見もの・読みもの日記

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共生よりも棲み分け/イスラームとの講和(内藤正典、中田考)

2016-08-10 00:43:56 | 読んだもの(書籍)
○内藤正典、中田考『イスラームとの講和:文明の共存をめざして』(集英社新書) 集英社 2016.3

 内藤正典さんの『となりのイスラム』(ミシマ社、2016.7)より数ヶ月前に出た対談本である。内藤正典さんは「中東学者」、中田考さんは「イスラーム学者」と紹介されている。素人には違いがよく分からないけど、どちらもSNSなどで積極的に発言されていて、信頼できる専門家と感じていた。

 二人の課題認識は、ほぼ一致する。1980年代頃から中東では、イスラーム復興運動が盛んになるが、アメリカやロシアを後ろ盾とする中東諸国は、運動家を弾圧し、追放した。その運動家の中から、欧米に対する暴力的ジハードを目標とする者たちが出てきた。一方、ヨーロッパ各国は、次第に反イスラームに傾斜を強め、母国の貧困や宗教弾圧を逃れてきた人々にとって、ヨーロッパは安住の地でなくなっている。居場所を失ったムスリムに向かって、手招きするIS。西欧とイスラームの間の暴力の応酬を止め、「講和」を実現するにはどうすればいいのか?

 まずヨーロッパについて。今、西欧の世俗主義とイスラームの衝突が各国で起きている。フランスでは、信仰は個人のうちにあるもので公の領域に出してはならない。この原則が、国家主義的に守られて(強制されて)いる。日本で「自由、平等、博愛」として知られる最後の言葉は「同胞愛(フタテルニテ)」であって、異なる信仰や信条を持つ人々には働かない、というのは、すごく納得できた。ドイツは基本的に血統主義で「ここはドイツ人の国だ」と思っているから、移民に「同化せよ」とは言わないが、移民の二世、三世になっても「あなた、いつ国に帰るの?」と言われる。オランダには、多様性を受け入れる伝統があったが、イスラームは押しつけがましい宗教だから出て行け、という勢力が台頭している。彼らは「右翼」ではなく、リバタリアン(極端なリベラル)型の排外主義者である。う~ん。日本国内で台頭する排外主義を懸念しながら、ヨーロッパの多文化主義をうらやましく思ったこともあったけれど、ヨーロッパの現実も厳しいのだと思い知らされた。

 本書には「ヨーロッパ、近隣諸国のシリア難民統計」という図表がある(92頁)。これを見ると、シリア周辺のトルコ、レバノン、ヨルダン等が相当数の難民を受け入れた上で、それでもあふれた人々がヨーロッパに向かっていることが分かる。EUは2015年9月に難民の受け入れを各国に公平に割り当てることに合意し、10月にメルケル首相がトルコを訪問して、これ以上難民をヨーロッパに出さないことを要請するとともに、EUから30億ユーロを提供するなどの申し出をした。でも、どちらも実効性はあまり期待できないように思う。

 中田先生が「私たちムスリムに言わせれば、だいたい『国境』というもの自体が人道に反するのですけれど」と述べているのが印象的だった。私はムスリムではないけれど、この考え方には全面的に共感する。イスラームには、出会った人を差別なく歓待する「客」の文化がある。同時に、客として扱ってくれた相手への恩義は、決して裏切ってはならない。けれど、ヨーロッパの人たちは難民を「客」として扱わず、「難民らしさ」を強いる。難民は贅沢を言わず、支援を受けて、大人しくしていろというのだが、イスラームの人々には受け入れられない。難民問題に限らず、日本における「慈善」や「弱者支援」にも、ときどき同様の傲慢さがあるなあと思った。

 後半では中東地域で、なぜISが誕生したか、シリアで何が起きているのか、という解説がある。民族や宗派の対立に、アメリカ、ロシア、さらに中国の覇権主義的な介入が加わる複雑な歴史は、正直、十分理解できたとは言いがたい。そして、やっぱりトルコに期待する点で二人の意見は一致する。中田先生は「エルドアンは(略)イスラーム主義者としては大変な逸材」と評価し、「エルドアンはカリフ、あるいはスルタンになってイスラーム世界を自分がまとめるつもりでいたはずです」とも言う。カリフ?スルタン?と聞くと、いつの時代かと思ってびっくりするが、私の理解するところ、たぶんイスラーム世界は「政治と宗教の両面で率いる指導者」を必要しているのだ。そういう文化もあるのだ。

 中田先生いわく、ISに行きたい人は行かせ、ISが嫌で逃げてきた人は助けてあげればいい。戦いたくない人は逃がしてやり、戦いたい人は囲いの中で戦わせればいい。冷たいようだが、それでいいのかもしれない。全人類を近代ヨーロッパ由来の世俗主義の中に取り込もうとする「善意」は、結局、多くの人を不幸にしている。それよりは、価値観の違いを認め、共生不可能な現実を認め、顔を突き合わせてはいても、必要以上に干渉せずに「棲み分け」ていくというのが、今は最善の策なのかもしれない。

 最後に日本の問題にも言及されている。難民受け入れの貧困。ハラールビジネスの欺瞞。イスラーム専門家養成の必要(なのに大学では人文系が縮小されている)。安易に使われる「地政学」という用語がナチス由来であること。いろいろと示唆に富む。
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