○玉手英夫『クマに会ったらどうするか:陸上動物学入門』(岩波新書) 岩波書店 1987.6
このところ人文社会科学の本が続いていたので、毛色の違う本が読みたくなった。岩波新書(黄版)の「アンコール復刊」(2015年9月)で見つけた1冊。全く知らないタイトルだったが、挿絵が多くて面白そうだったので買ってみた。著者の専門は家畜形態学。本書は、陸上動物相の最も重要な構成員である羊膜類の、過去約三億年の進化の記録と、その知られていない生理・生態学的適応の在り方などを紹介したものだという。ただしこれは本文を読み終えてから、「あとがき」で見つけた要約。
タイトルにだまされて、すぐにクマの話になるのかと思ったら、古生代から始まり、ようやく陸上生物が登場して、樹上から地上に降り、穴(地下)へ海へと広がっていく。1冊の半分くらいで、まだ恐竜の話をしている。まあ私は進化や古生物に興味があるからいいけれど、オビの文句「身近な動物の生態を楽しく語るエッセイ」は半分しか当たっていない。本書は、身近な動物の生態を、生理的な適応・進化の観点から語るところに魅力がある。
印象に残った話をいくつか。樹上生活と地上生活の違いについて。リスなどの小型動物は基礎代謝量が多いので、樹に登る場合でも、そのための代謝量の増加は大きくない。一方、体重の重い大型動物は垂直移動によるエネルギー要求がきついので、樹の上り下りを好まず、主に地上で生きている。しかし、オナガザルや類人猿は、いちど地上性になったものが、樹に登りなおしたとみられている。やがて人間へ進化したグループは、樹に登りそこねた大型のサルだったことになる。
基礎代謝量の高い小型動物は、体重の割に大量の餌を必要とする。餌のコストを考えると、ウシのような大型動物に比べて、ウサギのような小型動物は肉畜に向かない。もしウシのような大型動物が、マウス並みの代謝速度だったら、背中に置いた薬缶でお湯が湧かせるのだそうだ(笑)。逆に、哺乳類の同一種族では高緯度地方(寒冷地)ほど個体が大型化するという。なるほど、ヒトもそうかもしれない…。
トリの肺は、哺乳類と違ってそれ自体収縮せず、空気の取り入れは、体の各所にある気嚢を拡張・収縮して行っている。ガス交換の効率が非常によい。だから、気圧の薄い高空も悠々と飛んでいられるのである。一方、ウミヘビには必要な酸素の三分の一を皮膚から取り入れることができるので、長い間、頭を海中に入れていることができる。
恐竜については「最近、米国、コロラド大学博物館の若手恐竜学者、R・T・バッカーは、恐竜類が温血、すなわち内温性であると主張している」とある。そう、現在では(学界はよく知らないが、映画では)恐竜=温血動物説がすっかり普通になっているが、当時はまだ、批判や疑義があったようだ。1980年にまとめられた(バッカーの)報告について「批判の強さが想像できる」ともある。
カナダ・オタワ市の自然科学博物館には、ステノニコサウルス(体長1メートル位の小型恐竜、トロオドンとも)の模型とともに、もし恐竜が生き残って進化を遂げていたら、という想定によるステノニコ人の模型が置かれているという。確かに、今の進化の道筋が「必然」で、ヒトが「万物の霊長」であるという考えを捨ててみるのはいいことだと思う。
ステノニコ人が出現しなかったのは、彼らが進化の機会をつかめずに絶滅してしまったためだ。恐竜の絶滅の原因は解明されていないが、セプコスキーとラウプが、約3500科の海生生物の化石について地質的な存続期間をコンピュータに計算させたところ、2600万年ごとに絶滅が起こるという規則性を発見した(1983年発表)。これに反応した天文学者が、未知の連星が、2600万年ごとに約70万年間、太陽系に彗星雨を降らせる、という仮説を提出した(1984年発表)。最近の絶滅が約1500万年前に起こったとすれば、次の絶滅期は1000万年後にやってくる。著者はさりげなく「一体どんな陸上動物が生きてそれを仰ぎ見るのであろうか」と書いているけど、やっぱりヒトは存在しない可能性が大きいのかなあ。たまには身近な問題を忘れて、法螺話みたいな遠い未来に思いを馳せるのはいいことである。
このところ人文社会科学の本が続いていたので、毛色の違う本が読みたくなった。岩波新書(黄版)の「アンコール復刊」(2015年9月)で見つけた1冊。全く知らないタイトルだったが、挿絵が多くて面白そうだったので買ってみた。著者の専門は家畜形態学。本書は、陸上動物相の最も重要な構成員である羊膜類の、過去約三億年の進化の記録と、その知られていない生理・生態学的適応の在り方などを紹介したものだという。ただしこれは本文を読み終えてから、「あとがき」で見つけた要約。
タイトルにだまされて、すぐにクマの話になるのかと思ったら、古生代から始まり、ようやく陸上生物が登場して、樹上から地上に降り、穴(地下)へ海へと広がっていく。1冊の半分くらいで、まだ恐竜の話をしている。まあ私は進化や古生物に興味があるからいいけれど、オビの文句「身近な動物の生態を楽しく語るエッセイ」は半分しか当たっていない。本書は、身近な動物の生態を、生理的な適応・進化の観点から語るところに魅力がある。
印象に残った話をいくつか。樹上生活と地上生活の違いについて。リスなどの小型動物は基礎代謝量が多いので、樹に登る場合でも、そのための代謝量の増加は大きくない。一方、体重の重い大型動物は垂直移動によるエネルギー要求がきついので、樹の上り下りを好まず、主に地上で生きている。しかし、オナガザルや類人猿は、いちど地上性になったものが、樹に登りなおしたとみられている。やがて人間へ進化したグループは、樹に登りそこねた大型のサルだったことになる。
基礎代謝量の高い小型動物は、体重の割に大量の餌を必要とする。餌のコストを考えると、ウシのような大型動物に比べて、ウサギのような小型動物は肉畜に向かない。もしウシのような大型動物が、マウス並みの代謝速度だったら、背中に置いた薬缶でお湯が湧かせるのだそうだ(笑)。逆に、哺乳類の同一種族では高緯度地方(寒冷地)ほど個体が大型化するという。なるほど、ヒトもそうかもしれない…。
トリの肺は、哺乳類と違ってそれ自体収縮せず、空気の取り入れは、体の各所にある気嚢を拡張・収縮して行っている。ガス交換の効率が非常によい。だから、気圧の薄い高空も悠々と飛んでいられるのである。一方、ウミヘビには必要な酸素の三分の一を皮膚から取り入れることができるので、長い間、頭を海中に入れていることができる。
恐竜については「最近、米国、コロラド大学博物館の若手恐竜学者、R・T・バッカーは、恐竜類が温血、すなわち内温性であると主張している」とある。そう、現在では(学界はよく知らないが、映画では)恐竜=温血動物説がすっかり普通になっているが、当時はまだ、批判や疑義があったようだ。1980年にまとめられた(バッカーの)報告について「批判の強さが想像できる」ともある。
カナダ・オタワ市の自然科学博物館には、ステノニコサウルス(体長1メートル位の小型恐竜、トロオドンとも)の模型とともに、もし恐竜が生き残って進化を遂げていたら、という想定によるステノニコ人の模型が置かれているという。確かに、今の進化の道筋が「必然」で、ヒトが「万物の霊長」であるという考えを捨ててみるのはいいことだと思う。
ステノニコ人が出現しなかったのは、彼らが進化の機会をつかめずに絶滅してしまったためだ。恐竜の絶滅の原因は解明されていないが、セプコスキーとラウプが、約3500科の海生生物の化石について地質的な存続期間をコンピュータに計算させたところ、2600万年ごとに絶滅が起こるという規則性を発見した(1983年発表)。これに反応した天文学者が、未知の連星が、2600万年ごとに約70万年間、太陽系に彗星雨を降らせる、という仮説を提出した(1984年発表)。最近の絶滅が約1500万年前に起こったとすれば、次の絶滅期は1000万年後にやってくる。著者はさりげなく「一体どんな陸上動物が生きてそれを仰ぎ見るのであろうか」と書いているけど、やっぱりヒトは存在しない可能性が大きいのかなあ。たまには身近な問題を忘れて、法螺話みたいな遠い未来に思いを馳せるのはいいことである。