〇サントリー美術館 『寛永の雅(みやび):江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』(2018年2月14日~4月8日)
冒頭のパネルに「みなさんは寛永(1624-1644)と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?」的な呼びかけの一文があった。私が最初に思い出すのは「寛永御前試合(1932)」で、柳生十兵衛(1607-1650)や荒木又右衛門(1599-1638)などの剣豪が活躍し、島原の乱(1637-1638)が起きるなど、まだ戦国の剛毅で殺伐とした空気が残る時代、というイメージだった。
それが、本展の解説によれば、江戸幕府が政権を確立すると泰平の時代が訪れ、文化面では「きれい」という言葉に象徴される瀟洒な造形を特徴とし、古典復興の気運と相まって、江戸の世に「雅」な世界を出現させることとなったという。へええ、そうなのか。小堀遠州とか野々村仁清とか狩野探幽の活動を知らなかったわけではないが、ちょっとイメージのギャップにとまどった。
冒頭には、野々村仁清の『白釉円孔透鉢』(MIHOミュージアム)。これは以前にも見たことがあって、きれいというより、大胆な造形に驚いた記憶がある。その次の瀬戸肩衝茶入(銘:飛鳥川)(湯木美術館)は美しかった。かたちもよく色もいい。とろけるように色っぽくて品がある。小堀遠州が追求した「奇麗さび」の結晶のような茶入である。次に狩野探幽の『桐鳳凰図屏風』。サントリー美術館自慢の逸品である。
寛永文化は後水尾院(1596-1680)と文化人たちのサロンを中心に興った。まず、後水尾天皇の中宮となった和子の入内を描いた『東福門院入内図屏風』(徳川美術館、17世紀)を展示。あまり記憶にないもので、人物が大きめに描かれていて面白かった。後水尾院の宸翰各種。古典復興をめざして制作された住吉如慶の『源氏物語画帖』など。品があって愛らしい。今の日本人が「古典文化」とか「宮廷文化」と聞いて思い浮かべるものと、後水尾天皇の美学は、かなり合っている気がする。一方で、ちょっと個性的だったのは、大きな小袖一枚を貼り付けた『小袖屏風』(歴博所蔵)。2点出ていて、どちらも目を引いた。
続いて小堀遠州ゆかりの茶碗・茶入各種を一堂に展示。あとでよくリストを見たら、北村美術館、湯木美術館、根津美術館など茶の湯コレクションに定評のある美術館はもちろん、個人蔵も多く含まれていた。特に茶碗は、瀬戸、高取、膳所、染付、祥瑞、高麗などバラエティに富んでいた。前代に比べて、格段に物の豊富な近世に入ったんだなあという実感がわいた。ちなみに私は光悦の膳所茶碗(乳牛みたいな白黒まだらの)がとても好き。
次に野々村仁清。仁清が仁和寺前に御室窯を開くにあたって、指導者的な立場にあった茶人が金森宗和(1584-1656)で、初期の仁清は「宗和好み」の「落ち着いた色調と、独創的かつ洗練された造形を持つ作品」を焼いていた。冒頭の『白釉円孔透鉢』もそのひとつである。それが、宗和の死後、華麗な色絵陶器に変貌を遂げる。私もそうだが、多くの人にとって「仁清」のやきものは後者のイメージだろう。本展には『色絵紅葉賀図茶碗』『色絵鴛鴦香合』など、仁清らしい色絵作品とともに、『信楽写兎耳付水指』のような造形的にとがった作品もあって、面白かった。
最後に狩野探幽。静岡県立美術館の『瀟湘八景図』より2幅、栃木県立博物館の『富士三保清見寺図』(縦長の画幅)など、あまり見る機会のない地方博物館・美術館の所蔵品が出ていて面白く、ありがたかった。
冒頭のパネルに「みなさんは寛永(1624-1644)と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?」的な呼びかけの一文があった。私が最初に思い出すのは「寛永御前試合(1932)」で、柳生十兵衛(1607-1650)や荒木又右衛門(1599-1638)などの剣豪が活躍し、島原の乱(1637-1638)が起きるなど、まだ戦国の剛毅で殺伐とした空気が残る時代、というイメージだった。
それが、本展の解説によれば、江戸幕府が政権を確立すると泰平の時代が訪れ、文化面では「きれい」という言葉に象徴される瀟洒な造形を特徴とし、古典復興の気運と相まって、江戸の世に「雅」な世界を出現させることとなったという。へええ、そうなのか。小堀遠州とか野々村仁清とか狩野探幽の活動を知らなかったわけではないが、ちょっとイメージのギャップにとまどった。
冒頭には、野々村仁清の『白釉円孔透鉢』(MIHOミュージアム)。これは以前にも見たことがあって、きれいというより、大胆な造形に驚いた記憶がある。その次の瀬戸肩衝茶入(銘:飛鳥川)(湯木美術館)は美しかった。かたちもよく色もいい。とろけるように色っぽくて品がある。小堀遠州が追求した「奇麗さび」の結晶のような茶入である。次に狩野探幽の『桐鳳凰図屏風』。サントリー美術館自慢の逸品である。
寛永文化は後水尾院(1596-1680)と文化人たちのサロンを中心に興った。まず、後水尾天皇の中宮となった和子の入内を描いた『東福門院入内図屏風』(徳川美術館、17世紀)を展示。あまり記憶にないもので、人物が大きめに描かれていて面白かった。後水尾院の宸翰各種。古典復興をめざして制作された住吉如慶の『源氏物語画帖』など。品があって愛らしい。今の日本人が「古典文化」とか「宮廷文化」と聞いて思い浮かべるものと、後水尾天皇の美学は、かなり合っている気がする。一方で、ちょっと個性的だったのは、大きな小袖一枚を貼り付けた『小袖屏風』(歴博所蔵)。2点出ていて、どちらも目を引いた。
続いて小堀遠州ゆかりの茶碗・茶入各種を一堂に展示。あとでよくリストを見たら、北村美術館、湯木美術館、根津美術館など茶の湯コレクションに定評のある美術館はもちろん、個人蔵も多く含まれていた。特に茶碗は、瀬戸、高取、膳所、染付、祥瑞、高麗などバラエティに富んでいた。前代に比べて、格段に物の豊富な近世に入ったんだなあという実感がわいた。ちなみに私は光悦の膳所茶碗(乳牛みたいな白黒まだらの)がとても好き。
次に野々村仁清。仁清が仁和寺前に御室窯を開くにあたって、指導者的な立場にあった茶人が金森宗和(1584-1656)で、初期の仁清は「宗和好み」の「落ち着いた色調と、独創的かつ洗練された造形を持つ作品」を焼いていた。冒頭の『白釉円孔透鉢』もそのひとつである。それが、宗和の死後、華麗な色絵陶器に変貌を遂げる。私もそうだが、多くの人にとって「仁清」のやきものは後者のイメージだろう。本展には『色絵紅葉賀図茶碗』『色絵鴛鴦香合』など、仁清らしい色絵作品とともに、『信楽写兎耳付水指』のような造形的にとがった作品もあって、面白かった。
最後に狩野探幽。静岡県立美術館の『瀟湘八景図』より2幅、栃木県立博物館の『富士三保清見寺図』(縦長の画幅)など、あまり見る機会のない地方博物館・美術館の所蔵品が出ていて面白く、ありがたかった。