は流れず』(日清戦争)でつちかったようなものだ(大学受験対策にも利用した)。
本書は、中国近代の黎明を彩る15人の英傑を紹介するもの。やはり、中国の歴史上の人物には「列伝」スタイルがぴったりくる。第一番目は、アヘン戦争の英雄、林則徐(1785-1850)。迫りくる国家の危機を感じ、有能な幕僚を求めていた林則徐が、死の前年、招いて語り明かしたのが、まだ無官だった左宗棠(1812-1885)。塞防派の左宗棠に対して、海防派の代表として登場するのが李鴻章(1823-1901) 。という具合に、少しずつ時代を下りながら、辛亥革命までの歴史を概観することができる。でも、多事多端な中国近代史を、この1冊だけで理解するのは、ちょっと難しいだろうな。
興味深かった点は、まず、彼らのつくった詩文がところどころに引かれていること。李鴻章が晩年にイギリスでつくった詩に「万緑叢中 両条の路/飆輪 電掣 稍(いささか)も留らず」という句があり、これは汽車を詠んだものだという。著者は、小平が日本の新幹線に乗ったとき「うしろから追い立てられているようだ」と語ったことと重ねているのが、面白いと思った。
それから、意外な連携の可能性があったこと。義和団事件で清国が壊滅的打撃をこうむったあと、李鴻章は、最も過激な革命勢力、孫文の興中会と提携の可能性を模索していたという。列強の侵略から国土を守るためなら、なんでもありだったんだな。こういう「愛国的」な判断って、いまの21世紀にはないものかなあ。外圧が顕在的でない分、野合と罵られるのがオチか。革命勢力の中にあって、個性強烈な孫文と章炳麟のあいだの調停に献身した黄興という人物も、印象深い。
また、15人の事蹟のあちこちに、日本および日本人の記事が登場する。両国の関係の密接さは、現在の私たちの想像をはるかに超えているのではないかと思う。黄遵憲、康有為、梁啓超、孫文、魯迅、黄興、王国維、みんな日本に暮らしたことがあるのだ。古い中国に殉じて、頤和園の昆明池で入水自殺を遂げた王国維は、一時日本に亡命し、辮髪姿のまま、京都に住んでいたという。京都のどこに住んでいたのだろう。知りたい。往時をしのんで、訪ねてみたい…。
本書は、中国の近代化に直接の功のあった政治家、ジャーナリストのほか、国学者で歴史学者の王国維、言文一致体の祖として日本の二葉亭四迷に比べられる劉鉄雲、国民作家の魯迅(これは当然の人選)、さらに、2人の画人、斉白石と張大千を取り上げているのがユニークである。
斉白石は、私は京博の常設展示で覚えた清末生まれの画家。50代の半ばになって、ようやく郷里を出て北京で売画の生活を始め、同僚の悪評を受けることがあっても、いつかは眼力のある人が見分けてくれると期待していたそうだ。若冲とか蕭白を思わせるエピソードである。張大千は、石濤と八大山人に傾倒し、石濤については、模写が嵩じて贋作をつくっていたのではないか、と言われるそうだ。へえー張大千には関心がなかったが、石濤も八大山人も私の好きな画家だ。次に台湾に行ったときは、故宮博物院の隣り、張大千紀念館にも必ず行ってみることにしよう。

本書は、中国近代の黎明を彩る15人の英傑を紹介するもの。やはり、中国の歴史上の人物には「列伝」スタイルがぴったりくる。第一番目は、アヘン戦争の英雄、林則徐(1785-1850)。迫りくる国家の危機を感じ、有能な幕僚を求めていた林則徐が、死の前年、招いて語り明かしたのが、まだ無官だった左宗棠(1812-1885)。塞防派の左宗棠に対して、海防派の代表として登場するのが李鴻章(1823-1901) 。という具合に、少しずつ時代を下りながら、辛亥革命までの歴史を概観することができる。でも、多事多端な中国近代史を、この1冊だけで理解するのは、ちょっと難しいだろうな。
興味深かった点は、まず、彼らのつくった詩文がところどころに引かれていること。李鴻章が晩年にイギリスでつくった詩に「万緑叢中 両条の路/飆輪 電掣 稍(いささか)も留らず」という句があり、これは汽車を詠んだものだという。著者は、小平が日本の新幹線に乗ったとき「うしろから追い立てられているようだ」と語ったことと重ねているのが、面白いと思った。
それから、意外な連携の可能性があったこと。義和団事件で清国が壊滅的打撃をこうむったあと、李鴻章は、最も過激な革命勢力、孫文の興中会と提携の可能性を模索していたという。列強の侵略から国土を守るためなら、なんでもありだったんだな。こういう「愛国的」な判断って、いまの21世紀にはないものかなあ。外圧が顕在的でない分、野合と罵られるのがオチか。革命勢力の中にあって、個性強烈な孫文と章炳麟のあいだの調停に献身した黄興という人物も、印象深い。
また、15人の事蹟のあちこちに、日本および日本人の記事が登場する。両国の関係の密接さは、現在の私たちの想像をはるかに超えているのではないかと思う。黄遵憲、康有為、梁啓超、孫文、魯迅、黄興、王国維、みんな日本に暮らしたことがあるのだ。古い中国に殉じて、頤和園の昆明池で入水自殺を遂げた王国維は、一時日本に亡命し、辮髪姿のまま、京都に住んでいたという。京都のどこに住んでいたのだろう。知りたい。往時をしのんで、訪ねてみたい…。
本書は、中国の近代化に直接の功のあった政治家、ジャーナリストのほか、国学者で歴史学者の王国維、言文一致体の祖として日本の二葉亭四迷に比べられる劉鉄雲、国民作家の魯迅(これは当然の人選)、さらに、2人の画人、斉白石と張大千を取り上げているのがユニークである。
斉白石は、私は京博の常設展示で覚えた清末生まれの画家。50代の半ばになって、ようやく郷里を出て北京で売画の生活を始め、同僚の悪評を受けることがあっても、いつかは眼力のある人が見分けてくれると期待していたそうだ。若冲とか蕭白を思わせるエピソードである。張大千は、石濤と八大山人に傾倒し、石濤については、模写が嵩じて贋作をつくっていたのではないか、と言われるそうだ。へえー張大千には関心がなかったが、石濤も八大山人も私の好きな画家だ。次に台湾に行ったときは、故宮博物院の隣り、張大千紀念館にも必ず行ってみることにしよう。