○千葉市美術館 開館20周年記念記念展『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画 「マネジメントの父」が愛した日本の美』(2015年5月19日~6月28日)
ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)といえば「マネジメントの父」と呼ばれる経営学の泰斗、というくらいのことは私でも知っている。しかし経営だの経済だのには本当に興味がなくて、ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(もしドラ)が「小説」であるということさえ、さっきWikipedeiaで初めて知った。まして、そのドラッカー先生が日本の水墨画のコレクターだったとは、この展覧会の宣伝を目にするまで全く知らなかった。
けれども、なんとなく気になる匂いを嗅ぎつけて見に行き、驚愕した。日本美術ファン必見の展覧会だと思う。国内コレクションを中心とする名品展だと、ある程度、旧知の作品が混じるので、時間がなければ斜め見することもできるが、今回の展示品110件余は、ほぼ私の知らない作品ばかりだった。最初期の雪村、晩年の蕭白。秋月等観に海北友松も! 特に室町~桃山の水墨画をこんなにまとめて見られる機会は、そうあるもんじゃない。
展示の冒頭は山水画が中心で、次に「花と鳥」(動物画)、それから「聖なる者のイメージ」(仏画、人物画)が集められている。ドラッカーの山水画の好みは、風景の中に人物(牧童や漁夫、高士など)が小さく書き込まれたものが多く、中国の伝統に近い気がした。動物画、人物画のセクションには、江戸の絵画もかなり集められている。若冲、蘆雪、谷文晁、英一蝶や久隅守景もあり。山本梅逸の清新な『花鳥図』とか渋いなあ。でも名前で買っているわけじゃないんだろうな。さらに、江戸の禅画(白隠、仙)、文人画と続く。
秋月等観の『育王山図』は縦長の画面にそびえ立つ山塊(霞かもしくは月光に朦朧と浮かんでいる)を描き、中国絵画っぽい(というか雪舟っぽいのかも)。「蛇足」印の『山水図』も画面の奥へ積み上がっていくような山など、空間構成が面白い。牧松の『山水図』は浮遊感があって、江戸の文人画のさきがけみたい。玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぼう)の『蘭石図』は、ただの墨線みたいに抽象化された蘭葉ののびやかさが目を引く。
解説によれば、ドラッカー・コレクションの三分の一は江戸時代の文人画(南画)であるそうだ。ドラッカーは、文人たちの出現に「氏や冨や武士の体制とは異なる、学問と芸術に基づく日本で初めての実力社会」すなわち最初の「近代」社会の誕生を見ていたという。ううむ、江戸の文人画の価値を、こんなふうに文明史的に説いてくれる批評家はなかなかいない。
池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂、彭城百川、木村蒹葭堂も。貫名海屋の『山水図』は、明清の新しい中国絵画を思わせる。中村竹洞の『夏冬山水図』「夏雲欲雨」「寒厳積雪」と題した二幅対で、黒と白の対比が抽象画のようで、江戸時代の画家が描いたとは思えない作品だった。安村敏信先生がブログ「萬美術屋」でこの作品を取り上げていて嬉しい。横井金谷の『月夜山水図』『蜀道積雪図』もよかった。前者はかなり抽象的。金谷の絵は「アメリカのコレクションに多く、日本をしのぐ人気」だという。日本に残っている作品だけで日本美術を語ると、偏る面があるかもしれない。
会場には、ドラッカー氏の著書や原稿、遺品なども展示されており、興味深かった(ここに来るまでは、何の興味もなかった人物なのに)。昭和61年(1986)には、根津美術館や大阪市立美術館でドラッカー・コレクションの水墨画の展覧会が行われている。今回の公開は、それ以来、ほぼ30年ぶりだという。いやー素人美術ファンとしては知らないはずだわ。ドラッカーには『日本画の中の日本人』など、日本美術についての著作があることを知り、読んでみたくなった。そして、美術論だけでなく、マネジメント論も読んでみようかしら。
ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)といえば「マネジメントの父」と呼ばれる経営学の泰斗、というくらいのことは私でも知っている。しかし経営だの経済だのには本当に興味がなくて、ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(もしドラ)が「小説」であるということさえ、さっきWikipedeiaで初めて知った。まして、そのドラッカー先生が日本の水墨画のコレクターだったとは、この展覧会の宣伝を目にするまで全く知らなかった。
けれども、なんとなく気になる匂いを嗅ぎつけて見に行き、驚愕した。日本美術ファン必見の展覧会だと思う。国内コレクションを中心とする名品展だと、ある程度、旧知の作品が混じるので、時間がなければ斜め見することもできるが、今回の展示品110件余は、ほぼ私の知らない作品ばかりだった。最初期の雪村、晩年の蕭白。秋月等観に海北友松も! 特に室町~桃山の水墨画をこんなにまとめて見られる機会は、そうあるもんじゃない。
展示の冒頭は山水画が中心で、次に「花と鳥」(動物画)、それから「聖なる者のイメージ」(仏画、人物画)が集められている。ドラッカーの山水画の好みは、風景の中に人物(牧童や漁夫、高士など)が小さく書き込まれたものが多く、中国の伝統に近い気がした。動物画、人物画のセクションには、江戸の絵画もかなり集められている。若冲、蘆雪、谷文晁、英一蝶や久隅守景もあり。山本梅逸の清新な『花鳥図』とか渋いなあ。でも名前で買っているわけじゃないんだろうな。さらに、江戸の禅画(白隠、仙)、文人画と続く。
秋月等観の『育王山図』は縦長の画面にそびえ立つ山塊(霞かもしくは月光に朦朧と浮かんでいる)を描き、中国絵画っぽい(というか雪舟っぽいのかも)。「蛇足」印の『山水図』も画面の奥へ積み上がっていくような山など、空間構成が面白い。牧松の『山水図』は浮遊感があって、江戸の文人画のさきがけみたい。玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぼう)の『蘭石図』は、ただの墨線みたいに抽象化された蘭葉ののびやかさが目を引く。
解説によれば、ドラッカー・コレクションの三分の一は江戸時代の文人画(南画)であるそうだ。ドラッカーは、文人たちの出現に「氏や冨や武士の体制とは異なる、学問と芸術に基づく日本で初めての実力社会」すなわち最初の「近代」社会の誕生を見ていたという。ううむ、江戸の文人画の価値を、こんなふうに文明史的に説いてくれる批評家はなかなかいない。
池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂、彭城百川、木村蒹葭堂も。貫名海屋の『山水図』は、明清の新しい中国絵画を思わせる。中村竹洞の『夏冬山水図』「夏雲欲雨」「寒厳積雪」と題した二幅対で、黒と白の対比が抽象画のようで、江戸時代の画家が描いたとは思えない作品だった。安村敏信先生がブログ「萬美術屋」でこの作品を取り上げていて嬉しい。横井金谷の『月夜山水図』『蜀道積雪図』もよかった。前者はかなり抽象的。金谷の絵は「アメリカのコレクションに多く、日本をしのぐ人気」だという。日本に残っている作品だけで日本美術を語ると、偏る面があるかもしれない。
会場には、ドラッカー氏の著書や原稿、遺品なども展示されており、興味深かった(ここに来るまでは、何の興味もなかった人物なのに)。昭和61年(1986)には、根津美術館や大阪市立美術館でドラッカー・コレクションの水墨画の展覧会が行われている。今回の公開は、それ以来、ほぼ30年ぶりだという。いやー素人美術ファンとしては知らないはずだわ。ドラッカーには『日本画の中の日本人』など、日本美術についての著作があることを知り、読んでみたくなった。そして、美術論だけでなく、マネジメント論も読んでみようかしら。