見もの・読みもの日記

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名言で読む物語世界/三国志名言集(井波律子)

2018-03-07 23:19:16 | 読んだもの(書籍)
〇井波律子『三国志名言集』(岩波現代文庫) 岩波書店 2018.1

 『中国名言集』(岩波現代文庫、2017.11)の続編かと思ったら、原本の刊行はこちらのほうが早いのだそうだ。白話小説『三国志演義』から160項目の名言・名セリフを選び出し、原文、書き下し、日本語訳にコメントを加えたもの。これらの言葉は、いかなる状況で発せられたのかを把握しない限り、真の意味も面白さもつかめないことから、物語展開に沿った配列になっており、丁寧なコメントによって、自然に『演義』全百二十回の世界が浮かび上がる仕掛けとなっている。いわば「名言で読む三国志」である。

 私が初めて「三国志」世界に触れたのは学生時代で、以来、主に日本人作家のリライト版を各種読んできたが、マンガとゲームには関心がなかったので、三国志マニアを自任するまでには至らなかった。本書のおかげで、少し忘れかけていた「三国志」世界がよみがえり、その魅力にひたることができた。

 月並みな言い方だが、やはり「三国志」の魅力は、登場人物の(性格と運命の)多様さだと思う。文官も武官もいる。暗愚な主君を見限って別の主君に鞍替えする武将もいれば、同じ主君に生涯忠誠を尽くす武将もいる(ただし鞍替えが許されるのは一度だけで、二度三度つづくと無節操と非難される、というコメントあり)。また、忠義一徹とか剛毅木訥とか、明快な性格付づけの人物もいれば、一人の中にいくつもの性格をあわせもつ、陰影の深い人物もいる。絶望的な冷酷さと部下を心服させる人間味が共存する曹操は、後者の例である。

 かつてサラリーマン雑誌が全盛だった頃、「三国志」をビジネスの教科書にしている特集記事(の広告)をよく見た。おじさんってバカだなあ、と鼻で笑っていたのだが、私も社会人生活が長くなって本書を読むと、確かに身に沁む名言が多い。特に孔明の言葉は、いつも平明で真情にあふれていてよい。太子劉禅に与えた遺訓「悪小なるを以て之を為す勿かれ/善小なるを以て為さざる勿かれ/惟だ賢、惟だ徳のみ/以て人を服せしむ可し」を覚えておきたい。「事を謀るは人に在り/事を成すは天に在り」も孔明の言葉。

 孔明は不運にも病を得て没したというイメージで私は記憶していたのだが、「過労で倒れた」というのが正しい解釈だと分かった。人材に恵まれなかった不運があるとはいえ、何でも自分でやらねば気がすまず、部下にたしなめられても、やりかたを変えることができない。有能で几帳面なタイプには、時代を超えて実によくある壊れ方だ。また「泣いて馬謖を斬る」についても、馬謖が評判ほどには信頼のおけない人物であることを、主君の劉備も敵方の司馬懿も見抜いていたのに、孔明は見抜けず、大失敗したというストーリーになっている。『演義』の孔明は、決して後世の人間が考えるような完全無欠のスーパーマンではない。最近の中国ドラマ『軍師聯盟之虎嘯龍吟』も人間的な孔明像を描いていて新鮮に感じたが、実は原典のままだということが分かった。

 私は多くの読者と同じく、劉備・関羽・張飛の義兄弟から「三国志」に入ったので、この三人が退場して以降の物語にはあまり関心を払っていなかった。前述のドラマ『軍師聯盟』を見て、孔明と司馬懿の戦い、さらに孔明没後の物語を初めて詳しく知った。本書には、魏における曹爽の専横、司馬懿のクーデターなど、ドラマを思い出すエピソードも含まれていて、感慨深かった。ドラマに描かれた時代の後の話だが、鄧艾と鍾会が反目したというのはショック。また、呉も孫権没後は大波乱だったことを知る。幼帝を即位させて実権を握った諸葛恪は諸葛亮(孔明)の甥なのか。諸葛一族にもいろいろあるものだ(Wikiを見ると『増像全図三国演義』の画像では車椅子に座っている?)。

 巻末の解説によれば『演義』の文体は、白話小説とはいえ、かなり文言(文語)に近いという。その一方、話者のキャラクターによっては会話に自由な白話が取り入れられている。この例を、関羽と張飛のセリフで示すのだが、なるほど関羽は劉備を「兄長」と呼ぶのに、張飛は「哥哥」である。それから、作品の山場に登場する詩の「凡庸さ」を指摘しながら、これは恥ずべき欠点ではなく、むしろ語りもの文学の「壮観」と捉える視点に強く共感した。もちろん曹操の「短歌行」と孔明の「出師の表」は別格である。本書がこれらを全文取り上げている点は、英断を高く評価したい。著者にこの企画を持ちかけた岩波の編集者も『演義』マニアだそうで、本当のマニアのつくった三国志本と言える。
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