見もの・読みもの日記

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16世紀の日本列島/世界史のなかの戦国日本(村井章介)

2012-06-06 23:38:38 | 読んだもの(書籍)
○村井章介『世界史のなかの戦国日本』(ちくま文庫) 筑摩書房 2012.4

 16世紀から17世紀前半といえば、信長(1534?-1582)・秀吉(1537-1598)・家康(1542-1616)の三英傑が覇を競った時代であることは、戦国オンチの私でもさすがに知っている。しかし、本書は、戦国の英雄たちが活躍する日本の中央地帯の歴史については詳しく述べることをせず、列島の周縁部に目を向け、そこで起きた事件を、世界史的な文脈の中で理解することを試みている。

 具体的には「蝦夷地(北方)」「琉球(中国)」「平戸・種子島(南蛮)」「石見銀山(朝鮮)」「秀吉と波多三河守」「朝鮮役における泗川(しせん)の戦い」を取り上げる。

 「蝦夷地」は、中世~近世日本にとって重要な北方世界との交易の口だったことは分かっていても、実態を知らないので興味深かった。松前藩が、自己を「日本の外」とする認識を持っていたというあたりが。

 「琉球」については、薩摩の侵攻に至るまでの古琉球の制度、文化が詳しく語られる。最近、『テンペスト』の波及効果で、いろいろ勉強したことの復習になった。幕府および薩摩は、琉球を完全に従えることもできたが、明との復交の道をさぐるため(および異国を従える雄藩ぶりを誇示するため)、敢えて独立国の外見を取ることを許し、冊封体制を利用しようとした、という解釈になるほどと思った。国際関係って、ほんと一筋縄ではいかないなー。

 「平戸・種子島」では、16世紀の東アジア海域世界に最初にあらわれたヨーロッパ勢力、ポルトガルとの接触について語る。興味深いのは、鉄砲伝来の実像。「ポルトガル船が種子島に漂着して西洋式の銃を伝えた」という常識とは異なり、ポルトガル人の乗っていた船は、中国人密貿易商の王直の船(中国式のジャンク)で、鉄砲それ自体も、ポルトガル人がヨーロッパから携えてきたものではなく、東南アジアで使われていたものの可能性がある。この考察で、著者が参照しているのが、幸田成友の『日欧交通史』であることにも地味に感動した。

 「石見銀山」で産出した日本銀が、大航海時代のネットワークに乗って、世界で流通したという話は聞いたことがあるが、本書が特に着目するのは朝鮮との関係である。朝鮮政府は、倭銀の流入を恐れ、国禁としたにもかかわらず、ソウルの商人と倭人との間で密貿易が行われ、灰吹精錬の法が朝鮮から日本に伝わり、爆発的な増産を導いた。この銀をめぐる日本-朝鮮関係史は、全く知らなかった。

 以上が、近世日本の「四つの口」におおよそ対応する中世的状況であるが、ここで再び日本における統一権力の登場の意味をとらえなおす。秀吉の挑戦と敗北は、ヌルハチと比べられる。そうそう、秀吉の朝鮮出兵(明征伐)を持ち上げすぎるのもどうかと思うが、あまり否定的にとらえるのもなあ、と思う。清(後金)を建国したヌルハチが、規律ある社会組織(軍事力)を背景に、中華に臆することのない自信と自意識をもっていたことは、秀吉に共通するものがあるという。

 この章でエピソード的に取り上げられている波多三河守という人物のことは何も知らなかった。秀吉の逆鱗に触れて非業の最期を遂げた地方領主で、その怨霊は20世紀まで影響を及ぼし、1993年に(!)佐賀県に巨大なモニュメントが建造されている。最終章も付録的エピソードで、朝鮮戦役中の島津軍にぬぐい切れない「中世」的要素(小集団の寄せ集め的な性格)があったことを考察する。

 以上、あちこち目まぐるしく飛び歩いて、雑然と片付かない感もあるが、これが「中世史」なのだろう。あとがきに「中世史家の多くが抱いている近世のイメージは、中世のはぐくんだ可能性を堅苦しいわくにはめて摘みとっていった時代、という暗いものである」と、近世史家が聞いたら鼻白みそうなことがぬけぬけと書いてあって、笑ってしまった。

 なお、本書は『海から見た戦国日本』(ちくま新書、1997)に最終章を増補したものである。こういう改題は混乱のもとで、あまり嬉しくない。
コメント (2)
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