見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

戦乱を生き抜いて/顔氏家訓(顔之推)

2018-03-26 23:54:18 | 読んだもの(書籍)
〇顔之推著;林田愼之助訳『顔氏家訓』(講談社学術文庫)講談社 2018.2

 最近読んだ井波律子氏の『中国名言集』に『顔氏家訓』から採られた語句があった。「積財千万、薄伎の身に在るに如かず」(千万の財産よりも、ささいな芸が身を助ける)と「飽くを求めて而も営饌を懶(おこた)る」(満腹したいのに料理の準備を嫌がる)というもので、分かりやすいことばで、うまいことを言うなあと笑ってしまった。

 折しも新訳版の本書が文庫で出ていたので買ってしまった。まあ難しかったら、途中で投げてもいいやという気持ちで読み始めたのだが、意外に面白かった。『顔氏家訓』は6世紀末、わが国でいえば聖徳太子の命をうけた小野妹子が遣隋使となって中国に渡った時代、学者・官僚として生きた顔之推(がん・しすい)が、子孫のために残した家訓書である。この「家訓」というタイトルがよくない。「~すべし」「~するな」という問答無用の教訓が延々と並んでいるにちがいない、と思わせる。確かに教訓は並んでいるのだが、問答無用ではなく、顔之推がなぜそのように考えるに至ったか、具体的な体験や見聞が添えられている。これが随筆か説話集のようでとても面白い。日本の文学でいえば『徒然草』の趣きがある。

 特に前半の「教子篇」「兄弟篇」「後娶篇」など家族関係にかかわる教えが面白い。子供の躾は早い方がいいとか、父と子はあまり馴れ親しまないのがいいとか、兄弟の妻どうしには争いが起こりやすいとか、人情は変わらないものだということが分かる。

 作者の顔之推は、現代の基準から見ても中庸を得た常識人である。礼儀は重んじるが、やりすぎは好まない。当時は別離や服喪の際に涙を流すことが礼儀のひとつだったが、「生まれつき涙が少ない人もいる」と言って恬淡としている。親の命日は来客の応接を避けることになっていたが、悲しむことができるなら「奥深く閉じこもることもあるまい」と言う。本書には「文章篇」や「書証篇」があるほどの学者なのに、実務知らずの文士は繰り返し罵倒されている。書物を読んで高慢になるくらいなら「無学であったほうがまし」という発言さえある。経書や緯書しか読まない儒学者は軽蔑の対象で、「雑多な書を読め」「農耕の苦労を知れ」と言われている。

 本書には「南方では~だが、北方では~だ」という比較がしばしば見られる。巻末の評伝によれば、顔之推は南朝の梁の武帝時代に長江中流域の江陵(荊州)で生まれたが、北方異民族の西魏の侵攻に遭い、多くの士大夫、民衆とともに虜囚として長安に連れ去られた。その後、顔之推は北周を経て、北斉の臣下として重用されるようになる。こういう経験があればこそ、江南では婦女子はほとんど外で交際をしないが、北方では家庭はもっぱら主婦が守り、外では訴訟や子供の就職活動も行うなど、南北の生活風俗の違いに通じているのだろう。

 そして、全く異なる二つの文化世界を知り、激動の戦乱の時代をくぐりぬけたことが、多様性に対する寛容さや、人間の本質を見極める洞察力を生んだのではないかと思う。北方の胡人は錦を見て、それが虫が木の葉を食べて吐いた糸でつむいだ織物だとは信じないとか、南方の人は、いちどに千人も収容できるフェルトの天幕が北方にあるとは信じないという。巧みなレトリックのようだが、実際に南北世界を経験した顔之推の言葉だと思うと含蓄に富む。ちなみにこれは、仏教はでたらめだという人々に対する反論として述べられている。

 「生命は惜しまなければならないが、いたずらに惜しんではならない」というのも、生きながらえることを望んで果たせず、ただ辱しめを受けてしまった人々を見てきてこその言葉である。作者の背景を知って読みかえすと、味わい深い記述があちこちにある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする