○東京都美術館 特別展『大英博物館展-100のモノが語る世界の歴史』(2015年4月18日~6月28日)
ふだんの自分の関心からは遠かったので、あまり期待せずに見に行ったら、面白かった。100の作品、というより「モノ」を通じて「200万年前から現代に至る人類の創造の歴史を読み解こうとする試みだ」という。入場してすぐ「プロローグ」で目に入るのは古代エジプトの人型の棺桶。なるほど、大英博物館といえば、エジプトのミイラである。歩み寄りかけて、ぎょっとなったのは、隣りに並んでいる、四足を踏ん張った、少し胴長の大きな木製のライオン。背中の蓋が開くらしい。「参考展示」の注釈がついていて、実は日本のみんぱく(国立民族学博物館)が所蔵する、現代ガーナのライオン型棺桶だと分かった。ガラスケースの中に展示された木彫りのビール瓶とナマズも、棺桶の小型レプリカだと分かって、さらにびっくりした。ガーナには、故人にゆかりの品物や動物のかたちの棺桶を造る習慣があるそうだ。
これで、エジプトのミイラの棺とか、ギリシャ彫刻とか、メソポタミアの粘土板とか、古代文明の遺物と向き合う厳粛な気分が軽く脱臼してしまった。確かに今の私たちにとって、それらは貴重な文化財かもしれないが、当時の人々にとっては「日用品」の一部だったものもあるのだ。
本編の最初の展示は、200万~180万年前の作といわれる礫石器である。この頃、人類は、自然界にあるものとは異なる何かを自ら創り始めた。生活を高めるための道具。見て楽しい(?)動物の姿を模した芸術品。各室には、年表と世界地図が掲げられ、展示品が「いつ」「どこで」作られたものかを示す。ただし面白いのは、1万年以上前の槍先と紀元前5000年頃の縄文土器と19~20世紀に採集されたアボリジニの編み籠が一緒に並んでいることだ。
別の部屋でも紀元前のアメリカ先住民のパイプ、100-500年頃のマヤ文明の儀式用ベルト、100-300年頃のガンダーラ石仏、700年頃のウマイヤ朝カリフの金貨などが並んでいる。壁の年表と世界地図によって、類似する品物が、異なる地域で異なる年代に制作されていることや、ある大陸に有名な古代文明が存在した頃、別の地域では何が起きていたかを確かめる。今まで習ったことのない、全く新しい「世界史」像が目の前に開けていくような感じだった。縄文土器や柿右衛門の陶器、木版画など「日本」の創作物を、世界の歴史の中に位置づけて眺める経験も新鮮だった。本展に選ばれた100の創作物は、どれも異なる価値を持っており、「Aの文明はBの文明より優れている」という優劣論の馬鹿馬鹿しさが実感できる。
展示は、単線的ではないにしろ、少しずつ歩みを進めて、ついに現代に至る。クレジットカードにソーラーランプ。そして、ロシア革命の絵皿、アフガニスタンの戦争柄の絨毯、銃器の部品で作られたアート作品「母」像。人類の歴史が、明るく希望に満ちた面ばかりでなかったことに、本展はきちんと言及している。
100の「モノ」によって語り進められてきた人類の歴史。「エピローグ」では、本展の担当学芸員が選んだ101番目の「モノ」として、紙管を用いた避難所用の間仕切りが取り上げられていた。この選択はとてもいい。「プロローグ」と「エピローグ」で放映されている大英博物館館長のビデオメッセージも感銘深くて、大英博物館に行きたくなってしまった。
[追記]このあと、西洋美術館で『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』(2015年3月3日~5月31日)を見てきたことを付け加えておく。たぶん単独でレポートを書いているヒマがないので。嗜虐的な美形のアポロが魅力的だった。
ふだんの自分の関心からは遠かったので、あまり期待せずに見に行ったら、面白かった。100の作品、というより「モノ」を通じて「200万年前から現代に至る人類の創造の歴史を読み解こうとする試みだ」という。入場してすぐ「プロローグ」で目に入るのは古代エジプトの人型の棺桶。なるほど、大英博物館といえば、エジプトのミイラである。歩み寄りかけて、ぎょっとなったのは、隣りに並んでいる、四足を踏ん張った、少し胴長の大きな木製のライオン。背中の蓋が開くらしい。「参考展示」の注釈がついていて、実は日本のみんぱく(国立民族学博物館)が所蔵する、現代ガーナのライオン型棺桶だと分かった。ガラスケースの中に展示された木彫りのビール瓶とナマズも、棺桶の小型レプリカだと分かって、さらにびっくりした。ガーナには、故人にゆかりの品物や動物のかたちの棺桶を造る習慣があるそうだ。
これで、エジプトのミイラの棺とか、ギリシャ彫刻とか、メソポタミアの粘土板とか、古代文明の遺物と向き合う厳粛な気分が軽く脱臼してしまった。確かに今の私たちにとって、それらは貴重な文化財かもしれないが、当時の人々にとっては「日用品」の一部だったものもあるのだ。
本編の最初の展示は、200万~180万年前の作といわれる礫石器である。この頃、人類は、自然界にあるものとは異なる何かを自ら創り始めた。生活を高めるための道具。見て楽しい(?)動物の姿を模した芸術品。各室には、年表と世界地図が掲げられ、展示品が「いつ」「どこで」作られたものかを示す。ただし面白いのは、1万年以上前の槍先と紀元前5000年頃の縄文土器と19~20世紀に採集されたアボリジニの編み籠が一緒に並んでいることだ。
別の部屋でも紀元前のアメリカ先住民のパイプ、100-500年頃のマヤ文明の儀式用ベルト、100-300年頃のガンダーラ石仏、700年頃のウマイヤ朝カリフの金貨などが並んでいる。壁の年表と世界地図によって、類似する品物が、異なる地域で異なる年代に制作されていることや、ある大陸に有名な古代文明が存在した頃、別の地域では何が起きていたかを確かめる。今まで習ったことのない、全く新しい「世界史」像が目の前に開けていくような感じだった。縄文土器や柿右衛門の陶器、木版画など「日本」の創作物を、世界の歴史の中に位置づけて眺める経験も新鮮だった。本展に選ばれた100の創作物は、どれも異なる価値を持っており、「Aの文明はBの文明より優れている」という優劣論の馬鹿馬鹿しさが実感できる。
展示は、単線的ではないにしろ、少しずつ歩みを進めて、ついに現代に至る。クレジットカードにソーラーランプ。そして、ロシア革命の絵皿、アフガニスタンの戦争柄の絨毯、銃器の部品で作られたアート作品「母」像。人類の歴史が、明るく希望に満ちた面ばかりでなかったことに、本展はきちんと言及している。
100の「モノ」によって語り進められてきた人類の歴史。「エピローグ」では、本展の担当学芸員が選んだ101番目の「モノ」として、紙管を用いた避難所用の間仕切りが取り上げられていた。この選択はとてもいい。「プロローグ」と「エピローグ」で放映されている大英博物館館長のビデオメッセージも感銘深くて、大英博物館に行きたくなってしまった。
[追記]このあと、西洋美術館で『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』(2015年3月3日~5月31日)を見てきたことを付け加えておく。たぶん単独でレポートを書いているヒマがないので。嗜虐的な美形のアポロが魅力的だった。