見もの・読みもの日記

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国宝 曜変天目ふたたび/大徳寺龍光院(MIHOミュージアム)

2019-04-21 11:51:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

MIHOミュージアム 春季特別展『大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)』(2019年3月21日~5月19日)

 ブログを書くのが追い付いていないが、先週末4/14(日)の訪問になる。前日は大津に泊まり、朝、石山駅に向かった。MIHOミュージアム行きバスの第1便は9:10発なので、人が多いと座れなくなると思い、8:45頃にバス停に行ってみたら、もう長い列ができていた。外国人も多いが、日本人も多い。バス会社の人が、お客さんの数を数えて、何か話し合っていると思ったら、9:00に臨時便が出ることになり、私はこれに乗ることができた。

 9:50頃、MIHOミュージアム着。レセプション棟の周辺は、すでに自家用車や観光バスで来たお客さんでにぎわっている。すばやくチケットを購入し(前売りを買っておく方がベター)、桜見物を楽しむお客さんの間を縫って、美術館棟に向かう。トンネルを抜けると、美術館棟の入口から、入館待ちの列が吊り橋の上まで伸びていて、呆気にとられた。こんなの初めて!

 10:00になると、人々が美術館の中に吸い込まれ始めた。明確に龍光院の曜変天目を目的に来ているお客さんばかりかというとそうでもないので、エントランスでのんびり眺望を楽しんでいる人たちもいた。私はもちろん特別展の展示室へ直行。冒頭の文書資料や江月宗玩の木像に興味を抱きつつ、場内係員の「曜変天目をご覧になる方はこちらで~す」という控えめな呼びかけを聞いて、先にこれを見てしまうことに決めた。

 MIHOミュージアムの特別展スペースは中庭の三方を囲むコの字型になっている。どうやら最初の巡路の突き当りに曜変天目があるらしく、細長い展示室の中央に待ち列ができていた。左右の壁面の展示ケースには、唐物の漆工芸や羅漢図や襖絵・杉戸絵など、いろいろ気になるものが並んでいたのだが、とりあえず曜変天目を見ることに集中する。15分くいらいで茶碗の前へ。私は2017年に京博『国宝展』でも見ているので、2回目になる。前回、曜変天目にしては青くない印象があったのだが、今回は一目見て、あ、青い!と驚いてしまった。照明の違いだろうか。記憶とは全く別の茶碗のように、全体に青い輝きが満ちていて、華やかだった。

 もう1回、列に並ぼうかどうしようか迷ったが、ほかの展示品を見ることにした。大徳寺龍光院(りょうこういん)は、黒田長政が父・黒田孝高(官兵衛・如水)の菩提を弔うために建立した寺院。開山・春屋宗園はまもなく江月宗玩に代を譲り、実質的な開祖とした。江月宗玩は津田宗及の子で、寛永文化の中心の一人であった。以上のようなことを、私はこの展覧会を通じて初めて知った。

 さて展覧会の冒頭は、江月宗玩の紹介から。多くの自筆文書や木像もさることながら、衣桁に無造作に掛けられた薄黄色の羅紗衣(江月宗玩の所用)に存在感を感じる。払子、数珠、机案など所用の品々は、シンプルで品がよい。遺偈もシンプルに「喝〃〃喝」の四文字だけというのもカッコいいと思った。

 そして天王寺屋津田家に由来する茶道具、墨蹟等の名品。初祖・春屋宗園の書は見たことがなかったが、細やかで好きだ。伝・牧谿の『柿・栗図』2幅は楽しい。特に『柿図』は墨画なのに柿の実の色のバリエーションが見えるようだ。玉澗の『山水図』、銭選の『海棠図』も見ることができたが、中国絵画は後期(4/23-)のほうが面白そうな気がする。なお、MIHOミュージアム所蔵の寸松庵色紙(たつたひめ)が出ていたのは、寸松庵が龍光院の中にあったためだ。

 1時間ほどでひとまわりして、さてもう1回、曜変天目に並ぼうかと思ったら、特別展会場の外側に長い長い列ができている。係員の方に聞いたら「60分待ち」だというので、いさぎよくあきらめた。まあ、そもそも2017年の国宝展の前は、一度見ることができたら本望と思っていたものを二度も見てしまったのだ。長生きしたら三度目があるかもしれない。

 図録は大部だが、ふだん見ることのできない龍光院の建築や四季の風景の写真が多数あり、掛け軸は表具を含めた全体写真が収録されているのが大変うれしい。ぶ厚いわりに開きやすく、壊れにくい造本なのもありがたい。また、龍光院ご住職の小堀月浦氏が一文を寄せて、お寺がどうして美術館のように多くの作品群を収蔵しているのかを考えて、「そうか!心ある人に見てもらうためにお寺に在るんだ」と思い至ったというのは、まことにもったいないことで、その心在る人になりたいと思う。

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