○国立文楽劇場 平成31年初春文楽公演 第1部(1月13日、11:00~)
今年も大阪で新春文楽を見てきた。記事を書くのをぐずぐずしていたら、25日で千穐楽を迎えてしまったけど、とりあえず。今年は松の内を過ぎてからの鑑賞だったので、もう正月の雰囲気はないかと思ったら、ちゃんとロビーにお供え餅とにらみ鯛が飾られていた。
舞台の上に掲げられる干支の文字、今年は大凧に「亥」で奈良・壺阪寺の常盤勝範住職の揮毫。演目にちなんだのだろうか。
・『二人禿(ににんかむろ)』
京の遊郭・島原の街角で、大きな花かんざし、赤い振袖姿の二人の禿が他愛ないおしゃべり。羽根つきや手毬に興じる。この手毬唄が「京でいちばん糸屋の娘、二番よいのは人形屋の娘」という歌詞で、よくある定型的な数え歌なのだろうが、つい横溝正史の『悪魔の手毬唄』を思い出してしまった。
・『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)・竹の間の段/御殿の段/政岡忠義の段』
有名な演目だが見るのは初めて。伊達家の家督を継いだのは幼い鶴喜代君。乳母の政岡は、御家乗っ取りを企む悪人たちから必死で若君を守っている。男性の面会は一切禁じていたのだが、八汐(悪い家臣の妻)は女医の小巻を連れてきて鶴喜代君の脈をとらせる。すると、いったんは死脈という見立てが、座を変えると何事もない。突然、八汐が長刀で天井を突くと、賊が落ちてきて「政岡に若君の殺害をたのまれた」と述懐する。全ては邪魔者・政岡を陥れようとする八汐の計略だったが、沖の井(別の家臣の妻)に不審な点を指摘され、失敗する。
人々が去ると、政岡は自ら飯を炊いて、若君・鶴喜代と我が子の千松に食べさせようとする。そこに現れたのは、御家乗っ取りに加担する梶原景時の妻・栄御前。ちなみに配役は政岡を吉田和生、八汐を桐竹勘寿、沖の井を吉田文昇と手堅い布陣だったが、悪役の親玉みたいな栄御前を吉田蓑助さんでびっくりした。栄御前は、頼朝公より下された菓子を持参し、鶴喜代君に勧める。そこへ駆け寄った千松が菓子を奪って一口に食べてしまうと、毒にあたって息絶える。驚く人々。しかし政岡は平静さを崩さない。これは千松と鶴喜代君を取り換えていたからに違いないと邪推して、陰謀を打ち明けて去る栄御前。真相を知った沖の井は八汐に白状を迫り、政岡は我が子の仇・八汐を討つ。しかし、とりあえず栄御前は逃げおおせるのだな、このあとの展開は知らないけど。
床は、織太夫・団七/千歳太夫・富助/咲太夫・燕三のリレーの予定だったが、病気の咲太夫さんの分を織太夫さんが代役。全編の半分以上を織太夫さんの熱演で聴いた。陰惨な話なのだが、三味線が華やかでわくわくした。登場人物のほとんどが女性というのも珍しい演目だと思った。
・『壺阪観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)・土佐町松原の段/沢市内より山の段』
これも有名な演目だが初めて。今期の公演は、第2部(冥途の飛脚/壇浦兜軍記)のほうが華やかで人気があるだろうなあと思いながら、敢えて見たことのない第1部を選んだ。沢市とお里は、人も羨む仲良し夫婦。お里は、疱瘡で目が見えなくなってしまった沢市をいたわり、針仕事で世帯を賄っている。沢市は、お里が毎晩、明け方に家を出ていくことを不審に思っていたが、実は壺阪観音へ夫の眼病平癒のお参りをしていたと分かる。
そこで二人揃って壺阪寺へ。沢市は寺籠りして祈願するので、三日経ったら迎えにきてくれとお里に頼む。お里を去らせて、その間に谷底に身を投げて死のうという決意。戻ってきたお里は、谷底に夫の亡骸を見つけて、後を追って自分も身を投げる。すると谷底に気高く美しい観音様(娘の頭だった)が姿を現し、お里の信心と功徳によって二人の寿命を延ばすと告げる。夢から覚めたように二人が起き上がると、沢市の目が開いていた。
本作は古い観音利生譚に取材しているが、明治時代に書かれた浄瑠璃だけあって、登場人物の気持ちが分かりやすい。沢市が、お里の行動を疑い、ほかに好きな男がいるのではないかと悩むところとか、目の見えない自分は妻の重荷だからと死を決意するところとか、古いようで、近代の感性だと思う。「沢市内より山の段」の奥は鶴澤清治さんの三味線を堪能した。満足。と言っているうちに、今週末は東京の文楽公演の初日である。忙しい。
なお本公演のプログラム「技芸員にきく」には桐竹勘十郎さんが登場。今年は父(二代桐竹勘十郎)が亡くなった時と同じ66歳になられるそうで、新年の抱負は「真面目に」。それを過ぎたら来年は「自由に」とおっしゃっている。何をなさるおつもりか、今から来年が楽しみ。「勘十郎を襲名してからは、15年が経ちました。ちゃんと勘十郎になれてるんでしょうか(笑)」というのも、よい述懐だなあ。それから毎回、楽しんできた連載企画「文楽入門・ある古書店主と大学生の会話」は今回で連載終了だという。いつも楽しみにしていたので残念! 大阪市立大学の久保裕朗先生、ありがとうございました。計16回分(4年分かな)ぜひ本にまとめるか、ウェブに載せて残してほしいなあ。
今年も大阪で新春文楽を見てきた。記事を書くのをぐずぐずしていたら、25日で千穐楽を迎えてしまったけど、とりあえず。今年は松の内を過ぎてからの鑑賞だったので、もう正月の雰囲気はないかと思ったら、ちゃんとロビーにお供え餅とにらみ鯛が飾られていた。
舞台の上に掲げられる干支の文字、今年は大凧に「亥」で奈良・壺阪寺の常盤勝範住職の揮毫。演目にちなんだのだろうか。
・『二人禿(ににんかむろ)』
京の遊郭・島原の街角で、大きな花かんざし、赤い振袖姿の二人の禿が他愛ないおしゃべり。羽根つきや手毬に興じる。この手毬唄が「京でいちばん糸屋の娘、二番よいのは人形屋の娘」という歌詞で、よくある定型的な数え歌なのだろうが、つい横溝正史の『悪魔の手毬唄』を思い出してしまった。
・『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)・竹の間の段/御殿の段/政岡忠義の段』
有名な演目だが見るのは初めて。伊達家の家督を継いだのは幼い鶴喜代君。乳母の政岡は、御家乗っ取りを企む悪人たちから必死で若君を守っている。男性の面会は一切禁じていたのだが、八汐(悪い家臣の妻)は女医の小巻を連れてきて鶴喜代君の脈をとらせる。すると、いったんは死脈という見立てが、座を変えると何事もない。突然、八汐が長刀で天井を突くと、賊が落ちてきて「政岡に若君の殺害をたのまれた」と述懐する。全ては邪魔者・政岡を陥れようとする八汐の計略だったが、沖の井(別の家臣の妻)に不審な点を指摘され、失敗する。
人々が去ると、政岡は自ら飯を炊いて、若君・鶴喜代と我が子の千松に食べさせようとする。そこに現れたのは、御家乗っ取りに加担する梶原景時の妻・栄御前。ちなみに配役は政岡を吉田和生、八汐を桐竹勘寿、沖の井を吉田文昇と手堅い布陣だったが、悪役の親玉みたいな栄御前を吉田蓑助さんでびっくりした。栄御前は、頼朝公より下された菓子を持参し、鶴喜代君に勧める。そこへ駆け寄った千松が菓子を奪って一口に食べてしまうと、毒にあたって息絶える。驚く人々。しかし政岡は平静さを崩さない。これは千松と鶴喜代君を取り換えていたからに違いないと邪推して、陰謀を打ち明けて去る栄御前。真相を知った沖の井は八汐に白状を迫り、政岡は我が子の仇・八汐を討つ。しかし、とりあえず栄御前は逃げおおせるのだな、このあとの展開は知らないけど。
床は、織太夫・団七/千歳太夫・富助/咲太夫・燕三のリレーの予定だったが、病気の咲太夫さんの分を織太夫さんが代役。全編の半分以上を織太夫さんの熱演で聴いた。陰惨な話なのだが、三味線が華やかでわくわくした。登場人物のほとんどが女性というのも珍しい演目だと思った。
・『壺阪観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)・土佐町松原の段/沢市内より山の段』
これも有名な演目だが初めて。今期の公演は、第2部(冥途の飛脚/壇浦兜軍記)のほうが華やかで人気があるだろうなあと思いながら、敢えて見たことのない第1部を選んだ。沢市とお里は、人も羨む仲良し夫婦。お里は、疱瘡で目が見えなくなってしまった沢市をいたわり、針仕事で世帯を賄っている。沢市は、お里が毎晩、明け方に家を出ていくことを不審に思っていたが、実は壺阪観音へ夫の眼病平癒のお参りをしていたと分かる。
そこで二人揃って壺阪寺へ。沢市は寺籠りして祈願するので、三日経ったら迎えにきてくれとお里に頼む。お里を去らせて、その間に谷底に身を投げて死のうという決意。戻ってきたお里は、谷底に夫の亡骸を見つけて、後を追って自分も身を投げる。すると谷底に気高く美しい観音様(娘の頭だった)が姿を現し、お里の信心と功徳によって二人の寿命を延ばすと告げる。夢から覚めたように二人が起き上がると、沢市の目が開いていた。
本作は古い観音利生譚に取材しているが、明治時代に書かれた浄瑠璃だけあって、登場人物の気持ちが分かりやすい。沢市が、お里の行動を疑い、ほかに好きな男がいるのではないかと悩むところとか、目の見えない自分は妻の重荷だからと死を決意するところとか、古いようで、近代の感性だと思う。「沢市内より山の段」の奥は鶴澤清治さんの三味線を堪能した。満足。と言っているうちに、今週末は東京の文楽公演の初日である。忙しい。
なお本公演のプログラム「技芸員にきく」には桐竹勘十郎さんが登場。今年は父(二代桐竹勘十郎)が亡くなった時と同じ66歳になられるそうで、新年の抱負は「真面目に」。それを過ぎたら来年は「自由に」とおっしゃっている。何をなさるおつもりか、今から来年が楽しみ。「勘十郎を襲名してからは、15年が経ちました。ちゃんと勘十郎になれてるんでしょうか(笑)」というのも、よい述懐だなあ。それから毎回、楽しんできた連載企画「文楽入門・ある古書店主と大学生の会話」は今回で連載終了だという。いつも楽しみにしていたので残念! 大阪市立大学の久保裕朗先生、ありがとうございました。計16回分(4年分かな)ぜひ本にまとめるか、ウェブに載せて残してほしいなあ。