見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

京と地方のハイブリッド/武士の起源を解きあかす(桃崎有一郎)

2019-01-20 23:37:17 | 読んだもの(書籍)
〇桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす:混血する古代、創初される中世』(ちくま新書) 筑摩書房 2018.11

 評判がいいので読んでみた。武士はいつ、どこで生まれたのか。かつて教科書には「地方の富裕な農民が成長し、土地を自衛するために一族で武装し、武士となった」と書かれていた。私もそのように学んだ世代である。これに対して、武士は都の衛府から生まれてきたという説も提唱されている。本書の序章に紹介されている高橋昌明氏の『武士の日本史』(岩波新書 2018.2)は、昨年、私もたいへん興味深く読んだ。しかし著者は、大江匡房の『続本朝往生伝』が各種技能の傑物を挙げる中で、衛府と武者を別グループにしていることなどから、武者の技能の主な源流が衛府にあると考えるのは無理があると断ずる。

 そこで、はるか古代、養老5年(721)に元正天皇が「文人・武士は国家の重んずる所」(武士の最古の用例)と述べた時代に遡り、我々が知る「武士」が姿を現すまでの長い年月を丹念に追っていく。先を急ぐと、(1)貴姓の王臣子孫×(2)卑姓の伝統的現地豪族×(3)準貴姓の伝統的武人輩出氏族(か蝦夷)が婚姻関係によって融合することで武士が成立したというのが本書の結論だ。

 まあしかし、三要素のうち最も重要なのは、通説どおり(2)ではないかと思う。元来、武士の本分は弓馬の術で、これは農業の片手間に習得することなど不可能な専門技術だった。だから農民から武士が生まれることはあり得ない、というのは納得がいく。しかし聖武朝には富裕な農民や郡司の子弟に弓馬を習う者が現れ(本書では「有閑弓騎」と呼ぶ)、国家も彼らを弓騎兵に登用するようになる。

 やがて古代国家の秩序が動揺し、王臣家による土地収奪が過激化すると、有閑弓騎の一部は王臣家の私兵となり、一部は群盗化した。「群盗の時代」は仁明朝に始まる。仁明天皇は「礼」思想を重視し、現代風に言えば「意識高い系」の天皇だったが、「文章経国」の実践は国庫を圧迫し、地方社会の疲弊と混乱を招いたという。地方社会の無政府状態が極点に達する中、必死の王臣家対策を実施したのが宇多天皇と菅原道真であるが、儒教的理想主義ではもはやどうにもならない。宇多天皇、かわいそうだなあとしみじみ思った。醍醐天皇の時代にも、ピークは過ぎたが、東国では相変わらず群盗が暴れ回った。

 しかし著者は、この郡司富豪層くずれの有閑弓騎集団だけでは武士にならないという。平将門が「新皇」を称したのは、桓武天皇五代目の子孫という出自への自負があったからだ。藤原氏、平氏、源氏という王臣子孫が地方に下り、現地有力者と通婚することにより、王臣×郡司富豪層の双方の利点を生かしたハイブリッドが誕生する。

 それでもまだ足りないと著者は言う。「兵(つわもの)」としての高い自覚と技術はどこからもたらされるか。ひとつは坂上氏や多治比氏のような武芸の氏族を、やはり婚姻によって母系から取り込むこと。あるいは秀郷流藤原氏の場合は、俘囚(蝦夷)から学び取ったのではないかと考えられる。こうして「京を父とし地方を母とするハイブリッド」武士が誕生した。

 以上、評判のとおり面白く読んだ。新書には珍しいくらいの詳細な注が巻末にあって、記述の根拠となった史料を確認できるのはよい配慮だと思う。ただし根拠が『古事談』だったりすると、いやそれ大丈夫か、と思うこともあったけれど。それから「武士」という言葉の内実(その時代の人々が言葉に託したイメージ)が、大きく変遷していることには注意しなければならないだろう。養老5年の「武士」は儒教的秩序に含まれる専門職能者の意味で使われているけれど、『愚管抄』の「武者(むさ)の世になりける也」に込められた「武者」への忌避感とずいぶん違うことに驚いた。

 人物評伝は本筋ではないのだが、平安前期の王臣家の人々(天皇・摂関家)がひとりひとり的確に活写されていて面白かった。陽成天皇の逸話も久しぶりに読んだ。後半で印象的だったのは平貞盛。いろいろとカッコいい。本格的な歴史ドラマで見たい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする