見もの・読みもの日記

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変わる歴史像/近現代日本史と歴史学(成田龍一)

2012-06-10 22:46:07 | 読んだもの(書籍)
○成田龍一『近現代日本史と歴史学:書き換えられてきた過去』(中公新書) 中央公論新社 2012.2

 歴史像(解釈された歴史)は、新たな史実(出来事)の発見がなくても、解釈によって変わりゆく。本書は、まず冒頭に「近代日本を対象とする歴史学研究」のパラダイムシフトを三期に分けて概観する。

第1期:戦前(1930年頃~)の研究に起源を持ち、戦後直後から1960年頃まで、歴史学研究の中心となった「社会経済史」を基礎とする歴史像。西洋との比較による日本の特殊性、近代日本に対する批判的な意識が根底にある。

第2期:1960年頃~。市民運動、学生運動の高揚を背景とし、歴史の主体としての「民衆」を強調するとともに、民衆の対極にある国家を権力論として書き直す試みも見られる。狭義の政治にとどまらない社会や文化、地域史への注目も始まる。

第3期:1970年代半ば~。「国境」と「学問の境界」を越境する試みが始まる。第1期や第2期で自明とされていた日本や日本人の範囲、分析視点と考えられていた国家、民族、自由、平等といった価値軸が「近代」の歴史性の産物として捉え直され、あらためて「国民国家」が議論の対象となる。

 ちなみに学校の教科書は、著者によれば「第1期をベースに、第2期の成果がいくらか描き込まれている」状況で、「(教科書の)歴史像といま現在、歴史学で議論されている歴史像との間には隔たりがある」のだそうだ。

 本書は、近現代日本史を「明治維新(開国)」「明治維新(倒幕)」「明治維新(維新政権)」「自由民権運動の時代」「大日本帝国論」「日清・日露戦争の時代」「大正デモクラシー期」「アジア・太平洋戦争の時代」「戦後社会論」の9段階に分け、それぞれ、教科書での語られ方(≒第1期の歴史像)、第2期、第3期に加わった新たな見方・解釈を紹介していく。当然、ものすごい量の参考文献が挙げられている。歴史学者って、ほんとによく本を読むなあ…。私が読んだことのある文献は、この一割にも満たない。

 しかし、いろいろ面白かったのは、自分が教科書で習ったり、マンガや小説から学んだ「歴史像」の由来が分かり、戦後歴史学という天空の中で、星座のようにその位置づけが明らかになったことだ。

 たとえば、明治維新の出発点さえも、1950年代の教科書は、国内に要因(天保の改革の失敗)→外圧が拍車をかけた、という記述だったのに対し、開国を近代の出発点におく考え方は、第2期の1960年代の研究で確立した。考えてみると、私の知っている昨今の幕末時代劇は、みんな開国を重要イベント視していて、ほかの解釈はちょっと思いつかないくらいだ。

 さらに第2期中期には、幕府の行政官は当時の国際情勢をよく理解していたという「自信に満ちた日本像」や、ペリー来航は外圧ではなく、東アジア経済圏に西洋が「参入」してきた、という認識が打ち出される。この背景には、1980年代末の経済大国化した日本と、日米の貿易摩擦が窺えるという。どんな実証的な研究も、時代の空気と無縁に出現したり、受け入れられたりするものではないんだな、ということを感じた。歴史像(解釈)もまた歴史的存在である、という自覚は、歴史を語る前提として、身に付けておきたいものだと思う。

 意外だったことの一つは、田中正造が第2期の研究によって発掘された人物で、1970年代初めに教科書に登場するまでは忘れられた存在だったということ。私は70年代初頭の学習マンガで田中正造を知ったけれど、あれは最先端だったのか。司馬遼太郎の『坂の上の雲』も、第2期の歴史学を念頭において読む必要がある、と指摘されている。

 また、「大正デモクラシー」という用語の扱いが教科書によって異なり、章のタイトルになっている本(三省堂)もあれば、註にしか出てこない本(山川)もある、というのも初めて知った。ちなみに私は高校で日本史を学ばなかったので、記憶なし。なお、第3期の研究では、1910~20年代を「総力戦」の時代として把握する傾向が高まっているとのことだが、まだこの認識は教科書にまで入り込んではいないようだ。

 私は、第3期の歴史研究、特に「国民化」や「総力戦」の問題について、文化や風俗、身体、メディアなどから切り込んだ著作が好きで、比較的よく読んでいるほうだと思う。著者は、そうした成果も「歴史学」に包摂して、本書を編集しているが、(第3期の歴史学は)「歴史学研究として認知されることはなかなか難しく、第1期や第2期の歴史学を大切にする歴史家のなかには、ここで紹介したような研究の無視や排除の姿勢もみられます」と、やや苦渋の説明をしている箇所もあった。

 本書は「歴史の教員を目指す学生たち」を読者に想定して書かれているが、そうでなくても、ブックリスト、書評集として座右に置きたい労作である。第3期の研究、ダワー著『敗北を抱きしめて』の評言など、考えさせられた。
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ヒーロー登場/京劇・孫悟空大鬧天宮(北京京劇院)

2012-06-10 02:22:03 | 行ったもの2(講演・公演)
○日経ホール 日中国交正常化40周年記念事業 京劇西遊記『孫悟空大鬧天宮(だいとうてんきゅう)』(2012年6月9日、12:00~)

 2009年と2010年に中国の京劇劇団の来日公演を見て、だんだんハマりつつあった。2011年は、おなじみ西遊記に題材を取った『孫悟空大鬧天宮』が予定されていて、楽しみにしていたのだが、東日本大震災の影響で中止になってしまった。2年越しでようやく実現した公演である。

 いや、さすがに面白かった。私は、子どもの頃に読んだ西遊記(小学館版『少年少女世界の名作文学』)でも、孫悟空が三蔵法師に出会って取経の旅に出る前の、天界の神々を敵にまわして大暴れする物語が大好きだった。誰かを憎んで大暴れするわけではない、食べたいものを食べ、遊びたいように遊びまわる結果が神々(大人たち)を右往左往させる孫悟空の姿は、子どものヒーローそのままだったのだ。

 今回の会場は大手町の日経ホール。2009年と2010年に京劇を見た池袋の東京芸術劇場(改修前)は、やや場末感があって、そこが庶民に愛された芸能・京劇に合っている気もしていたので、最新設備のゴージャスな会場に少し戸惑う。ギリギリ直前にチケットを取ったので、かなり後列の右端の席だったが、舞台はよく見えた。ただ、舞台上手の楽隊席が、幕の影になって、ほとんど見えなかったのが残念だった。

 第1場:花果山→第2場:御馬監(天界の厩)→第3場:紫宸宮。花果山で小猿たちの錬兵を楽しむ悟空のもとに、太白金星(別名・李長庚。ずいぶん人間臭い別名を持っているんだな)が使者として現れ、悟空を天界に招聘する。金銀玉石、奇貨珍宝に彩られた天界の様子を聞いても心の動かなかった悟空だが「千万の駿馬に乗り放題」と聞くと、矢も盾もたまらなくなって、飛んでいく。悟空はそんなに馬好きだったのか。まあ馬って、男子にとってはスポーツカーやバイクみたいなものだったからな。サルが馬の守護神と考えられた(厩で一緒に飼われた)ことも反映しているのだろう。

 第1場だけは、ストーリーを分かりやすくするため、具象的な山奥の背景が舞台装置に取り入れてあり、え、ずっとこれでいくのかな、と思ったが、第2場からは、京劇本来の簡素な舞台になった。第2場は、小役人「弼馬温(ひっぱおん)」となった悟空の二人の部下、小心者の寅翁・堂翁のチャリ場から始まる。無邪気に役人ごっこを楽しむ悟空。御馬監で最も気性の荒い悍馬を引き出させ、乗りこなしてみせる。もちろん京劇の「お約束」に従い、舞台上に馬は現れない。房飾りをつけた馬鞭一本、あとは機敏な身体の所作で、悍馬の姿を想像させる演技力が見どころ。すごい、すごい。この芝居の孫悟空は、単に大立ち回りのできる運動神経だけでは通用しない難役だと思った。

 そのあと、弼馬温の上司だという馬王(これも小役人の内)が現れ、横柄な態度で、悟空を激怒させる。中国の民衆が(役人になりたがると同時に)いかに役人嫌いだったか、よく分かる芝居である。

 ここで休憩。後半は、第4場:蟠桃会→第5場:偸桃盗丹→第6場:站山(出陣)。冒頭の蟠桃会(桃苑)では、桃林を描いた背景幕がめぐらせてある。おじいちゃんの土地神も中国らしい役どころだな。孫悟空役は、李丹(Li Dan)さんから磊(Zhan Lei)さんに替わる。扮装や隈取で「役」を指定する要素が大きいから、途中で中の人が替わることに、それほど違和感はない。偸桃盗丹は、やんちゃで愛らしい、そしてサルらしい豊かな表情と所作が見もの。オペラグラスを持ってきてよかった。

 最後は、天界の武神たちが勢ぞろいして(女神も含む)悟空討伐に出立する。脚本は「必ずや打ち負かせ」「得たり」の応酬で終わっていて、そのあとは台詞なし、京劇らしい身体パフォーマンスのみ。音楽にあわせて、悟空と花果山の小猿たち(よく見ると一人ひとり隈取が違う)と、武神の連合軍が、激しい立ち回りを繰り広げる。団体戦あり、個人戦あり。強くて美しい女神にデレる悟空とか、お笑い担当の羅睺(らごう)とか、図体ばかりで頭の弱い巨霊神とか、変化があって面白かった。

 パンフレットの解説によれば、古い京劇・西遊記(安天会)では、神犬に咬まれて悟空が捕まる結末だったものを、中華人民共和国成立後、反封建を強調する意図もあって、悟空の大勝利に書き換えられ、定着したそうだ。政治的改編も、たまにはいいことをするものだと思った。

 公演パンフレットには、二階堂善弘先生が「『大鬧天宮』に登場する神々」を寄稿。あと無署名記事「京劇と西遊記」が、「西遊記」を題材とする戯曲の変遷と活躍した俳優について、手際のいい解説になっていて、役立つ。むかしの名優たちの白黒写真も興味深い。

※今公演のチラシ:京劇の古くさいイメージを壊していて、けっこう好きだ。

「オレ様、神様、悟空様!」

有限会社 楽戯舎

2009年京劇公演『安天会~孫悟空 天界大暴れ~』
これは見られなかった公演。隈取は『大鬧天宮』とだいたい同じ。

少年少女世界の名作文学
さまざまな文学作品について、今なお私にとっての「決定版」的な影響をもっている。
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