○鈴木芳行『日本酒の近現代史:酒造地の誕生』(歴史文化ライブラリー401) 吉川弘文館 2015.5
以前読んだ飯野亮一氏の『居酒屋の誕生』は、酒を飲ませる店の話が主であったが、上方から江戸へ船で運ばれてくる「下り酒」など、酒の造り手にかかわる話も少し出てきて興味深かった。今度は造る側の歴史を知りたくて、本書を手に取った。
はじめに江戸時代以前の日本酒づくりをさらりと概観する。戦国時代前期には、天野山金剛寺の天野酒など寺院でつくられる銘酒が知られていた。この中から、奈良の正暦寺で諸白(濾過された澄み酒)が創製され、奈良町中の寺院で諸白づくりが盛んに行われた。戦国末期から江戸初期には、寺院に代わり、都市の町方の酒造家が登場する。この頃、新たに加わったのが「火入れ」(風味の調整と腐敗防止)という技術である。ちなみにパスツールが低温殺菌法を発明する300年も前のこと。これはもっと評価されてよい。
元禄時代には伊丹において「寒づくり三段仕込み」が成立する。発酵には夏の暑い時期が仕込みの適期だが、腐敗を避けるには冬季のほうが望ましい。このあたり、腐敗という言葉が何度も繰り返され、日本酒って腐るものだったんだ、という当たり前の事実を再認識する。
江戸時代前期、酒造業は(伊丹を除き)東日本が優勢だったが、西日本に有力酒造地が次々誕生していく。銘水「宮水」(西宮の水)の発見によって、灘の酒造業が最盛期を迎えるのは文化・文政頃。伏見酒の登場はさらに遅くて、大倉恒吉商店(月桂冠)の奮闘によって、明治後半から急成長する。大倉商店は、従来の樽取引に対抗し、「衛生無害防腐剤ナシ」の封かんつき瓶詰め清酒で評判を得る。ここでも腐敗が焦点になっている。なお、一升ビンが普及するのは関東大震災以後(樽造りに必要な木材が高騰したため)、腐造(腐敗)問題が終結するのは、科学的な日本酒造りが進む昭和初期を待たなければならない。漠然と「伝統」だと思っていることの始まりって、意外と新しいんだな。
また、広島県の内陸部にある西条の酒造業が発展の機運をつかむのは、山陽鉄道の開通だった。賀茂鶴、美味いよね。広島酒の銘酒ぶりが喧伝されるのは大正初め頃からだという。そういえば、ドラマ「マッサン」で、亀山政春が妻のエリーを連れて、実家の造り酒屋(広島)に帰国するのも大正の中頃の設定だった。広島酒の全国商品化にあたっては、三浦仙三郎という功労者がいた。初めて聞く名前だが憶えておこう。Wikiによれば、竹鶴政孝(マッサンのモデル)の父親・竹鶴敬次郎は、三浦とともに広島で酒づくりの改良に取り組んだ蔵元たちのメンバーの一人だったともある。
戦後は「四季醸造」(寒造りに限定せず、一年間を通して仕込み、生産増加を図る)が実現し、機械化が進展した。不思議というか面白いのは、有力な酒造地が、再び東日本優勢に反転していることだ。平成24年の出荷量では、兵庫、京都は別格として、そのあとに新潟、埼玉、秋田が続いている。そうだなあ、私が関東人のせいかもしれないが、美味い日本酒というと、北日本のイメージがある。埼玉はちょっと意外。
それにしても「吟醸」とか「寒造り」とか伝統的な修辞を使われると、イメージだけで美味しそうに感じるのだが、実際は技術の進歩や機械化があってこそ、今日、安全で美味しいお酒が飲めるんだなあと思った。乾杯。
以前読んだ飯野亮一氏の『居酒屋の誕生』は、酒を飲ませる店の話が主であったが、上方から江戸へ船で運ばれてくる「下り酒」など、酒の造り手にかかわる話も少し出てきて興味深かった。今度は造る側の歴史を知りたくて、本書を手に取った。
はじめに江戸時代以前の日本酒づくりをさらりと概観する。戦国時代前期には、天野山金剛寺の天野酒など寺院でつくられる銘酒が知られていた。この中から、奈良の正暦寺で諸白(濾過された澄み酒)が創製され、奈良町中の寺院で諸白づくりが盛んに行われた。戦国末期から江戸初期には、寺院に代わり、都市の町方の酒造家が登場する。この頃、新たに加わったのが「火入れ」(風味の調整と腐敗防止)という技術である。ちなみにパスツールが低温殺菌法を発明する300年も前のこと。これはもっと評価されてよい。
元禄時代には伊丹において「寒づくり三段仕込み」が成立する。発酵には夏の暑い時期が仕込みの適期だが、腐敗を避けるには冬季のほうが望ましい。このあたり、腐敗という言葉が何度も繰り返され、日本酒って腐るものだったんだ、という当たり前の事実を再認識する。
江戸時代前期、酒造業は(伊丹を除き)東日本が優勢だったが、西日本に有力酒造地が次々誕生していく。銘水「宮水」(西宮の水)の発見によって、灘の酒造業が最盛期を迎えるのは文化・文政頃。伏見酒の登場はさらに遅くて、大倉恒吉商店(月桂冠)の奮闘によって、明治後半から急成長する。大倉商店は、従来の樽取引に対抗し、「衛生無害防腐剤ナシ」の封かんつき瓶詰め清酒で評判を得る。ここでも腐敗が焦点になっている。なお、一升ビンが普及するのは関東大震災以後(樽造りに必要な木材が高騰したため)、腐造(腐敗)問題が終結するのは、科学的な日本酒造りが進む昭和初期を待たなければならない。漠然と「伝統」だと思っていることの始まりって、意外と新しいんだな。
また、広島県の内陸部にある西条の酒造業が発展の機運をつかむのは、山陽鉄道の開通だった。賀茂鶴、美味いよね。広島酒の銘酒ぶりが喧伝されるのは大正初め頃からだという。そういえば、ドラマ「マッサン」で、亀山政春が妻のエリーを連れて、実家の造り酒屋(広島)に帰国するのも大正の中頃の設定だった。広島酒の全国商品化にあたっては、三浦仙三郎という功労者がいた。初めて聞く名前だが憶えておこう。Wikiによれば、竹鶴政孝(マッサンのモデル)の父親・竹鶴敬次郎は、三浦とともに広島で酒づくりの改良に取り組んだ蔵元たちのメンバーの一人だったともある。
戦後は「四季醸造」(寒造りに限定せず、一年間を通して仕込み、生産増加を図る)が実現し、機械化が進展した。不思議というか面白いのは、有力な酒造地が、再び東日本優勢に反転していることだ。平成24年の出荷量では、兵庫、京都は別格として、そのあとに新潟、埼玉、秋田が続いている。そうだなあ、私が関東人のせいかもしれないが、美味い日本酒というと、北日本のイメージがある。埼玉はちょっと意外。
それにしても「吟醸」とか「寒造り」とか伝統的な修辞を使われると、イメージだけで美味しそうに感じるのだが、実際は技術の進歩や機械化があってこそ、今日、安全で美味しいお酒が飲めるんだなあと思った。乾杯。