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福井県立美術館 福井移住400年記念『岩佐又兵衛展:この夏、謎の天才絵師、福井に帰る』(2016年7月22日~8月28日)
この夏、福井で岩佐又兵衛展が開かれると聞き、しかもそのラインナップが半端ないことを知って、どうしても福井に行こうと決めた。一度も行ったことがない町なので、どうやっていけばいいかを調べ、行きは東京から東海道新幹線で米原経由、帰りは金沢に出て北陸新幹線で戻ることにした。
初日の午後は永平寺を観光し、夕方、福井駅に戻った。夏祭りらしく、派手な衣装の子どもや若者がたくさん歩いていた。福井城本丸跡をめぐって
福井市立郷土歴史博物館を訪ね、夏季特別陳列『大坂の陣と福井藩』(2016年7月22日~8月31日)を参観する。この博物館、19時まで開いているのだ! ポスターには大河ドラマで人気の真田信繁(幸村)の肖像が使われていて、何の関係があるんだろ?と、はじめ分からなかったが、信繁は福井藩主松平忠直の家臣、西尾仁左衛門に討たれたのである。知らなかった。そして、岩佐又兵衛(1578-1650)との関係では、又兵衛を福井(北庄)に招いた松平忠直がどんな人物かを知ることができたこと、常設展示コーナーで、市内に又兵衛の墓所が残っていると分かったことが収穫だった。
翌朝、早めに駅前のホテルを出て、えちぜん鉄道で西別院下車。人気のない休日の住宅街を南へ歩いていくと、広いバス通りに面して興宗寺(福井市松本三丁目)というお寺があった。どこから中に入るのだろうときょろきょろしていたら、なんとバス通りの歩道に面して、又兵衛の墓があった。
(※すぐ横がコミュニティバスすまいるのバス停「福井県合同庁舎」でもある)
写真右端の石塔が墓石。左端と中央の石は顕彰碑である。ただし、ネットで調べたら、かつての墓は斜め向かいの宝永小学校の校庭にあったそうだ。小学校にも「岩佐又兵衛の墓跡」という石碑が立っているそうで、こっちも見てくればよかった。ここからぶらぶら歩いて美術館に行くつもりだったが、まだ早いので、えちぜん鉄道田原町駅付近で見つけたコンビニのカフェで水分補給して、少し時間をつぶす。
美術館には開館の9時ぴったりに到着。制服姿の中学生が5、60人(?)入口に長い列を作っていた。「一般のお客様はこちらにどうぞ」と先に入れてくれたが、すぐあとから彼らが入って来た。しかし私語も少なく行儀がよかったので、鑑賞の邪魔にはならなかった。
第1室は少し混んでいたので、第2室の絵巻から見始めることにする。まず『堀江物語絵巻』で、いきなり国司の妻の首が血溜まりの中に転がっている。周りをとりまく武装した男たちの目が輝き、口が開いて、歓喜の声が聞こえるようだ。引き続き、悪者の国司は、肩から腰まで真二つに斬殺されている。次に『小栗判官絵巻』第10巻は照手姫の難儀。次に『山中常盤物語絵巻』第4巻は、常盤御前と侍従の斬殺のシーン。衣を剥がれ、白い肌に刃を突き立てられ、鮮血が次第にどす黒く変わっていくのがリアル。最後に『上瑠璃(浄瑠璃)物語絵巻』第4巻は、上瑠璃姫の寝所に忍び入った牛若が姫を口説くところ。中学生が大勢うろうろしてたけど、こんな不道徳資料(殺人とラブ・アフェア)を見せて大丈夫なのか…いや、いいけど。岩佐派にはめずらしい画題の『岩松図屏風』(個人蔵)。出光美術館の『桜下弾弦図屏風』は久しぶりかな。立ち姿の遊女の着物の皺に、強い陰影がつけてあるのが面白い。三味線を弾いている遊女の着物の柄は貨幣(永楽通宝)散らしなんだ! 初めて気づいた。
第1室に戻る。冒頭の小さな『岩佐又兵衛像』(老年の自画像)は、MOA美術館所蔵というから見たことがありそうだけど、記憶になかった。『岩佐家譜』もMOA美術館所蔵なのは、かなり意識的に関係資料を集めてきているのだろう。福井・法雲寺に残る『越前専修寺言上事』は又兵衛自筆文書で、繊細で几帳面な、読みやすい文字だった。
次に「旧金谷屏風」と称される作品8点が並ぶ。もと福井の豪商・金谷家に伝来した六曲一双屏風だったが、明治末年以降に掛軸に改装され、10図の現存が確認されている。今回、見ることができたのは『虎図』(東博)『龐居士図』(福井県美)『老子出関図』(東博)『伊勢物語 鳥の子図』(東博)『伊勢物語 梓弓図』(文化庁)『弄玉仙図』(千葉・摘水軒)『羅浮仙図』(個人)『雲龍図』(東博)。8月後半に展示予定の『源氏物語 野々宮図』(出光)と『官女観菊図』(山種)は何度も見ているから、いいことにしよう。そして「金谷屏風」の復元模型がとても興味深かった。所在不明は『源氏物語 花宴図』と『唐人耳抓図』だが、特に前者は、朧月夜が艶っぽい微笑を鑑賞者に向けて、後ろ姿の源氏を室内に引っ張り込もうとする図で、例がない。おもしろい。第1室には、同時開催の『「へうげもの」生原画展』の原稿も飾られていた。作者・山田芳裕の描く又兵衛はなかなかいいと思う。
第3室は「旧樽屋屏風」が2点。旧岡山藩主池田家に伝来した八曲一隻屏風というが、小さい屏風だったようだ。えーでも根津美術館所蔵の『傘張り・虚無僧図』なんて記憶になかったなあ。福井県立美術館所蔵の『和漢故事説話図』(12幅のうち6幅、「源氏・須磨」図の、嵐に花風吹が美しい)と中国絵画っぽい『維摩図』は、ここまで見に来てよかった。今週末(8/6-7)限定の見もの、風俗図屏風3点の前は、呼吸を止めるように通り過ぎ、福井県立美術館所蔵『三十六歌仙図』(22面のうち11面)を先に鑑賞する。今は昔、2004年の千葉市美術館の
『岩佐又兵衛』展で、雅な歌仙絵や歌仙額をたくさん残していることを知って、ちょっと違和感があったことを思い出す(当時は血みどろ絵巻の又兵衛しか知らなかったので)。
さて、会場内の係員から単眼鏡をお借りし(いいサービス!)あらためて屏風に向かう。まず徳川美術館所蔵の『豊国祭礼図屏風』六曲一双。私は、2010年の徳川美術館、2014年のMOA美術館に続いて3回目の対面だと思う。どこを見ても面白いが、やっぱり右隻の「かぶき者」の朱鞘が気になる。単眼鏡のおかげで「いきすき(生過)たりや廿三、八まん(幡)ひけはとるまい」の「三」と「八」の文字は読めた。『洛中洛外図屏風(舟木本)』六曲一双。又兵衛筆と認められてよかったね。華やかでエネルギッシュだけど、『豊国』よりずっと秩序が感じられる。そして視点が大きく(高く)人間の営みから遠ざかっている。最後に個人蔵の『花見遊楽図屏風』四曲一双は小型の屏風だが、人物は比較的大きく描かれていて、表情もよく分かる。かつては、又兵衛自筆と認められた唯一の風俗図屏風だったそうだ。図録によると、福井県内旧家の伝来品で、32年ぶりの公開という貴重な作品。
以上、展示品は約40件。1時間半くらいかけて堪能した。1階のショップで図録を買うとき、店員さんが別のお客さんと「プレミアになるって言われてるんですよー」と笑って会話していたが、確かに後世に語り継がれる展覧会になりそうだ。この日は午後に記念座談会が予定されていたので「いつもより混んでいた」というツイートも見たが、全くストレスなく作品を見ることができた。これが地方開催のいいところである。
展示図録に同館主任学芸員の戸田浩之さんが、これを機に又兵衛ブームが到来し、没後370年の節目にあたる2020年には国立博物館あたりで大々的な岩佐又兵衛展が開催できないだろうか、と述べている。大いに期待したいが、人の頭越しに作品を眺めるようなのは、ちょっとなあ。