○国立劇場 第133回民俗芸能公演『春むかえ 田峯と西浦の田楽』(2019年1月26日)
【1時の部】田峯田楽
2019年新春の民俗芸能公演は、重要無形民俗文化財に指定されている2つの田楽を紹介する。どちらも観音修正会の結願に江戸時代から行われてきたもの。どちらも三遠信(三河・遠州・信濃)の県境の山間部に伝わったもの。この地域に大きな影響力を持っていたのが、名刹・鳳来寺である。ん?どこかで聞いた名前と思ったら、『おんな城主直虎』で虎松(のちの井伊直政)が預けられた寺だ。行ってみたかったけれど、奥地すぎてあきらめたところ。
田峯(だみね)田楽は愛知県北設楽郡設楽町に伝わり、谷高山高勝寺に奉納されるもので、「昼田楽」「夜田楽」「朝田楽」の三部構成になっている。公演では、幕が上がると車座に座る10人ほどの田楽衆。烏帽子に白い水干姿の禰宜のおじさんが祝詞を奏上し「開扉」を告げると、一同が客席に向かって平伏する。ギギギという効果音が入って、観音像が安置されている厨子の扉が開いたという設定。
禰宜のおじさんが、おそらく田峯田楽保存会の会長さんで、以下、この方の解説で進んだ。「昼田楽」の「扇の舞」「万歳楽」「仏の舞」は短い舞を数人が入れ替わりに舞って(本来は田楽衆全員が舞う)場を清める。使われている楽器は主に鉦、太鼓、笛。
「夜田楽」は稲づくりの工程を舞で表現する。「日選び」「堰さらい」「田打ち」「籾蒔き」と続く。作業が終わった舞手は禰宜さんと短い会話をして下がる。このとき、多少のアドリブが入ったりして、観客の笑いを誘う。次の「おしずめよなどう」(何語だ?)は朱色の装束の羽織さん(と呼ばれるが羽織は着ていない)が登場して、長文の祝詞を奏上する。次に「鳥追い」は、ひとりだけ柄物の直垂(?)姿の鳥追いさんが鼓を打ちながら謡う。「あれはたが(誰が)鳥追」「〇〇の鳥追」という掛け合いのような詞章が面白かった。「普賢菩薩の鳥追」とか「地頭どんの鳥追」とか応じるのである。さらに「柴刈り」「代掻き」「大足」「雇人」と進んで休憩。
休憩開けは「田植」で、田楽衆全員が立って太鼓を囲み田歌をうたっていると、子守が木の枝などに着物を着せた「ねんね様」(本尊十一面観音の子供)を背負って現われ、ねんね様に食事を差し上げる。舞台転換があって「夜田楽」。舞台に小さな焚火が点る(もちろん造り物だが雰囲気がある)。「庭固め」「火伏せ」「ちらし棒」「ふけらかし」(見せびらかせしの意)「あたま惣田楽・から輪田楽」(左、右、と声をかけながら腰をかがめて歩く)「殿面」「翁面」「駒」「獅子」(三人が入る獅子舞)と続き、「閉扉」で終わった。全体にほのぼのした雰囲気だった。お年を召した方が多く、お疲れ様でした。
【4時の部】西浦田楽
静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の所能観音堂で開催される。その内容は中世の祭礼の姿をよく伝えるとされ、折口信夫も調査に訪れているそうだ。また現在でも15軒の「能衆」がこの祭りを世襲で受け継いでいるというのにも驚いた。幕が上がると、舞台上手には大きな焚火(の造り物)。奥に演台。下手には満月が掛かっている。三角形の烏帽子を被った男たちが客席に背を向けて輪をつくっており「庭ならし」を謡うところから始まる。西浦田楽の公演は、特に説明なしで進行した。
舞台奥の演台に数人が陣取る。台に上がって太鼓を叩く役が2名。腰かけて笛を吹く役が数名。なぜか中央に座って、ときどき台本?を見ているおじさんがいた。そういう役回りなのだろうか。舞は「御子舞」「高足」「高足のもどき」「麦つき」「水口」と続く。舞手の年齢層が若いためか、わりと動きが早い。もっとも「高足のもどき」では白髪のおじさんが頑張っていた。「鳥追い」は4人の舞手が2本の棒のような簓(ささら)を擦りながら舞う。歌声は舞台外から流していたように思う。やはり「これはだが(誰が)鳥追」「天月日の鳥追」「鎌倉どんの鳥追」という掛け合いがあり、田畑を荒らす鳥や獣を憎んで、はるか遠くへ追い払おうとする。しかし、どこか哀愁を感じる旋律だった。次に「惣とめ」。前半は簓を擦りながらの2人舞。後半は面をつけた観音の化身が登場。「禰宜禰宜なんだらよ」という章句を繰り返して、さまざまな神々を召喚する。ここで休憩。
休憩開けは「田楽舞」から。はじめ4人の田楽衆が、やがてもっと人数が増え、編木(びんざさら)を鳴らして輪になって舞う。田楽にしてはテンポの早い、切れのある舞。次の1人舞「のたさま」も大きく手足を振り回して舞う。ここまでが「地能」で、以下「はね能」と呼ばれるジャンルに入る。事前にプログラム(来場者全員に無料配布!)でこの言葉を見てもピンとこなかったのだが、実演を見て理解した。「しんたい」「梅花」「猩々」と続くのだが、所作がすごくアクティブなのだ。手足をピンと跳ね上げたり、クルっとまわったりする。ちょっと京劇みたいだ。それなのに、舞に挟まれる謡の詞章は全く古典的なのだ。たとえば「しんたい」の冒頭は「げに名を得たる松がよの、老木に昔顕はして」である。これ「高砂」そのままじゃないか。しかし旋律が絶妙に変。少なくとも、素人が考える「いかにも古典芸能」的な旋律とは大いに異質なものを感じて、とても面白かった。最後は「弁慶」(五条大橋の牛若と弁慶の所作事)で終了。よい体験をさせてもらった。
【1時の部】田峯田楽
2019年新春の民俗芸能公演は、重要無形民俗文化財に指定されている2つの田楽を紹介する。どちらも観音修正会の結願に江戸時代から行われてきたもの。どちらも三遠信(三河・遠州・信濃)の県境の山間部に伝わったもの。この地域に大きな影響力を持っていたのが、名刹・鳳来寺である。ん?どこかで聞いた名前と思ったら、『おんな城主直虎』で虎松(のちの井伊直政)が預けられた寺だ。行ってみたかったけれど、奥地すぎてあきらめたところ。
田峯(だみね)田楽は愛知県北設楽郡設楽町に伝わり、谷高山高勝寺に奉納されるもので、「昼田楽」「夜田楽」「朝田楽」の三部構成になっている。公演では、幕が上がると車座に座る10人ほどの田楽衆。烏帽子に白い水干姿の禰宜のおじさんが祝詞を奏上し「開扉」を告げると、一同が客席に向かって平伏する。ギギギという効果音が入って、観音像が安置されている厨子の扉が開いたという設定。
禰宜のおじさんが、おそらく田峯田楽保存会の会長さんで、以下、この方の解説で進んだ。「昼田楽」の「扇の舞」「万歳楽」「仏の舞」は短い舞を数人が入れ替わりに舞って(本来は田楽衆全員が舞う)場を清める。使われている楽器は主に鉦、太鼓、笛。
「夜田楽」は稲づくりの工程を舞で表現する。「日選び」「堰さらい」「田打ち」「籾蒔き」と続く。作業が終わった舞手は禰宜さんと短い会話をして下がる。このとき、多少のアドリブが入ったりして、観客の笑いを誘う。次の「おしずめよなどう」(何語だ?)は朱色の装束の羽織さん(と呼ばれるが羽織は着ていない)が登場して、長文の祝詞を奏上する。次に「鳥追い」は、ひとりだけ柄物の直垂(?)姿の鳥追いさんが鼓を打ちながら謡う。「あれはたが(誰が)鳥追」「〇〇の鳥追」という掛け合いのような詞章が面白かった。「普賢菩薩の鳥追」とか「地頭どんの鳥追」とか応じるのである。さらに「柴刈り」「代掻き」「大足」「雇人」と進んで休憩。
休憩開けは「田植」で、田楽衆全員が立って太鼓を囲み田歌をうたっていると、子守が木の枝などに着物を着せた「ねんね様」(本尊十一面観音の子供)を背負って現われ、ねんね様に食事を差し上げる。舞台転換があって「夜田楽」。舞台に小さな焚火が点る(もちろん造り物だが雰囲気がある)。「庭固め」「火伏せ」「ちらし棒」「ふけらかし」(見せびらかせしの意)「あたま惣田楽・から輪田楽」(左、右、と声をかけながら腰をかがめて歩く)「殿面」「翁面」「駒」「獅子」(三人が入る獅子舞)と続き、「閉扉」で終わった。全体にほのぼのした雰囲気だった。お年を召した方が多く、お疲れ様でした。
【4時の部】西浦田楽
静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の所能観音堂で開催される。その内容は中世の祭礼の姿をよく伝えるとされ、折口信夫も調査に訪れているそうだ。また現在でも15軒の「能衆」がこの祭りを世襲で受け継いでいるというのにも驚いた。幕が上がると、舞台上手には大きな焚火(の造り物)。奥に演台。下手には満月が掛かっている。三角形の烏帽子を被った男たちが客席に背を向けて輪をつくっており「庭ならし」を謡うところから始まる。西浦田楽の公演は、特に説明なしで進行した。
舞台奥の演台に数人が陣取る。台に上がって太鼓を叩く役が2名。腰かけて笛を吹く役が数名。なぜか中央に座って、ときどき台本?を見ているおじさんがいた。そういう役回りなのだろうか。舞は「御子舞」「高足」「高足のもどき」「麦つき」「水口」と続く。舞手の年齢層が若いためか、わりと動きが早い。もっとも「高足のもどき」では白髪のおじさんが頑張っていた。「鳥追い」は4人の舞手が2本の棒のような簓(ささら)を擦りながら舞う。歌声は舞台外から流していたように思う。やはり「これはだが(誰が)鳥追」「天月日の鳥追」「鎌倉どんの鳥追」という掛け合いがあり、田畑を荒らす鳥や獣を憎んで、はるか遠くへ追い払おうとする。しかし、どこか哀愁を感じる旋律だった。次に「惣とめ」。前半は簓を擦りながらの2人舞。後半は面をつけた観音の化身が登場。「禰宜禰宜なんだらよ」という章句を繰り返して、さまざまな神々を召喚する。ここで休憩。
休憩開けは「田楽舞」から。はじめ4人の田楽衆が、やがてもっと人数が増え、編木(びんざさら)を鳴らして輪になって舞う。田楽にしてはテンポの早い、切れのある舞。次の1人舞「のたさま」も大きく手足を振り回して舞う。ここまでが「地能」で、以下「はね能」と呼ばれるジャンルに入る。事前にプログラム(来場者全員に無料配布!)でこの言葉を見てもピンとこなかったのだが、実演を見て理解した。「しんたい」「梅花」「猩々」と続くのだが、所作がすごくアクティブなのだ。手足をピンと跳ね上げたり、クルっとまわったりする。ちょっと京劇みたいだ。それなのに、舞に挟まれる謡の詞章は全く古典的なのだ。たとえば「しんたい」の冒頭は「げに名を得たる松がよの、老木に昔顕はして」である。これ「高砂」そのままじゃないか。しかし旋律が絶妙に変。少なくとも、素人が考える「いかにも古典芸能」的な旋律とは大いに異質なものを感じて、とても面白かった。最後は「弁慶」(五条大橋の牛若と弁慶の所作事)で終了。よい体験をさせてもらった。