○『射雕英雄伝』全50集(2008年、上海唐人電影)
GYAO!ストアの配信を見始めた当初は、どうしても2003年版(李亜鵬・周迅版)と比較すると好きになれなくてイライラした。これは最後まで視聴を続けられないのではないかと思って、途中で記事を書いたりしたのだが、無事、最終話まで見終わった。旧版との比較で、こんなの○○じゃない!と怒っていたキャラクターにも、だんだん愛着が湧いてきて、終盤はけっこうハマっていた。平日はなかなか落ち着いて視聴できないので、休日に3~4話、まとめて見てしまうこともあった。
原作はよく覚えていない(日本語訳を読んだはず)のだが、明朗一辺倒のストーリーでなかったことは確か。多くの登場人物が、生まれる前の因縁とか一度の過ちにとらわれて、行動の自由を奪われている。にもかかわらず旧版では、李亜鵬・周迅が演じた郭靖・黄蓉の朗らかで天然な雰囲気が、モンゴル高原の高大な風景と相まって、爽快で闊達な気分を与えてくれた。それに比べると新版の郭靖・黄蓉は、ずっと悩みどおしの印象がある。「ともに生き、ともに死のう」と何度も繰り返し、確認する。最後に頼れるのはお互いしかいない、という孤独感。その最愛の相手とさえ、障害が多くて、なかなか一緒になれない。中国の社会状況(特に若者が感じている閉塞感)の表れかもしれないなあ、と少し深読みしていた。
楊康は、とことん闇落ちするのが印象的だった。確か旧版では、ここまで引っ張らず、これほど印象的なキャラクターではなかったと思う。最後は改心して、短い間、妻の穆念慈と心穏やかな日々を送り、欧陽鋒が息子の復讐に現れると、自分の罪をつぐなうため、命を投げ出す。そして穆念慈も黄蓉も、最初は好きになった男性に翻弄され、嘆いたり嫉妬したりするだけの弱い女子なのだが、次第に凛々しく思慮深く、自立していくのが好ましい。この点は、ドラマを最後まで見てよかったと思う。あと欧陽克と完顔洪烈(金の趙王)も次第に描き方が変わっていく。どちらも、旧版の俳優さんのほうがカッコよくてよかったなあと思って見始めたが、だんだん新版の田舎臭さも好きになった。
チンギス・ハーンは旧版のほうが最後まで英雄らしくていい。新版で、郭靖に「民を養う者こそ真の英雄」なんて説教されるのはちょっとなあ。コジン(華筝)公主は新版のほうが可愛くて、郭靖に振られてしまうのは、ちょっと可哀相だった。新版と旧版では、モンゴル人の風俗の描き方(髪型・服装)が微妙に違うのだけど、どちらが史実に近いのだろう? 新版もかなりいい加減な感じがして、よく分からなかった。
洪七公役の梁家仁(レオン・カーヤン)は巧い俳優さんだということがよく分かったが、やっぱり旧版の孫海英のほうが好きだ。黄薬師も黄秋生(アンソニー・ウォン)より旧版の曹培昌のほうが好きなのは、古い中国人の顔とたたずまいが感じられるからだ。香港の俳優さんだと、どんなに魅力的に演じても、現代人がそこにいるとしか思えない。しかし、大陸の俳優さんも、これから変わっていくんだろうなあ(日本のエンタメ界と同様に)と思うと、少し淋しい。