見もの・読みもの日記

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人類史の疑問/銃・病原菌・鉄(J・ダイヤモンド)

2015-06-24 22:41:47 | 読んだもの(書籍)
○ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』上・下(草思社文庫) 草思社 2012.2

 原著は1997年の刊行、日本語訳も単行本は2000年に出ている。以前から名著のうわさは聞いていたが、私が突然、読んでみようと思い立ったのは、東京都美術館の『大英博物館展』を見た影響が大きい。どうして人類の歴史は、地域により、また時代によって、異なるスピードで進んでいくのか。展覧会以来、ずっと引っかかっている疑問の答えを見つけられそうな気がして、本書を手に取った。

 進化生物学者である著者は、ニューギニア人のヤリから質問を受ける。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。著者はこの質問を普遍化して考える。なぜ人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展してきたのか。世界の冨や権力は、なぜ現在あるようなかたちで分配されたのか。南北アメリカの先住民やアフリカ、オーストラリアの人びとが、ヨーロッパ系やアジア系の人びとを征服したり、絶滅させることがなぜ起こらなかったのか。

 この「勝者と敗者をめぐる謎」を解くために、著者は人類の誕生(900万年前から500万年前)に遡り、その進化・発展の分岐点を探し出していく。記述は、時間の経過にしたがって単線的に進むのではなく、たとえば「戦闘能力」に着目し、19世紀のポリネシアで起きたマオリ族(戦闘的)とモリオリ族(平和的)の衝突や、16世紀のスペイン人によるインカ帝国の征服を検証する。

 あるいは、貧富の差を生み出した「食料生産」(農耕、動物の飼育)は、いつ、どこで始まったか。メソポタミアの肥沃三角地帯では紀元前8500年頃に食料生産が始まった。この地域には、食料生産に適した動植物が分布していたので、栽培化や家畜化にさほどの時間をかけることなく集約的な食料生産に移行することができた。そして東西に広いユーラシア大陸では(同緯度では、日照時間や季節の移り変わりのパターンが比較的似ているため)早い速度で農作物が伝播した。

 しかし、地球上には、ずっと遅い時代まで食料生産が始まらなかった地域もある。食物を生産する生活のほうが、狩猟採集生活よりつねに好都合とは言えないからである(北海道の続縄文時代もその一例だろう)。また、食料生産が始まっても、東西よりも南北に長いアフリカ大陸や南北アメリカ大陸では、気候の違いが大きく、作物の伝播が遅かった。

 食料を生産する農耕民は、狩猟採集民よりも稠密な人口を維持することができる。このことが、文字や技術を発達させ、集権的な集団の形成を生む。また、密集して暮らす人々が身近に家畜を飼育することによって、さまざまな感染症(本来、家畜が感染する病原菌が人間にも感染する)が発生した。人々は苦しみながら自然に免疫を獲得したが、抵抗を獲得する必要のなかった狩猟採集民は、しばしば、農耕民のもたらした病原菌によって、壊滅的な打撃を受けた。このほか、言語、文字、金属の使用などについても、興味深い考察が紹介されている。

 冒頭のニューギニア人ヤリの質問に対する著者の答えは、「訳者あとがき」を引用すれば、以下のようになるだろう。「歴史は、民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない」。問いも答えも大きすぎて、まるごと肯定するには、ちょっと躊躇する。しかし、現在の貧富の差や文明の差を、必然で固定的なものと考えるのは、明らかに非科学的だと思う。多くの事例を比較・考察して、ひとつの法則を見出そうとする著者のオープンな態度に共感する。

 本書は、全体の大きな構想も面白いが、個別事例の詳細な解説も非常に興味深いものがある。スペイン人ピサロによるインカ帝国の征服は、ほんとにえげつないなあ。この事実を知ったら、スペイン人であることが嫌になるんじゃないだろうか。

 著者の研究フィールドであるニューギニアは、本書にしばしば登場するが、高地と低地では全く気候が違い、住民の社会形態も違うというのが興味深かった。また、東南アジア・ニューギニア・オーストラリアが1枚に収まった地図を見る機会があまりなかったので、こんなに近いのか!とあらためて驚いてしまった。

 「発明」についての考察も面白かった。「必要は発明の母」というのは誤りで、多くの発明は、何か特定のものを作り出そうとして生み出されたのではなく、発明をどのように応用するかは、発明のあとに考え出された。「天才発明家」には誇張がある。功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会が受け容れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。ここを読みながら、いまの日本の教育が、社会全体の格上げを放棄して、一部のイノベーション人材の育成に走っているのは間違いだと確信した。

 あと「挿し木」という技術の発明がきわめて画期的であったこと、さまざまな理由から、家畜化できる動物の品種は限られていたこと、など。これから、ゆっくり楽しみたい、考えるヒントがたくさん詰まっている。
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