○カレル・チャペック著、飯島周訳『オランダ絵図』(カレル・チャペック旅行記コレクション)(ちくま文庫) 筑摩書房 2010.9
著者描く、オランダ風景の愛らしいイラストを多数収録した楽しい文庫本。オランダへは一度しか行ったことがない。それも仕事に追われる短い滞在だった。しかし、アムステルダムの古い街並み、ライデンやハーグへ移動する列車の窓から眺めた早春の田園風景は、今もはっきり記憶に残っている。本書のページをめくっていると、ひろびろした平坦な牧草地の緑や、煉瓦の臙脂色や、運河の静謐で深い青が、あっさりした白黒のイラストから浮かび上がってくるように感ずる。
本書は、著者チャペックが、1931年、世界ペンクラブ大会出席のため、オランダを訪れたときの見聞をもとにしている。私は、最近、オランダの現代ドキュメンタリー映画『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』を見た。この映画では、美術館の改修プランをめぐって、建築家と「サイクリスト協会」が厳しく対立するのだが、1930年代から、既にオランダがサイクリストの国だったということに新鮮な驚きを感じた。さらに著者が、自転車に乗る習慣が国民性に与える影響として挙げている事柄、「自分の面倒は自分で見て、他人の車のことには自分を巻き込まぬ習性がある」とか「チャンスをうかがっていて、少しでも空いている場所を得られそうになると、直ちにペダルを踏み込む」等々には笑ってしまった。
私は、著者の故国について何も知らないのだが、チェコ人であるチャペックの目に映るオランダは、何もかも小さく、しかし清潔で、秩序と高い品質を保った国に見えるらしい。「彼らの家は他のどの場所よりも小さい。人々の住居は、まるで鳥籠のようにちんまりとして風通しがよい」「彼らの椅子は丈が低いが、座り心地がよく親しめる。小さいが安っぽくはない」「オランダは、形は小さな国であるが、水準は高い」「その民族的理想は大きさにではなく、質に向かっている」云々。なんだか、まるで幕末から明治初期に日本を訪れた西洋人が、日本について語った言葉を聴くようではないか。徳川「鎖国」時代の交易を通して、日本と縁の深いオランダであるが、実は意外と、双子のように似た国なんだ…と思った。
もうひとつ、軽く読み流すつもりで買った本書で、思わぬ衝撃を受けた箇所がある。著者はオランダで「双頭の鷲」(ハプスブルク王家の紋章)に出会ってしまう。行間に流れる暗欝な感慨のわけを知るには、まず歴史的な事実を確認しなければならない。チェコ人は、16世紀以降、長きにわたってハプスブルク家の支配を受け、政治、宗教面で抑圧され続けた。ハプスブルク家の最後の皇帝カール1世が亡命し、中欧に650年間君臨したハプスブルク帝国が崩壊したのが1918年。まさに著者の「同時代」の事件だった。
帝国の暴虐な支配を受けた小さな民族のひとりが、異国の地で、帝国盛期の支配の痕跡に出会う。それは、あまり気持ちのいいものではないだろう。しかし、チェコ人は「ハプスブルク王朝を感動的に思い出すことはない」「われわれがそれに組するわけでは全然ない」と、著者は慎重にことわりつつ、この大きな帝国がもたらした文化的接触、人や領地の交換、多様な国々に与えた「共通の精神的な印」に対する、抑えがたい憧憬を語っている。「それらの多様な国々では、何かが互いに目くばせをしているのだ」って、いい表現だなと思った。
振り返って、東アジアはどうなんだろう。――ということを考えていたが、国土の伸縮こそあれ、ハプスブルク家みたいに完全に滅びた帝国でないと、「超国家性」の基盤にはならないんだろうな。中華帝国も大日本帝国も、その末裔は生き延びているものなあ。
著者描く、オランダ風景の愛らしいイラストを多数収録した楽しい文庫本。オランダへは一度しか行ったことがない。それも仕事に追われる短い滞在だった。しかし、アムステルダムの古い街並み、ライデンやハーグへ移動する列車の窓から眺めた早春の田園風景は、今もはっきり記憶に残っている。本書のページをめくっていると、ひろびろした平坦な牧草地の緑や、煉瓦の臙脂色や、運河の静謐で深い青が、あっさりした白黒のイラストから浮かび上がってくるように感ずる。
本書は、著者チャペックが、1931年、世界ペンクラブ大会出席のため、オランダを訪れたときの見聞をもとにしている。私は、最近、オランダの現代ドキュメンタリー映画『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』を見た。この映画では、美術館の改修プランをめぐって、建築家と「サイクリスト協会」が厳しく対立するのだが、1930年代から、既にオランダがサイクリストの国だったということに新鮮な驚きを感じた。さらに著者が、自転車に乗る習慣が国民性に与える影響として挙げている事柄、「自分の面倒は自分で見て、他人の車のことには自分を巻き込まぬ習性がある」とか「チャンスをうかがっていて、少しでも空いている場所を得られそうになると、直ちにペダルを踏み込む」等々には笑ってしまった。
私は、著者の故国について何も知らないのだが、チェコ人であるチャペックの目に映るオランダは、何もかも小さく、しかし清潔で、秩序と高い品質を保った国に見えるらしい。「彼らの家は他のどの場所よりも小さい。人々の住居は、まるで鳥籠のようにちんまりとして風通しがよい」「彼らの椅子は丈が低いが、座り心地がよく親しめる。小さいが安っぽくはない」「オランダは、形は小さな国であるが、水準は高い」「その民族的理想は大きさにではなく、質に向かっている」云々。なんだか、まるで幕末から明治初期に日本を訪れた西洋人が、日本について語った言葉を聴くようではないか。徳川「鎖国」時代の交易を通して、日本と縁の深いオランダであるが、実は意外と、双子のように似た国なんだ…と思った。
もうひとつ、軽く読み流すつもりで買った本書で、思わぬ衝撃を受けた箇所がある。著者はオランダで「双頭の鷲」(ハプスブルク王家の紋章)に出会ってしまう。行間に流れる暗欝な感慨のわけを知るには、まず歴史的な事実を確認しなければならない。チェコ人は、16世紀以降、長きにわたってハプスブルク家の支配を受け、政治、宗教面で抑圧され続けた。ハプスブルク家の最後の皇帝カール1世が亡命し、中欧に650年間君臨したハプスブルク帝国が崩壊したのが1918年。まさに著者の「同時代」の事件だった。
帝国の暴虐な支配を受けた小さな民族のひとりが、異国の地で、帝国盛期の支配の痕跡に出会う。それは、あまり気持ちのいいものではないだろう。しかし、チェコ人は「ハプスブルク王朝を感動的に思い出すことはない」「われわれがそれに組するわけでは全然ない」と、著者は慎重にことわりつつ、この大きな帝国がもたらした文化的接触、人や領地の交換、多様な国々に与えた「共通の精神的な印」に対する、抑えがたい憧憬を語っている。「それらの多様な国々では、何かが互いに目くばせをしているのだ」って、いい表現だなと思った。
振り返って、東アジアはどうなんだろう。――ということを考えていたが、国土の伸縮こそあれ、ハプスブルク家みたいに完全に滅びた帝国でないと、「超国家性」の基盤にはならないんだろうな。中華帝国も大日本帝国も、その末裔は生き延びているものなあ。