■神奈川県立金沢文庫 特別展 平成大修理記念『日向薬師-秘仏鉈彫本尊開帳-』(2015年4月24日~6月14日)
この展覧会、昨年秋に予定されていたが、収蔵庫の一部にカビが発生し、緊急メンテナンスが必要となったことから、開催が延期されていたものである(※参考:神奈川県記者発表資料 2014/9/17)。このまま無期休館とかになったらどうしようと心配していたが、神奈川県の文化行政はそれほど無慈悲ではなかった。よかった。
展示室に入ると、1階に「龍華寺の美術」の小特集。片足踏み下げの菩薩像(天平仏)と、鎌倉時代の仏画「釈迦十八天像」が並んでいる。仏画は、剝落が進んでいるが、釈迦の赤い衣、神々の金の冠が美しかった。2階に上がると、展示物がぎっしりで、なんだか密度が濃い。ひときわ目立つのが「秘仏」鉈彫本尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)で、本来、年3回(正月三が日・初薬師・春季例大祭)のみご開帳されている。私は、一度だけ日向薬師(日向山宝戒坊)で拝観したことがある。鎌倉国宝館で見たことがなかったかな?と思ったが、これは秘仏でないほうの薬師如来だった(※特別展『鎌倉の精華』)。
中尊の薬師如来は、面取りをした木材のような力強い丸顔。頬はなめらかで、頭部に螺髪を整える。胸も平滑で、普通の木彫り仏にしか見えない。ただ両肩から腹部を覆う衣にだけ「鉈彫り」が見られる。それにしても側面から見ると薄いなあ。日光・月光菩薩は、高い冠をかぶり、全身に「鉈彫り」が施されている。顔のノミあとは弱め。対称軸がねじまがったような造形が印象的で、どことなく怖い。
そこへ高齢者の多い団体さんが会場に入ってきて、先導者が解説を始めた。鉈彫りは、昭和40~50年代にブームがあったこと、国分寺など格の高い寺院を中心に残っており、東日本においては「オフィシャルなもの」の指標だったのではないか、等(※同様の見解が、読売新聞2015/6/12付けに掲載されているのを見つけた。解説していたのは、学芸員の瀬谷貴之さんだったのかな)。
十二神将像は仔細に見ると平安後期の作で、東日本でいちばん古いと解説していた。奈良の新薬師寺の十二神将はとびぬけて古いが、その後はしばらく全国的に作例がないのだという。仁平3年(1153)日向薬師(旧名は霊山寺)の梵鐘を改鋳する院宣が下されており、その頃の作と見られている。仁平3年って?と調べたら近衛天皇の御代。院宣を出したのは鳥羽院だろう。東国とのかかわりが深いんだなあ。
ほかに慶派ふうの飛天残欠、唐櫃、獅子頭、霊山寺で刊行された旨の刊記をもつ華厳経(巻子本)、不動明王や天部像を刻んだ版木など、バラエティに富んだ展示だった。参考資料もいろいろあって、そうか頼朝、政子の参詣はむろん、相模集にも「日向といふ寺にこもりて」って登場するのか。
ロビーでおじいちゃんたちが展覧会図録を封筒から出して眺めていたので、そうそう私も買わなくちゃ、と思ってカウンターに寄ったら「売り切れです」と言われてしまった。タッチの差。まあ最終日の前日じゃしょうがないか。残念。
■鎌倉国宝館 『常盤山文庫名品展2015 特集:鎌倉禅林の墨蹟と頂相』(2015年5月22日~6月28日)
金沢文庫から逗子でJRに乗り換え、鎌倉へ。紫陽花シーズンで、駅前はいつもに増して人が多かった。本展は、常盤山文庫の名品に加えて、鎌倉の多くの寺院から寺宝が出品されており、規模は小さいけれどゴージャスである。無準師範の『巡堂』や清拙正澄の『毘嵐巻』は何度見てもいい。そして、先週、根津美術館で名前を覚えた石室善玖の墨蹟『月林道皎十三回忌拈香偈』を見つけてうれしく思う。読める字だけを拾って、何が書かれているか、内容を考えてみるのも面白い。
絵画は、だいたい知っている作品が多かった中で、40センチ×50センチほどの小品『北野社頭図』(狩野松栄筆)が印象的だった。これ、最近どこかの展覧会で見なかったかなあ。北野天満宮の境内なのだろう、密集した社殿や門、鳥居や木々が詳しく描き込まれていて、こういう実景のスケッチをもとに洛中洛外図のような屏風を構想したのではないか、と想像した。
この展覧会、昨年秋に予定されていたが、収蔵庫の一部にカビが発生し、緊急メンテナンスが必要となったことから、開催が延期されていたものである(※参考:神奈川県記者発表資料 2014/9/17)。このまま無期休館とかになったらどうしようと心配していたが、神奈川県の文化行政はそれほど無慈悲ではなかった。よかった。
展示室に入ると、1階に「龍華寺の美術」の小特集。片足踏み下げの菩薩像(天平仏)と、鎌倉時代の仏画「釈迦十八天像」が並んでいる。仏画は、剝落が進んでいるが、釈迦の赤い衣、神々の金の冠が美しかった。2階に上がると、展示物がぎっしりで、なんだか密度が濃い。ひときわ目立つのが「秘仏」鉈彫本尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)で、本来、年3回(正月三が日・初薬師・春季例大祭)のみご開帳されている。私は、一度だけ日向薬師(日向山宝戒坊)で拝観したことがある。鎌倉国宝館で見たことがなかったかな?と思ったが、これは秘仏でないほうの薬師如来だった(※特別展『鎌倉の精華』)。
中尊の薬師如来は、面取りをした木材のような力強い丸顔。頬はなめらかで、頭部に螺髪を整える。胸も平滑で、普通の木彫り仏にしか見えない。ただ両肩から腹部を覆う衣にだけ「鉈彫り」が見られる。それにしても側面から見ると薄いなあ。日光・月光菩薩は、高い冠をかぶり、全身に「鉈彫り」が施されている。顔のノミあとは弱め。対称軸がねじまがったような造形が印象的で、どことなく怖い。
そこへ高齢者の多い団体さんが会場に入ってきて、先導者が解説を始めた。鉈彫りは、昭和40~50年代にブームがあったこと、国分寺など格の高い寺院を中心に残っており、東日本においては「オフィシャルなもの」の指標だったのではないか、等(※同様の見解が、読売新聞2015/6/12付けに掲載されているのを見つけた。解説していたのは、学芸員の瀬谷貴之さんだったのかな)。
十二神将像は仔細に見ると平安後期の作で、東日本でいちばん古いと解説していた。奈良の新薬師寺の十二神将はとびぬけて古いが、その後はしばらく全国的に作例がないのだという。仁平3年(1153)日向薬師(旧名は霊山寺)の梵鐘を改鋳する院宣が下されており、その頃の作と見られている。仁平3年って?と調べたら近衛天皇の御代。院宣を出したのは鳥羽院だろう。東国とのかかわりが深いんだなあ。
ほかに慶派ふうの飛天残欠、唐櫃、獅子頭、霊山寺で刊行された旨の刊記をもつ華厳経(巻子本)、不動明王や天部像を刻んだ版木など、バラエティに富んだ展示だった。参考資料もいろいろあって、そうか頼朝、政子の参詣はむろん、相模集にも「日向といふ寺にこもりて」って登場するのか。
ロビーでおじいちゃんたちが展覧会図録を封筒から出して眺めていたので、そうそう私も買わなくちゃ、と思ってカウンターに寄ったら「売り切れです」と言われてしまった。タッチの差。まあ最終日の前日じゃしょうがないか。残念。
■鎌倉国宝館 『常盤山文庫名品展2015 特集:鎌倉禅林の墨蹟と頂相』(2015年5月22日~6月28日)
金沢文庫から逗子でJRに乗り換え、鎌倉へ。紫陽花シーズンで、駅前はいつもに増して人が多かった。本展は、常盤山文庫の名品に加えて、鎌倉の多くの寺院から寺宝が出品されており、規模は小さいけれどゴージャスである。無準師範の『巡堂』や清拙正澄の『毘嵐巻』は何度見てもいい。そして、先週、根津美術館で名前を覚えた石室善玖の墨蹟『月林道皎十三回忌拈香偈』を見つけてうれしく思う。読める字だけを拾って、何が書かれているか、内容を考えてみるのも面白い。
絵画は、だいたい知っている作品が多かった中で、40センチ×50センチほどの小品『北野社頭図』(狩野松栄筆)が印象的だった。これ、最近どこかの展覧会で見なかったかなあ。北野天満宮の境内なのだろう、密集した社殿や門、鳥居や木々が詳しく描き込まれていて、こういう実景のスケッチをもとに洛中洛外図のような屏風を構想したのではないか、と想像した。