見もの・読みもの日記

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天衣無縫の魅力/六古窯-和のやきもの(出光美術館)

2019-04-09 22:37:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『六古窯-〈和〉のやきもの』(2019年4月6日~6月9日)

 六古窯とは、日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯、瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前をいう。2017年には文化庁の「日本遺産」にも選定されているそうだ。私がこうした古窯(古陶)の存在を知ったのは、やはりこの出光美術館の展覧会だった。ブログを検索すると。2010年に『麗しのうつわ-日本やきもの名品選-』という展覧会を見ていて、「猿投(さなげ)」の名前を初めて覚えたと記憶している。

 しかし、色絵や染付、織部や志野などと違って、「見て楽しむ」ためのやきものとは言い難い、武骨で素っ気ない、六古窯の面白さが私に分かるだろうか?と多少、危惧しながら会場に赴いた。結果は、心配したより楽しめたと思っている。展示は、関連の中国陶磁や後世のやきものを含め、100点余り。福井県陶芸館、愛知県陶磁美術館など、行ったことのない美術館からも優品が出品されていて、興味深かった。

 最も衝撃的だったのは、越前窯の双耳壺(室町時代、福井県陶芸館)である。40センチメートルを超える大型の壺で、落ち着いた茶褐色の地肌。口のまわりに、刷毛で掃いたように濃緑色の釉が流れ、その一部が白と水色に発色している。まるで油彩の絵具をなすりつけたようだ。さらに焼成中に壺が横倒しになり、その後、再び逆向きに倒れたため、釉薬が下から上へ回り込むような、不思議な流れ方をしていて、天衣無縫の魅力がある。

 六古窯のやきものに感じるのは、人間が完全にコントロールすることのできない、土と火と偶然の力が造り出す芸術性である。信楽窯の壺(南北朝時代、出光美術館)の赤みがかった肌に流れる緑釉の存在感。常滑窯の大壺(平安時代後期、出光美術館)は、表面に点々と大小の小石のようなものが張り付いている。「振り物」といって、焼成中に窯の中の土屑などが舞い、器面に落ちて付着したものだという。土門拳が「たんこぶ」と呼んだ丹波窯の壺(銘:猩々)(鎌倉時代、兵庫陶芸美術館)は、胎土の中の空気が十分抜けていなかったために起きる瘤(火脹れ)で器面がでこぼこに焼き上がっている。

 それほど素朴な造りでないものもあり、猿投窯の獣足壷や短頸壺(どちらも奈良時代)や瀬戸釉の灰釉牡丹文広口壺や鉄釉蕨文広口壺(どちらも鎌倉時代)などは、かたちも整い、文様や釉薬のかけかたも全体にバランスがとれている。しかし、中世の人々が好んだ「唐物」の銅製品や青磁と比べると、なんというか、違いは明らかだ。どちらが優れているというわけではないが、日本的な「美」は、完全性を目指すというより、不完全性をも一つの造形感覚の中に取り込んでしまう(前述の「猩々」に対する解説のことば)方向にあるのだと思う。

 その「和のパワー」を意識的に発揮しているのが、信楽窯、伊賀窯などの桃山茶陶。つぶれた(わざとつぶした)ような水指、花生のアバンギャルドな造形がすごい。備前の瓢形花生、黄瀬戸の立鼓花生もシンプルだけど大胆な造形でよい。

 中世陶器の「三種の神器」は、壺、甕、擂鉢であるというのも面白かった。中世には各窯でこれらの「基本三種」が生産され、流通していたという。壺、甕に比べると擂鉢の遺品は少ないように思うが、なるほど、料理のバリエーションを広げ、生活を豊かにする必需品であったに違いない。

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