○『東京人』2011年11月号「特集・チャイナタウン神田神保町」 都市出版 2011.11
神保町の大きな書店で見つけて、実は新刊だと思って買ってしまった。よく見たら半年以上も前の号だったのだが、楽しく読んでいる。
私は神保町が大好きだ。もちろん理由は「本の町」だから。と思っていたのだが、言われてみれば、神保町には不思議と中華料理屋が多い。そこが、チャイナタウン好きの私の気持ちを落ち着かせるのかもしれない。
この特集には、中華料理の話とあまり関係のない、川島真さんの「神保町界隈から見る日中関係」(留学生の街=勉学の街である以上に、政治運動の拠点だった神保町)や、森まゆみさんの「海を越えた文化人サロン『内山書店』」など、興味深い読みものもあるが、やっぱり心が留まるのは、勝見洋一さんの「留学生たちの舌の記憶をたどる」などの「味」談義である。
勝見さんによれば、横浜と神戸は広東人が多く、長崎は福建人が多い。対して、神保町は山東と寧波から来た料理人が多かった。山東人と寧波人という混成部隊のチャイナタウンは、世界でも珍しいのだそうだ。へえー。でも日本文化の伝統とは平仄が合っている感じがする。本稿には、カラー写真つきで、勝見さんが再現した「明治期の寧波料理」「明治~戦前の山東料理」さらに「明治期の満族向け料理」などが紹介されている。
中国人留学生受入れのルーツを江戸時代に探る、徳川家広さんの「湯島聖堂の、知られざる日中交流」も面白かったが、私は昭和20年代末から40年代半ばにかけて、斯文会(聖堂内にある公益法人)で中華料理の講習会が行われていたというエピソードに反応してしまった。お茶の水女子大学の教員が講師をつとめていたという。「史蹟で火を使っていたわけだから、しまいには文部省に叱られましたけど」って、おおらかな時代だったんだなあ。
めずらしい古写真満載の一方で、たまに出てくるカラー写真は中華料理ばかり。ああ、あそこね、とすぐ分かるお店ばかりだが、私がもう一度行きたいと思っているのは、咸亨酒店。紹興に実在する居酒屋から名前を取っているが、寧波の家庭料理の味なのだそうだ。美味しかったなー。
※折りしも、神田神保町の公式タウンサイト『ナビブラ神保町』の今月(2012年6月)の特集は「食べ比べ×中華メン」である。
神保町の大きな書店で見つけて、実は新刊だと思って買ってしまった。よく見たら半年以上も前の号だったのだが、楽しく読んでいる。
私は神保町が大好きだ。もちろん理由は「本の町」だから。と思っていたのだが、言われてみれば、神保町には不思議と中華料理屋が多い。そこが、チャイナタウン好きの私の気持ちを落ち着かせるのかもしれない。
この特集には、中華料理の話とあまり関係のない、川島真さんの「神保町界隈から見る日中関係」(留学生の街=勉学の街である以上に、政治運動の拠点だった神保町)や、森まゆみさんの「海を越えた文化人サロン『内山書店』」など、興味深い読みものもあるが、やっぱり心が留まるのは、勝見洋一さんの「留学生たちの舌の記憶をたどる」などの「味」談義である。
勝見さんによれば、横浜と神戸は広東人が多く、長崎は福建人が多い。対して、神保町は山東と寧波から来た料理人が多かった。山東人と寧波人という混成部隊のチャイナタウンは、世界でも珍しいのだそうだ。へえー。でも日本文化の伝統とは平仄が合っている感じがする。本稿には、カラー写真つきで、勝見さんが再現した「明治期の寧波料理」「明治~戦前の山東料理」さらに「明治期の満族向け料理」などが紹介されている。
中国人留学生受入れのルーツを江戸時代に探る、徳川家広さんの「湯島聖堂の、知られざる日中交流」も面白かったが、私は昭和20年代末から40年代半ばにかけて、斯文会(聖堂内にある公益法人)で中華料理の講習会が行われていたというエピソードに反応してしまった。お茶の水女子大学の教員が講師をつとめていたという。「史蹟で火を使っていたわけだから、しまいには文部省に叱られましたけど」って、おおらかな時代だったんだなあ。
めずらしい古写真満載の一方で、たまに出てくるカラー写真は中華料理ばかり。ああ、あそこね、とすぐ分かるお店ばかりだが、私がもう一度行きたいと思っているのは、咸亨酒店。紹興に実在する居酒屋から名前を取っているが、寧波の家庭料理の味なのだそうだ。美味しかったなー。
※折りしも、神田神保町の公式タウンサイト『ナビブラ神保町』の今月(2012年6月)の特集は「食べ比べ×中華メン」である。