〇阿部彩、鈴木大介『貧困を救えない国 日本』(PHP新書) PHP研究所 2018.10
ネットで、信頼できる方が「これは読んだほうがいい」と発言しているのを見たので、思わず読んでしまった。これが今年最初の読了書である。阿部彩さんは貧困や社会保障論を専門とする社会政策学者。代表作『子どもの貧困』(岩波新書、2008)は読んでいる。鈴木大介さんはルポライター。裏社会や触法少年、家出少女などの取材を重ねている。名前に聞き覚えはあったが、作品は読んだことがなかった。この二人が、日本の貧困の実態と本当に必要な政策について考える対談である。
はじめに、いまだに「日本に貧困はない」と思っている人たちが糾弾される。日本の子ども(17歳以下)の総体的貧困率は13.9%(2015年)。彼らの多くは一晩でも絶対的貧困状態(飢えて死ぬレベル)を経験している可能性がある、というのは妥当な想像だと思う。貧困家庭はひとり親家庭よりふたり親家庭のほうが多い(母数が多い)とか、高齢男性の貧困率は改善している(年金制度が機能している)とか、女性の貧困は若い世代より高齢世代が深刻など、曖昧な貧困イメージを統計によって正す論は面白かった。
少し飛ばして「誰が貧困を作っているのか」について、鈴木氏は「中間層の可処分所得を減らしている」(減らすように仕向けている)連中に向かって怒りを隠さない。新築住宅や数百万のブライダル、大学進学もそうだ。キラキラした何かを見せられ、大きな消費に所得を注ぎ込んだ結果、いざという時の蓄えを失って綱渡りの人生を送る人々。なるほど。私はこの罠には落ちなかったが、あらためて考えると、こういう人は多いのだろう。
第6章は、地方の若者に詳しい鈴木氏が語る「ソフトヤンキーのアッパー層」についての記述である。正直、私には全く縁のない世界で、遠い国、あるいは遠い時代の民族誌を読むような興味深さがあった。年収300万円未満でもガンガン人生を楽しんで、どんどん子どもを産む。15歳を過ぎたら子どもも稼ぎ手という認識。女性は子育てを親戚や友だちに頼ることができる。親の面倒はよくみる。排他的だが、内部には互助の文化がある。こういう文化圏は、地方の工業衛星都市に寄生しているという指摘はたぶん正しいだろう。そして、同じ地元で頑張っているという感覚があるために、頑張れなかった貧困者に風当たりがきつくなるとか、安倍首相大好きで意識高い系が嫌いというのは、予想できる帰結だけど、なるほどなあと思った。
今の子は帰属するコミュニティの空気を読むことに敏感で、端的に強い帰属感を味わえるのが「美しい日本」なのだという。これは理屈は分かるようで、感覚的にはよく分からない。鈴木氏は、震災で左翼の人たちがオカルト化した(反原発サイドの人たちに非科学的な言動だ多かった)というけれど、そうなのか。あまり私の視野には入っていなかった。
そして、貧困政策を徹底的に考える中で、「タバコ規制」と「肺がん治療」のように、貧困の被害が起こらないようにする対策と、もはや抜き差しならない状況に陥った人々に対する集中的なケアの二つが必要だという阿部氏の整理は分かりやすかった。これらをごちゃまぜにすることから様々な弊害が生じている。貧困家庭や虐待家庭からドロップアウトした子どもに必要なのは「居場所」なのに、国の施策は学習支援に偏りすぎているという鈴木氏の意見は聞き逃せない。アメリカではYMCAがそうした役割を担っているという阿部氏の発言にも注意を払っておきたい。
大きな問題は財源である。阿部氏の「中間層以上の人たちがあまり払ってない」という指摘は耳が痛い。「大変苦しい」人たちを救うには、「苦しい」と言っている人たちにも負担を求めなければならない。しかし正面切って、この真実を言える政治家は少ないだろうなあ。
ネットで、信頼できる方が「これは読んだほうがいい」と発言しているのを見たので、思わず読んでしまった。これが今年最初の読了書である。阿部彩さんは貧困や社会保障論を専門とする社会政策学者。代表作『子どもの貧困』(岩波新書、2008)は読んでいる。鈴木大介さんはルポライター。裏社会や触法少年、家出少女などの取材を重ねている。名前に聞き覚えはあったが、作品は読んだことがなかった。この二人が、日本の貧困の実態と本当に必要な政策について考える対談である。
はじめに、いまだに「日本に貧困はない」と思っている人たちが糾弾される。日本の子ども(17歳以下)の総体的貧困率は13.9%(2015年)。彼らの多くは一晩でも絶対的貧困状態(飢えて死ぬレベル)を経験している可能性がある、というのは妥当な想像だと思う。貧困家庭はひとり親家庭よりふたり親家庭のほうが多い(母数が多い)とか、高齢男性の貧困率は改善している(年金制度が機能している)とか、女性の貧困は若い世代より高齢世代が深刻など、曖昧な貧困イメージを統計によって正す論は面白かった。
少し飛ばして「誰が貧困を作っているのか」について、鈴木氏は「中間層の可処分所得を減らしている」(減らすように仕向けている)連中に向かって怒りを隠さない。新築住宅や数百万のブライダル、大学進学もそうだ。キラキラした何かを見せられ、大きな消費に所得を注ぎ込んだ結果、いざという時の蓄えを失って綱渡りの人生を送る人々。なるほど。私はこの罠には落ちなかったが、あらためて考えると、こういう人は多いのだろう。
第6章は、地方の若者に詳しい鈴木氏が語る「ソフトヤンキーのアッパー層」についての記述である。正直、私には全く縁のない世界で、遠い国、あるいは遠い時代の民族誌を読むような興味深さがあった。年収300万円未満でもガンガン人生を楽しんで、どんどん子どもを産む。15歳を過ぎたら子どもも稼ぎ手という認識。女性は子育てを親戚や友だちに頼ることができる。親の面倒はよくみる。排他的だが、内部には互助の文化がある。こういう文化圏は、地方の工業衛星都市に寄生しているという指摘はたぶん正しいだろう。そして、同じ地元で頑張っているという感覚があるために、頑張れなかった貧困者に風当たりがきつくなるとか、安倍首相大好きで意識高い系が嫌いというのは、予想できる帰結だけど、なるほどなあと思った。
今の子は帰属するコミュニティの空気を読むことに敏感で、端的に強い帰属感を味わえるのが「美しい日本」なのだという。これは理屈は分かるようで、感覚的にはよく分からない。鈴木氏は、震災で左翼の人たちがオカルト化した(反原発サイドの人たちに非科学的な言動だ多かった)というけれど、そうなのか。あまり私の視野には入っていなかった。
そして、貧困政策を徹底的に考える中で、「タバコ規制」と「肺がん治療」のように、貧困の被害が起こらないようにする対策と、もはや抜き差しならない状況に陥った人々に対する集中的なケアの二つが必要だという阿部氏の整理は分かりやすかった。これらをごちゃまぜにすることから様々な弊害が生じている。貧困家庭や虐待家庭からドロップアウトした子どもに必要なのは「居場所」なのに、国の施策は学習支援に偏りすぎているという鈴木氏の意見は聞き逃せない。アメリカではYMCAがそうした役割を担っているという阿部氏の発言にも注意を払っておきたい。
大きな問題は財源である。阿部氏の「中間層以上の人たちがあまり払ってない」という指摘は耳が痛い。「大変苦しい」人たちを救うには、「苦しい」と言っている人たちにも負担を求めなければならない。しかし正面切って、この真実を言える政治家は少ないだろうなあ。