見もの・読みもの日記

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描かれたイタリア/グランドツアー(岡田温司)

2010-10-16 00:34:31 | 読んだもの(書籍)
○岡田温司『グランドツアー:18世紀イタリアへの旅』(岩波新書) 岩波書店 2010.9

 グランドツアーとは、イギリスの支配階級や貴族の子弟たちが教育の最後の仕上げとして体験する、数ヵ月から2年程度のイタリア旅行のこと。17世紀末に始まり、18世紀後半にピークに達した、と本書は説明している。ただし、Wikiによれば、目的地は必ずしもイタリアに限らなかったらしい。一方、本書は、18世紀、ヨーロッパ各国の旅行者を吸い寄せた「イタリア」に着眼して書かれており、登場する旅行者は「イギリス上流階級の子弟」に限定されていない。つまり、本書の内容とタイトルには、いくぶんの誤差があることを注意しておきたい。

 しかし、そんな些細なことを気にしなければ、十分に面白い本だ。本書は「人」「自然」「遺跡」「美術」の4つの章から成る。「人」の章は、「先進国」イギリスからの旅行者が、イタリアの過去の栄光と現在の体たらく(貧困、荒廃)に優越意識を感じていたこと、それゆえ、古代ローマあるいはルネサンスという偉大な過去を受け継ぐ役目は自分たち(イギリス人)にこそある、という自負心から「何のためらいもなくイタリアから多大な考古学的遺産を自国へ持ち帰ることができた」のではないか、と語る。なんとなく耳の痛い話でもある。そして、恐ろしい山賊を配した風景画や、猥雑で滑稽な庶民を描いた風俗画が流布することで、旅行者たちは、イタリアに旅立つ前から、ある種の色眼鏡(オリエンタリズム)を装着していたという。そうかー。”写実的”な手法で描かれた西洋の風景画、風俗画も、全て真実と受けとめてはいけないんだな、と認識を新たにする。

 「自然」の章では、18世紀に特徴的な美的感受性が「ピクチャレスク」と「崇高(サブプライム)」であることが語られる。ところが、18世紀末になると、全く新しい風景へのまなざしがきざし始める。例に挙げられているのは、ローマを描いたフランスの画家ヴァランシエンヌと、ナポリを愛したイギリスの画家トーマス・ジョーンズ。神話や伝説のかけらもない、乾いた空気とモノの質感をごろりと投げ出したような、驚くほど「新しい」風景画である。

 「遺跡」の章は、ポンペイの発掘(1748年開始)と発掘品カタログ(1757年刊行)が全ヨーロッパに与えた影響について。このカタログから、その後の西洋の美術や工芸品、家具や装身具のデザイン・モチーフとなるものが数多く生まれたという。われわれが「伝統」と思っているものが、意外と「リバイバル」なのは、西洋も同じなのか。沸騰する古代ブームに対して、知識人は冷やかだったそうだ。また、「古代とは何か」(素朴で単純明快な古代vs異種混淆、奇想の古代)についても論争が起こる。「彼らが提示する古代像は、実際に古代がいかなるものであったかということよりも、いかなる古代であってほしいのかという期待や欲望を映し出している」という著者の指摘が面白い。私は、どうしてもここに日本人の同様な傾向を重ねて読んでしまう。

 そして「美術」の章は、旅行者が旅の記念にイタリアで描かせた肖像画、お土産に最適だったと思われる、名所旧跡画について。これもびっくりした。実際にはかなり離れたところにあって、同時に見えることがありえない名所旧跡を1枚の画面に組み合わせるのは「おなじみの技法」だったそうだ。なんだー。日本の名所図屏風とおんなじじゃない。金色の雲とかで誤魔化していないので、イタリアの風景をよく知らないと、これが実景なのかと思ってしまう。さすがに、ロンドンのセント・ポール大聖堂とヴェネツィアの運河を1画面に描いた奇想(カプリッチョ)には違和感を感じたけれど。

 なお、イタリア中部に「ナルニ(ナルニア)」という町があり、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』の舞台とされていることを初めて知った(Wikiに簡単な記述あり。でも地名を拝借しただけなのかあ)。近くには、マルモレの滝という名勝もあるそうだ。私は、むかし、イタリアからスイスに抜ける旅行をしたとき、深い緑に彩られたアルプス山脈を見て、この風景こそはナルニアだ!と感じたのだが…。あれはまさに「崇高(サブプライム)」な風景だったなあ。
コメント
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