見もの・読みもの日記

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植物として器として/URUSHIふしぎ物語(国立歴史民俗博物館)

2017-07-22 23:54:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『URUSHIふしぎ物語-人と漆の12000年史-』(2017年7月11日~9月3日)

 縄文時代から現代まで、12,000年に及ぶ日本列島の漆文化を総合的にとりあげる初めての展覧会。平成25年度から27年度にかけて行った、美術史学・考古学・文献史学・民俗学・植物学・分析科学など文理融合の展示型共同研究「学際的研究による漆文化史の新構築」の成果発表である、と展示趣旨にいう。また、植物には「ウルシ」、塗料や工芸品には「漆」、それらを包含することばとして「URUSHI」を用いるという説明がある。

 冒頭は、植物としてのウルシについて。そもそも分類学的に、ウルシが他のウルシ属から区別されて確定したのは、2004年のことだというのに驚く。ウルシには、中国湖北省、河北省に分布する「湖北・河北省型」と、日本、韓国、中国遼寧省、山東省にある「日本型」、浙江省と山東省にある「浙江省型」がある。「日本型」と「浙江省型」の遺伝子型は非常に近い。また、山東省と遼寧省の「日本型」ウルシは自生だが、韓国と日本のウルシは全て栽培か、その野生化したものである(それなのに「日本型」という命名はどうかと思うが)。日本には、本来的に野生のウルシは存在しない、というのが、かなり衝撃だった。

 にもかかわらず、縄文時代草創期(1万2600年前)の遺跡(福井県)からウルシ木材が見つかっており、9000年前の北海道垣ノ島B遺跡(函館)からはベンガラ漆塗り製品が見つかっているという。まあ、文化圏というものが、今の「日本」の国境とはずいぶん違ったんだろうなと思う。

 現在、国産漆の70パーセントは岩手県二戸市浄法寺町で産出されている。浄法寺塗の名前は知っていた(よく日本民藝館で見る)けど、漆の産地でもあったのか。シェア70パーセントはすごい。しかし職人は20数名で、悩みは後継者不足と聞くと暗い気持ちになる。漆の収穫(うるしかき)の道具や作業服が展示されていたが、重労働だろうなあと感じた。

 次に国内で発掘・発見された漆文化の遺品を見ていく。縄文時代の漆製品には、すでに赤色漆と黒色漆があり文様を描くものもある。木製品に塗ったり、土器に塗ったりしている。弥生前期には赤色漆が出土するが、やがて大陸の影響を受けた黒色漆が多くなり、弥生後期~古墳時代は「漆黒」の時代となる。長屋王邸の漆器セットの復元があったが、黒一色だったなあ。飛鳥時代には漆工房の遺構が見つかっている。古代から近世まで、漆壺の蓋に使われた反故紙「漆紙文書」の実物も面白かった。中世には、黒い漆器に赤で文様を加え、華やかさが演出された。「型押漆絵」は鎌倉及び鎌倉幕府と関係の深い地域から出土する個性的な技法だというが、絵柄は素朴で稚拙なもの。幕府滅亡後、ほどなく衰退したという。

 漆工技術にはさまざまな種類がある。あまり意識していなかったが、天平彫刻の脱乾漆像も「漆」製品である。古代においては高貴な人物の埋葬に漆塗りの棺が用いられた。中でも最高級品が「夾紵(きょうちょ)棺」である。「夾紵」という文字に見覚えがあったのは、大倉集古館で「夾紵大鑑」という大きな盥(たらい)を何度か見ていたからだ。本展では、参考情報であったけれど、大阪・安福寺に夾紵棺の一部とみられる長大な板が残っているというのを覚えておこうと思った。

 それから、平文(ひょうもん)・螺鈿・蒔絵などの伝世の名品を展示。一部(正倉院宝物)などは模造品だが、雰囲気が分かればそれでよい。私はどちらかというと『二月堂練行衆盤』みたいな、赤と黒だけの漆製品が好きだ。色漆については、途中の「コラム」で、近代以前は赤、黒、黄、緑、褐色の五色しかなかったという説明を興味深く読んだ。逆にこの五色を全て使っているような製品は、とても豪華だったのかもしれない。なお、赤(ベンガラ)と異なる朱漆は有害な水銀朱を用いるため、現在は文化財修復など一部でしか使われないという。

 ウルシの使いみちは塗料だけではない。木材としてのウルシは軽いので、ウキになるというのは知らなかった。あと、ウルシの実を使ったコーヒーが韓国にあるというのも初耳。鶏鍋にも入れるそうだ。漆の民俗・伝承に紹介されていた「椀貸し淵」は私の好きな話。水底に沈んだ漆を発見する「木龍うるし」は、木下順二の再話で読んだ記憶がよみがえった。

 後半(第2会場)は漆製品の流通に注目し、日本にもたらされた唐物漆器や、日本から輸出された南蛮漆器、長崎青貝細工などを展示。私は、国内の産地と流通の変化が興味深かった。江戸初期には中世以来の根来が絶えて、大坂・京都が最上品となる。明治初期の有力産地のうち、輪島塗、会津塗は今でも健在だが、和歌山の黒江塗、静岡の駿河塗は知らなかった。漆器は、陶磁器と違って窯跡が残らないので、厳密に生産地を特定できない、という解説になるほどと思った。
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