見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「話せばわかる」人になる/ヒューマニティーズ 歴史学(佐藤卓己)

2010-10-02 01:40:07 | 読んだもの(書籍)
○佐藤卓己『歴史学』(ヒューマニティーズ) 岩波書店 2009.5

 発行元の岩波書店のサイトに行ってみても、詳しいことは書かれていないが、たぶん本シリーズは、主にこれから人文科学(ヒューマニティーズ)を学ぼうとする若い世代に向けて執筆されたのではないかと思う。

 そうであれば、私は読者として規格外れだ。私は歴史学の専門的な訓練を受けたことは一度もないし、たぶんこれからもないだろう。私は、単なる好奇心で、歴史学者の研究成果をガツガツと食い散らかす、お行儀の悪い快楽主義者に過ぎない。だが、快楽主義者であればこそ、極上の美食を生み出してくれるシェフたち(研究者)への尊敬を忘れないでいたい。本書を手に取った動機はそんなところだった。

 本書は、メディア史を専門とする著者が、自己の研究者としての形成過程(余は如何にしてメディア史家になりしか)を、師との出会い、先輩のひとこと、研究テーマとの出会い、論文で犯した過ち、若気の至りの発言などを振り返りながら、平易に語ったエッセイである。文章は平易でも、ところどころ、じっと考え込んでしまう箇所があった。

 そのひとつは「歴史学を学ぶ意味」について。「一つの正答は、教養を身につけるため」と著者は言う。「教養のある人とは…(略)『話せばわかる人』である」という箇所を読んで、私は天啓のように悟ってしまった。近年、いくつかの大学が「教養」もしくは「リベラル・アーツ」教育を”売り”にしている。私は、どうしてもその意図が分からなかった。何か特殊な専門能力でもなければ、最低限の生活を確保するのも難しいご時世に、何が教養だよ、と思っていた。

 しかし、どんなご時世でも「話せばわかる人」は大事だ。「話せばわかるという信念を持てる人」と言ってもいい。そして、本当のコミュニケーション能力(わかるように話す能力)とは、マニュアル化されたスキルの問題ではなく、教養と信念に裏打ちされて、はじめて成立するものだと思う。このところ、ずっと迷っていた「教養(リベラル・アーツ)教育」の意味について、答えを見つけることができて、スッとした。しかし、逆に考えると、対話の契機を生み出さない歴史は偽物、と言ってもいいのだろうか。

 もうひとつは、著者が最初期に選んだ研究テーマ、ナチス・ドイツに関する考察を再論している箇所。示唆に富む、刺激的な記述が続くが、たまたま目についた箇所を引用しておこう。「総力戦体制とは、『財産と教養』というブルジョア的公共圏の壁を打ち破って、『言語と国籍』を入場条件とする国民的参加=総動員の公共圏を成立させた」。歴史学者のモッセは、これを「大衆の国民化」と呼ぶ。この体制は、歴史の誤謬として起こるのではない。ルソー以来、主権在民に基礎づけられた民主政治が「いかに住民大衆を国民国家に取り込み、いかに彼らに帰属感を与えることができるか」を追求してきた結果として、必然的に、理性や教養ではなく、感情と熱狂の共同体が将来されたのだ。

 上述の考え方は、ショッキングだけれど面白かった。日本近代史に置き換えてみれば(著者はこんなことは書いていないけれど)、明治維新から日露戦争までの日本人は正しくて、以後は堕落していくという『坂の上雲』の歴史認識はやっぱり不十分で、「大衆の国民化」の芽は自由民権運動以前にも胚胎していたということだろう。反対する人もあるだろうが、「ファシズムが民主主義を否定して出現すると考えるべきでない。むしろ、民主主義の名の下に現れるのがファシズムである」と著者は断ずる。このように覚悟することで、今、われわれの生きる現代の見え方も変わってくると思う。「言語と国籍を入場条件とする総動員の公共圏」って、今のネット社会そのままじゃないか、とも思った。

 それから、「ニュー・メディア」が新しい理由は、技術の先端性にあるのではない。そのメディアをどう使うべきか、使用の文法が確立されていないからである、という指摘も印象的だった。私が、比較的、新しいメディアに接する機会の多い仕事をしている所為もある。だが「結局、ニュー・メディアの文法を読み解く鍵は、メディアの歴史にしかないのである」という提言には、勇気づけられたように思った。

 私は、著者のナチ宣伝研究だけ読んでいないが、あとは『キングの時代』(2002)『言論統制』(2004)『八月十五日の神話』(2005)『東アジアの終戦記念日』(2007)と愛読してきたので、あらためて著者自身のレビューによって紹介されているのが嬉しかった。紙数の関係なのか、蓑田胸喜と日本主義的教養の時代(あ、これも教養だ)について触れられていないのが残念だったが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする