見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鎌倉史跡散歩・源義朝主従の供養塔

2012-06-12 23:10:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
別の用事で鎌倉に来たのだが、4月に源義朝と鎌田正清の供養塔を探しにきて、結局、探しあてられなかったことを思い出した。そこで、リベンジ。宝戒寺から雪ノ下方面へ。滑川にかかる大御堂橋を渡り、右に折れてすぐ。



↑この資材置場の手前で右に曲がる。道の両側の番地が「雪ノ下四丁目」であることを確認(資材置場の先で曲がると「雪ノ下五丁目」になってしまう。前回はここで間違えた)。



やがて道路の左側、フェンスに区切られた狭い一角に、天に向かって、吹き上げる炎のように伸びた木立を見つけるが、気にも留めずに行きすぎようとしたら、



鬱蒼とした茂みの中に「勝長寿院旧跡」の碑を発見。ここか!と慌てる。しかし、伸び放題のヤツデとアジサイに覆い隠されて、碑文が読めない。



フェンスで区切られた敷地の左隅、緑陰に身をひそめる小動物のように、二つの五輪塔が並んでいる。どちらも小さい。左の塔に「源義朝公之墓」、右のさらに小ぶりな塔に「鎌田政家之墓」の石柱が添えられている。二基の距離が近くて、密談するように仲よさげなのが、かわいい。

平成八年に立てられた説明板によれば、源頼朝は父義朝の菩提を弔うため、この地に勝長寿院を建立し、義朝と郎等・鎌田正清(政家)の頸を埋葬した。勝長寿院には、定朝作の金色阿弥陀仏や運慶作の五大尊像(へえ~!)が安置されたが、16世紀頃に廃絶したと思われている。供養塔は、ごく近年の再建委員会(代表:鎌田丙午氏→鎌田正清のご子孫なのだろうか)によるもの。それでも、こうして往時を偲ぶ縁(よすが)となっているのは、奥ゆかしい。写真を見るまで気づかなかったが、木刀が供えられていた。
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