見もの・読みもの日記

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21世紀の海禁策/中国のインターネット史(山谷剛史)

2015-06-06 22:23:56 | 読んだもの(書籍)
○山谷剛史『中国のインターネット史:ワールドワイドウェブからの独立』(星海社新書) 星海社 2015.2

 中国やアジアを専門とするITライターである著者が、足掛け14年の観察をもとにして書いた中国インターネット史。まず「前史」は、80年代のテレビの普及から始まる。テレビの普及とともにテレビゲーム(ファミコン互換機)も普及。90年代にはVCDが普及したが、2000年以降はDVDに取ってかわられる。パソコンは、90年代前半には一部の教育機関や行政機関に導入されるようになり、99年には中国を代表する電脳街・中関村ができた。私は、90年代の後半から最近まで、年に1回は中国旅行に行っていたので、本書に書いてある風景を、断片的にだが見聞きしてきた記憶がある。

 中国のインターネットが一般に開放されたのは1995年、ユーザーが顕著に増え出すのは1997年以降のことだという。思い返してみると、私も職場で、つねにインターネットにつないだPCを供与されたのは1995年頃だった。自宅でインターネットを使い始めたのは2000年頃だったから、中国のインターネットユーザーと、あまり時間差がないことが分かる。2000年には、新浪、捜狐、網易、百度などのネット関連企業が立ち上がる。私は、ようやく多言語を扱えるようになってきた日本語ウィンドウズPCで、これらの中国語サイトを見に行って、わくわくしていたものだ。

 2002年から2005年までに中国のインターネット人口は急激に増加し、2006年頃から中高年も、主に投資ビジネスのためにインターネットを利用するようになる。2008年の北京オリンピックを経て、経済発展は留まるところを知らず、SNSが普及し、携帯やスマホからのインターネット利用が増加し、新たな技術、新たなサービスが刻々と人々の暮らしを変えていく。わずか20年のタイムスパンであるが、チャットソフト「QQ」とか「超級女声」ブームとかニセiPhoneとか、あったあった、という懐かしい話題も多かった。

 一方、本書から初めて認識したこともある。中国におけるインターネットの普及は、政府の強い指導の下に実現したものであること。90年代後半、金橋工程(市民がインターネットを利用できる環境をつくる)など「金」を冠した複数の「金字工程」による総合的な情報化が、国策として進められた。そして、ネット統制のための法整備も、情報化の推進と不離不即に行われていた。日本とは、そもそも通ってきたコースが違うんだな(日本では、個別サービスにおける禁止事項が先にあり、サービスの普及に従って法整備に発展した)。

 インターネット黎明期の統制はゆるやかだったが、2006年には人民日報がネット世論を研究し始め、現在まで人民日報はネット世論を観測する機能を持っている、というのも初耳。ただの新聞社じゃないんだな。しかし、政治がどんなに苛烈でも、何とかやっていくのが中国人民の伝統。中国のインターネットユーザーにとって、政府による統制は自明の前提なので、禁忌に触れそうな書き込みがあると「和諧されちゃうよ!(被和諧)」というのだそうだ。検閲ソフトを萌え擬人化した「グリーンダムたん」というキャラも作られている。

 圧倒的多数の中国人は、政治にも社会問題にも強い関心はない。だから、GoogleやFacebookやTwitterなど西側のサービスが使えなくても、中国独自のサービスだけで、どうやら十分満足しているらしい。なんか明清の繁栄を保った海禁政策みたいだ。しかしどんな大国も世界の情報を遮断してしまったら、国力が衰退するのではないかと思うが、そこは中国の場合、エリートはどんどん海外雄飛して活躍し、一般民衆は国境内に閉じ込めておくというダブルスタンダード政策なんだろうな。振り返って、日本は自由なインターネットの利用が許されているけれど、多くの日本人は日本語サービスしか利用していないから同じことなんじゃないかと思った。
コメント
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