〇秋吉貴雄『入門公共政策学:社会問題を解決する「新しい知」』(中公新書) 中央公論新社 2017.6
公共政策学というのは、私の学生時代にはまだ一般的でなかった新しい学問である。本書によれば、日本で総合政策学部や政策科学部といった公共政策関連の学部が開設されたのは1990年代からだというが、ズバリ「公共政策」を名乗る学部や研究科が増えたのは、もう少し後ではないかと思う。そして、これらの組織には、けっこう私の好きな論客が所属していたので、よく分からないけど気になる学問だと感じていた。
公共政策学とは、社会で解決すべき問題と認識された問題(政策問題)をどのように解決するか(公共政策)を考える学問である。政策問題は、往々にしてさまざまな問題が入り組み、複雑に絡み合う形となっている。経済開発と環境保護のように、ある政策問題の解決が他の問題を悪化させる場合もある。立場や見方によって異なる問題として定義される場合もある。また、社会状況の変化に伴って、問題の要因や構造が変化していく場合もある。そのため、政治学、経済学、社会学など従来の社会科学では、うまく対応できないのである。これはよく分かる。従来の社会科学の弊害として「過度の専門分化」「総合性の欠如」「学問のための学問(現実問題への関心の希薄化)」が指摘されている点は全く異論がない。
次に、公共政策学による問題の取り扱い方を「問題の発見・定義」→「解決案の設計」→「政策の決定」→「実施」→「評価」という5段階のプロセスにしたがって見ていく。各段階ごとに異なるモデルケース(事例)を取り上げているので、説明が分かりにくくならないかな、と心配したが、それほどでもなかった。入門の名にふさわしく、よくできた教科書である。
「問題の発見・定義」で、「望ましくない状態」が自動的に「問題」になるのではなく、誰かが気づかなかれば「問題」にならない、という指摘は面白かった。例にあがっているのは「少子化」だが、「〇〇ショック」と呼ばれて一時的に注目を集めでも、時間が経つと、改善が見られたわけでもないのに関心が薄れていく。そしてまた、突如、騒ぎ始める。あるある、と言いたくなるような人間の(日本人の?)性向である。問題の見方を変えること(リフレーミング)も大事。他国には「少子化」というフレーミングがなく、日本の少子化対策に類する政策は、女性だけでなく家族に焦点をあてた「家族政策」として行われているという。
また、問題の状況を論理的に分析する方法として、「階層化分析」や「問題構造図」が紹介されているのも面白かった。私はこういう手法を習ったことが一度もないが、ちゃんと身に着けていたら、どんな仕事でも、ずいぶん役立つのではないかと思う。
次に「解決案の設計」は、現状把握→将来予測→基本計画策定→手段の検討(費用便益分析、リスク確認)→法案の設計と進む。現状把握のための調査・分析は外部委託してもいいとか、将来予測もシンクタンク等に委託してもいいが、多額の資金が必要なため、現状調査のみで解決案を検討してしまうことが多い、という指摘は耳が痛い。費用便益の計算では、将来発生する便益や費用は、ちゃんと現在の価値に換算しなければならない。数学嫌いは政策づくりに向かないのである。
続く「決定」「実施」では、実際に国の政策が決まるプロセスが少し分かるようになった。「審議会」や「検討会」の役割、むかし習った社会科の教科書にはたぶん出てこなかったと思う「規制改革会議」とか、さらには「政務調査会」や「議員連盟」などの綱引きを経て法律が制定されると、担当府省は、政令、省令、通知・通達などによる準備をととのえ、現場(地方自治体など)で政策が実施される。政策によっては、行政機関以外の民間企業やNPO法人を通じて実施されることもある。ここまでは、だいたいよく分かった。
問題は次の「評価」である。公共政策は、その効果を測定し、改善を図らなければならないと聞けば納得する。たとえば、学力向上を目指す政策について、適切な効果が生まれたかどうか、「業績(パフォーマンス)」を計測することはできるだろう。「産出(アウトプット)」と「成果(アウトカム)」の違い、「ベンチマーキング」「インパクト評価」など、評価にまつわる用語を、この際、しっかり理解しておくのはいいことだ。
しかし、冒頭に述べられていたように、政策問題とは複雑なものだ、ということを思うと、単純に学力指標が上がったとして、それでいいのか(ほかに悪影響はないのか)という懸念を、余計なことかもしれないが、どうしても持ってしまう。そのあたりは、最終章で多面的な考察が展開されている。「公共」も「政策」も一筋縄では行かない、という感じがした。
公共政策学というのは、私の学生時代にはまだ一般的でなかった新しい学問である。本書によれば、日本で総合政策学部や政策科学部といった公共政策関連の学部が開設されたのは1990年代からだというが、ズバリ「公共政策」を名乗る学部や研究科が増えたのは、もう少し後ではないかと思う。そして、これらの組織には、けっこう私の好きな論客が所属していたので、よく分からないけど気になる学問だと感じていた。
公共政策学とは、社会で解決すべき問題と認識された問題(政策問題)をどのように解決するか(公共政策)を考える学問である。政策問題は、往々にしてさまざまな問題が入り組み、複雑に絡み合う形となっている。経済開発と環境保護のように、ある政策問題の解決が他の問題を悪化させる場合もある。立場や見方によって異なる問題として定義される場合もある。また、社会状況の変化に伴って、問題の要因や構造が変化していく場合もある。そのため、政治学、経済学、社会学など従来の社会科学では、うまく対応できないのである。これはよく分かる。従来の社会科学の弊害として「過度の専門分化」「総合性の欠如」「学問のための学問(現実問題への関心の希薄化)」が指摘されている点は全く異論がない。
次に、公共政策学による問題の取り扱い方を「問題の発見・定義」→「解決案の設計」→「政策の決定」→「実施」→「評価」という5段階のプロセスにしたがって見ていく。各段階ごとに異なるモデルケース(事例)を取り上げているので、説明が分かりにくくならないかな、と心配したが、それほどでもなかった。入門の名にふさわしく、よくできた教科書である。
「問題の発見・定義」で、「望ましくない状態」が自動的に「問題」になるのではなく、誰かが気づかなかれば「問題」にならない、という指摘は面白かった。例にあがっているのは「少子化」だが、「〇〇ショック」と呼ばれて一時的に注目を集めでも、時間が経つと、改善が見られたわけでもないのに関心が薄れていく。そしてまた、突如、騒ぎ始める。あるある、と言いたくなるような人間の(日本人の?)性向である。問題の見方を変えること(リフレーミング)も大事。他国には「少子化」というフレーミングがなく、日本の少子化対策に類する政策は、女性だけでなく家族に焦点をあてた「家族政策」として行われているという。
また、問題の状況を論理的に分析する方法として、「階層化分析」や「問題構造図」が紹介されているのも面白かった。私はこういう手法を習ったことが一度もないが、ちゃんと身に着けていたら、どんな仕事でも、ずいぶん役立つのではないかと思う。
次に「解決案の設計」は、現状把握→将来予測→基本計画策定→手段の検討(費用便益分析、リスク確認)→法案の設計と進む。現状把握のための調査・分析は外部委託してもいいとか、将来予測もシンクタンク等に委託してもいいが、多額の資金が必要なため、現状調査のみで解決案を検討してしまうことが多い、という指摘は耳が痛い。費用便益の計算では、将来発生する便益や費用は、ちゃんと現在の価値に換算しなければならない。数学嫌いは政策づくりに向かないのである。
続く「決定」「実施」では、実際に国の政策が決まるプロセスが少し分かるようになった。「審議会」や「検討会」の役割、むかし習った社会科の教科書にはたぶん出てこなかったと思う「規制改革会議」とか、さらには「政務調査会」や「議員連盟」などの綱引きを経て法律が制定されると、担当府省は、政令、省令、通知・通達などによる準備をととのえ、現場(地方自治体など)で政策が実施される。政策によっては、行政機関以外の民間企業やNPO法人を通じて実施されることもある。ここまでは、だいたいよく分かった。
問題は次の「評価」である。公共政策は、その効果を測定し、改善を図らなければならないと聞けば納得する。たとえば、学力向上を目指す政策について、適切な効果が生まれたかどうか、「業績(パフォーマンス)」を計測することはできるだろう。「産出(アウトプット)」と「成果(アウトカム)」の違い、「ベンチマーキング」「インパクト評価」など、評価にまつわる用語を、この際、しっかり理解しておくのはいいことだ。
しかし、冒頭に述べられていたように、政策問題とは複雑なものだ、ということを思うと、単純に学力指標が上がったとして、それでいいのか(ほかに悪影響はないのか)という懸念を、余計なことかもしれないが、どうしても持ってしまう。そのあたりは、最終章で多面的な考察が展開されている。「公共」も「政策」も一筋縄では行かない、という感じがした。